家族カウンセラーの想いつれづれ
    娘の結婚―父親の思いを夫が綴っていますが、私と言えば、挙式前日に、自分が書いた出産(&育児)ノートを読んでいました。

    何十年ぶりに開いたでしょう。
    予定日はたまたま夫も休日で、身内の電話で起こされて「まだ?」と。次々電話が鳴るので外出しました。帰って入浴していたら、我が親友から「予定日に連れ出さないで。何かあったと(期待)思うじゃないですか。」と夫が文句を言われていました(笑)。

    産まれる気配は全くなしと思った夜中に、下腹が軋む感と息苦しさあり、日に日にそれが進み、5日後におしるしあり、更に陣痛微弱が続き体力が奪われて、3日後にやっと10分を切る陣痛が来て入院。子宮が開かない中、医師が苦労して引っ張り出してくれました。
    私がぐったりしている間に、夫はちゃっかりと赤ん坊を抱いて写真を撮ってもらっていたことを退院後に知ります。
    入院した時は「まだ生まれないんですね。じゃあ、産まれる頃に連絡ください。」と帰ってしまいました。

    夜中の入院から次に夫に会ったのは、産後の分娩室で朦朧とした私の写真を撮った時ですが、きっと無理やり頼み込んで入ったんですね。男子禁制ですから、写真を撮ったらすぐに消えました。


    夕食が出た頃に夫がやってきて、いろいろ知りたがるのだけど、全身が泥のように重たくて話せません。

    「ごめんね、眠い」と言ったら、夫が手を口元にやって「くっくっく・・・」

    笑ってる?と思ったら、泣いていました。「夕食を前にして箸も取れず眠い・・・思わず泣けた。」私の朦朧感と目の中の毛細血管が切れている土気色の顔を見て、分娩室の前で聞いていた私の息み、医者の指示、助産婦さんの叱咤激励の声も合わせて、大変なお産だったんだなぁということでした。


    夫は毎日やってきて、写真を撮って行きました。ある日の夫は、娘に夢中で決めることが捗らないので、看護婦さんに言って娘をベビー室に戻しました。ある日の夫は、脅かそうこっそり後をつけていくと、病院の玄関のスリッパを綺麗に揃えて帰って行きました。


    娘の結婚―父親の思いにもあるように、写真をたくさん撮っています。子供達が、「まだぁ?」「またぁ?」というくらい、写真を撮りました。本人の自然体をスナップ写真に収めるだけに飽き足らず、どこかに行くと「ここに並んで。」と言われたものです。

    それが、世の移り変わりでデジカメが主流になって、夫の記事もあるように『この時のためにと、私も過去に撮りためたネガを段ボールで業者に送ってすべてデジタル化し、それをパソコンに取り込んで、そこからピックアップして娘に渡す写真を選び・・・ということを仕事の合間にやっていたので、実は数年越しだった。』んですね。


    夫の好きなことに対する情熱と根気の良さは感動します。
    その趣味と実益は「写真を使わせてください。」とお願いされて、とっくに実を結んでいますが、「また(並ぶの?)?」と呆れ、「まだぁ(シャッター押してないの?)?」と愚痴をこぼした家族に受け入られれる日がやってきたのです。
    まぁ、夫にとってそれは二の次で、夫が描いていた夢が叶ったということでしょうか。おめでとう!








    話は戻りますが、ノートにはつぶさに娘の動向が書かれています。

    とても書ききれないエピソードが綴られています。



    手縫いのオムツ、手作りの退院の三点セット(帽子、ドレス、エプロン)、その後もお揃いのスカートを作ったり、サロペットを作ったり、私のスカートでリフォームしたり、楽しかったなあ。

    退院後初めての夜中ーぐっすり眠っていたからと、夫がオムツを替えて冷蔵庫の母乳をあたためて哺乳瓶で与えてくれたこともありました。ぐっすりというよりぐったりが正しいですが、嬉しかったことが書かれています。

    おっぱいを吐いて泣いた時に、心配で病院に電話をしたら「うつ伏せにしてごらん?」と看護婦さんにアドバイスをもらってご機嫌になったこと。

    お客様が来てぐずった後、眠りかけて声に出して笑ったり、突然ぎゃーっと泣き出したりする我が子を、感情が芽生えているんだなぁと見つめ続けた日々。

    脂漏脂漏が広がった時は慌てたけど、ベビーオイルをたっぷり使って拭いてあげたら綺麗になったこと。

    産後一ヶ月検診の初外出で、娘の股関節脱臼が見つかり、大きな病院で数ヶ月様子を見た後にリューメンビューゲルバンドを装着することになったこと。(その後すっかり治ったこと)

    食が細くて心配したら「痩せているけど元気なので、一週間でバランスの良い食事を!と思ってみたらいいわよ。」と保健婦さんがアドバイスをくださり安心したこと。

    初めて粉薬を貰って、「べ~」っと飲まなくて難儀した時に「ほっぺに塗るといいわよ。」と教えてくれた看護婦さん。

    実家を頼れない心細い未熟な母親(私)を支えてくれる人たちがいてくれたこと。

    ありがたかったなぁ。





    その時々の娘の様子が、可愛くて可愛くて可愛くてたまらない。

    「ベビーラックに座ったらテーブルを蹴り上げて、上にあったひよこのおもちゃが跳ねるのを楽しむ。足をドンドンすると音が鳴るのも楽しくて繰り返す。ドンドンドン(しーん)ドンドンドン(しーん)キャハハ。(五ヶ月手前)」

    うひゃひゃって笑っている娘が今も浮かびます。




    「ママさえいれば怖いものなしの娘。」ー夫の実家への長い旅路もぐずらない様子が書かれていました。

    一歳前の娘は、パパは大好きな遊び相手、ママは安全基地だったんだなぁと思います。

    「ママがいれば大丈夫な子」と言われてのびのびと過ごしていましたが、幼稚園、小学校、中学校、高校と育つうちに、すっかり「ママがいなくても大丈夫な子」に育ちました。




    娘はたくさん私に幸せをくれました。







    ここからは娘への思いです。
    ----------
    花嫁からの手紙に、あなたが一番苦しい時の私とのやりとりがいくつか書かれてありましたね。

    母親と子どものやりとりはとても日常的ですが、いざという時の親の本性を子どもは感じ見抜きますから、こちらも真剣勝負でした。

    「それが今の仕事でも人生にとっても大きな栄養になっている」

    ありがとう。経験を肥やしにするあなたの力です。





    38度で学校に行ったあの日のことはよく覚えています。

    パパが怖そうに「何度だ?」と聞くので、「38度」と言ったら「パパは38度でも行ったけどな。」と言われ、「学校は37度を超えると帰される」と夫婦喧嘩になりました。

    「ママ、私学校にいくから。」と言った時に、(え?)と驚いて、引き止めても決意のように「大丈夫。」と出て行ってしまいました。

    ママは、悲しくて悔しくてたまらなかった。ママはあの時「なんで!?」と驚いて、パパに屈服したようで情けなかったのよね。

    集団登校の途中で誰かが知らせに来るだろうか、保健室から連絡が来るだろうかと思ったら、小一時間で保健室から電話があり迎えに行きました。心の中で、パパに「ほらね!」と毒を吐いていました。そんなママの根性も見抜いていたんだと思います。

    「パパとママの喧嘩を見るのが一番悲しかった。」と大きくなってから話してくれましたね。

    今のママなら、「パパは38度でも行ったけどな。」と言われたら、パパの中の小さいちゃんに向けて「それは大変だったね。」「お母さんに行かされたの?それともお父さん?」と言うでしょうか。

    きっと、パパの中の小さいちゃんが、やっと出てこれた瞬間だったんだよね。
    もっと大事にしてあげたかったなぁ。
    ふたりとも、大事にしたかったなぁ。


    それにしても、このことを書けたということが、あなたの克服を感じます。



    長いこと、パパを守りママを守り大変でしたね。

    もう大丈夫と思ったから書けたんじゃないかなと思います。

    そのとおり、もう大丈夫だよ。

    ママとパパは並んで歩いて行きます。

    あなたも自信を持って、旦那様と並んで歩いて行って欲しい。













    ここまで読んでいただいてありがとうございます。



    前撮り
    2016.3月-2
    2016.3月-2 posted by (C)machi





    控え室にて桜茶
    30年以上前のこと、夫の両親が我が家に来た時も桜茶で迎えました。
    桜茶
    桜茶 posted by (C)machi





    和ドレスのお色直し
    お色直し
    お色直し posted by (C)machi








    載せられる写真が少ないけれど、スライドショーでお楽しみください。


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    予定日はたまたま夫も休日で、身内の電話で起こされて「まだ?」と。次々電話が鳴るので外出しました。帰って入浴していたら、我が親友から「予定日に連れ出さないで。何かあったと(期待)思うじゃないですか。」と夫が文句を言われていました(笑)。

    産まれる気配は全くなしと思った夜中に、下腹が軋む感と息苦しさあり、日に日にそれが進み、5日後におしるしあり、更に陣痛微弱が続き体力が奪われて、3日後にやっと10分を切る陣痛が来て入院。子宮が開かない中、医師が苦労して引っ張り出してくれました。
    私がぐったりしている間に、夫はちゃっかりと赤ん坊を抱いて写真を撮ってもらっていたことを退院後に知ります。
    入院した時は「まだ生まれないんですね。じゃあ、産まれる頃に連絡ください。」と帰ってしまいました。

    夜中の入院から次に夫に会ったのは、産後の分娩室で朦朧とした私の写真を撮った時ですが、きっと無理やり頼み込んで入ったんですね。男子禁制ですから、写真を撮ったらすぐに消えました。


    夕食が出た頃に夫がやってきて、いろいろ知りたがるのだけど、全身が泥のように重たくて話せません。

    「ごめんね、眠い」と言ったら、夫が手を口元にやって「くっくっく・・・」

    笑ってる?と思ったら、泣いていました。「夕食を前にして箸も取れず眠い・・・思わず泣けた。」私の朦朧感と目の中の毛細血管が切れている土気色の顔を見て、分娩室の前で聞いていた私の息み、医者の指示、助産婦さんの叱咤激励の声も合わせて、大変なお産だったんだなぁということでした。


    夫は毎日やってきて、写真を撮って行きました。ある日の夫は、娘に夢中で決めることが捗らないので、看護婦さんに言って娘をベビー室に戻しました。ある日の夫は、脅かそうこっそり後をつけていくと、病院の玄関のスリッパを綺麗に揃えて帰って行きました。


    娘の結婚―父親の思いにもあるように、写真をたくさん撮っています。子供達が、「まだぁ?」「またぁ?」というくらい、写真を撮りました。本人の自然体をスナップ写真に収めるだけに飽き足らず、どこかに行くと「ここに並んで。」と言われたものです。

    それが、世の移り変わりでデジカメが主流になって、夫の記事もあるように『この時のためにと、私も過去に撮りためたネガを段ボールで業者に送ってすべてデジタル化し、それをパソコンに取り込んで、そこからピックアップして娘に渡す写真を選び・・・ということを仕事の合間にやっていたので、実は数年越しだった。』んですね。


    夫の好きなことに対する情熱と根気の良さは感動します。
    その趣味と実益は「写真を使わせてください。」とお願いされて、とっくに実を結んでいますが、「また(並ぶの?)?」と呆れ、「まだぁ(シャッター押してないの?)?」と愚痴をこぼした家族に受け入られれる日がやってきたのです。
    まぁ、夫にとってそれは二の次で、夫が描いていた夢が叶ったということでしょうか。おめでとう!








    話は戻りますが、ノートにはつぶさに娘の動向が書かれています。

    とても書ききれないエピソードが綴られています。



    手縫いのオムツ、手作りの退院の三点セット(帽子、ドレス、エプロン)、その後もお揃いのスカートを作ったり、サロペットを作ったり、私のスカートでリフォームしたり、楽しかったなあ。

    退院後初めての夜中ーぐっすり眠っていたからと、夫がオムツを替えて冷蔵庫の母乳をあたためて哺乳瓶で与えてくれたこともありました。ぐっすりというよりぐったりが正しいですが、嬉しかったことが書かれています。

    おっぱいを吐いて泣いた時に、心配で病院に電話をしたら「うつ伏せにしてごらん?」と看護婦さんにアドバイスをもらってご機嫌になったこと。

    お客様が来てぐずった後、眠りかけて声に出して笑ったり、突然ぎゃーっと泣き出したりする我が子を、感情が芽生えているんだなぁと見つめ続けた日々。

    脂漏脂漏が広がった時は慌てたけど、ベビーオイルをたっぷり使って拭いてあげたら綺麗になったこと。

    産後一ヶ月検診の初外出で、娘の股関節脱臼が見つかり、大きな病院で数ヶ月様子を見た後にリューメンビューゲルバンドを装着することになったこと。(その後すっかり治ったこと)

    食が細くて心配したら「痩せているけど元気なので、一週間でバランスの良い食事を!と思ってみたらいいわよ。」と保健婦さんがアドバイスをくださり安心したこと。

    初めて粉薬を貰って、「べ~」っと飲まなくて難儀した時に「ほっぺに塗るといいわよ。」と教えてくれた看護婦さん。

    実家を頼れない心細い未熟な母親(私)を支えてくれる人たちがいてくれたこと。

    ありがたかったなぁ。





    その時々の娘の様子が、可愛くて可愛くて可愛くてたまらない。

    「ベビーラックに座ったらテーブルを蹴り上げて、上にあったひよこのおもちゃが跳ねるのを楽しむ。足をドンドンすると音が鳴るのも楽しくて繰り返す。ドンドンドン(しーん)ドンドンドン(しーん)キャハハ。(五ヶ月手前)」

    うひゃひゃって笑っている娘が今も浮かびます。




    「ママさえいれば怖いものなしの娘。」ー夫の実家への長い旅路もぐずらない様子が書かれていました。

    一歳前の娘は、パパは大好きな遊び相手、ママは安全基地だったんだなぁと思います。

    「ママがいれば大丈夫な子」と言われてのびのびと過ごしていましたが、幼稚園、小学校、中学校、高校と育つうちに、すっかり「ママがいなくても大丈夫な子」に育ちました。




    娘はたくさん私に幸せをくれました。







    ここからは娘への思いです。
    ----------
    花嫁からの手紙に、あなたが一番苦しい時の私とのやりとりがいくつか書かれてありましたね。

    母親と子どものやりとりはとても日常的ですが、いざという時の親の本性を子どもは感じ見抜きますから、こちらも真剣勝負でした。

    「それが今の仕事でも人生にとっても大きな栄養になっている」

    ありがとう。経験を肥やしにするあなたの力です。





    38度で学校に行ったあの日のことはよく覚えています。

    パパが怖そうに「何度だ?」と聞くので、「38度」と言ったら「パパは38度でも行ったけどな。」と言われ、「学校は37度を超えると帰される」と夫婦喧嘩になりました。

    「ママ、私学校にいくから。」と言った時に、(え?)と驚いて、引き止めても決意のように「大丈夫。」と出て行ってしまいました。

    ママは、悲しくて悔しくてたまらなかった。ママはあの時「なんで!?」と驚いて、パパに屈服したようで情けなかったのよね。

    集団登校の途中で誰かが知らせに来るだろうか、保健室から連絡が来るだろうかと思ったら、小一時間で保健室から電話があり迎えに行きました。心の中で、パパに「ほらね!」と毒を吐いていました。そんなママの根性も見抜いていたんだと思います。

    「パパとママの喧嘩を見るのが一番悲しかった。」と大きくなってから話してくれましたね。

    今のママなら、「パパは38度でも行ったけどな。」と言われたら、パパの中の小さいちゃんに向けて「それは大変だったね。」「お母さんに行かされたの?それともお父さん?」と言うでしょうか。

    きっと、パパの中の小さいちゃんが、やっと出てこれた瞬間だったんだよね。
    もっと大事にしてあげたかったなぁ。
    ふたりとも、大事にしたかったなぁ。


    それにしても、このことを書けたということが、あなたの克服を感じます。



    長いこと、パパを守りママを守り大変でしたね。

    もう大丈夫と思ったから書けたんじゃないかなと思います。

    そのとおり、もう大丈夫だよ。

    ママとパパは並んで歩いて行きます。

    あなたも自信を持って、旦那様と並んで歩いて行って欲しい。













    ここまで読んでいただいてありがとうございます。



    前撮り
    2016.3月-2
    2016.3月-2 posted by (C)machi





    控え室にて桜茶
    30年以上前のこと、夫の両親が我が家に来た時も桜茶で迎えました。
    桜茶
    桜茶 posted by (C)machi





    和ドレスのお色直し
    お色直し
    お色直し posted by (C)machi








    載せられる写真が少ないけれど、スライドショーでお楽しみください。


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    【2016/09/02 22:12】 | 家族小景
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    原田さん
    中尾眞智子
    ありがとうございます。(^^)

    ご結婚おめでとうございます
    原田
    お嬢さんご結婚、おめでとうございます。
    ご多幸をお祈り申し上げます^^♪

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    コメント
    この記事へのコメント
    原田さん
    ありがとうございます。(^^)
    2016/09/06(Tue) 21:25 | URL  | 中尾眞智子 #-[ 編集]
    ご結婚おめでとうございます
    お嬢さんご結婚、おめでとうございます。
    ご多幸をお祈り申し上げます^^♪
    2016/09/05(Mon) 15:31 | URL  | 原田 #L9qiQhCk[ 編集]
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