家族カウンセラーの想いつれづれ
    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願い致します。




    今日、新月のアファメーション案内が届きました。




    今月の新月  1月4日  18:03 山羊座 

    あけましておめでとうございます。
    今年最初の新月です。


    2010年は激動の年でした。
    個人的にも変化を体験された方が多かったのではないでしょうか。
    時間の流れもとても速く感じられました。

    今年も更に大きな変化が続きますが、周囲に振り回されず、しっかりと自分の心の声に耳を傾けましょう
    それを信じて自分の人生を生きる意志をしっかりと持つ人には、自分自身の方向性や結果が見えてくることでしょう。

    目の前の出来事に一喜一憂せず、起こったことの意味を気づきとして捉え
    それに対して、自分のするべきことを淡々としてゆくことが大切です。

    答えは既にあなたの中にあります。

    心を開放して素直に受け入れることで、迷うことなく見つけられることでしょう。




    文字の色は私が勝手に付けましたが、言葉には力があります。
    なかなかいい言葉をいただいたなぁと感じました。


    短くていいから自分のお守りの言葉を持つことをお勧めします。


    私の場合、子どもの頃家庭環境が複雑で、のびのびと子ども時代を過ごすことは出来ず、時には

    (こんな星の下に産まれた自分が悪いのかな)

    なんて自分を責めることもありました。

    しかし、私の前世の冷静な人物の影響を受けている(虎井さんのリーディングより)せいかどうかはともかく『どの星の下に産まれたとしても私は悪くない』という信念が出来ました。どう見ても大人の事情(世情を含めて)です。



    「私は悪くない。」
    「私の心は私だけのもの。」

    このふたつは子どもの頃から私のお守りでした。長いことずっと、苦しい時に支えてくれた言葉でした。
    大人も大人びた子どもも、気を許すと人の心にずかずかと入ってきます。
    「私の心に土足で入るな!」という思いが強かったなぁ。




    その後、

    「大丈夫」
    「大丈夫」

    と、唱え続けた日々もありました。
    (何が大丈夫なのさ)ってくらい根拠のない「大丈夫」なのだけど、震えるくらい怖い時、大丈夫大丈夫と唱えることで、感情の拡大を抑えられました。




    「一人になる勇気」

    これも、小学校くらいでしょうか。
    楽しくない人といるより一人のほうがいいのに、周りに合わせてしまう世の中の風潮と自分自身に苛立ち、それでも大勢の中で一人になるのは勇気が要ります。だけど気が合わないのに無理して仲間面して群れるのを嫌う自分がいました。
    その頃は陰口が嫌いで、不本意な悪口に付き合うのはいやでした。
    愚痴なら「うんうん」と聞けるのに、仲間意識を持たれて同調を求められると、急に私の中で抵抗が強くなり息苦しくなるのです。うっかりとその場の空気や面倒臭さでうなずいた日には後でがっつり落ち込みました。
    正義感といえば聞こえはいいですが、何か禁止令があったのでしょうね。

    さておき、
    一人になる勇気を持っている時は、不思議といじめられませんでした。
    こちらの覚悟が姿勢になって現れているのかもしれません。
    反対に、信頼してくる友人が現れました。
    こちらが空気を読もうとしていると、空気を読んで欲しがる人が近づいて来るのでしょうね。
    最後の最後は、結局『私は私だけのもの』と開き直るから、私の手のひら返しに困惑した人もいたでしょう。
    (けど、うーん。謝る気持ちは今は起こらないなぁ・・・。)



    子どもって大人から見たら(なんてことないおちびさん)と思ってるでしょうが、こんなことを感じながら生きていたりするのです。侮れません。


    子どもの頃を覚えている大人ならわかるでしょう。
    子どもの頃を忘れた大人は子どもをよくよく見たら思い出すでしょう。
    思い出せなかったら、大人の穢れを捨て切れていませんので、大人の事情を放棄して(仕事とか責任とかのない時間を確保して)本気で子どもと同じレベルで遊んでみたらいいですよ。

    子どもは、その眼(まなこ)でしっかりと大人や事象を見つめてその場で生きる力を学んでいます。
    大人のずるさを哀しみながら許していたりするのです。
    気が付いたら、その大人をモデルに大人になっていたりします。


    私は大人が苦手でした。
    大人が、というより大人の権威を振るう人が嫌いでした。
    社会に出ても変わりませんでした。
    多分今も変わりません。
    凄い顔で嫌悪感を丸出ししそうです。(汗)舌打ちくらいしかねません。(おいおい)


    大人が苦手・・・というとなんで?と内省することもありますが、それなりに答えは自分の中にあります。
    しかしながら

    大人が苦手じゃない子どもはどれくらいいるのかな・・・
    大人を信じられる幸せな子がどれくらいいるのかな・・・

    もう、大人になった私なのに、こんなことを思います。
    私は?
    そうですね。わが子に関する事で嘘を付くまいと生きてきました。
    信じられる大人でありたいという願いでしたが、それが良かったか悪かったかは多分わが子にしたら両面あるだろうと思います。

    そして、ちょっと大きくなった頃に、
    『嘘も方便』を教えました。
    自分を守るためにつく最小限の沈黙は、嘘といえるのだろうか。
    馬鹿正直に何でも打ち明けて、傷を受けることは人生において必要だろうか。
    あまりにも正直な開けっ広げな性格の娘が、これまたまっすぐ傷ついて帰ってくるので、ちょっと見かねたのです。うーん。あまりいじくりたくないと思いつつ、こうして大人はいじってしまいますね。


    思い起こせば、育児は育自というように、常に自分が問われます。
    わが子を一人の人としてちゃんと向き合えば、自分も何かしら成長をさせてもらえるだろうなぁと思います。


    小さなわが子も、大きくなったわが子も、相手は自分を映し出す鏡です。
    厳しい時もあるでしょう。
    悲鳴をあげて逃げ出したくなることもあるでしょう。
    勇気を出して自分の中に入ってゆきます。
    逃げない決意をして、起こったことの意味を気づきとして据え、じっくりあるいは淡々と自分と向き合います。
    (ただし、怒りがあったら先に怒りを何かの形で表現して手放します)



    答えはいつも自分の中にあります。





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    2010年は激動の年でした。
    個人的にも変化を体験された方が多かったのではないでしょうか。
    時間の流れもとても速く感じられました。

    今年も更に大きな変化が続きますが、周囲に振り回されず、しっかりと自分の心の声に耳を傾けましょう
    それを信じて自分の人生を生きる意志をしっかりと持つ人には、自分自身の方向性や結果が見えてくることでしょう。

    目の前の出来事に一喜一憂せず、起こったことの意味を気づきとして捉え
    それに対して、自分のするべきことを淡々としてゆくことが大切です。

    答えは既にあなたの中にあります。

    心を開放して素直に受け入れることで、迷うことなく見つけられることでしょう。




    文字の色は私が勝手に付けましたが、言葉には力があります。
    なかなかいい言葉をいただいたなぁと感じました。


    短くていいから自分のお守りの言葉を持つことをお勧めします。


    私の場合、子どもの頃家庭環境が複雑で、のびのびと子ども時代を過ごすことは出来ず、時には

    (こんな星の下に産まれた自分が悪いのかな)

    なんて自分を責めることもありました。

    しかし、私の前世の冷静な人物の影響を受けている(虎井さんのリーディングより)せいかどうかはともかく『どの星の下に産まれたとしても私は悪くない』という信念が出来ました。どう見ても大人の事情(世情を含めて)です。



    「私は悪くない。」
    「私の心は私だけのもの。」

    このふたつは子どもの頃から私のお守りでした。長いことずっと、苦しい時に支えてくれた言葉でした。
    大人も大人びた子どもも、気を許すと人の心にずかずかと入ってきます。
    「私の心に土足で入るな!」という思いが強かったなぁ。




    その後、

    「大丈夫」
    「大丈夫」

    と、唱え続けた日々もありました。
    (何が大丈夫なのさ)ってくらい根拠のない「大丈夫」なのだけど、震えるくらい怖い時、大丈夫大丈夫と唱えることで、感情の拡大を抑えられました。




    「一人になる勇気」

    これも、小学校くらいでしょうか。
    楽しくない人といるより一人のほうがいいのに、周りに合わせてしまう世の中の風潮と自分自身に苛立ち、それでも大勢の中で一人になるのは勇気が要ります。だけど気が合わないのに無理して仲間面して群れるのを嫌う自分がいました。
    その頃は陰口が嫌いで、不本意な悪口に付き合うのはいやでした。
    愚痴なら「うんうん」と聞けるのに、仲間意識を持たれて同調を求められると、急に私の中で抵抗が強くなり息苦しくなるのです。うっかりとその場の空気や面倒臭さでうなずいた日には後でがっつり落ち込みました。
    正義感といえば聞こえはいいですが、何か禁止令があったのでしょうね。

    さておき、
    一人になる勇気を持っている時は、不思議といじめられませんでした。
    こちらの覚悟が姿勢になって現れているのかもしれません。
    反対に、信頼してくる友人が現れました。
    こちらが空気を読もうとしていると、空気を読んで欲しがる人が近づいて来るのでしょうね。
    最後の最後は、結局『私は私だけのもの』と開き直るから、私の手のひら返しに困惑した人もいたでしょう。
    (けど、うーん。謝る気持ちは今は起こらないなぁ・・・。)



    子どもって大人から見たら(なんてことないおちびさん)と思ってるでしょうが、こんなことを感じながら生きていたりするのです。侮れません。


    子どもの頃を覚えている大人ならわかるでしょう。
    子どもの頃を忘れた大人は子どもをよくよく見たら思い出すでしょう。
    思い出せなかったら、大人の穢れを捨て切れていませんので、大人の事情を放棄して(仕事とか責任とかのない時間を確保して)本気で子どもと同じレベルで遊んでみたらいいですよ。

    子どもは、その眼(まなこ)でしっかりと大人や事象を見つめてその場で生きる力を学んでいます。
    大人のずるさを哀しみながら許していたりするのです。
    気が付いたら、その大人をモデルに大人になっていたりします。


    私は大人が苦手でした。
    大人が、というより大人の権威を振るう人が嫌いでした。
    社会に出ても変わりませんでした。
    多分今も変わりません。
    凄い顔で嫌悪感を丸出ししそうです。(汗)舌打ちくらいしかねません。(おいおい)


    大人が苦手・・・というとなんで?と内省することもありますが、それなりに答えは自分の中にあります。
    しかしながら

    大人が苦手じゃない子どもはどれくらいいるのかな・・・
    大人を信じられる幸せな子がどれくらいいるのかな・・・

    もう、大人になった私なのに、こんなことを思います。
    私は?
    そうですね。わが子に関する事で嘘を付くまいと生きてきました。
    信じられる大人でありたいという願いでしたが、それが良かったか悪かったかは多分わが子にしたら両面あるだろうと思います。

    そして、ちょっと大きくなった頃に、
    『嘘も方便』を教えました。
    自分を守るためにつく最小限の沈黙は、嘘といえるのだろうか。
    馬鹿正直に何でも打ち明けて、傷を受けることは人生において必要だろうか。
    あまりにも正直な開けっ広げな性格の娘が、これまたまっすぐ傷ついて帰ってくるので、ちょっと見かねたのです。うーん。あまりいじくりたくないと思いつつ、こうして大人はいじってしまいますね。


    思い起こせば、育児は育自というように、常に自分が問われます。
    わが子を一人の人としてちゃんと向き合えば、自分も何かしら成長をさせてもらえるだろうなぁと思います。


    小さなわが子も、大きくなったわが子も、相手は自分を映し出す鏡です。
    厳しい時もあるでしょう。
    悲鳴をあげて逃げ出したくなることもあるでしょう。
    勇気を出して自分の中に入ってゆきます。
    逃げない決意をして、起こったことの意味を気づきとして据え、じっくりあるいは淡々と自分と向き合います。
    (ただし、怒りがあったら先に怒りを何かの形で表現して手放します)



    答えはいつも自分の中にあります。





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    【2011/01/03 12:57】 | 家族小景
    【タグ】 私の心は私だけのもの  答えは自分の中  子は鏡  
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