少しでもいい波動が広がるといいなぁと思います。
私たちはいつも試されている
これまでの脚本は自然に発動しますから、チャイルドは怖がります。
泣きたくなります。
怒りも沸きます。
諸々の感情がわきます。
これらのチャイルド(感情=エゴ)に気付いたら、よしよし自分でしてあげたら
浄化します。
私たちはいつも試されている
これまでの脚本は自然に発動しますから、チャイルドは怖がります。
泣きたくなります。
怒りも沸きます。
諸々の感情がわきます。
これらのチャイルド(感情=エゴ)に気付いたら、よしよし自分でしてあげたら
浄化します。
何度でもよしよししてあげたらいいです。
慣れたものから、だんだん気付きの瞬間に手放すことが習性になっていきます。
それでも、感情が波立つときは、やっぱり味わって抱きしめてあげる
そして浄化してあげる
自分の中に沸いた「不安」や「恐怖」をみないふりして蓋をすることのほうが、自分の中に閉じ込めてしまうように思います。
怖かったね、不安だよね、あったりまえだよね、
でもね、大丈夫だよ、今出来ることをしてゆけばいいんだよ
そんな感じでいいと思います。
色々な出来事や現象に批判精神や怒りも沸くでしょう。
それも、長く自分の中に留めることはないと思います。
それは私の出来ることではないから。
私の内側に欲しいものでないなら今出来ることしたいことをしてゆきたいです。
人が現実的に出来ることは限られています。
どんなに世の中を批判しても変えられるのはまず自分からです。
その波動が伝わったら周りにも変化が起こってゆくのだろうと思います。広がるのだと思います。
自分がいろんな感情を味わって手放したら、そこにはただの「在る」になるのだろうと思います。
先日受けたリーディングに使われていた「存在」という言葉でしょうか。
「愛情」ではなく「愛」なのだ
という言葉も印象に残っています。
私たちの存在はきっと愛で光なんだと思います。
瑣末な感情に囚われて苦しいこともあるけれど、そこはこの世の修行場というところでしょうか。
受け入れて味わって手放して「愛」とか「許し」とか「在る」とか「存在」になれるのかなって思います。
慣れたものから、だんだん気付きの瞬間に手放すことが習性になっていきます。
それでも、感情が波立つときは、やっぱり味わって抱きしめてあげる
そして浄化してあげる
自分の中に沸いた「不安」や「恐怖」をみないふりして蓋をすることのほうが、自分の中に閉じ込めてしまうように思います。
怖かったね、不安だよね、あったりまえだよね、
でもね、大丈夫だよ、今出来ることをしてゆけばいいんだよ
そんな感じでいいと思います。
色々な出来事や現象に批判精神や怒りも沸くでしょう。
それも、長く自分の中に留めることはないと思います。
それは私の出来ることではないから。
私の内側に欲しいものでないなら今出来ることしたいことをしてゆきたいです。
人が現実的に出来ることは限られています。
どんなに世の中を批判しても変えられるのはまず自分からです。
その波動が伝わったら周りにも変化が起こってゆくのだろうと思います。広がるのだと思います。
自分がいろんな感情を味わって手放したら、そこにはただの「在る」になるのだろうと思います。
先日受けたリーディングに使われていた「存在」という言葉でしょうか。
「愛情」ではなく「愛」なのだ
という言葉も印象に残っています。
私たちの存在はきっと愛で光なんだと思います。
瑣末な感情に囚われて苦しいこともあるけれど、そこはこの世の修行場というところでしょうか。
受け入れて味わって手放して「愛」とか「許し」とか「在る」とか「存在」になれるのかなって思います。
- 関連記事
-
- 心のありよう (2011/03/17)
- イメージ (2011/03/15)
- 心身大丈夫ですか。(追記追画あり) (2011/03/14)
追記を閉じる▲
慣れたものから、だんだん気付きの瞬間に手放すことが習性になっていきます。
それでも、感情が波立つときは、やっぱり味わって抱きしめてあげる
そして浄化してあげる
自分の中に沸いた「不安」や「恐怖」をみないふりして蓋をすることのほうが、自分の中に閉じ込めてしまうように思います。
怖かったね、不安だよね、あったりまえだよね、
でもね、大丈夫だよ、今出来ることをしてゆけばいいんだよ
そんな感じでいいと思います。
色々な出来事や現象に批判精神や怒りも沸くでしょう。
それも、長く自分の中に留めることはないと思います。
それは私の出来ることではないから。
私の内側に欲しいものでないなら今出来ることしたいことをしてゆきたいです。
人が現実的に出来ることは限られています。
どんなに世の中を批判しても変えられるのはまず自分からです。
その波動が伝わったら周りにも変化が起こってゆくのだろうと思います。広がるのだと思います。
自分がいろんな感情を味わって手放したら、そこにはただの「在る」になるのだろうと思います。
先日受けたリーディングに使われていた「存在」という言葉でしょうか。
「愛情」ではなく「愛」なのだ
という言葉も印象に残っています。
私たちの存在はきっと愛で光なんだと思います。
瑣末な感情に囚われて苦しいこともあるけれど、そこはこの世の修行場というところでしょうか。
受け入れて味わって手放して「愛」とか「許し」とか「在る」とか「存在」になれるのかなって思います。
- 関連記事
-
- 心のありよう (2011/03/17)
- イメージ (2011/03/15)
- 心身大丈夫ですか。(追記追画あり) (2011/03/14)
| ホーム |