家族カウンセラーの想いつれづれ
    阪急電車―

    (カテゴリーは「自律」でも「ハラスメント」でもいいのだけど、始まりがハラスメントなのでこっちにしました。)

    この映画は夏に相談者さんが話してくれてとても興味がわきました。

    出演者に好きな人もいたのでさっそく見に行ったのを思い出します。

    記憶を辿りながらですが、ネタバレ注意です。

    -------
    キャリアウーマンの女性がマリッジブルーになっている最中に、彼女の婚約者が彼女の後輩と浮気をして、なんと子どもが出来てしまい結婚する、という三人の話し合い(修羅場)からの始まりです。
    「君なら一人でもやってゆけるだろう。けれど、彼女は僕がいないとだめなんだ」的な男の言い分にげんなりした覚えがあります。
    会社の同僚の間のことなので、婚約していることも知られています。
    普通の常識だと、彼女は職場を奪われる格好です。

    いろいろやりとりして彼女は覚悟します。

    ある条件を飲んだら許すけど、その条件を飲まないなら婚約不履行に訴える!

    その条件は結婚式に招待すること!

    婚約者に裏切られた彼女はウエディングドレスで結婚式に出席しました。
    一番綺麗な私を見せて後悔させてやりたかった・・・。

    -------


    ある若い女の子は彼のDVにあっています。
    友人の前ではとってもハンサムでやさしい彼。
    どこでキレるがわからないから神経が磨り減ってゆく様子を感じます。

    -------



    あるお母さんは子どもの親(オバサマ集団)の付き合いで気が重い日々です。
    好きじゃない贅沢に付き合って、家計のやりくりに響くのを家族は許してくれるのですが、自分自身が本当は嫌で嫌でたまりません。
    噂話や自慢話に長々と付き合い、着ている洋服にも気を使わされ、ぐったりして我慢しています。
    電車の中で大声で喋る仲間に辟易としつつも注意も出来ず、神経をすり減らしています。

    -------



    ある大学生はいわゆるヲタク男子です。周りを気にしています。
    ある大学生は田舎から出てきて都会に馴染めない女子です。
    それぞれの個性を尊重しあって近づいてゆきます。

    -------


    ある女子高生は進学に悩み自暴自棄になります。
    自分の中にハラッサーとハラッシーは共存していることがわかります。

    -------


    ある小学生は苛めに合っているけれど親に言えずにいます。
    こんな時期にすでにハラッサーの種が植え付けられています。
    このまま我慢することが生き癖になり、受け皿を生きる脚本になるとしたら切ないです。
    親に言えない環境が機能不全と言えるのでしょうが、映画では家族が出てきません。

    -------


    あるお祖母さんは、いつも嫁が忙しそうで孫と過ごすことが多いです。
    孫は祖母になついています。
    この子は無垢であるがままに振舞います。
    それを見守る祖母が、母親代わりにしつけをしている様子です。
    いつも電車の中でうるさいオバサマ集団に我慢しながら、彼女らから席を離れて座っています。

    -------


    はじめの女性は、花嫁姿で結婚式に乗り込んだ帰りの電車で、このお祖母さんに声をかけてもらいます。
    台詞は忘れたけれど
    「それで守備はどうだった?」みたいなお茶目な言葉だったと思います。
    「よかったら話してみない?」
    張り詰めた糸が切れたように、泣いて泣いて素直な気持ちを吐露してゆきます。

    「次の駅はなかなかいいところよ。」だったかな。
    彼女はその駅で降りて、服を着替え何かふっきれた様子でした。




    電車に乗り合わせる人々の織り成す物語の中で、色々な変化が起こってゆきます。


    ハラスメント界から離れる人とそうじゃない人にわかれてゆきます。
    ハラスメント界から離れた人たちが出会います。

    これまでは、負の連鎖だっただろうけれど、新しい連鎖反応が起こってゆきます。
    自律した姿勢は執着がないので、さわやかに手助けしてさわやかに立ち去ります。
    その場を助けるだけで、本当の問題は[あなたがどうしたいか]なのだということ。




    感情にいいも悪いもありません。

    ただし、その感情はコミュニケーション方法を間違えたらハラッサー(ハラッシー)になりえます。
    内側にハラスメントの種を誰もが持っているのです。

    そんなまがまがしい感情を素直に認め傷みを哀しみ泣いて泣いて背骨を作ってゆきます。
    その彼女の姿を見た人や、言動に触れた人が自発的に変化してゆきます。
    同じ場所にいても、変わろうとしない人は変れません。
    DVカップルや、オバサマ集団が、変わろうとする勇気の人と悪態ついても変わらない人とをわかりやすく見せてくれています。

    誰でも失敗するし、誰でもやらかすし、そういう傷を受け止めてあげられる心を人は本来持っているんですよね。
    だんだん汚れて忘れていき、気付いてお祖母さんのようになってゆけるのでしょう。
    このお祖母さん、最後はオバサマ集団を叱り飛ばします。
    いい年をしてしつけの段階ですが、最後までオバサマは変わりません。


    結局は、謙虚さと素直さと聴すことが出来ない人は、なあんにも変わらないのだなぁ、と最後のオバサマとDV男が教えてくれました。

    ハラスメントから自分の内側に向き合い自律に向かった人々と、ハラスメントから抜けられず自分の外ばかり向いている人が浮き彫りに見えた映画に感じました。





    自律に向かうには依存(甘え)を一度は手放します。

    孤立無援の覚悟も必要な場面があります(だって心は自分のもので誰の手にも負えないから)。

    共依存の対象と離れても、別の人に代償行為で依存することがしばし続きます。それだけ寂しい哀しい脚本があるのですから無理からぬことです。

    「過剰な期待」をして裏切られ、裏切りに対する気持ちに同情してくれる相手に依存してまた裏切られ、相手が代わるだけで同じ繰り返しをしてしまいます。
    「過剰な期待」は曲者ですね。「過剰な依存」といってもいいでしょう。

    治療者・援助者に「過剰な期待や依存」をした場合は、フィードバックされます。
    治療者・援助者も間違えることはありますから、その部分をフォードバックします。
    それを素直に受け止めてゆくことが重要なのですが、ハラスメント界から抜ける準備不足の場合は、自分の思い通りになりませんから腹を立てます。


    自分の思い通りにならない人間を責めて、自分自身の問題から逃げる理由にしてしまいます。

    本気で変わりたかったら、依存をどれだけ手放せるか自分との戦いですから、人のせいにしている場合じゃないのです。




    感情についていえば、常に自分の問題です。

    誰かや物事に何か感じたとしたら、それは自分の中の何かが反応しています。
    同じ場所にいて同じ経験をしても、十人十色の感情を持ちます。

    その感情が気持ちがいいならその人にとってそこは安心出来る状況なのでしょう。(ハラスメント界で安心する人もいます。)

    嫌悪を抱いたり悪意が起こった場合は、その人の心に何か解決されない傷があるのでしょう。

    この映画でも、知らない人なのに気になり、自分の琴線に何かが触れて反応しているのがわかります。


    ハラッサーもハラッシーも自覚した時点で同じ苦しみの仲間とも言えます。(一緒にいられませんが)
    この言葉に過敏になるなら、覚悟が足らないのかもしれません。
    ハラッサー呼ばわりされた、とか、ハラッシーでありたくない、とか、あがいてもすすみません。

    そこにいたから苦しいんだもの、いたのは事実なのだから今更あがいても仕方ないのです。
    腹をくくってこそ抜けられるのですから、覚悟しましょう。


    阪急電車、わかりやすくてお勧めです。
    そろそろレンタルになっているかも?

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    キャリアウーマンの女性がマリッジブルーになっている最中に、彼女の婚約者が彼女の後輩と浮気をして、なんと子どもが出来てしまい結婚する、という三人の話し合い(修羅場)からの始まりです。
    「君なら一人でもやってゆけるだろう。けれど、彼女は僕がいないとだめなんだ」的な男の言い分にげんなりした覚えがあります。
    会社の同僚の間のことなので、婚約していることも知られています。
    普通の常識だと、彼女は職場を奪われる格好です。

    いろいろやりとりして彼女は覚悟します。

    ある条件を飲んだら許すけど、その条件を飲まないなら婚約不履行に訴える!

    その条件は結婚式に招待すること!

    婚約者に裏切られた彼女はウエディングドレスで結婚式に出席しました。
    一番綺麗な私を見せて後悔させてやりたかった・・・。

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    ある若い女の子は彼のDVにあっています。
    友人の前ではとってもハンサムでやさしい彼。
    どこでキレるがわからないから神経が磨り減ってゆく様子を感じます。

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    あるお母さんは子どもの親(オバサマ集団)の付き合いで気が重い日々です。
    好きじゃない贅沢に付き合って、家計のやりくりに響くのを家族は許してくれるのですが、自分自身が本当は嫌で嫌でたまりません。
    噂話や自慢話に長々と付き合い、着ている洋服にも気を使わされ、ぐったりして我慢しています。
    電車の中で大声で喋る仲間に辟易としつつも注意も出来ず、神経をすり減らしています。

    -------



    ある大学生はいわゆるヲタク男子です。周りを気にしています。
    ある大学生は田舎から出てきて都会に馴染めない女子です。
    それぞれの個性を尊重しあって近づいてゆきます。

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    ある女子高生は進学に悩み自暴自棄になります。
    自分の中にハラッサーとハラッシーは共存していることがわかります。

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    ある小学生は苛めに合っているけれど親に言えずにいます。
    こんな時期にすでにハラッサーの種が植え付けられています。
    このまま我慢することが生き癖になり、受け皿を生きる脚本になるとしたら切ないです。
    親に言えない環境が機能不全と言えるのでしょうが、映画では家族が出てきません。

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    あるお祖母さんは、いつも嫁が忙しそうで孫と過ごすことが多いです。
    孫は祖母になついています。
    この子は無垢であるがままに振舞います。
    それを見守る祖母が、母親代わりにしつけをしている様子です。
    いつも電車の中でうるさいオバサマ集団に我慢しながら、彼女らから席を離れて座っています。

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    はじめの女性は、花嫁姿で結婚式に乗り込んだ帰りの電車で、このお祖母さんに声をかけてもらいます。
    台詞は忘れたけれど
    「それで守備はどうだった?」みたいなお茶目な言葉だったと思います。
    「よかったら話してみない?」
    張り詰めた糸が切れたように、泣いて泣いて素直な気持ちを吐露してゆきます。

    「次の駅はなかなかいいところよ。」だったかな。
    彼女はその駅で降りて、服を着替え何かふっきれた様子でした。




    電車に乗り合わせる人々の織り成す物語の中で、色々な変化が起こってゆきます。


    ハラスメント界から離れる人とそうじゃない人にわかれてゆきます。
    ハラスメント界から離れた人たちが出会います。

    これまでは、負の連鎖だっただろうけれど、新しい連鎖反応が起こってゆきます。
    自律した姿勢は執着がないので、さわやかに手助けしてさわやかに立ち去ります。
    その場を助けるだけで、本当の問題は[あなたがどうしたいか]なのだということ。




    感情にいいも悪いもありません。

    ただし、その感情はコミュニケーション方法を間違えたらハラッサー(ハラッシー)になりえます。
    内側にハラスメントの種を誰もが持っているのです。

    そんなまがまがしい感情を素直に認め傷みを哀しみ泣いて泣いて背骨を作ってゆきます。
    その彼女の姿を見た人や、言動に触れた人が自発的に変化してゆきます。
    同じ場所にいても、変わろうとしない人は変れません。
    DVカップルや、オバサマ集団が、変わろうとする勇気の人と悪態ついても変わらない人とをわかりやすく見せてくれています。

    誰でも失敗するし、誰でもやらかすし、そういう傷を受け止めてあげられる心を人は本来持っているんですよね。
    だんだん汚れて忘れていき、気付いてお祖母さんのようになってゆけるのでしょう。
    このお祖母さん、最後はオバサマ集団を叱り飛ばします。
    いい年をしてしつけの段階ですが、最後までオバサマは変わりません。


    結局は、謙虚さと素直さと聴すことが出来ない人は、なあんにも変わらないのだなぁ、と最後のオバサマとDV男が教えてくれました。

    ハラスメントから自分の内側に向き合い自律に向かった人々と、ハラスメントから抜けられず自分の外ばかり向いている人が浮き彫りに見えた映画に感じました。





    自律に向かうには依存(甘え)を一度は手放します。

    孤立無援の覚悟も必要な場面があります(だって心は自分のもので誰の手にも負えないから)。

    共依存の対象と離れても、別の人に代償行為で依存することがしばし続きます。それだけ寂しい哀しい脚本があるのですから無理からぬことです。

    「過剰な期待」をして裏切られ、裏切りに対する気持ちに同情してくれる相手に依存してまた裏切られ、相手が代わるだけで同じ繰り返しをしてしまいます。
    「過剰な期待」は曲者ですね。「過剰な依存」といってもいいでしょう。

    治療者・援助者に「過剰な期待や依存」をした場合は、フィードバックされます。
    治療者・援助者も間違えることはありますから、その部分をフォードバックします。
    それを素直に受け止めてゆくことが重要なのですが、ハラスメント界から抜ける準備不足の場合は、自分の思い通りになりませんから腹を立てます。


    自分の思い通りにならない人間を責めて、自分自身の問題から逃げる理由にしてしまいます。

    本気で変わりたかったら、依存をどれだけ手放せるか自分との戦いですから、人のせいにしている場合じゃないのです。




    感情についていえば、常に自分の問題です。

    誰かや物事に何か感じたとしたら、それは自分の中の何かが反応しています。
    同じ場所にいて同じ経験をしても、十人十色の感情を持ちます。

    その感情が気持ちがいいならその人にとってそこは安心出来る状況なのでしょう。(ハラスメント界で安心する人もいます。)

    嫌悪を抱いたり悪意が起こった場合は、その人の心に何か解決されない傷があるのでしょう。

    この映画でも、知らない人なのに気になり、自分の琴線に何かが触れて反応しているのがわかります。


    ハラッサーもハラッシーも自覚した時点で同じ苦しみの仲間とも言えます。(一緒にいられませんが)
    この言葉に過敏になるなら、覚悟が足らないのかもしれません。
    ハラッサー呼ばわりされた、とか、ハラッシーでありたくない、とか、あがいてもすすみません。

    そこにいたから苦しいんだもの、いたのは事実なのだから今更あがいても仕方ないのです。
    腹をくくってこそ抜けられるのですから、覚悟しましょう。


    阪急電車、わかりやすくてお勧めです。
    そろそろレンタルになっているかも?

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    【2011/12/30 08:08】 | ハラスメント
    【タグ】 ハラッシー  ハラッサー  ハラスメント  
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    中尾真智子
    レンタル情報をありがとうございます♪


    アヨ
    レンタルになってました。今度、観てみます。ありがとう♪

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    コメント
    この記事へのコメント
    レンタル情報をありがとうございます♪
    2012/01/06(Fri) 10:46 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    レンタルになってました。今度、観てみます。ありがとう♪
    2011/12/30(Fri) 12:36 | URL  | アヨ #-[ 編集]
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