家族カウンセラーの想いつれづれ
    は、母を悲しませるのはいつも父だと思い込んでいました。母としか繋がらないように、という洗脳はとっくに完了していたのです。

    父が仕事でどんな嫌な上司にも我慢しているかなんて知りませんでした。疲れてへとへとなのにお酒に付き合ってぐったりしてるなんて知りませんでした。

    私たちのご飯も服も住む処も、父のおかげで維持されていたのに、誰も教えてくれませんでした。誰もじゃないですね、母が教えてくれませんでした。

    その一番大事なことが当たり前すぎて、父に感謝しないで生きていました。

    私の命は、父にも守られていたことをちゃんと感謝したかった。

    父には父の役割があるってこと、教えて欲しかった。

    「共働きなのに!」と母は愚痴ばかりでしたが、「家事育児に専念して欲しかったけど、お母さんの人生も大事だからな。」と大人になってから父から聞きました。

    なあんだ!好きで働いてたんだぁ・・・。

    父はいつも新しい電化製品を買うので、「お金がない」と母は文句を言っていたけど、子どもを大学まで出して家も建てて、今も働いている母は、家事より子育てよりも仕事を選んできたのです。

    なのに、私はいつも遠慮していました。

    学校からのお便りを渡すのも、友達の話をするのも、いつも母の顔色を伺っていました。

    風呂掃除やトイレ掃除をしてからだと聞いてくれると学習しました。

    ご飯の支度や洗濯を手伝いながら話すと聞いてくれると学習しました。

    母がかわいそうだったから、日曜日も朝から手伝いました。他のともだちみたいに、家族で昼まで寝てみたいって思ったこともあったなぁ。






    かわいそうだったのは私です。

    自分のことも頑張って、家の手伝いもして、母がうたた寝をしてるとほっとしていました。

    ほっとして、母が嫌いな漫画を読んで音楽をこっそり聴いて、つかの間の開放感を味わいました。母が目を覚ますと大変なので、寝息を聞きながら・・・。まるで子守してるみたい。

    母のいない学校で母に見張られている(気がしてる)のに、母が目の前で寝ている時に解放されるなんておかしな話です。

    学校から帰ったら朝の食器を洗い、自分のブラウスのついでに家族の洗濯物を洗い、掃除機をかけて拭き掃除をして、テーブルの上のメモどおりに近所のスーパーで買い物をして、野菜を指示どおりに切っておく。味に煩い父のために料理はさせなかったんだなぁ。

    一番のいいとこ取りしてた母ーだから私は、手をかけたことの仕上げがどこかしらおろそかになってしまうのだろうか。最後までちゃんとやってはいけないストーリーの中にいたんだなぁ。

    母が仕事から帰ったら、手伝いをしながら話しかけましたが、いつの間にか母の愚痴を聞いていました。愚痴に絡めて聞かせる教訓めいたことわざを、白々した気持ちで味気なく聞きました。

    わがままと烙印を押された弟は、堂々と戦隊モノとか好きなテレビを見るけど私には興味がないものばかり。母のお守りを私がして、弟のお守りをテレビがしていたのです。







    母が怖いから外でのびのびできなかった私は、未だに人に緊張します。上司や先輩に萎縮します。男の人とはどう接していいか不安です。夫が笑っていないと不安がこみ上げてきます。誰もが代理親になっていました。


    「お母さんはあなたのことはなんでもわかるのよ。」
    そのわりに、褒められて嬉しくて帰った時には何も言ってくれませんでした。

    「先生からお電話があった」とか「~ちゃんのママが教えてくれた」とか言ってくれたら良かったのに、(お母さんには特別な力があるのかな?)と不思議でした。叱られることばっかりで、どこにいても視線が気になって怖かったです。


    今も昔のようにどこかで「お母さん」が見ている気がして怖い気持ちになります。

    何かをやろうとすると、「お母さん」に見張られている気がして緊張します。

    言葉遣いが悪い人にはいらいらするし、大声の人には「怖い!」と思います。

    たとえドラマでも喧嘩のシーンを見ると緊張して身動きできません。

    本音で人とぶつかるなんて怖くてできません。

    自分のことなのに、自由に選ぶことが苦しくて仕方がありません。

    自分で生きている気がしないー毎日重苦しくて疲れはてて、おかしいと気がつくまで、私は私の意志ではなく、頭の中の「お母さん」の良い子を続けていたのです。






    悔しい!
    悔しい!
    悔しい!
    私を返して!!
    私の人生を返して!!


    大学も浪人しないところに決めて、就職浪人にならないように大手企業は諦めて、25歳を過ぎてからは(結婚しないと!)と焦っていたことは誰にも言ってません。

    「25歳は売れ残り、30歳は高齢出産。」と聞かされていたので、就職の次の目標は「結婚」でした。

    どこまでも私は母の言葉に束縛されていたのだなぁ。

    自由なんかどこにもなかったなぁ。






    ※特定の誰かの事例ではありません。よく聞かれる内容を物語にしました。



    どっち見てますか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    自分の生き癖や執着に気付く
    アサーティブなあり方
    ハラッサーとハラッシー
    相談申込み要領を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    「共働きなのに!」と母は愚痴ばかりでしたが、「家事育児に専念して欲しかったけど、お母さんの人生も大事だからな。」と大人になってから父から聞きました。

    なあんだ!好きで働いてたんだぁ・・・。

    父はいつも新しい電化製品を買うので、「お金がない」と母は文句を言っていたけど、子どもを大学まで出して家も建てて、今も働いている母は、家事より子育てよりも仕事を選んできたのです。

    なのに、私はいつも遠慮していました。

    学校からのお便りを渡すのも、友達の話をするのも、いつも母の顔色を伺っていました。

    風呂掃除やトイレ掃除をしてからだと聞いてくれると学習しました。

    ご飯の支度や洗濯を手伝いながら話すと聞いてくれると学習しました。

    母がかわいそうだったから、日曜日も朝から手伝いました。他のともだちみたいに、家族で昼まで寝てみたいって思ったこともあったなぁ。






    かわいそうだったのは私です。

    自分のことも頑張って、家の手伝いもして、母がうたた寝をしてるとほっとしていました。

    ほっとして、母が嫌いな漫画を読んで音楽をこっそり聴いて、つかの間の開放感を味わいました。母が目を覚ますと大変なので、寝息を聞きながら・・・。まるで子守してるみたい。

    母のいない学校で母に見張られている(気がしてる)のに、母が目の前で寝ている時に解放されるなんておかしな話です。

    学校から帰ったら朝の食器を洗い、自分のブラウスのついでに家族の洗濯物を洗い、掃除機をかけて拭き掃除をして、テーブルの上のメモどおりに近所のスーパーで買い物をして、野菜を指示どおりに切っておく。味に煩い父のために料理はさせなかったんだなぁ。

    一番のいいとこ取りしてた母ーだから私は、手をかけたことの仕上げがどこかしらおろそかになってしまうのだろうか。最後までちゃんとやってはいけないストーリーの中にいたんだなぁ。

    母が仕事から帰ったら、手伝いをしながら話しかけましたが、いつの間にか母の愚痴を聞いていました。愚痴に絡めて聞かせる教訓めいたことわざを、白々した気持ちで味気なく聞きました。

    わがままと烙印を押された弟は、堂々と戦隊モノとか好きなテレビを見るけど私には興味がないものばかり。母のお守りを私がして、弟のお守りをテレビがしていたのです。







    母が怖いから外でのびのびできなかった私は、未だに人に緊張します。上司や先輩に萎縮します。男の人とはどう接していいか不安です。夫が笑っていないと不安がこみ上げてきます。誰もが代理親になっていました。


    「お母さんはあなたのことはなんでもわかるのよ。」
    そのわりに、褒められて嬉しくて帰った時には何も言ってくれませんでした。

    「先生からお電話があった」とか「~ちゃんのママが教えてくれた」とか言ってくれたら良かったのに、(お母さんには特別な力があるのかな?)と不思議でした。叱られることばっかりで、どこにいても視線が気になって怖かったです。


    今も昔のようにどこかで「お母さん」が見ている気がして怖い気持ちになります。

    何かをやろうとすると、「お母さん」に見張られている気がして緊張します。

    言葉遣いが悪い人にはいらいらするし、大声の人には「怖い!」と思います。

    たとえドラマでも喧嘩のシーンを見ると緊張して身動きできません。

    本音で人とぶつかるなんて怖くてできません。

    自分のことなのに、自由に選ぶことが苦しくて仕方がありません。

    自分で生きている気がしないー毎日重苦しくて疲れはてて、おかしいと気がつくまで、私は私の意志ではなく、頭の中の「お母さん」の良い子を続けていたのです。






    悔しい!
    悔しい!
    悔しい!
    私を返して!!
    私の人生を返して!!


    大学も浪人しないところに決めて、就職浪人にならないように大手企業は諦めて、25歳を過ぎてからは(結婚しないと!)と焦っていたことは誰にも言ってません。

    「25歳は売れ残り、30歳は高齢出産。」と聞かされていたので、就職の次の目標は「結婚」でした。

    どこまでも私は母の言葉に束縛されていたのだなぁ。

    自由なんかどこにもなかったなぁ。






    ※特定の誰かの事例ではありません。よく聞かれる内容を物語にしました。



    どっち見てますか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    自分の生き癖や執着に気付く
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    【2016/08/27 14:25】 | 人生脚本
    【タグ】 人生脚本  脳内親  インナーペアレンツ  無意識  囚われ  
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