家族カウンセラーの想いつれづれ
    自分が「子の母親」になることより、「自分の母親の子」でいることを選んできたお母さん。
    無意識に我が子を「自分を見守る親」「自分を助ける親」に育てたお母さん。
    子を「自分の優秀作品として親に見せる」お母さん。
    それに気がつかずに、一生懸命に、母親を庇っている人々

    怒りの矛先は、本当は親に向いているのに、親を庇って配偶者や子に、仕事仲間にぶつけます。こうしていつまでも変われずにいるのです。

    自分が怒っている自覚がある人はまだ良いですが、「普通に言っているのに、怒ってるの?と言われる。里の方言がきついんですよね。」と弁解される方も多いです。語気が強く濁音が強く勢いがあります。本当に怒っていないのでしょうか。




    ★私が、相談者の方々から聞いてきた母親に対しての言葉の数々を並べてみます。

    厳しい母だった。
    学校にしか居場所がなかった。
    父の暴力がかわいそうだった。
    仕事で忙しくて大変そうでかわいそうだった。
    母を守れなかった。
    一緒に死のうと言われた。
    本当にいつ殺されるんだろうって怖かった。
    学校に行っている間に何があるか心配だった。
    他の兄弟ばかりで私はかまってもらえなかった。
    病気の兄弟が羨ましかった。
    成績が下がると不機嫌になった。
    遊びに出してもらえなかった。
    いつも見張られていた。
    やんちゃをして怒らせてもこっちを向いてくれなかった。
    いつも病気がちだった(と思っていた)。
    やることを次々先回りされた。
    自分の意思で行動したと思っていたけど、母の思惑通りだった。
    笑顔は母の役に立たないともらえなかった。
    笑顔は成績が良くないともらえなかった。
    笑顔は見たことがなかった。

    等々・・・





    ★代理親になる瞬間(事例)---------

    小さい頃によく映画に連れて行かれた。中学生の叔母と行くと青春映画だったので面白かったが、母と行くと当たりとハズレがあった。(つまり、子供のために映画に居ているのではないということ)

    ある日の映画はとてもつまらなかった。幸いにも一番後ろの席だったので、席を立って後ろで遊んでいたら、母もつまらないのか外に向かって歩いていくのでついて行った。
    外に出て、明るいところで母じゃないとわかって、戻ろうとしてドアを開けたら、映像以外は深い暗闇に包まれていて、母を探せる気がせずに困って泣いてしまった。すると、アイスクリーム売り場のおばちゃんが映画館に戻って探してくれた。

    心強いおばちゃんとべそかいて歩いていたら、目が慣れてきて母の洋服を探せた。(その時の母の上着はペイズリー模様で、大人になるまで避けていた理由はこれだった。)一度人違いをしているから、用心深く確認した。

    おばちゃんは、「この人?」と言いながら、声をかけてくれたか、私が、とんとんと肩を叩いたか、どっちだろう。ほぼ同時かもしれない。「あら、どこに行ってたの。」と言いながら、おばちゃんにお礼を言っていた母。

    この時に、ほっとしたと同時に「お利口に座っていないと大変なことになる」と身を引き締めた。この瞬間に私におまじないがかかっているのだ。

    今なら、小さな子をほったらかしにして映画を見ているこの母親は、なんてひどい親だろうとわかる。炎天下、車に赤ちゃんを置き去りにしてパチンコし、赤ちゃんを死なせた母親と同じだ。悔しくて、悲しくて、怒っていいところだ。

    けれどそれが日常の中で当たり前すぎて、私が母の行動に付き合う=私が母を見守る親役として育てられていった。そして、

    母のそばでお利口であること
    母に迷惑をかけないこと
    母のすべきことは代替わりすること
    どんどん増えていった
    母は頼りにならないから私がやるしかない
    私がしっかりするしかない
    誰もあてにできない
    誰も私を助けない
    家族で頼りになる人は一人もいない

    こんなふうに、いつの間にか母を助け母を庇うことが身についていた。たくさんの諦めを口に出さず、我慢の脚本と一人ぼっちの脚本が出来ていった。





    ★武勇伝じゃないのに(事例)-------------

    妹がデパートの下りエスカレーターの前で立ち往生し、取り残されたことがあった。
    泣いてる声で気がついて、回り込んで上りエスカレーターで駆け上がったら、妹のひとつ上の弟が、妹の名前を叫びながら下りのエスカレーターを懸命に逆走して上ってきていた。

    とても悲しかっただろう
    親に見捨てられ、とてもとても悲しかったわたしたち兄弟。


    なのに、当時の私は弟の武勇伝として語った。
    帰ってからその状況を嬉々として語っていた。
    本当は、冷静に行動して誇らしい自分を、一瞬でかき消した弟の姿に圧倒されて姉としてのプライドが傷ついていたんだと思う。弟を過剰に褒めることで、その傷を自分を慰めていたんだ。こんな小さな弟をあんなに心配でいっぱいにしてしまった、こんな小さな妹を不安でいっぱいにしてしまった、痛ましくて痛ましくて申し訳ないと思っていた12才の私。

    それからは、「外にいる時は気を付けていないと何が起こるかわからない、おばあちゃんに預けるのは無理なんだ!」と認識を変えたのを覚えている。

    当時、私は、祖母と私と弟と妹で出かけたと思っていた。
    母がいたらそんなことはなかったのに、とまで思っていた。

    最近になって、母が「あれは驚いたわねぇ。」と見てきたように言うので、よほど当時の私の話が臨場感あふれていたのだろうと思いながら「お母さんいなかったでしょう。」と言ったら、「私もいたわよ~。」と。
    嘘だ~と思ったものの、「私がおばあちゃんに3人もこどもを預けるわけないでしょう!?」と言われ、確かに母は祖母の限界を超える負担はかけないよなぁ、と納得した。

    祖母は、自称「こどもが嫌い」である。
    可愛がられたのは、私だけだとも言われている。
    その祖母が、いくら私がいたとしても、小さい子を二人も連れてバスで街のデパートに出かけるはずがないという気もする。なのに、私の目には母はうつっていなかったことがショックだった。

    私の記憶では、叫びながら登ってくる弟を下で心配そうに祖母が見ていた姿だ。
    母も何かアクションを起こしていたのかもしれないけど、実際は何も役に立っていないから、記憶の隅にも残っていないのかもしれない。

    実際は、祖母は、しっかり者の私がいれば、二人を連れて行ったかもしれないし、母の言う通り私の勘違いかもしれない。ただ、母がいたとしたら、こんなに悲しいことはない。

    幼い娘の手を繋がずに、エスカレーターを降りたのか
    大人が二人もいながら、5歳の子をエスカレーターに乗せずに残したのか
    それを助けに行ったのは、12歳の姉(私)と6歳の兄だ
    私を迷子にした母だからあり得るだろうか・・・

    そういえば、私の迷子もデパートで母と祖母を見失った時だった。
    この時も、母と祖母が一緒だった。
    母は、祖母といる時に母親じゃないのだ!

    悲しみでいっぱいになる。

    私は、母を庇うために母を記憶から消したのだ。その日は母がいなかったことにしたのだ。そして母がいなかったことに信憑性を持たせるために、我が身を犠牲にしてまで作ったストーリーが、あの「弟の武勇伝」だったのだ。

    『申し訳ないと思っていた12才の私』と書いたが、母親が責められそうになった時に、瞬時に「自分を責める」姿は、他の相談者の方にもよく見られることだ。母を責めること=母に責任を求めることは、母への絶望を直視することになる。母に絶望したくない私は、母を責めるわけにはいかなかった。だから、瞬時に自分を責め、弟を勇者に仕立て上げたのだ。そして、最終的には、弟に注目させることで、母に視線が向かないように仕向けてきた。それだけにとどまらず、私は、母がそこにいたことさえ記憶から消していたのだ!

    三重にも四重にも、いったいどこまで私は母を庇っているのだろう。

    現実を見れば、私は母の母親として、弟は母の父親として存在するように育っているではないか。

    母は、弟に対して、まるで亡くなった夫(=母の代理親)のように気を使っている。
    弟は子どもとして存在しているのに、母が気を使えば気を使うほど、弟の中でフックされ続けてどんどん父親に似てしまう。

    弟と私は全く性格が違うのに、どこか似てる気がしていたけど、母の代理親という共通点だと合点がいった。





    ★お母さんはやさしい?(事例)---------

    中学生か高校生の頃、姉が「お母さん、昔はやさしかったのにね。」と言った時、私はあんまり驚いてしまって、やさしい母を脳裏に浮かべようと頑張って探し回って見つからなかった。
    「お母さんが優しかった記憶はないよ。」というと、「ええ?やさしかったでしょう。」と言われて、母は姉ばかり可愛がると言われていたのを思い出していた。

    そうか、姉にはやさしい記憶があるんだ、よかった・・・

    よかった、というのは、姉は別れた父親の記憶があるせいか、小さい頃は喋らない子だったと聞いていたので、私には無い傷を負っているんだろうと申し訳なかったから、母が姉にやさしかったならよかったって思ったのだ。

    今になってわかるのは、これは大ショックだったと言うこと。
    「えー?!! お母さんはお姉ちゃんに優しくしたことがあったの?! 私にはないのに!!」―これが本当の気持ちだ。

    私はそのショックに気づきたくなかった。気づけば、父の記憶も、母の優しさも知らない自分だけが不幸だと気づいてしまうから。
    その劣等感を封印するために、あえて私が優位に立つ「思い方」をしたんだ。





    ★ありがとう?(事例)---------

    姉が私によく言うのが、「ありがとう」から始まるエピソード。
    たとえば、初めて映画館に二人で行った時、立ち見だったとはいえ姉が何度か移動するので、「お姉ちゃんどうしたの?」と言ったら、私に(静かに)と小声で言ってから小さく「ちかん」と。それを聞いた私は、(たいへん!)と思って「え?痴漢?」とあたりを大げさに見回した。その時は、姉が恥ずかしそうにしていたけど、どうやら痴漢は消えたらしい。そのあとも、私はちらちらと睨みを効かせていた。

    その時の姉の嫌そうな顔が、私に対して(静かにって言ったのに!)と責められている気がして、その後は話題にしなかった。痴漢にあったことが恥ずかしいお年頃だったのかもしれない。すっかり忘れていたのだけど、大人になってから「あの時はありがとう」と言われて思い出したのだ。

    姉を守ろうとする時も、姉の顔色を見て自分の対応を決めるところも、映画館での私の行動は「娘を守る母親」の行動だ。私はすっかり「子の親」としての行動が身についていたのだ。ちらちらと睨みを効かせている時の私は「脚本ちゃんが絶好調」だったのだ。

    私は、自分の目の前にあることを楽しむよりも、周囲に気配りをするようになってしまった。どんなにもったいない時を無駄にしてしまっただろう。





    ★母の母であること(事例)---------

    上に書いたように、母の母であることは、母の子(私のきょうだい)の母でもあるということ。
    私は、意識上はきょうだいの一員でいたけど、無意識では常に心配したり、気遣ったり、胸を痛めたり、ちゃんと出来ない自分を責めていた。

    一人暮らしをする時は、これまで私が担っていた家事手伝いを誰がいったいやるのだろうと心配した。
    父のお店は繁盛しているわけじゃないし、自宅とはすぐそこだから、母が行き来すればこなせる家事なのに、家事と子の面倒の多くは私が分担していた。

    当時は、学校の奨学金を貰う成績を維持していたので、学校生活に専念したかった。土曜日は弟と妹のお昼ご飯の世話、平日は保育園のお迎えのために5時には家に帰らないといけない。体はひとつしかない。くたくたになって(この家はおかしい。母親が母親をやっていない。)と気がついて家を出た。

    母に対する怒りを当時も感じていたし、意識上では、母を好きだと思ったことはない。好きになろうとしていたという方がぴったりくるが、この表現も、母に見捨てられていたことを自覚したくなくて、傷つかないように無意識に認知の操作をしていたのだろう。

    もうやめよう。母を助けるのはもうやめよう。そう思って家を出た。なのに数年もしたら、母は、子どもたちのトラブルがあると電話をかけてきて私を頼った。頼ってくるのをうざいと思いながら、断ることに罪悪感があった。実際に断った後は結構しんどくて腹を立てていた。

    (※この腹立ちは、罪悪感を持つ自分に対するチャイルドの腹立ちーそこに気がつかないうちは、対象人物に腹を立て続けて脳内親を守っている)

    結婚後は離れられると思ったが、結局、自分が本当に手放さない限り、形を変え人を変えずっと続くのだった。





    ★無意識を意識化する---------

    無意識を意識化して、母に対する怒りをちゃんと味わってあげるまで、手放したと思ったものは何度でもチャンスがあれば形を変えて戻って来る。怒りを吐き出して、何度も絶望して、結局私が選んできたんだなぁと深層心理に辿り着いて、その自分を抱きしめた時に、ひとつずつ手放せるのだ。赦しを手にいれるのだなぁと感じている。
    自分を赦して相手も赦すー本当に赦し手放した感情は、その後は恨みとして口に出てこないと実感している。

    相手に怒りが湧いたり、その怒りを正当化したくなるときは、親を庇っている時だろう。まだ、手放していない親からの傷を見つけてあげないから、怒りとなって発動する。その怒りは、本当は昔の親に言いたいこと、そして、自分の傷を見ない自分自身に対して怒っているのだろう。

    現家族に対する怒りは、源家族に対する怒りがスライドしている。他人でも、身近になればなるほど怒りを持ってしまうのは、無意識に代理親にしているのだろう。よくあるのは、教師や上司や先輩や医者やカウンセラーや友人を代理親にしてしまい、大好きになったり、大嫌いになったりする。両極に気持ちが走る時は、依存が強くなっていて代理親にしていると疑うとよいかもしれない。





    母親を背負って生きている人、父親から守ってくれなかった母親を庇い続けている人、母親になれなかった母親を「忙しかったから」「父が横暴だったから」と庇い続けている人、どうか、自分のチャイルドに気がついてあげてください。




    子育ての愛に混じり気ないですか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    どっち見てますか
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    いたちごっこから降りる
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。

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    ★私が、相談者の方々から聞いてきた母親に対しての言葉の数々を並べてみます。

    厳しい母だった。
    学校にしか居場所がなかった。
    父の暴力がかわいそうだった。
    仕事で忙しくて大変そうでかわいそうだった。
    母を守れなかった。
    一緒に死のうと言われた。
    本当にいつ殺されるんだろうって怖かった。
    学校に行っている間に何があるか心配だった。
    他の兄弟ばかりで私はかまってもらえなかった。
    病気の兄弟が羨ましかった。
    成績が下がると不機嫌になった。
    遊びに出してもらえなかった。
    いつも見張られていた。
    やんちゃをして怒らせてもこっちを向いてくれなかった。
    いつも病気がちだった(と思っていた)。
    やることを次々先回りされた。
    自分の意思で行動したと思っていたけど、母の思惑通りだった。
    笑顔は母の役に立たないともらえなかった。
    笑顔は成績が良くないともらえなかった。
    笑顔は見たことがなかった。

    等々・・・





    ★代理親になる瞬間(事例)---------

    小さい頃によく映画に連れて行かれた。中学生の叔母と行くと青春映画だったので面白かったが、母と行くと当たりとハズレがあった。(つまり、子供のために映画に居ているのではないということ)

    ある日の映画はとてもつまらなかった。幸いにも一番後ろの席だったので、席を立って後ろで遊んでいたら、母もつまらないのか外に向かって歩いていくのでついて行った。
    外に出て、明るいところで母じゃないとわかって、戻ろうとしてドアを開けたら、映像以外は深い暗闇に包まれていて、母を探せる気がせずに困って泣いてしまった。すると、アイスクリーム売り場のおばちゃんが映画館に戻って探してくれた。

    心強いおばちゃんとべそかいて歩いていたら、目が慣れてきて母の洋服を探せた。(その時の母の上着はペイズリー模様で、大人になるまで避けていた理由はこれだった。)一度人違いをしているから、用心深く確認した。

    おばちゃんは、「この人?」と言いながら、声をかけてくれたか、私が、とんとんと肩を叩いたか、どっちだろう。ほぼ同時かもしれない。「あら、どこに行ってたの。」と言いながら、おばちゃんにお礼を言っていた母。

    この時に、ほっとしたと同時に「お利口に座っていないと大変なことになる」と身を引き締めた。この瞬間に私におまじないがかかっているのだ。

    今なら、小さな子をほったらかしにして映画を見ているこの母親は、なんてひどい親だろうとわかる。炎天下、車に赤ちゃんを置き去りにしてパチンコし、赤ちゃんを死なせた母親と同じだ。悔しくて、悲しくて、怒っていいところだ。

    けれどそれが日常の中で当たり前すぎて、私が母の行動に付き合う=私が母を見守る親役として育てられていった。そして、

    母のそばでお利口であること
    母に迷惑をかけないこと
    母のすべきことは代替わりすること
    どんどん増えていった
    母は頼りにならないから私がやるしかない
    私がしっかりするしかない
    誰もあてにできない
    誰も私を助けない
    家族で頼りになる人は一人もいない

    こんなふうに、いつの間にか母を助け母を庇うことが身についていた。たくさんの諦めを口に出さず、我慢の脚本と一人ぼっちの脚本が出来ていった。





    ★武勇伝じゃないのに(事例)-------------

    妹がデパートの下りエスカレーターの前で立ち往生し、取り残されたことがあった。
    泣いてる声で気がついて、回り込んで上りエスカレーターで駆け上がったら、妹のひとつ上の弟が、妹の名前を叫びながら下りのエスカレーターを懸命に逆走して上ってきていた。

    とても悲しかっただろう
    親に見捨てられ、とてもとても悲しかったわたしたち兄弟。


    なのに、当時の私は弟の武勇伝として語った。
    帰ってからその状況を嬉々として語っていた。
    本当は、冷静に行動して誇らしい自分を、一瞬でかき消した弟の姿に圧倒されて姉としてのプライドが傷ついていたんだと思う。弟を過剰に褒めることで、その傷を自分を慰めていたんだ。こんな小さな弟をあんなに心配でいっぱいにしてしまった、こんな小さな妹を不安でいっぱいにしてしまった、痛ましくて痛ましくて申し訳ないと思っていた12才の私。

    それからは、「外にいる時は気を付けていないと何が起こるかわからない、おばあちゃんに預けるのは無理なんだ!」と認識を変えたのを覚えている。

    当時、私は、祖母と私と弟と妹で出かけたと思っていた。
    母がいたらそんなことはなかったのに、とまで思っていた。

    最近になって、母が「あれは驚いたわねぇ。」と見てきたように言うので、よほど当時の私の話が臨場感あふれていたのだろうと思いながら「お母さんいなかったでしょう。」と言ったら、「私もいたわよ~。」と。
    嘘だ~と思ったものの、「私がおばあちゃんに3人もこどもを預けるわけないでしょう!?」と言われ、確かに母は祖母の限界を超える負担はかけないよなぁ、と納得した。

    祖母は、自称「こどもが嫌い」である。
    可愛がられたのは、私だけだとも言われている。
    その祖母が、いくら私がいたとしても、小さい子を二人も連れてバスで街のデパートに出かけるはずがないという気もする。なのに、私の目には母はうつっていなかったことがショックだった。

    私の記憶では、叫びながら登ってくる弟を下で心配そうに祖母が見ていた姿だ。
    母も何かアクションを起こしていたのかもしれないけど、実際は何も役に立っていないから、記憶の隅にも残っていないのかもしれない。

    実際は、祖母は、しっかり者の私がいれば、二人を連れて行ったかもしれないし、母の言う通り私の勘違いかもしれない。ただ、母がいたとしたら、こんなに悲しいことはない。

    幼い娘の手を繋がずに、エスカレーターを降りたのか
    大人が二人もいながら、5歳の子をエスカレーターに乗せずに残したのか
    それを助けに行ったのは、12歳の姉(私)と6歳の兄だ
    私を迷子にした母だからあり得るだろうか・・・

    そういえば、私の迷子もデパートで母と祖母を見失った時だった。
    この時も、母と祖母が一緒だった。
    母は、祖母といる時に母親じゃないのだ!

    悲しみでいっぱいになる。

    私は、母を庇うために母を記憶から消したのだ。その日は母がいなかったことにしたのだ。そして母がいなかったことに信憑性を持たせるために、我が身を犠牲にしてまで作ったストーリーが、あの「弟の武勇伝」だったのだ。

    『申し訳ないと思っていた12才の私』と書いたが、母親が責められそうになった時に、瞬時に「自分を責める」姿は、他の相談者の方にもよく見られることだ。母を責めること=母に責任を求めることは、母への絶望を直視することになる。母に絶望したくない私は、母を責めるわけにはいかなかった。だから、瞬時に自分を責め、弟を勇者に仕立て上げたのだ。そして、最終的には、弟に注目させることで、母に視線が向かないように仕向けてきた。それだけにとどまらず、私は、母がそこにいたことさえ記憶から消していたのだ!

    三重にも四重にも、いったいどこまで私は母を庇っているのだろう。

    現実を見れば、私は母の母親として、弟は母の父親として存在するように育っているではないか。

    母は、弟に対して、まるで亡くなった夫(=母の代理親)のように気を使っている。
    弟は子どもとして存在しているのに、母が気を使えば気を使うほど、弟の中でフックされ続けてどんどん父親に似てしまう。

    弟と私は全く性格が違うのに、どこか似てる気がしていたけど、母の代理親という共通点だと合点がいった。





    ★お母さんはやさしい?(事例)---------

    中学生か高校生の頃、姉が「お母さん、昔はやさしかったのにね。」と言った時、私はあんまり驚いてしまって、やさしい母を脳裏に浮かべようと頑張って探し回って見つからなかった。
    「お母さんが優しかった記憶はないよ。」というと、「ええ?やさしかったでしょう。」と言われて、母は姉ばかり可愛がると言われていたのを思い出していた。

    そうか、姉にはやさしい記憶があるんだ、よかった・・・

    よかった、というのは、姉は別れた父親の記憶があるせいか、小さい頃は喋らない子だったと聞いていたので、私には無い傷を負っているんだろうと申し訳なかったから、母が姉にやさしかったならよかったって思ったのだ。

    今になってわかるのは、これは大ショックだったと言うこと。
    「えー?!! お母さんはお姉ちゃんに優しくしたことがあったの?! 私にはないのに!!」―これが本当の気持ちだ。

    私はそのショックに気づきたくなかった。気づけば、父の記憶も、母の優しさも知らない自分だけが不幸だと気づいてしまうから。
    その劣等感を封印するために、あえて私が優位に立つ「思い方」をしたんだ。





    ★ありがとう?(事例)---------

    姉が私によく言うのが、「ありがとう」から始まるエピソード。
    たとえば、初めて映画館に二人で行った時、立ち見だったとはいえ姉が何度か移動するので、「お姉ちゃんどうしたの?」と言ったら、私に(静かに)と小声で言ってから小さく「ちかん」と。それを聞いた私は、(たいへん!)と思って「え?痴漢?」とあたりを大げさに見回した。その時は、姉が恥ずかしそうにしていたけど、どうやら痴漢は消えたらしい。そのあとも、私はちらちらと睨みを効かせていた。

    その時の姉の嫌そうな顔が、私に対して(静かにって言ったのに!)と責められている気がして、その後は話題にしなかった。痴漢にあったことが恥ずかしいお年頃だったのかもしれない。すっかり忘れていたのだけど、大人になってから「あの時はありがとう」と言われて思い出したのだ。

    姉を守ろうとする時も、姉の顔色を見て自分の対応を決めるところも、映画館での私の行動は「娘を守る母親」の行動だ。私はすっかり「子の親」としての行動が身についていたのだ。ちらちらと睨みを効かせている時の私は「脚本ちゃんが絶好調」だったのだ。

    私は、自分の目の前にあることを楽しむよりも、周囲に気配りをするようになってしまった。どんなにもったいない時を無駄にしてしまっただろう。





    ★母の母であること(事例)---------

    上に書いたように、母の母であることは、母の子(私のきょうだい)の母でもあるということ。
    私は、意識上はきょうだいの一員でいたけど、無意識では常に心配したり、気遣ったり、胸を痛めたり、ちゃんと出来ない自分を責めていた。

    一人暮らしをする時は、これまで私が担っていた家事手伝いを誰がいったいやるのだろうと心配した。
    父のお店は繁盛しているわけじゃないし、自宅とはすぐそこだから、母が行き来すればこなせる家事なのに、家事と子の面倒の多くは私が分担していた。

    当時は、学校の奨学金を貰う成績を維持していたので、学校生活に専念したかった。土曜日は弟と妹のお昼ご飯の世話、平日は保育園のお迎えのために5時には家に帰らないといけない。体はひとつしかない。くたくたになって(この家はおかしい。母親が母親をやっていない。)と気がついて家を出た。

    母に対する怒りを当時も感じていたし、意識上では、母を好きだと思ったことはない。好きになろうとしていたという方がぴったりくるが、この表現も、母に見捨てられていたことを自覚したくなくて、傷つかないように無意識に認知の操作をしていたのだろう。

    もうやめよう。母を助けるのはもうやめよう。そう思って家を出た。なのに数年もしたら、母は、子どもたちのトラブルがあると電話をかけてきて私を頼った。頼ってくるのをうざいと思いながら、断ることに罪悪感があった。実際に断った後は結構しんどくて腹を立てていた。

    (※この腹立ちは、罪悪感を持つ自分に対するチャイルドの腹立ちーそこに気がつかないうちは、対象人物に腹を立て続けて脳内親を守っている)

    結婚後は離れられると思ったが、結局、自分が本当に手放さない限り、形を変え人を変えずっと続くのだった。





    ★無意識を意識化する---------

    無意識を意識化して、母に対する怒りをちゃんと味わってあげるまで、手放したと思ったものは何度でもチャンスがあれば形を変えて戻って来る。怒りを吐き出して、何度も絶望して、結局私が選んできたんだなぁと深層心理に辿り着いて、その自分を抱きしめた時に、ひとつずつ手放せるのだ。赦しを手にいれるのだなぁと感じている。
    自分を赦して相手も赦すー本当に赦し手放した感情は、その後は恨みとして口に出てこないと実感している。

    相手に怒りが湧いたり、その怒りを正当化したくなるときは、親を庇っている時だろう。まだ、手放していない親からの傷を見つけてあげないから、怒りとなって発動する。その怒りは、本当は昔の親に言いたいこと、そして、自分の傷を見ない自分自身に対して怒っているのだろう。

    現家族に対する怒りは、源家族に対する怒りがスライドしている。他人でも、身近になればなるほど怒りを持ってしまうのは、無意識に代理親にしているのだろう。よくあるのは、教師や上司や先輩や医者やカウンセラーや友人を代理親にしてしまい、大好きになったり、大嫌いになったりする。両極に気持ちが走る時は、依存が強くなっていて代理親にしていると疑うとよいかもしれない。





    母親を背負って生きている人、父親から守ってくれなかった母親を庇い続けている人、母親になれなかった母親を「忙しかったから」「父が横暴だったから」と庇い続けている人、どうか、自分のチャイルドに気がついてあげてください。




    子育ての愛に混じり気ないですか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    どっち見てますか
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
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    アサーティブなあり方
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    【2015/09/11 11:07】 | 自律
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  脳内親  無意識  怒り  ハラスメント  インナーペアレンツ  
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    けやきさん
    中尾真智子
    > いつもこちらと英治さんのブログを拝見しています。

    ありがとうございます。

    > 自分の存在に対する謎、両親に対する謎、生きづらさの謎がようやく解けてきて、今こここを生きています。

    ながーい旅路だったことと思います。

    > 小さい頃から親の"親"だった私。
    > 一番上の子を自分の"親"にしようとしてた私。

    連鎖を実感されたのですね。

    > ようやく子供の親になってきたし、自分の育て直しをしています。

    がんばりどころですね。^^

    > これからもブログを楽しみにしています。とても励みになります。

    こちらこそ、ありがとうございます。



    けやき
    いつもこちらと英治さんのブログを拝見しています。
    両親がどんな子育てを私にしたのか、思い出し作業中にこの記事がアップされていました。

    両親に対するなぞは、ここに行き当たります。
    子供に対するメッセージが、親としてのものよりも親本人の必要性に応じたものだったのだな、と思い当たります。

    こんがらがった細い鎖を解きほぐすような、子供時代の思い出と思い込み、大人になってから得た知識で両親の子育てをあらためて思い出し考え、
    自分の思い込みだけの感情でなく、本当は味わっていたはずの感情をもう一度味わい直す、そんなことを時々しています。


    以前は両親に対して仕返ししてやりたい、後悔させたいという深い恨みの気持ちもありましたが、きっといってもわからないと、なぜだか諦めてもいました。
    過去に2回、話して逆ギレされているからだとおもいます。
    最近その諦めは、結局両親も連鎖の中にいて自分でどうすることもできず、苦しみながら子育てして、そして私に連鎖したのだ、彼らは常に被害者の立場(受身の立場?それか子供の立場ですね)でしかないので、子供がどう思ったか、という共感は得られないのだ、とやっとわかりました。それまではきっとどこかで、親なんだからきっといつかはわかってくれるはず、という期待や希望があったんだと思います。

    自分の存在に対する謎、両親に対する謎、生きづらさの謎がようやく解けてきて、今こここを生きています。

    小さい頃から親の"親"だった私。
    一番上の子を自分の"親"にしようとしてた私。
    ようやく子供の親になってきたし、自分の育て直しをしています。


    これからもブログを楽しみにしています。とても励みになります。

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    コメント
    この記事へのコメント
    けやきさん
    > いつもこちらと英治さんのブログを拝見しています。

    ありがとうございます。

    > 自分の存在に対する謎、両親に対する謎、生きづらさの謎がようやく解けてきて、今こここを生きています。

    ながーい旅路だったことと思います。

    > 小さい頃から親の"親"だった私。
    > 一番上の子を自分の"親"にしようとしてた私。

    連鎖を実感されたのですね。

    > ようやく子供の親になってきたし、自分の育て直しをしています。

    がんばりどころですね。^^

    > これからもブログを楽しみにしています。とても励みになります。

    こちらこそ、ありがとうございます。
    2015/10/02(Fri) 16:26 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    いつもこちらと英治さんのブログを拝見しています。
    両親がどんな子育てを私にしたのか、思い出し作業中にこの記事がアップされていました。

    両親に対するなぞは、ここに行き当たります。
    子供に対するメッセージが、親としてのものよりも親本人の必要性に応じたものだったのだな、と思い当たります。

    こんがらがった細い鎖を解きほぐすような、子供時代の思い出と思い込み、大人になってから得た知識で両親の子育てをあらためて思い出し考え、
    自分の思い込みだけの感情でなく、本当は味わっていたはずの感情をもう一度味わい直す、そんなことを時々しています。


    以前は両親に対して仕返ししてやりたい、後悔させたいという深い恨みの気持ちもありましたが、きっといってもわからないと、なぜだか諦めてもいました。
    過去に2回、話して逆ギレされているからだとおもいます。
    最近その諦めは、結局両親も連鎖の中にいて自分でどうすることもできず、苦しみながら子育てして、そして私に連鎖したのだ、彼らは常に被害者の立場(受身の立場?それか子供の立場ですね)でしかないので、子供がどう思ったか、という共感は得られないのだ、とやっとわかりました。それまではきっとどこかで、親なんだからきっといつかはわかってくれるはず、という期待や希望があったんだと思います。

    自分の存在に対する謎、両親に対する謎、生きづらさの謎がようやく解けてきて、今こここを生きています。

    小さい頃から親の"親"だった私。
    一番上の子を自分の"親"にしようとしてた私。
    ようやく子供の親になってきたし、自分の育て直しをしています。


    これからもブログを楽しみにしています。とても励みになります。
    2015/09/16(Wed) 10:41 | URL  | けやき #-[ 編集]
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