家族カウンセラーの想いつれづれ
    棄てる
    「この本に共感された方は、見えないところで繋がっています。」と書きましたが、直接の繋がりではありません。

    もしも、現実的にどこかで繋がることがあるとしたら、熟練者や専門家がいる場所(ネットでもオフでも)で繋がることを願っています。

    というのは、心の問題は時には仲間が必要な場合もあります。

    「これまで誰にもわかってもらえなかったことを共有出来る人がいる!」

    これほど心強いことはないでしょう。

    傷つきあうことはなるべく少なく、恐れも不安も少なく、安心出来る場を作ってくれる熟練した人のもとで繋がるといいなぁ。

    そして謙虚に真摯に学びあえるとしたら、素晴らしいと思います。

    集団カウンセリングの中止とネットの危惧
    に書いたことを思い出します。

    ネットでもオフでも不用意に繋がった上での傷を、その後もときおり知らされることがあります。

    傷ついた瞬間があり、それを直接伝えることが出来ないとしたら、それは自分にとって安心出来る相手ではありません。(★1)

    離れていいのです。

    相手を純粋に好きな気持ちかどうか自分に聴いてください。

    相手にいい顔をしてしまう自分がいたら、依存度が高いと思われます。

    自分にとって安心出来る相手ではありません。

    どちらがどうということはわかりません。

    あくまでも自分にとって、という尺度を大事にしてください。

    ハラッサーにとっても、自律に向かう人は思い通りにならないので安心出来る相手ではありません。

    互いに自分の心に忠実になってみたら離れるしかありません。

    が、ハラッサーはただ立ち去ってくれません。

    強い執着を示し、時に罵り、陰口を言い、憎悪を振りまいていきます。

    それらに傷つくのは当たり前のことです。

    が、ここで取り込まれたらハラッシーに逆戻りです。

    傷は傷で泣いていいのです。

    ※傷を訴えてやりたい!……これはハラスメントの世界です。(★2)



    人の集まるところで疑心暗鬼になることもあるでしょう。

    他の誰がその人(★1)と親しくしていても自分の感度を大事にしてください。

    それが自分の「信頼出来る人」であっても、自分にとっての感度を大事にしてください。

    自分の「信頼出来る人」がハラッサーかどうか疑うこともいりません。

    自分が信頼出来る人が付き合っているから自分にとって安全だなんて思わないことです。



    たとえば、相談者さんはハラッサー現在進行形の方やハラッシー現在進行形の方が多いです。

    知らないところで繋がるとやっかいなことになります。

    また、多くのハラッシーはハラッサーになれます。(★2)

    その自覚のある方は、前に進んでゆける手ごたえを感じます。

    ハラスメントを受けたらフィードバックします。

    それが気付きになればかわってゆかれます。

    それが怒りになり矛先をカウンセラーに向け続けるなら、お互いの世界は交わることが出来ません。

    互いの世界が明確に別つ時は、留まることも引きとめることもありません。



    わたしはわたし

    あなたはあなた

    もともとがひとりひとりちがう

    だれとくらべることもなし





    ―自分の感受性くらい―(茨木のり子)


    ぱさぱさに乾いてゆく心を

    ひとのせいにはするな

    みずから水やりを怠っておいて



    気難しくなってきたのを

    友人のせいにはするな

    しなやかさを失ったのはどちらなのか



    苛立つのを

    近親のせいにはするな

    なにもかも下手だったのはわたくし



    初心消えかかるのを

    暮しのせいにはするな

    そもそもが ひよわな志にすぎなかった



    駄目なことの一切を

    時代のせいにはするな

    わずかに光る尊厳の放棄



    自分の感受性くらい

    自分で守れ

    ばかものよ






    ―私と小鳥と鈴と―(金子みすず)



    私が両手をひろげても、

    お空はちっとも飛べないが、

    飛べる小鳥は私のやうに、

    地面(じべた)を速くは走れない。



    私がからだをゆすっても、

    きれいな音は出ないけど、

    あの鳴る鈴は私のやうに、

    たくさんな唄は知らないよ。



    鈴と、小鳥と、それから私、

    みんなちがって、みんないい。

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    集団カウンセリングの中止とネットの危惧
    に書いたことを思い出します。

    ネットでもオフでも不用意に繋がった上での傷を、その後もときおり知らされることがあります。

    傷ついた瞬間があり、それを直接伝えることが出来ないとしたら、それは自分にとって安心出来る相手ではありません。(★1)

    離れていいのです。

    相手を純粋に好きな気持ちかどうか自分に聴いてください。

    相手にいい顔をしてしまう自分がいたら、依存度が高いと思われます。

    自分にとって安心出来る相手ではありません。

    どちらがどうということはわかりません。

    あくまでも自分にとって、という尺度を大事にしてください。

    ハラッサーにとっても、自律に向かう人は思い通りにならないので安心出来る相手ではありません。

    互いに自分の心に忠実になってみたら離れるしかありません。

    が、ハラッサーはただ立ち去ってくれません。

    強い執着を示し、時に罵り、陰口を言い、憎悪を振りまいていきます。

    それらに傷つくのは当たり前のことです。

    が、ここで取り込まれたらハラッシーに逆戻りです。

    傷は傷で泣いていいのです。

    ※傷を訴えてやりたい!……これはハラスメントの世界です。(★2)



    人の集まるところで疑心暗鬼になることもあるでしょう。

    他の誰がその人(★1)と親しくしていても自分の感度を大事にしてください。

    それが自分の「信頼出来る人」であっても、自分にとっての感度を大事にしてください。

    自分の「信頼出来る人」がハラッサーかどうか疑うこともいりません。

    自分が信頼出来る人が付き合っているから自分にとって安全だなんて思わないことです。



    たとえば、相談者さんはハラッサー現在進行形の方やハラッシー現在進行形の方が多いです。

    知らないところで繋がるとやっかいなことになります。

    また、多くのハラッシーはハラッサーになれます。(★2)

    その自覚のある方は、前に進んでゆける手ごたえを感じます。

    ハラスメントを受けたらフィードバックします。

    それが気付きになればかわってゆかれます。

    それが怒りになり矛先をカウンセラーに向け続けるなら、お互いの世界は交わることが出来ません。

    互いの世界が明確に別つ時は、留まることも引きとめることもありません。



    わたしはわたし

    あなたはあなた

    もともとがひとりひとりちがう

    だれとくらべることもなし





    ―自分の感受性くらい―(茨木のり子)


    ぱさぱさに乾いてゆく心を

    ひとのせいにはするな

    みずから水やりを怠っておいて



    気難しくなってきたのを

    友人のせいにはするな

    しなやかさを失ったのはどちらなのか



    苛立つのを

    近親のせいにはするな

    なにもかも下手だったのはわたくし



    初心消えかかるのを

    暮しのせいにはするな

    そもそもが ひよわな志にすぎなかった



    駄目なことの一切を

    時代のせいにはするな

    わずかに光る尊厳の放棄



    自分の感受性くらい

    自分で守れ

    ばかものよ






    ―私と小鳥と鈴と―(金子みすず)



    私が両手をひろげても、

    お空はちっとも飛べないが、

    飛べる小鳥は私のやうに、

    地面(じべた)を速くは走れない。



    私がからだをゆすっても、

    きれいな音は出ないけど、

    あの鳴る鈴は私のやうに、

    たくさんな唄は知らないよ。



    鈴と、小鳥と、それから私、

    みんなちがって、みんないい。

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    【2011/12/08 11:18】 | ハラスメント
    【タグ】 ハラッサー  ハラッシー  ネット  怒り  執着    
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    Liebeさん
    中尾眞智子
    > 茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    スカッとするーいいですねー。

    > しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!

    お読みいただいてありがとうございます。^^


    はじめまして
    Liebe
    昨日、私が離婚に向けて不利になる事のないよう弁護士に相談にいき、法が殆ど「やったもん勝ち」にしか機能していない現実に(分かってはいましたが)悔しさやら、怒りやらこみ上げてくる感情を持て余していたところ、何かをきっかけにご主人のブログに辿り着きました。別居中の(私、化学物質過敏症により自宅に戻れず別居)ハラッサー夫が「別の女性と結婚する、お前への経済的援助も負担でしかない定年離婚するから」と言い出し、農薬で空気が汚れない今時期に自宅に戻ると、女性の衣服やら、記念の旅券やら、新しい家具を購入したり、やりたい放題で。さて、今後の私、どう生きるれるかを見つめなおさなければならなくなったのです。御多分に洩れず 、ハラッシーの私、仕事の出来る身体もなくし、破産に追い込まれ、もう丸裸、化学物質過敏症のため一切の他人とも関わりを物理的にたたされ、今、たった一人で生きています。気がつけば、友人も全員ハラッサー。車がなければ家から出られない(移動できない)、集合住宅には住めない(他人の香料で倒れる)、無農薬のものしか食べれない等の条件に生活保護の申請はできない。ハラッシー人生は、もうやめです。もちろん。しかし、生きるのにはお金は必要。心が健康になれば、病も癒えるかしら。

    茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!

    Re: 連続投稿ごめんなさい
    中尾真智子

    > 感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    > 自分の分をわきまえる。
    > 自分の心と向き合い限界を知る。
    >
    > 頑張ります。

    無理なさらずに・・・。

    にゃんにゃんさんへ
    中尾真智子

    > 私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    いえいえ、ただ自ら自律姿勢に勤め続けるだけです。相手に見せて気付きになるとは私は思っていません。
    そうなるかならないか、そこまではこちらの問題ではありません。変わりたい人しか変われないことですものね。
    察するに相手に気付いて欲しいのですね。それは切ないですね。

    連続投稿ごめんなさい
    にゃんにゃん
    「頭で自分と登場人物と対話し相手の状況、立場、気持ちを理解する。」とコメントしましたが、これが、問題でした。自分の書き込みをみて、はっとしました。

    相手の立場や状況、気持ち、勘違いからの癖を理解出来ても、自分の心、、許せない気持ちを殺しては、存在不安、抑圧の感情を増幅してしまうだけでした。

    また、相手の望む仮面をつける癖、、受け入れられないのに、受け入れようとする癖も改めていきます。

    感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    自分の気持ちは気持ちで、受け入れられない思いや感じ方に寄り添い掘り下げてみていき変容する。

    受け入れられない思いこそ、自分の今までの囚われた古い固定観念を新しくするチャンスでした。

    自己犠牲も自分の心を無視して、感情を殺してしまう癖がそうさせてしまうと理解出来ました。

    自分の分をわきまえる。
    自分の心と向き合い限界を知る。

    これを課題としていきます。

    すぐに、全ての改善は無理でも、少しずつ意識して気付いて変えていきます。

    頑張ります。

    はい、真智子先生ご察しの通りです
    にゃんにゃん
    結婚してから、、
    私が自分を母、妻のカテゴライズしていく中で、夫を通じ見た景色、、

    私の実家は、自己犠牲の社会主義。
    個より体制に、カタチに重きを置く家庭。

    夫を通しみた景色。
    身勝手を自由と履き違える個人主義。
    ある者は、勝ち負けの階級的思考を持ち、ある者は、早くから敗北感と劣等感を抱えながら生きてる。

    こんな印象を受けました。
    夫の家は、母を捨て蒸発した祖母にそっくりな面が沢山ありました、、

    この辺りから私は、母への隠れた依存心を大きくし、独身と違い、夫や子供達の為と諦めた選択ばかりして、母と比較し自分を責めブレてブレて、、あれだけ人様からも自律してると言って貰えた私が嘘のように、、、

    今では、自己責任は自分を責めず、自分の感情を人にぶつけることなく枠に合わなければ理解を求めず立ち去ると思えますが、当時は出来ませんでした。

    夫に父を求めは、実母にありのままで認めて欲しいと言う依存の甘えた気持ちまみれに、、

    エゴがハートをすっぽり覆い、自己欺瞞、自己の破滅、、四面楚歌の現実を作りました。

    今は、気持ちは、、ハートを取り戻せ、私が変わる事で周りは変わりました。

    けれど、存在不安、抑圧の感情が酷いのです、、、

    気持ちで生きるのは、子供時代から独身時代まで長らくしていて得意。
    反面、感情を抑圧する癖が酷く、今でも日々格闘してます。

    気持ちを大事に生きる、型に嵌らない私。

    私は、正しいフィードバックは思いや感じ方を伝えると思ってますから、先方からは、これまた凄まじく傷つく言葉を言われています、、。

    なんせ、無意識のインナーチャイルドの傷を自己投影し自己犠牲しています、、

    事の後にフツフツと傷ついたと自覚しています、、

    けれど、引き寄せる要素を私が持ってるのを自覚してる分だけ、苦しくて、、

    感情を感じて味わって反応させる。流れに委ねられない凄まじい感情との付き合い方、、。

    日記に書いてワークしたり、頭の中で登場人物との対話をするなどして対策を立てていきます。

    また、今は。
    母の自由意思での選択決断を私の尺度で何故幸せじゃないなんて、決め付けたんだろうと恥ずかしいです。
    なんとも罪深くカルマを背負う事になると思えました。

    同じ体験であったとしても感じ方も思いも十人十色でした。

    諦めても体制に従っても心に正直であっても、心に問いかけ妥協し決めても、、精一杯生きた人生。全部が素晴らしいと思えました。

    母を捨てた祖母と母の確執を紐解き紡ぎ直したいなんて、本人が望んでいないことを押し付けようとするのが間違いでした。

    私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    真智子先生のコメントから自己を振り返る気付きを貰えました。

    真智子先生ご自身も、沢山色々な事を乗り越えて来られ今がある事を察します。

    相手の過程を見守り待つ事の出来る方と感じました。

    拒絶否定の恐れの感情を存在不安を刺激しないご配慮とても嬉しく思いました。

    どうか、お体大事に。
    心も大事になさって下さね。

    愛と尊敬と感謝を込めて結びとします。

    Re: わたし決めれそうです
    中尾真智子
    親のと連鎖で苦しんで苦しんで、皆さんそれでも離れることが出来ずに、離れたつもりでも頭の中に住みついた親にそっくりになっていることに気付いて愕然としたり、そんな日々の中で自分と向き合っていらっしゃいます。

    > 負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。

    フォームからは「依存」の自覚も書かれていらっしゃいましたから、自由と責任=自律へ向かう覚悟が出来そうなのですね。無理せず頑張って下さい。

    わたし決めれそうです
    にゃんにゃん
    わたしは、自律心が強く体制に従う価値観のない主観を大事にする子供でした。
    私は、お母さんとは違う一人の人間なのと思っていました。母のこれが嫌。だから、私は、こうすると。

    恨んでいた私は、母と違う人間、そして失敗から自己を振り返り難攻不落の固定観念を作りました。

    けれど、段々我慢出来なくなって、交換条件を出し難癖をつける私の一族をずっと木っ端微塵に反論出来ないよう論破していました。
    いつの間にか、闇の世界に行ってしまった。

    結婚し三人年子を産み抑圧の感情が抑えがきかなくなって感情の開放、固定観念の制限を外すと、、

    イメージが記憶と重なり底知れぬ虚無感、氷点下の孤独を感じ毎日がフラッシュバッグ。心が不安定で衝動と日々戦ってます。

    子供の時から、母の大変を理解し歩み寄ろうとしても、私の価値観を理解する気がない母は、、決め付けました。

    だから、ダメだ。
    親の言う事はいって言えないからと、、

    言う事を聞かないのは、自分なのに、悪いのは自分のに泣くな。謝れ。

    ごめんなさい、殴らないで。

    なんだその言い方は。
    自分が言う通りにしないのが悪い癖に人のせいにするな。

    お母さんから比べたらそんな事で。

    お母さんもあんた嫌いだし、だから駄目だ。

    こんな出来事だらけでした。それでも、世代間連鎖の曽孫にあたるわたしは紡ぎ直ししたいと思ってしまいます。

    いっぽうで、過ぎた時間は戻らない。きずついた心は戻らない。わたしは背負って生きている。せめて、気持ちに寄り添って欲しかった。償いとして心から謝って欲しかった。

    あなたには、産んでくれて感謝してる。けれど、他には関心がない。

    どちらも、私の気持ちで、、、

    けれど、記事をみて、母を捨てても良いのかも知れないと、、

    負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。

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    この記事へのコメント
    Liebeさん
    > 茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    スカッとするーいいですねー。

    > しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!

    お読みいただいてありがとうございます。^^
    2016/05/24(Tue) 08:09 | URL  | 中尾眞智子 #-[ 編集]
    はじめまして
    昨日、私が離婚に向けて不利になる事のないよう弁護士に相談にいき、法が殆ど「やったもん勝ち」にしか機能していない現実に(分かってはいましたが)悔しさやら、怒りやらこみ上げてくる感情を持て余していたところ、何かをきっかけにご主人のブログに辿り着きました。別居中の(私、化学物質過敏症により自宅に戻れず別居)ハラッサー夫が「別の女性と結婚する、お前への経済的援助も負担でしかない定年離婚するから」と言い出し、農薬で空気が汚れない今時期に自宅に戻ると、女性の衣服やら、記念の旅券やら、新しい家具を購入したり、やりたい放題で。さて、今後の私、どう生きるれるかを見つめなおさなければならなくなったのです。御多分に洩れず 、ハラッシーの私、仕事の出来る身体もなくし、破産に追い込まれ、もう丸裸、化学物質過敏症のため一切の他人とも関わりを物理的にたたされ、今、たった一人で生きています。気がつけば、友人も全員ハラッサー。車がなければ家から出られない(移動できない)、集合住宅には住めない(他人の香料で倒れる)、無農薬のものしか食べれない等の条件に生活保護の申請はできない。ハラッシー人生は、もうやめです。もちろん。しかし、生きるのにはお金は必要。心が健康になれば、病も癒えるかしら。

    茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!
    2016/04/27(Wed) 08:15 | URL  | Liebe #-[ 編集]
    Re: 連続投稿ごめんなさい

    > 感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    > 自分の分をわきまえる。
    > 自分の心と向き合い限界を知る。
    >
    > 頑張ります。

    無理なさらずに・・・。
    2012/03/26(Mon) 21:34 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    にゃんにゃんさんへ

    > 私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    いえいえ、ただ自ら自律姿勢に勤め続けるだけです。相手に見せて気付きになるとは私は思っていません。
    そうなるかならないか、そこまではこちらの問題ではありません。変わりたい人しか変われないことですものね。
    察するに相手に気付いて欲しいのですね。それは切ないですね。
    2012/03/26(Mon) 21:31 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    連続投稿ごめんなさい
    「頭で自分と登場人物と対話し相手の状況、立場、気持ちを理解する。」とコメントしましたが、これが、問題でした。自分の書き込みをみて、はっとしました。

    相手の立場や状況、気持ち、勘違いからの癖を理解出来ても、自分の心、、許せない気持ちを殺しては、存在不安、抑圧の感情を増幅してしまうだけでした。

    また、相手の望む仮面をつける癖、、受け入れられないのに、受け入れようとする癖も改めていきます。

    感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    自分の気持ちは気持ちで、受け入れられない思いや感じ方に寄り添い掘り下げてみていき変容する。

    受け入れられない思いこそ、自分の今までの囚われた古い固定観念を新しくするチャンスでした。

    自己犠牲も自分の心を無視して、感情を殺してしまう癖がそうさせてしまうと理解出来ました。

    自分の分をわきまえる。
    自分の心と向き合い限界を知る。

    これを課題としていきます。

    すぐに、全ての改善は無理でも、少しずつ意識して気付いて変えていきます。

    頑張ります。
    2012/03/03(Sat) 12:07 | URL  | にゃんにゃん #-[ 編集]
    はい、真智子先生ご察しの通りです
    結婚してから、、
    私が自分を母、妻のカテゴライズしていく中で、夫を通じ見た景色、、

    私の実家は、自己犠牲の社会主義。
    個より体制に、カタチに重きを置く家庭。

    夫を通しみた景色。
    身勝手を自由と履き違える個人主義。
    ある者は、勝ち負けの階級的思考を持ち、ある者は、早くから敗北感と劣等感を抱えながら生きてる。

    こんな印象を受けました。
    夫の家は、母を捨て蒸発した祖母にそっくりな面が沢山ありました、、

    この辺りから私は、母への隠れた依存心を大きくし、独身と違い、夫や子供達の為と諦めた選択ばかりして、母と比較し自分を責めブレてブレて、、あれだけ人様からも自律してると言って貰えた私が嘘のように、、、

    今では、自己責任は自分を責めず、自分の感情を人にぶつけることなく枠に合わなければ理解を求めず立ち去ると思えますが、当時は出来ませんでした。

    夫に父を求めは、実母にありのままで認めて欲しいと言う依存の甘えた気持ちまみれに、、

    エゴがハートをすっぽり覆い、自己欺瞞、自己の破滅、、四面楚歌の現実を作りました。

    今は、気持ちは、、ハートを取り戻せ、私が変わる事で周りは変わりました。

    けれど、存在不安、抑圧の感情が酷いのです、、、

    気持ちで生きるのは、子供時代から独身時代まで長らくしていて得意。
    反面、感情を抑圧する癖が酷く、今でも日々格闘してます。

    気持ちを大事に生きる、型に嵌らない私。

    私は、正しいフィードバックは思いや感じ方を伝えると思ってますから、先方からは、これまた凄まじく傷つく言葉を言われています、、。

    なんせ、無意識のインナーチャイルドの傷を自己投影し自己犠牲しています、、

    事の後にフツフツと傷ついたと自覚しています、、

    けれど、引き寄せる要素を私が持ってるのを自覚してる分だけ、苦しくて、、

    感情を感じて味わって反応させる。流れに委ねられない凄まじい感情との付き合い方、、。

    日記に書いてワークしたり、頭の中で登場人物との対話をするなどして対策を立てていきます。

    また、今は。
    母の自由意思での選択決断を私の尺度で何故幸せじゃないなんて、決め付けたんだろうと恥ずかしいです。
    なんとも罪深くカルマを背負う事になると思えました。

    同じ体験であったとしても感じ方も思いも十人十色でした。

    諦めても体制に従っても心に正直であっても、心に問いかけ妥協し決めても、、精一杯生きた人生。全部が素晴らしいと思えました。

    母を捨てた祖母と母の確執を紐解き紡ぎ直したいなんて、本人が望んでいないことを押し付けようとするのが間違いでした。

    私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    真智子先生のコメントから自己を振り返る気付きを貰えました。

    真智子先生ご自身も、沢山色々な事を乗り越えて来られ今がある事を察します。

    相手の過程を見守り待つ事の出来る方と感じました。

    拒絶否定の恐れの感情を存在不安を刺激しないご配慮とても嬉しく思いました。

    どうか、お体大事に。
    心も大事になさって下さね。

    愛と尊敬と感謝を込めて結びとします。
    2012/03/02(Fri) 22:11 | URL  | にゃんにゃん #-[ 編集]
    Re: わたし決めれそうです
    親のと連鎖で苦しんで苦しんで、皆さんそれでも離れることが出来ずに、離れたつもりでも頭の中に住みついた親にそっくりになっていることに気付いて愕然としたり、そんな日々の中で自分と向き合っていらっしゃいます。

    > 負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。

    フォームからは「依存」の自覚も書かれていらっしゃいましたから、自由と責任=自律へ向かう覚悟が出来そうなのですね。無理せず頑張って下さい。
    2012/03/02(Fri) 08:37 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    わたし決めれそうです
    わたしは、自律心が強く体制に従う価値観のない主観を大事にする子供でした。
    私は、お母さんとは違う一人の人間なのと思っていました。母のこれが嫌。だから、私は、こうすると。

    恨んでいた私は、母と違う人間、そして失敗から自己を振り返り難攻不落の固定観念を作りました。

    けれど、段々我慢出来なくなって、交換条件を出し難癖をつける私の一族をずっと木っ端微塵に反論出来ないよう論破していました。
    いつの間にか、闇の世界に行ってしまった。

    結婚し三人年子を産み抑圧の感情が抑えがきかなくなって感情の開放、固定観念の制限を外すと、、

    イメージが記憶と重なり底知れぬ虚無感、氷点下の孤独を感じ毎日がフラッシュバッグ。心が不安定で衝動と日々戦ってます。

    子供の時から、母の大変を理解し歩み寄ろうとしても、私の価値観を理解する気がない母は、、決め付けました。

    だから、ダメだ。
    親の言う事はいって言えないからと、、

    言う事を聞かないのは、自分なのに、悪いのは自分のに泣くな。謝れ。

    ごめんなさい、殴らないで。

    なんだその言い方は。
    自分が言う通りにしないのが悪い癖に人のせいにするな。

    お母さんから比べたらそんな事で。

    お母さんもあんた嫌いだし、だから駄目だ。

    こんな出来事だらけでした。それでも、世代間連鎖の曽孫にあたるわたしは紡ぎ直ししたいと思ってしまいます。

    いっぽうで、過ぎた時間は戻らない。きずついた心は戻らない。わたしは背負って生きている。せめて、気持ちに寄り添って欲しかった。償いとして心から謝って欲しかった。

    あなたには、産んでくれて感謝してる。けれど、他には関心がない。

    どちらも、私の気持ちで、、、

    けれど、記事をみて、母を捨てても良いのかも知れないと、、

    負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。
    2012/02/28(Tue) 21:48 | URL  | にゃんにゃん #-[ 編集]
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