家族カウンセラーの想いつれづれ
    今からカウンセリングに出かけますが、この記事だけはあげたいと思いました。

    独首相“原発を早く廃止したい


    この意識が広がってゆくことを願っています。


    まだまだ今後も地震があると言われています。
    これ以上、被災地に負担がかかりませんように、と毎回祈ります。
    原発もこれ以上何も起こりませんように、と祈ります。


    そしてつくづく思うのは、自分の無知です。
    私が子どもの頃は、日本の三大エネルギーは火力、水力、風力と習いました。
    それが会社で慌しく働いて、結婚後は慌しく主婦をして子育てして、気がついたら日本中に原発があるではないですか。
    正直、今回の事故までこんなに沢山あるなんて知りませんでした。
    この火山と地震と台風の国の日本のあちこちにあるんですもの。


    津波が心配なら、内陸にあるいは山に装置を置いたらいいと言った人がいたのですが、今は内陸で地震が起きています。 山だって台風の豪雨で土砂崩れが起こるかもしれません。
    日本のどこにあっても危険だと思います。

    こんなに近くに沢山あったのに、お世話になっていたのに、原発さんごめんね。
    今までありがとう。でもね、もうお休みしてほしいの。

    人間を自然を地球を壊すものは要りません。

    反対運動をした地域では、計画中止になっているところもあります。
    何年もかけて自分たちの町を守り続けた人々のご苦労は並大抵ではなかったと思います。


    今、福島の現場で働く東電社員さんたちに頭が下がります。
    福島の土地にありながら、職につけるというメリットだけで電気は関東で使われたのです。
    そして、家族ともども被災しながら現場で働いている。
    わざわざ志願して赴いた責任感を全うしようとする方々もいらっしゃる。
    せつないです。

    きっと工夫したらもっと小さい地域で電気を送電出来るようになると思います。
    昔はそうやっていたというじゃないですか。
    地域社会が大事にされる国になってほしいです。


    では!すちゃっ!(出かける雰囲気を表現。)


    \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

    ウィキペディア「日本の原子力発電所」より抜粋

    日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。

    1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
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    まだまだ今後も地震があると言われています。
    これ以上、被災地に負担がかかりませんように、と毎回祈ります。
    原発もこれ以上何も起こりませんように、と祈ります。


    そしてつくづく思うのは、自分の無知です。
    私が子どもの頃は、日本の三大エネルギーは火力、水力、風力と習いました。
    それが会社で慌しく働いて、結婚後は慌しく主婦をして子育てして、気がついたら日本中に原発があるではないですか。
    正直、今回の事故までこんなに沢山あるなんて知りませんでした。
    この火山と地震と台風の国の日本のあちこちにあるんですもの。


    津波が心配なら、内陸にあるいは山に装置を置いたらいいと言った人がいたのですが、今は内陸で地震が起きています。 山だって台風の豪雨で土砂崩れが起こるかもしれません。
    日本のどこにあっても危険だと思います。

    こんなに近くに沢山あったのに、お世話になっていたのに、原発さんごめんね。
    今までありがとう。でもね、もうお休みしてほしいの。

    人間を自然を地球を壊すものは要りません。

    反対運動をした地域では、計画中止になっているところもあります。
    何年もかけて自分たちの町を守り続けた人々のご苦労は並大抵ではなかったと思います。


    今、福島の現場で働く東電社員さんたちに頭が下がります。
    福島の土地にありながら、職につけるというメリットだけで電気は関東で使われたのです。
    そして、家族ともども被災しながら現場で働いている。
    わざわざ志願して赴いた責任感を全うしようとする方々もいらっしゃる。
    せつないです。

    きっと工夫したらもっと小さい地域で電気を送電出来るようになると思います。
    昔はそうやっていたというじゃないですか。
    地域社会が大事にされる国になってほしいです。


    では!すちゃっ!(出かける雰囲気を表現。)


    \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

    ウィキペディア「日本の原子力発電所」より抜粋

    日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。

    1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
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    【2011/04/17 07:42】 | 災害・脱原発・エネルギー
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