家族カウンセラーの想いつれづれ
    (初めにお断りすると、これは2013年の記事です。心ないコメントがあり非難が集まることを想定して、記事内にコメントをコピーすることで「場」を守った経緯があります。今も下書きのまま保存していますが、コメント混みの記事を出すのはもういいかなと省いて掲載します。当時暖かいコメントをいただいた皆様には感謝しています。)

    前記事の会話--------------

    手術翌日の夜に、母から電話があった。

    私「どうしたの?」

    母「今少し話せる?」

    私「うん。少しならね。私手術して入院中なのよ。」

    母「ええ?なしたのー?」
    私「結石だよ。お母さんくらいには教えようかと思ったけど、札幌の時みたいにけんもほろろにされたら哀しいからさー。」

    母「もう、けんもほろろにしないよー。」

    私「個室しかなくて、おかげさまで話せるよ。」

    母「あのね、母さんの手紙が届いたのね。」

    私「ああ。敬老の日に贈り物をしていたから、手紙とゼリーが届いたことがあったの。直筆の手紙にびっくりしてね。思いついて、コピーを送ったのさー。本物は私の宝物だけどね。」

    母「うん。届いたときは、絶交だとか言ったくせにこんなの送って、意地悪だなぁって思ったのね。代筆かなってひっくりかえしてみたけど、本当に母さんが書いた字なんだって思って、私よりまっすぐで綺麗な字だなって思って、凄いなぁって思ってね。(涙)」

    「母さんの手紙を貰うなんて、あんたって凄いなぁって思ってね。敬老の日にいつも送ってくれてたんだもんね。刺し子とか、覚えてるよー。」
    「最近、母さんとH(叔父の名)が夢枕に立つのさ。なんで今頃、毎日出てくるのかなって思って、もう、切なくてね。そんな時に手紙が来たから、初めは本気で意地悪だと思ったんだよね。でもさ、哀しくて哀しくて(涙)」

    私「沢山泣いて追悼しようね。」

    母「うんうん。(涙)」

    私「親子逆転してるね。」

    母「そうだね。」

    私「おばあちゃんには助けられたからなぁ。
    私、洗い物トラウマなんだよね。これで夫と30年争ってる気がする。食器洗い機が欲しいくらいと言ったら、俺が洗うからいらないって。でもね、いつ洗うかは俺の自由だっていうんだもの、終わるまで料理の下ごしらえが出来ないからご飯の仕度に困るしね。馬鹿馬鹿しいけどよく喧嘩したんだわぁ。」

    母「私も洗い物は好きじゃないけど、シンクに溜まってるのがすごく嫌なんだわー。だからさっさと洗うの。」

    私「私も溜まってるのが大嫌い。洗濯機は水が回ってるのを見ながら歌うたって楽しいし、干すのも好きだったけどね。洗濯が好きなのは、夫いわく、小さい頃の祖母とのあたたかい思い出なんだって。それはすごく納得したよー。
    でもさ、高校の頃、洗い物するでしょ。向こうではみんなでテレビ見てるのね。つまんなかったよー。」

    母「そんな思いまでさせてたんだね。あんたには本当に助けてもらったもんね。忘れないよ。
    そういえば、母さんが言ってたけど「かたちき取ってやるー」って言ったってねえ。」

    私「そうだよ。最近、その感覚まで思い出したんだけど、私の中で『命かけても揺るがない!』という意志の強さが沸いて来る時にその感覚があるの。お母さんを守る!って強く思ってたんだねえ。ずっとお母さんを守ってきたんだなぁって思うよ。」

    母「そうだねえ。」

    私「誰かを守ってるつもりでも、結局はお母さんを守ってたんだよ。」

    母「そりゃそうだよ。全部、私のためになっちゃうんだもん。」




    ★言ってみて食器洗いの傷が深いと気付く------------------

    電話を切ってから、洗い物の傷を見てゆく必要を感じた。認知行動療法しかないなと決意する。しんどかったらカウンセリング仲間に伴走を頼むとする。眠ろうとした病室のベッドで、先の母の言葉が浮かんだ。

    「私も嫌い。溜まるのが嫌だからさっさと洗う。」

    そう。私も、溜まるのが嫌い。洗うことより溜まっているのを見るのが、げんなりだった。いつげんなりしたんだっけと思い巡らせた。義父と暮らした頃からだ。

    祖母が同居した時期は除いて、学校から帰って、一番にやることが洗い物だった。そうだ!あの頃は、台所に洗い物が溜まっていたんだー。

    低血圧の母、姉、私の中で、早寝早起きの私が一番に起きて、弁当作って登校して、次に他のきょうだいが起きてご飯食べて登校して、母が義父のお握りを作って、末の弟を保育園に連れてから店に行ったはずだ。義父は、朝ごはんが母の握るお握りなので、起きたら台所も見ないで店に行く。

    母よ、洗い物を放置して行ってるぞ。
    後始末は私だ。

    洗い物が溜まるのを嫌う母に家事を習ったんだもの、私だって嫌だ。学校から帰るたびにそれを見たことを想像するだけで、げんなりする。
    細かく想像をめぐらさないと到達しない記憶になっていた。




    ★認知行動療法の応用--------------

    退院して、さっそく洗い物を全部引き受けて、その時に流れてくる感情を客観視してみることにした。なんせ、洗い物に対する嫌悪が強すぎる。

    「洗い物は私が頼まない限りは私がやるので、よろしく」と、家族に協力を求めた。「やりたい時に洗っても文句は言わないでね。」という家族にも了解した。実際洗ってみると、いつもどおり、洗っている時は全然嫌じゃない。

    が、次の朝、食器を洗っていたら、たまたま、夫がいつも見る朝ドラを見ていた。不意に頭の中で、声がする。

    「テレビの音が聞こえないから、後でやってくれ!」
    「お前もこっちで一緒にテレビを見ればいいじゃないか!」

    急にびくっとなったが、振り返っても、彼は何も言ってない。すっごく恐かったけど、本人は何も言っていないから、かまわず洗っていたら

    「洗い物が溜まるもん。」という不満気な私が浮かんだ。あったあった。
    「そんなの明日でもいいじゃないか!」と争う夫と私。

    これだ。
    忘れていたが、ここで私は最後は我慢するのだ。この「我慢」が、「恨み」として残っている。

    洗い物を片付けないでテレビを見ても、気持ちが良くない、楽しくない。
    翌朝に溜まった食器を洗う時も、ひたすら「嫌悪感」と付き合っていたのだ。その「恨み」がとても強いことに気がついた。


    源家族では、テレビを見ている家族の邪魔をしないように、多少の気を使っていた感覚も思い出した。頼まれてもいないし、注意もされていないのに、ここでも我慢していたのだなぁ。

    夫の「音がうるさい」は、私の中の「邪魔しないように」という我慢がぴたりと対応していたのだろう。もう我慢したくない私は、夫に「恨み」を募らせた。


    さらに思い出した。
    「日曜日の朝から、ばたばたしないでくれ!」と、若き夫は言った。
    平日はパートで忙しいから、土日に掃除をしたくても、夫が起きるまで音を出してはならないので、ため息をつきながら時間がたつのを待っていた私もいたなぁ。起きたら起きたで、休日くらいゆったり過ごしたい、という夫がいる中で、一体いつ何をやったらいいのよっ!って不満だったことも思い出した。子育てでそれどころじゃなくなって、彼も諦めたのかもしれないけど、それまではこんなだったなぁ。

    私の源家族では、日曜日は朝から掃除だった。気持ちよく掃除をしたら、長いパンを切りながら、おいしく食べたものだった。その時は、義父も一緒に掃除をした。義父は料理も好きで、なんでもやる。機械いじりも好きで、ラジオを作ってくれたりした。

    私にとっての当たり前(日常)と、夫にとっての当たり前(日常)が違ったのだ。




    ★若い頃の代償行為----------------

    結婚前にも、夫への不満があった。むしろ、こちらの記憶が強いので、このことでずっと文句を言ってきた。

    私は会社員で、仕事帰りに生協に寄って買い物をして、約束どおり食器洗いを終えているだろう彼の家に行き、毎度溜まっている洗い物にげんなりしていた。
    「明日こそ洗っておいてね。」という私に、はいはい、と言いながら、洗ったことは数回じゃなかろうか。私は、まずお釜を洗って米を研いでから、ご飯が炊ける間に他の洗い物とおかずつくりをした。2年くらいだったと思うが、すっごく苦労した気分が抜けない。


    こんなだから、自分の部屋の片付けどころじゃなかったが、夫が私の部屋を見て「片付けたら。」と言うのも頭にきたっけ。
    源家族では、義父が綺麗好きなので、掃除も気を使ったものだった。帰宅した義父が1-2本の髪の毛を拾う姿を見ると、髪の毛くらいすぐ抜け落ちるんだけどなーと鬱陶しかった。

    ここでも、結局は連れ子として母のためにやっていたのだ。嫌いな掃除をせっせとやっているという脚本が出来上がるわけだ。掃除が嫌いなのじゃなくて、指摘や批難や否定のフィードバックが嫌だったのだなぁ。


    新婚時代に夫に言ってみたことがある。
    「今ならわかると思うんだけど、想像してみてよ。あなた出来る?」(←微妙に洗い物から論点がずれている)
    すると、「男と女は仕事量が違う。」と言われた。

    ええー?
    会社の階段を1段抜かしで走って時間短縮して、電卓は「本当に計算出来てるの?」と回りに言われるくらい早く叩いて時間短縮して、もちろん私が自分の時間が欲しかったにしても、月に3日しか残業しないで定時にはタイムカードを押している仕事ぶりは、まぁ、残業しないから傍目にはわからないだろうが、辞めた後の後任から「どうやったら残業しないで済んだんですか?係長に残業が多いって怒られたんです。」と言われたくらいだ。(こういう仕事ぶりは後任者にとって迷惑なものだなぁと反省した。)

    とはいえ、「男と女は違う」の一言で片付けられて、忙しかった私が走馬灯のようにくるくるして、粉々に打ち砕かれた気分だった。


    今となっては、お恥ずかしい話だが、どれもこれも頼まれもしないのに、脚本が勝手にやっていたことだ。

    わかって欲しいのにわかってくれない・・・
    これは、今ならわかる代償行為。
    親にわかって欲しい気持ちが、当時の夫に向かっていたのだ。




    ★頭の理解でおさまらない感情からの気付き--------------

    頭でわかるし解説の肉付けも出来るのだが、しばし夫への怒りが消えないで困った。どうにも燃え上がる一方で、夫をやっつけたくて仕方が無い衝動が沸く。

    しかも、私自身が「自分で洗い物を溜める」という行いをするようになっていたので、いつの間にか「洗い物が嫌い」という記憶の操作が起こっている。

    むかむか~が消えないので、朝に聞こえた声のことを夫に言ってみた。すると、

    「そうかぁ。それは悪かったなぁ。そういえば、俺は、お袋が本気で熱くなってプロレスを見ていたので面白くてな、それが唯一の家族の団欒の記憶なんだ。俺の脚本は、一緒にテレビを見て欲しかったんだなぁ。」(しみじみ)

    ( ̄□||||!!
    「そうかぁ。それは悪かったなぁ。」だけかい。一緒にテレビを見て欲しい脚本を押し付けられていたと思うと、ますます腹が立ってくる。なのにどこかで、また我慢しなくちゃ・・・というのも沸く。

    なんで我慢?




    ★過去の夫に怒りは沸かない------------

    洗い物は全然苦にならない。だって、溜めないから。もう、溜めなくてもいいから。なのに、怒りがおさまらない。
    思考では色々解説も出来るのに、怒りの矛先が夫のまま変更されなくて参った。怒りの奥にも届きそうにない。

    なので、まずは目先の怒り(対象は夫)からつぶやき始めた。
    洗い物にまつわるあらゆる夫を想像してみた。今となっては芋づる式に出てくる若き夫の記憶だ。

    「いちいちお湯で洗うのか。」
    「洗った食器は綺麗に重ねろ。」
    「いちいち布巾で拭かなくても自然乾燥でいい。」
    「俺の方がずっと丁寧に洗うよな。」
    「手順を教えるからやってみろ。」・・・

    彼は、シンクの洗い物はとても綺麗に洗った。が、コンロに置いてある使った鍋や蓋やフライパンやコンロ自体は目に入ってないらしく洗わなかった。私がそれを指摘する前に、彼にあれこれ言われるので、結局、洗い物に対する負の感情は強くなるばかりだったのだ。

    夫が変化しても、私の中で軌道修正したくなかったのだろう。そりゃそうだ。自分の感情を無視している間は、そんなことが出来るわけはない。


    と、ここまで思い浮かんでも、不思議と過去の夫に怒りが沸かない。じゃあ、この怒りはなんなのよっと独り言で罵ってみた。やっぱり過去の夫には沸いてこない。

    今の夫の言動には反応するんだけど、過去の夫には、(脚本君だったんだなぁー)って思える。今の夫は、洗い物を何時やっても文句を言わないのに、今の夫に言いたくてたまらないのだ。

    おかしい。

    つまり、今の夫に代償行為をしたくてたまらない子がいるわけだ。
    これ、駄々っ子のようだけど、夫を代理親にしている脚本なのだ。




    ★脚本VS脚本----------------

    私の脚本ちゃんは、インナーペアレンツ(溜まっている洗い物が嫌いな母)に忠実で、台所を綺麗にしたかったのに、色々なパターンで邪魔をした夫の脚本君を恨んでいるらしい。

    夫婦の争いは、おそよ頭の中に巣食った親に支配されて戦っているのだろう。お互いの脚本が闘っている。

    その怒りを抱えている時の私は、まっすぐに相手を切り込んでゆく怖いもの知らずの私になってゆく。激昂しないが決して赦さない私になってゆく。
    この感覚は、「かたちきとってやるー」と言った幼い頃の、強い強い意志を思い出す。「母を守りたい」私だ。

    ここに戻ってきましたね・・・て感じである。

    凄いね。脚本・・・。二日間、怒りの炎に取り巻かれて過ごしたが、ここまで体感して、怒りの憑き物が落ちた。

    どこをどうしたって、今の夫に文句を言えることではないのだ。
    過去の夫との出来事の恨み辛みを言ったところで、何も解決しない。
    もう、わかっていることなのに、こんなにも沸いて来る感情に翻弄されかける。
    ここを自分で受け止めないと、ゲームを続けることになる。




    ★「大好きな母を守りたい」脚本-----------------

    私の脚本の根底は、「母を守りたい」。

    母に甘えられなくても、母に抱きしめらた記憶が無くても、幼い頃は母が怖かったからと母に近づかない自分に言い訳しても、母を庇ってきたのだ。

    母が大事にするものを大事にしてきたのだ。
    新しい父親も、新しい弟も妹も、もちろん姉も、その他の身内も。

    誰もやらないから私がやるしかない、と思っていたけど、それは全て母のためになっていたのだ。


    ある夜、未熟児で産まれた末弟の高熱で、
    「救急に行くから、どっちか(私か姉)着いてきて欲しい。」と頼まれた。義父は、たまたま商工会か何かの集まりで留守だったのだろう。
    そのお年頃には、(なんで私ばっかり?)いう思いが沸いていたので、姉に
    「お姉ちゃん行ってよ。いつも私ばっかりでずるいよ。」と、姉が動くまで動かないぞ、と支度もしなかった。

    すると母が、赤ちゃん用の大きなバックを抱えて、「もういい!」と弟を抱いて出て行った。すぐに姉が動くだろうと思いきや動かない。
    「信じられない!!」と嘆いて母の後を追いかけたが、タクシーで行ったらしい。どこにもいない。

    あの時の罪悪感は、半端なかった。哀しくて哀しくて、ごめんね、ごめんね。母と赤ん坊で行かせてしまった・・・と。

    あんな思いをするくらいなら、と
    私はまた母を助けてゆくのだった。




    そうは言っても、姉が家を出てからずっと私の肩にのしかかっていた負担が苦しくて、就職して家を出ると決めた時は、もうこの家族の犠牲になるわけにいかないと思っていた。
    世の中の母親は、家事をやりながら仕事もしているらしいと気がついて、うちの親は、連れ子に甘えすぎだと思って家を出ると決意した。

    が、その一方で、本当の家族で過ごしてくださいという思いも強くあった。母と義父とその子どもたちで過ごしたら、本当の家族で過ごせると思った。それは、私には味わえない甘美なものに思えた。

    義父が家にいる時は、義父がとてもいい人過ぎて逆によそよそしい空気があった。義父が留守の時は、ぶつかり合ったり話し合ったり賑やかだった。なので今後は(義父も交えて家族らしい家族になってくれ)と願っていた。

    ここでも、母に対して(連れ子がいる遠慮をしないで欲しい)と思っている。

    自宅の近くまで行き、公園から窓を見て泣いた。弟妹を思うと泣けた。ごめんね、ごめんねって思っていた。親に対しては(ちゃんとやってね!)と思っていた。自己投影と代償行為と親子逆転のオンパレードだ。

    同時に、(お前がいなくなって本当の親子をやれているよ。)という声も自分の中で聞こえて、ほっとした。


    こうして親を手放したつもりの私だったが、両親に頼まれると断れないで助けた。断れない性格じゃないのに、私しかいないのか・・・と観念して引き受けていたのだ(脚本)。


    結婚して、北海道を離れる日にも、寂しいと思わなかった(と思っていた)。やっと、やっと、あの家から離れられると思った。私が道具にされている自覚があったから、家族は好きだけど、離れたかった。心から離れたかったのだ。もう誰からも何も引き受けたくなかったんだなぁ。

    何度も何度も、こうして離れているのに、私の歴史で作られた価値感とか、当たり前の日常とか、普通でありたいと努め続けた普通とか、細やかなところまで、インナーペアレンツとして出来上がっていたわけで、そこに忠実に脚本は自動実行していたのだ。




    ★「怒り」で隠したり「大好き」で隠したり------------

    子は、健気に親を守る。
    お母さんを守り、庇う。

    「怒り」という形に温存してでも、守っている。
    怒りの奥にはなかなか人は踏み込まないからね。

    怒りの奥に「恐い」があるというは多い。
    「怒り」の奥に「諦め」「寂しさ」「我慢」が見つかるだろう。
    どれもこれも、更にその奥があるんだろう。


    ーお母さんが大好き。


    「大好き」の奥に「恐い」や「怒り」を隠している人もいる。
    母を嫌いになってはいけない脚本ちゃんだ。
    この子は、どれだけ母を守るために、家族を支え続けていただろう。
    心まで束縛されてきただろう。

    それでも、子どもはみんなお母さんを守っている。


    幼い私の「母を守りたい。」という姿は、娘や息子のそれに重なる。
    小さな頃から、私も子どもたちに守られてきた。沢山の場面が浮かぶ。
    父親の誘いを断って、脱いだ小さなジャンパーを高熱の私の布団にかけて、風邪がうつらないように、離れたところで本を読む息子。
    初めて、電車の中で過呼吸を起こした遠い昔、知識があったので袋で呼吸した。私をじろじろ見る周りを、しっかりと見返してから「ママ、大丈夫?」と言った幼い娘。


    ありがとう
    ごめんね
    ゆるしてね
    あいしています


    小さな私に、小さな子どもたちに、今の子どもたちに、届けたい言葉。




    ★振り返って-----------------

    今回の体感から言えることは、やはりこれまでと同じことです。

    怒りは、相手にぶつけるものではありません。

    カウンセリングが始まってから、
    「母に(上司に、夫に、仕事仲間に・・・)言えるようになりました!」
    と言う声もよく聞きます。
    それは、まだまだほんの序章に過ぎないでしょう。
    言えるようになったからと言って、その内容によって言って良いこと悪いことがあるからです。自分の身の置き所を失ってゆくことにもなりかねません。

    怒りや不満をそのままぶつけることは、ハラッサーのやり方。
    怒りや不満の負の感情は、抱き続けたら増幅させるだけ。
    それを相手にぶつけたら、相手にも負の感情が増幅されて、負の循環が起こり、どんどん泥沼化するでしょう。

    負の感情を成仏させてあげるには、その奥の傷を探してあげて、体感してあげて、自分で受け止めることです。

    困難なことは、ジョハリの窓
    3,自分が知らないで、他人は知っている自分
    4,自分が知らないで、他人も知らない自分
    のように、「自分が知らない」部分があること。

    この無意識の領域は、鏡にフィードバックしてもらわなければ、気がつきにくいです。無意識を意識化することはとても重要です。

    フィードバックも、相手の文脈を純粋に伴走出来なくては、毒になってしまいます。似た傷を持った同士が集まると、共感が起こるけれど、それは自分の文脈の承認欲求が満たされたからでしょう。

    聴けるようになるまでは、どんなに気をつけても無意識に相手を傷つけたり傷つくことが多いでしょう。

    かといって、聴けるようになるには、神になることでも仙人になることでもありません。過去の傷が完全に癒えて、完璧に自律していて、なんてことがあるわけもないです。ただ、大方の棚卸しの経験は必要だし、最低限、下の3つは必須だと思います。

    1)個の境界線をしっかり持てること。
    2)不必要にアドバイスをしないこと。
    3)目の前の人の文脈をまずは全て肯定的に受け止めること。

    日常会話では、1)を持てると生き方が楽になる。
    2)ができたらお互いに楽ですね。
    3)は訓練が必要。沸いて来る自分の感情を封じ込めずに解放しながら、相手の気持ちを聴き続けることは難しいです。(スリーテンのようなワークショップは、訓練の場になるかと思います。)

    私は大学5年間とその後のボランティアや家族相談士の養成講座や研修で更に3年間が必要でした。

    一歩一歩、気付きを大事にして、自分の内側を見つめてゆく勇気を持っていましょうね。その一歩一歩が、確実に未来に繋がっています。


    人の怒りを引き出さないと怒れないハラッシーハラッサーに続きます。

    参照:“親でもないのに”




    どっち見てますか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    自分の生き癖や執着に気付く
    アサーティブなあり方
    ハラッサーとハラッシー
    相談申込み要領を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
    関連記事


    追記を閉じる▲
    私「結石だよ。お母さんくらいには教えようかと思ったけど、札幌の時みたいにけんもほろろにされたら哀しいからさー。」

    母「もう、けんもほろろにしないよー。」

    私「個室しかなくて、おかげさまで話せるよ。」

    母「あのね、母さんの手紙が届いたのね。」

    私「ああ。敬老の日に贈り物をしていたから、手紙とゼリーが届いたことがあったの。直筆の手紙にびっくりしてね。思いついて、コピーを送ったのさー。本物は私の宝物だけどね。」

    母「うん。届いたときは、絶交だとか言ったくせにこんなの送って、意地悪だなぁって思ったのね。代筆かなってひっくりかえしてみたけど、本当に母さんが書いた字なんだって思って、私よりまっすぐで綺麗な字だなって思って、凄いなぁって思ってね。(涙)」

    「母さんの手紙を貰うなんて、あんたって凄いなぁって思ってね。敬老の日にいつも送ってくれてたんだもんね。刺し子とか、覚えてるよー。」
    「最近、母さんとH(叔父の名)が夢枕に立つのさ。なんで今頃、毎日出てくるのかなって思って、もう、切なくてね。そんな時に手紙が来たから、初めは本気で意地悪だと思ったんだよね。でもさ、哀しくて哀しくて(涙)」

    私「沢山泣いて追悼しようね。」

    母「うんうん。(涙)」

    私「親子逆転してるね。」

    母「そうだね。」

    私「おばあちゃんには助けられたからなぁ。
    私、洗い物トラウマなんだよね。これで夫と30年争ってる気がする。食器洗い機が欲しいくらいと言ったら、俺が洗うからいらないって。でもね、いつ洗うかは俺の自由だっていうんだもの、終わるまで料理の下ごしらえが出来ないからご飯の仕度に困るしね。馬鹿馬鹿しいけどよく喧嘩したんだわぁ。」

    母「私も洗い物は好きじゃないけど、シンクに溜まってるのがすごく嫌なんだわー。だからさっさと洗うの。」

    私「私も溜まってるのが大嫌い。洗濯機は水が回ってるのを見ながら歌うたって楽しいし、干すのも好きだったけどね。洗濯が好きなのは、夫いわく、小さい頃の祖母とのあたたかい思い出なんだって。それはすごく納得したよー。
    でもさ、高校の頃、洗い物するでしょ。向こうではみんなでテレビ見てるのね。つまんなかったよー。」

    母「そんな思いまでさせてたんだね。あんたには本当に助けてもらったもんね。忘れないよ。
    そういえば、母さんが言ってたけど「かたちき取ってやるー」って言ったってねえ。」

    私「そうだよ。最近、その感覚まで思い出したんだけど、私の中で『命かけても揺るがない!』という意志の強さが沸いて来る時にその感覚があるの。お母さんを守る!って強く思ってたんだねえ。ずっとお母さんを守ってきたんだなぁって思うよ。」

    母「そうだねえ。」

    私「誰かを守ってるつもりでも、結局はお母さんを守ってたんだよ。」

    母「そりゃそうだよ。全部、私のためになっちゃうんだもん。」




    ★言ってみて食器洗いの傷が深いと気付く------------------

    電話を切ってから、洗い物の傷を見てゆく必要を感じた。認知行動療法しかないなと決意する。しんどかったらカウンセリング仲間に伴走を頼むとする。眠ろうとした病室のベッドで、先の母の言葉が浮かんだ。

    「私も嫌い。溜まるのが嫌だからさっさと洗う。」

    そう。私も、溜まるのが嫌い。洗うことより溜まっているのを見るのが、げんなりだった。いつげんなりしたんだっけと思い巡らせた。義父と暮らした頃からだ。

    祖母が同居した時期は除いて、学校から帰って、一番にやることが洗い物だった。そうだ!あの頃は、台所に洗い物が溜まっていたんだー。

    低血圧の母、姉、私の中で、早寝早起きの私が一番に起きて、弁当作って登校して、次に他のきょうだいが起きてご飯食べて登校して、母が義父のお握りを作って、末の弟を保育園に連れてから店に行ったはずだ。義父は、朝ごはんが母の握るお握りなので、起きたら台所も見ないで店に行く。

    母よ、洗い物を放置して行ってるぞ。
    後始末は私だ。

    洗い物が溜まるのを嫌う母に家事を習ったんだもの、私だって嫌だ。学校から帰るたびにそれを見たことを想像するだけで、げんなりする。
    細かく想像をめぐらさないと到達しない記憶になっていた。




    ★認知行動療法の応用--------------

    退院して、さっそく洗い物を全部引き受けて、その時に流れてくる感情を客観視してみることにした。なんせ、洗い物に対する嫌悪が強すぎる。

    「洗い物は私が頼まない限りは私がやるので、よろしく」と、家族に協力を求めた。「やりたい時に洗っても文句は言わないでね。」という家族にも了解した。実際洗ってみると、いつもどおり、洗っている時は全然嫌じゃない。

    が、次の朝、食器を洗っていたら、たまたま、夫がいつも見る朝ドラを見ていた。不意に頭の中で、声がする。

    「テレビの音が聞こえないから、後でやってくれ!」
    「お前もこっちで一緒にテレビを見ればいいじゃないか!」

    急にびくっとなったが、振り返っても、彼は何も言ってない。すっごく恐かったけど、本人は何も言っていないから、かまわず洗っていたら

    「洗い物が溜まるもん。」という不満気な私が浮かんだ。あったあった。
    「そんなの明日でもいいじゃないか!」と争う夫と私。

    これだ。
    忘れていたが、ここで私は最後は我慢するのだ。この「我慢」が、「恨み」として残っている。

    洗い物を片付けないでテレビを見ても、気持ちが良くない、楽しくない。
    翌朝に溜まった食器を洗う時も、ひたすら「嫌悪感」と付き合っていたのだ。その「恨み」がとても強いことに気がついた。


    源家族では、テレビを見ている家族の邪魔をしないように、多少の気を使っていた感覚も思い出した。頼まれてもいないし、注意もされていないのに、ここでも我慢していたのだなぁ。

    夫の「音がうるさい」は、私の中の「邪魔しないように」という我慢がぴたりと対応していたのだろう。もう我慢したくない私は、夫に「恨み」を募らせた。


    さらに思い出した。
    「日曜日の朝から、ばたばたしないでくれ!」と、若き夫は言った。
    平日はパートで忙しいから、土日に掃除をしたくても、夫が起きるまで音を出してはならないので、ため息をつきながら時間がたつのを待っていた私もいたなぁ。起きたら起きたで、休日くらいゆったり過ごしたい、という夫がいる中で、一体いつ何をやったらいいのよっ!って不満だったことも思い出した。子育てでそれどころじゃなくなって、彼も諦めたのかもしれないけど、それまではこんなだったなぁ。

    私の源家族では、日曜日は朝から掃除だった。気持ちよく掃除をしたら、長いパンを切りながら、おいしく食べたものだった。その時は、義父も一緒に掃除をした。義父は料理も好きで、なんでもやる。機械いじりも好きで、ラジオを作ってくれたりした。

    私にとっての当たり前(日常)と、夫にとっての当たり前(日常)が違ったのだ。




    ★若い頃の代償行為----------------

    結婚前にも、夫への不満があった。むしろ、こちらの記憶が強いので、このことでずっと文句を言ってきた。

    私は会社員で、仕事帰りに生協に寄って買い物をして、約束どおり食器洗いを終えているだろう彼の家に行き、毎度溜まっている洗い物にげんなりしていた。
    「明日こそ洗っておいてね。」という私に、はいはい、と言いながら、洗ったことは数回じゃなかろうか。私は、まずお釜を洗って米を研いでから、ご飯が炊ける間に他の洗い物とおかずつくりをした。2年くらいだったと思うが、すっごく苦労した気分が抜けない。


    こんなだから、自分の部屋の片付けどころじゃなかったが、夫が私の部屋を見て「片付けたら。」と言うのも頭にきたっけ。
    源家族では、義父が綺麗好きなので、掃除も気を使ったものだった。帰宅した義父が1-2本の髪の毛を拾う姿を見ると、髪の毛くらいすぐ抜け落ちるんだけどなーと鬱陶しかった。

    ここでも、結局は連れ子として母のためにやっていたのだ。嫌いな掃除をせっせとやっているという脚本が出来上がるわけだ。掃除が嫌いなのじゃなくて、指摘や批難や否定のフィードバックが嫌だったのだなぁ。


    新婚時代に夫に言ってみたことがある。
    「今ならわかると思うんだけど、想像してみてよ。あなた出来る?」(←微妙に洗い物から論点がずれている)
    すると、「男と女は仕事量が違う。」と言われた。

    ええー?
    会社の階段を1段抜かしで走って時間短縮して、電卓は「本当に計算出来てるの?」と回りに言われるくらい早く叩いて時間短縮して、もちろん私が自分の時間が欲しかったにしても、月に3日しか残業しないで定時にはタイムカードを押している仕事ぶりは、まぁ、残業しないから傍目にはわからないだろうが、辞めた後の後任から「どうやったら残業しないで済んだんですか?係長に残業が多いって怒られたんです。」と言われたくらいだ。(こういう仕事ぶりは後任者にとって迷惑なものだなぁと反省した。)

    とはいえ、「男と女は違う」の一言で片付けられて、忙しかった私が走馬灯のようにくるくるして、粉々に打ち砕かれた気分だった。


    今となっては、お恥ずかしい話だが、どれもこれも頼まれもしないのに、脚本が勝手にやっていたことだ。

    わかって欲しいのにわかってくれない・・・
    これは、今ならわかる代償行為。
    親にわかって欲しい気持ちが、当時の夫に向かっていたのだ。




    ★頭の理解でおさまらない感情からの気付き--------------

    頭でわかるし解説の肉付けも出来るのだが、しばし夫への怒りが消えないで困った。どうにも燃え上がる一方で、夫をやっつけたくて仕方が無い衝動が沸く。

    しかも、私自身が「自分で洗い物を溜める」という行いをするようになっていたので、いつの間にか「洗い物が嫌い」という記憶の操作が起こっている。

    むかむか~が消えないので、朝に聞こえた声のことを夫に言ってみた。すると、

    「そうかぁ。それは悪かったなぁ。そういえば、俺は、お袋が本気で熱くなってプロレスを見ていたので面白くてな、それが唯一の家族の団欒の記憶なんだ。俺の脚本は、一緒にテレビを見て欲しかったんだなぁ。」(しみじみ)

    ( ̄□||||!!
    「そうかぁ。それは悪かったなぁ。」だけかい。一緒にテレビを見て欲しい脚本を押し付けられていたと思うと、ますます腹が立ってくる。なのにどこかで、また我慢しなくちゃ・・・というのも沸く。

    なんで我慢?




    ★過去の夫に怒りは沸かない------------

    洗い物は全然苦にならない。だって、溜めないから。もう、溜めなくてもいいから。なのに、怒りがおさまらない。
    思考では色々解説も出来るのに、怒りの矛先が夫のまま変更されなくて参った。怒りの奥にも届きそうにない。

    なので、まずは目先の怒り(対象は夫)からつぶやき始めた。
    洗い物にまつわるあらゆる夫を想像してみた。今となっては芋づる式に出てくる若き夫の記憶だ。

    「いちいちお湯で洗うのか。」
    「洗った食器は綺麗に重ねろ。」
    「いちいち布巾で拭かなくても自然乾燥でいい。」
    「俺の方がずっと丁寧に洗うよな。」
    「手順を教えるからやってみろ。」・・・

    彼は、シンクの洗い物はとても綺麗に洗った。が、コンロに置いてある使った鍋や蓋やフライパンやコンロ自体は目に入ってないらしく洗わなかった。私がそれを指摘する前に、彼にあれこれ言われるので、結局、洗い物に対する負の感情は強くなるばかりだったのだ。

    夫が変化しても、私の中で軌道修正したくなかったのだろう。そりゃそうだ。自分の感情を無視している間は、そんなことが出来るわけはない。


    と、ここまで思い浮かんでも、不思議と過去の夫に怒りが沸かない。じゃあ、この怒りはなんなのよっと独り言で罵ってみた。やっぱり過去の夫には沸いてこない。

    今の夫の言動には反応するんだけど、過去の夫には、(脚本君だったんだなぁー)って思える。今の夫は、洗い物を何時やっても文句を言わないのに、今の夫に言いたくてたまらないのだ。

    おかしい。

    つまり、今の夫に代償行為をしたくてたまらない子がいるわけだ。
    これ、駄々っ子のようだけど、夫を代理親にしている脚本なのだ。




    ★脚本VS脚本----------------

    私の脚本ちゃんは、インナーペアレンツ(溜まっている洗い物が嫌いな母)に忠実で、台所を綺麗にしたかったのに、色々なパターンで邪魔をした夫の脚本君を恨んでいるらしい。

    夫婦の争いは、おそよ頭の中に巣食った親に支配されて戦っているのだろう。お互いの脚本が闘っている。

    その怒りを抱えている時の私は、まっすぐに相手を切り込んでゆく怖いもの知らずの私になってゆく。激昂しないが決して赦さない私になってゆく。
    この感覚は、「かたちきとってやるー」と言った幼い頃の、強い強い意志を思い出す。「母を守りたい」私だ。

    ここに戻ってきましたね・・・て感じである。

    凄いね。脚本・・・。二日間、怒りの炎に取り巻かれて過ごしたが、ここまで体感して、怒りの憑き物が落ちた。

    どこをどうしたって、今の夫に文句を言えることではないのだ。
    過去の夫との出来事の恨み辛みを言ったところで、何も解決しない。
    もう、わかっていることなのに、こんなにも沸いて来る感情に翻弄されかける。
    ここを自分で受け止めないと、ゲームを続けることになる。




    ★「大好きな母を守りたい」脚本-----------------

    私の脚本の根底は、「母を守りたい」。

    母に甘えられなくても、母に抱きしめらた記憶が無くても、幼い頃は母が怖かったからと母に近づかない自分に言い訳しても、母を庇ってきたのだ。

    母が大事にするものを大事にしてきたのだ。
    新しい父親も、新しい弟も妹も、もちろん姉も、その他の身内も。

    誰もやらないから私がやるしかない、と思っていたけど、それは全て母のためになっていたのだ。


    ある夜、未熟児で産まれた末弟の高熱で、
    「救急に行くから、どっちか(私か姉)着いてきて欲しい。」と頼まれた。義父は、たまたま商工会か何かの集まりで留守だったのだろう。
    そのお年頃には、(なんで私ばっかり?)いう思いが沸いていたので、姉に
    「お姉ちゃん行ってよ。いつも私ばっかりでずるいよ。」と、姉が動くまで動かないぞ、と支度もしなかった。

    すると母が、赤ちゃん用の大きなバックを抱えて、「もういい!」と弟を抱いて出て行った。すぐに姉が動くだろうと思いきや動かない。
    「信じられない!!」と嘆いて母の後を追いかけたが、タクシーで行ったらしい。どこにもいない。

    あの時の罪悪感は、半端なかった。哀しくて哀しくて、ごめんね、ごめんね。母と赤ん坊で行かせてしまった・・・と。

    あんな思いをするくらいなら、と
    私はまた母を助けてゆくのだった。




    そうは言っても、姉が家を出てからずっと私の肩にのしかかっていた負担が苦しくて、就職して家を出ると決めた時は、もうこの家族の犠牲になるわけにいかないと思っていた。
    世の中の母親は、家事をやりながら仕事もしているらしいと気がついて、うちの親は、連れ子に甘えすぎだと思って家を出ると決意した。

    が、その一方で、本当の家族で過ごしてくださいという思いも強くあった。母と義父とその子どもたちで過ごしたら、本当の家族で過ごせると思った。それは、私には味わえない甘美なものに思えた。

    義父が家にいる時は、義父がとてもいい人過ぎて逆によそよそしい空気があった。義父が留守の時は、ぶつかり合ったり話し合ったり賑やかだった。なので今後は(義父も交えて家族らしい家族になってくれ)と願っていた。

    ここでも、母に対して(連れ子がいる遠慮をしないで欲しい)と思っている。

    自宅の近くまで行き、公園から窓を見て泣いた。弟妹を思うと泣けた。ごめんね、ごめんねって思っていた。親に対しては(ちゃんとやってね!)と思っていた。自己投影と代償行為と親子逆転のオンパレードだ。

    同時に、(お前がいなくなって本当の親子をやれているよ。)という声も自分の中で聞こえて、ほっとした。


    こうして親を手放したつもりの私だったが、両親に頼まれると断れないで助けた。断れない性格じゃないのに、私しかいないのか・・・と観念して引き受けていたのだ(脚本)。


    結婚して、北海道を離れる日にも、寂しいと思わなかった(と思っていた)。やっと、やっと、あの家から離れられると思った。私が道具にされている自覚があったから、家族は好きだけど、離れたかった。心から離れたかったのだ。もう誰からも何も引き受けたくなかったんだなぁ。

    何度も何度も、こうして離れているのに、私の歴史で作られた価値感とか、当たり前の日常とか、普通でありたいと努め続けた普通とか、細やかなところまで、インナーペアレンツとして出来上がっていたわけで、そこに忠実に脚本は自動実行していたのだ。




    ★「怒り」で隠したり「大好き」で隠したり------------

    子は、健気に親を守る。
    お母さんを守り、庇う。

    「怒り」という形に温存してでも、守っている。
    怒りの奥にはなかなか人は踏み込まないからね。

    怒りの奥に「恐い」があるというは多い。
    「怒り」の奥に「諦め」「寂しさ」「我慢」が見つかるだろう。
    どれもこれも、更にその奥があるんだろう。


    ーお母さんが大好き。


    「大好き」の奥に「恐い」や「怒り」を隠している人もいる。
    母を嫌いになってはいけない脚本ちゃんだ。
    この子は、どれだけ母を守るために、家族を支え続けていただろう。
    心まで束縛されてきただろう。

    それでも、子どもはみんなお母さんを守っている。


    幼い私の「母を守りたい。」という姿は、娘や息子のそれに重なる。
    小さな頃から、私も子どもたちに守られてきた。沢山の場面が浮かぶ。
    父親の誘いを断って、脱いだ小さなジャンパーを高熱の私の布団にかけて、風邪がうつらないように、離れたところで本を読む息子。
    初めて、電車の中で過呼吸を起こした遠い昔、知識があったので袋で呼吸した。私をじろじろ見る周りを、しっかりと見返してから「ママ、大丈夫?」と言った幼い娘。


    ありがとう
    ごめんね
    ゆるしてね
    あいしています


    小さな私に、小さな子どもたちに、今の子どもたちに、届けたい言葉。




    ★振り返って-----------------

    今回の体感から言えることは、やはりこれまでと同じことです。

    怒りは、相手にぶつけるものではありません。

    カウンセリングが始まってから、
    「母に(上司に、夫に、仕事仲間に・・・)言えるようになりました!」
    と言う声もよく聞きます。
    それは、まだまだほんの序章に過ぎないでしょう。
    言えるようになったからと言って、その内容によって言って良いこと悪いことがあるからです。自分の身の置き所を失ってゆくことにもなりかねません。

    怒りや不満をそのままぶつけることは、ハラッサーのやり方。
    怒りや不満の負の感情は、抱き続けたら増幅させるだけ。
    それを相手にぶつけたら、相手にも負の感情が増幅されて、負の循環が起こり、どんどん泥沼化するでしょう。

    負の感情を成仏させてあげるには、その奥の傷を探してあげて、体感してあげて、自分で受け止めることです。

    困難なことは、ジョハリの窓
    3,自分が知らないで、他人は知っている自分
    4,自分が知らないで、他人も知らない自分
    のように、「自分が知らない」部分があること。

    この無意識の領域は、鏡にフィードバックしてもらわなければ、気がつきにくいです。無意識を意識化することはとても重要です。

    フィードバックも、相手の文脈を純粋に伴走出来なくては、毒になってしまいます。似た傷を持った同士が集まると、共感が起こるけれど、それは自分の文脈の承認欲求が満たされたからでしょう。

    聴けるようになるまでは、どんなに気をつけても無意識に相手を傷つけたり傷つくことが多いでしょう。

    かといって、聴けるようになるには、神になることでも仙人になることでもありません。過去の傷が完全に癒えて、完璧に自律していて、なんてことがあるわけもないです。ただ、大方の棚卸しの経験は必要だし、最低限、下の3つは必須だと思います。

    1)個の境界線をしっかり持てること。
    2)不必要にアドバイスをしないこと。
    3)目の前の人の文脈をまずは全て肯定的に受け止めること。

    日常会話では、1)を持てると生き方が楽になる。
    2)ができたらお互いに楽ですね。
    3)は訓練が必要。沸いて来る自分の感情を封じ込めずに解放しながら、相手の気持ちを聴き続けることは難しいです。(スリーテンのようなワークショップは、訓練の場になるかと思います。)

    私は大学5年間とその後のボランティアや家族相談士の養成講座や研修で更に3年間が必要でした。

    一歩一歩、気付きを大事にして、自分の内側を見つめてゆく勇気を持っていましょうね。その一歩一歩が、確実に未来に繋がっています。


    人の怒りを引き出さないと怒れないハラッシーハラッサーに続きます。

    参照:“親でもないのに”




    どっち見てますか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    自分の生き癖や執着に気付く
    アサーティブなあり方
    ハラッサーとハラッシー
    相談申込み要領を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
    関連記事
    web拍手 by FC2

    【2016/01/07 08:00】 | 人生脚本
    【タグ】 脳内親  インナーペアレンツ  人生脚本  無意識  怒り  家族間連鎖    
    トラックバック(0) |

    Kさん
    中尾眞智子
    > 怒りが出た時の対処が分からず、悩んでいました。

    怒りが出たら一人で口に出し続けて、怒りが表現し尽くした後に湧いてくる気持ちも口にして味わってあげると良いですね。相手にぶつけたい衝動=「親に言いたかった気持ち」だと理解すると良いかもしれません。

    > B型はこうだけど、ABは。。と、母親に見下されて悲しかったんですね。
    >
    辿りつけてよかったですね。

    > それを思いださせてくれた知り合いには感謝しないといけないんだろうけど
    > 言い表せないくらい、しんどい気持ちになるからやっぱり距離は取らないとダメです、
    > 子供同士が同じクラスだから。。と無理したこついもありますけど。。

    この方はKさんの代理親になっているのでしょうね。感謝が湧いたご自身を喜んで、今は無理せず自分の心の傷を癒してあげたら良いのかも。



    怒りが出た時の対処が分からず、悩んでいました。
    以前、さほど仲良くない知り合いから、いきなり
    あなた、AB型っぽいよねーと言われて
    何だか言い様のない虚しさに襲われて
    頑張って『それ、どういう意味?』と返したら
    なんか気まずい空気になってしまいました。
    それがずっと心に引っかかってしまい
    色々思い出してみたら、
    母親から、あんたはAB型だからね。と言われていたのを思い出しました。
    ここだろうなあ、と思いながら過去を思い出すと
    両親(母親B型、父親AB型)が冷戦状態だったことに行き着いてしまいました。
    B型はこうだけど、ABは。。と、母親に見下されて悲しかったんですね。

    と、書きながら俯瞰してしまいました。
    それを思いださせてくれた知り合いには感謝しないといけないんだろうけど
    言い表せないくらい、しんどい気持ちになるからやっぱり距離は取らないとダメです、
    子供同士が同じクラスだから。。と無理したこついもありますけど。。


    コメントを閉じる▲
    コメント
    この記事へのコメント
    Kさん
    > 怒りが出た時の対処が分からず、悩んでいました。

    怒りが出たら一人で口に出し続けて、怒りが表現し尽くした後に湧いてくる気持ちも口にして味わってあげると良いですね。相手にぶつけたい衝動=「親に言いたかった気持ち」だと理解すると良いかもしれません。

    > B型はこうだけど、ABは。。と、母親に見下されて悲しかったんですね。
    >
    辿りつけてよかったですね。

    > それを思いださせてくれた知り合いには感謝しないといけないんだろうけど
    > 言い表せないくらい、しんどい気持ちになるからやっぱり距離は取らないとダメです、
    > 子供同士が同じクラスだから。。と無理したこついもありますけど。。

    この方はKさんの代理親になっているのでしょうね。感謝が湧いたご自身を喜んで、今は無理せず自分の心の傷を癒してあげたら良いのかも。
    2016/04/11(Mon) 07:11 | URL  | 中尾眞智子 #-[ 編集]
    怒りが出た時の対処が分からず、悩んでいました。
    以前、さほど仲良くない知り合いから、いきなり
    あなた、AB型っぽいよねーと言われて
    何だか言い様のない虚しさに襲われて
    頑張って『それ、どういう意味?』と返したら
    なんか気まずい空気になってしまいました。
    それがずっと心に引っかかってしまい
    色々思い出してみたら、
    母親から、あんたはAB型だからね。と言われていたのを思い出しました。
    ここだろうなあ、と思いながら過去を思い出すと
    両親(母親B型、父親AB型)が冷戦状態だったことに行き着いてしまいました。
    B型はこうだけど、ABは。。と、母親に見下されて悲しかったんですね。

    と、書きながら俯瞰してしまいました。
    それを思いださせてくれた知り合いには感謝しないといけないんだろうけど
    言い表せないくらい、しんどい気持ちになるからやっぱり距離は取らないとダメです、
    子供同士が同じクラスだから。。と無理したこついもありますけど。。
    2016/01/12(Tue) 17:02 | URL  | K #-[ 編集]
    コメントを投稿
    URL:

    Pass:
    秘密: 管理者にだけ表示を許可
     
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL
    この記事へのトラックバック