家族カウンセラーの想いつれづれ
    先日、たまたま、インナーペアレンツの右目、インナーチャイルドの左目を読んでいたら、姉から電話がありました。

    「お母さんから『昨日入院した』って留守電があったから、弟に電話したら、帯状疱疹だって。詳しいことはお見舞いに行ったら伝えるね。」と。



    ★母の入院

    弟夫婦も共働きで忙しいし、姉に電話したくらいだからと母に数回電話してみるも出ません。
    メールをしたら、
    「体じゃなくて、左の耳だけです。入院は10日くらいだから。毎日点滴なので、部屋で電話をかけれないの。心配させてごめんね。」と返信がありました。

    去年、同居の義母が右太ももに帯状疱疹をやった時は、かなり痛みがありました。幸いにも、早い発見で自宅で1週間で治りましたが、少し遅れたら入院だったところです。
    「左耳だけで」と、大したことなさそうに書かれているけれど、自宅療養出来ないくらい悪いんじゃないのかなぁ、それとも脳に近いから入院必至なのかなぁと気になります。

    「耳 帯状疱疹」で検索してヒットした記事「後遺症が怖い!耳帯状疱疹にかかった体験談」に、〔もっと遅ければ入院して、1日3回の点滴で薬を入れなくてはいけないところでした。」とそう言われました。〕とあり、我慢して悪化させたんじゃないの?という疑いが湧きました。


    先日、Mちゃん(弟の奥さん)と電話がつながったところ、少し様子がわかりました。

    母は左側が麻痺して頭痛が酷いので、脳外科に行って検査をしたら異常なしだったこと。Mちゃんが、左側の耳の中を見て、「腫れているから耳鼻科も行った方がいいと思う」と勧めてくれて、耳鼻科ですぐに紹介状を書いてくれたこと。
    母が「午後に行く」と言ったら、 Mちゃんが「早く行った方が良い」とアドバイスをくれて、そのまま入院になったこと。
    急に入院になっても良いように、数日前からMちゃんが「何かあった時のために入院準備もした方が良い」と言ってくれて、母も準備をしていたこと。なので、慌てることなく入院出来たようです。
    (Mちゃんに感謝感謝です。)





    ★母のインナーチャイルド

    このことを英司に話したら、やや一ヶ月前に、ブログの予約記事で「顔の左側」と「顔の右側」を書いていたと言うではありませんか。母のICの念力かもしれませぬ。
    引用-------------------

    顔の半面だけまぶたが垂れ下がったり、顔面神経麻痺になったりすることもありますが、それはIPとICの闘いが顔に表れているのかもしれません。その闘いには様々なパターンがあります。

    ここまで-------------

    これは思い当たりますねぇ。
    まずは子どもたち(私たち)の変化です。
    以前は、私が母に対する怒りを表現すると、姉は「もう、年なんだし、この年で変われっていっても無理だし、仕方ないよ〜。」といい、妹は「お母さんは、ずっと苦労してきたし、今も苦労しているからかわいそう。」と言っていました。弟は、「Mがよくやってくれてるよ。」と言いうくらいで、母の愚痴をあまり聞いたことがありません。 
    それが、最近では、たまに話す電話で、姉のICが出てくるようになりました。そうなると、母と接することに平静ではいられなくなります。弟も一昨年あたりから、母に対する気持ちを表現するようになったと感じていましたが、先日の電話では、「俺、もう我慢するの止めた。」と宣言しました。
    これらの流れの中に母はいます。5~6年前だったかなぁ、私のICを伝えていた時、母が逃げきれなくなって、ついに母のICが噴き出たこともありました。子どもの頃を思い出してわんわん泣きました。初めて見た母ですし、初めて聞く話ですし、そんな我慢すな!と思いました。
    この時、私のICを母は受け止めませんでしたが、母のICが出たことが未来の種まきになっていると感じました。
    その後の子どもたちの変化がありますから、母の無意識の領域では、IPとICの闘いが起こっていて、今回は顔に表れたのだろうと感じています。
    自分のICを解放していないから、子どもたちのICを見ることは辛く苦しく、受け止められるものではありません。とはいえ、それでも、生きている間は関わらないわけにいきませんし、我慢をするつもりはありません。
    伝えたい気持ちは伝えようと思っています。受け止めるかどうかは相手の問題ですし、怒りの礫を投げるつもりはありません。


    引用------------------

    ・IP(左脳)の強烈な感情禁止令で特に右側が無表情となり(=常に緊張し続けて無表情を保ち)、その蓄積疲労で伸びきったゴムのように右半分が垂れ下がる。
    ・逆に、右半分は外に見せるための(脚本ちゃんの)表情を作るが、左半分は凍結した心(小さいちゃん)が表れており、それが硬化して麻痺となる。

    ここまで-----------

    母の左側が、まさにこのようになっていたようです。
    姉が「入院って一体何事だろう?」と慌てたわけですが、母は入院が決まってから姉に電話をしたものの、麻痺で発音がもどかしく、最小限の言葉でに伝えたのでしょう。
    実は、入院患者の母が姉に電話をかけるのも不自然なのです。弟夫婦が、身内に迷惑をかけないように気遣うことも想像できます。しかし、遠方の私はともかく、地元の身内には「お見舞いに行ってあげて」と連絡することも容易に想像できます。
    むしろ母が、身内にも他人にも迷惑をかけないように振る舞いますから、今回はよほど不安だったのでしょう。一度は、脳梗塞も覚悟して脳外科にも行ったほどですから、怖くないわけありません。「こわいよぉ」「こわいよぉ」という子を押し込めて、我慢した結果の入院です。
    入院が決まって、ICはほっとしたことでしょう。(やっと我慢してくていいんだ・・・。)
    こんな時にすることは、気持ちを口に出してあげることです。
    ですが、母の意識は外に向いて、姉を代理親にしてしまったのですね。それが、留守電の「昨日入院した」です。
    「お見舞いに来てね。」とか「寂しい」とか言えばいいものを、可愛くないですねぇ。まぁ、感情を封じろとばかりに、麻痺して言えなかったのですから仕方ありませんが、私へのメールにも、気持ちは書かれていません。「心配かけてごめんね。」とありますが、これは脚本ちゃんです。





    ★脳内親の受け皿

    引用---------------
    顔の左側だけ凝ったり、引きつったり、痙攣したり、痛くなったりする場合もあります。たとえば、親の受け皿となって生きている人は、その受け皿である姿を脳内母親に見せるために、自分を受け皿にしてくれるハラッサーを見つけて付き合うわけですが、脚本ちゃんは大喜びしても小さいちゃんは苦しんでいるわけです。

    ここまで---------

    ここしばらく忘れていましたが、私は左目全体とその奥に強い痛みが1年になんどか起こっていました。
    その痛みを「左目の悪霊」と言っていました。(昔読んだ漫画のタイトルのもじり)
    カウンセリングの仕事をする少し前の年から、消えていたようです。
    結婚して数年で、万年鼻炎アレルギーになり、その頃からの痛みですから、ずいぶん長いこと続いていたなぁと思います。実は、母のことがあるまで忘れていました。

    私の脚本ちゃんは絶好調に、英司の受け皿として嘆き悲しんでいたことでしょう。その間、私の小さいちゃんは怒りでいっぱいで、その怒りを英司を代理親にしてぶつけていたのです。(あ〜あ。。。)

    母も同様に、祖母への怒りを抑圧して、祖母に捧げたちいさいちゃんの気持ちを語らずにいました。
    「私は、母を悪く言ったことなんかない。」
    「母に対してそんなこと言ったことない。」と抵抗を示す母ですが、この台詞が語るに落ちる、です。
    悪く言ったことがないが、悪く思ったことはありそうですし、言ったことはないが隠していた気持ちがありそうです。そこを指摘すると、「もう、あなたと話してると疲れる。この話はやめよう。」と話題を変えます。
    それでも、たまたま引き出されることもあります。
    「母さんって〜ぶつぶつ。」
    「母さんったら〜ぶつぶつ。」
    本人が意識すると、すぐに引っ込みますけどね。





    ★母の子であってはならない

    祖母が、施設に入った年には、帰省した折に、母に連れていってもらいました。
    母が主体じゃありません。私が母に頼んで連れていってもらったのです。
    この時の母の言い方も思い出します。

    「母さんが施設に入ったんだけど、あなた行きたいかと思って。もし行きたいなら連れて行くけど。」です。
    おばあちゃん子だった私が、いかないわけがありません。
    後でわかったのですが、母は、忙しいからと施設にあまり行っていなかったのです。
    母は、姑を二人と叔母(祖母の姉)を亡くなるまで世話をしていますが、忙しさはあまり変わらなかったと思います。なので、なんでもっと行かないのだろうと不思議でした。
    母の言い訳は、祖母の面倒を見ている弟の嫁に遠慮がある、とか、仕事が忙しいし孫が学校から帰ってくるから、とか、説得力がありません。叔父の奥さんだって、施設に一人でも多くお見舞いに行って刺激を与えてくれたほうが嬉しいと思います。母が働いている時は、Mちゃんは専業主婦でしたし、今だってその頃だって、快く母を送り出してくれると思います。

    母も私同様に、無意識に「母の母であること」を引き受けていましたから、子どもとしては自分から繋がれないのでしょう。私を引き合わせた時も、数メートル離れたところに立っていて、不自然で仕方がありませんでした。




    ★母への嫉妬

    「もっと近くにおいでよ。」と誘うと母が来ます。
    祖母は少し呆けて、私の顔も忘れていたのに、母の顔を見たら「あら、H子じゃないかい?」と言います。
    その時、照れ臭そうだけど得意げな様子で「私だけはわかるみたいなんだー。」と言いました。いらっとしてむかっと来ました。羨ましかったんです。

    祖母が寂しくないようにと「もっとH子に来てほしいよねぇ。」というと、祖母は「うん。寂しいから来て欲しいねぇ。」と言います。
    母が「忙しいんだわぁ。」というので、私が「ちょっとでも顔見せてほしいよねぇ。」というと、祖母が「うん。ちょこっとでも会いたいねぇ」と言います。
    母が直接「母さん。忙しいからなかなか来れなくてさぁ。」と言ったら、「仕方ないよねぇ。みんな忙しいもんねぇ。」と言います。
    私の勝手な思いですが、茶番に付き合わされているようでどっと疲れ、哀しく寂しい気持ちになりました。祖母が覚えているのは母の顔、どんなに私が祖母を大好きでもです。
    「私、眞智子だよ。」というと「いやさ、おっきくなったねぇ。」と言い、白内障と強い近眼の目で(メガネなしで)私をまじまじと見て、「ああ、ほんとうだ!」と言います。意地悪して、「H子ってどんな子だった?」と聞くと「おっとりしたやさしい子だったよぉ。」と言います。「Eは?」と聞くと、「おとなしくていい子だったよぉ。」と言います。「いや、わがままだったっしょ。」と言うと「そういうとこもあったかねぇ。」と言います。なんだ、この仏っぷりは、と思いましたが、これが長寿の多幸感というものかもしれません。この仏っぷりを道具にして、母に意地悪もしました。(自分にごめんなさい。母にもごめんなさい。)





    ★見捨てられた子の怒り

    帰ってから母が
    「あんな母さんを見るのが辛い。」と言いましたが、それもダミーです。見るのが辛いけど見たいし、会いたいし、おしゃべりしたいし、撫でたいし、触りたい気持ちを私自身は知っています。母の本当の気持ちは、ずっと親子逆転だったこと、子どもとしては見捨てられていたことに対する怒りがまずあると思います。その奥にICが隠れています。怒りさえ直視しないから、その奥のICに届くわけもありません。いろいろ理屈をつけては、行事で誘われたり、私に頼まれないと実母に会いに来ないのです。

    同じ脚本を私に植え付けた母の仕打ちは、「正しい絶望」と「清々しい誕生」に一例を書いていますが、まーだまだあります。思い起こせば、私が母のことを、母親と実感できないのは無理もないことでした。私の中に、マグマのような怒りと悲しみが、あまりにも奥深くのひだに仕舞われていました。
    5歳までは祖母に育てられ、6歳から姉と母と暮らし始めたので、なかなか母に馴染まなかったーなどという表向きの理由をつけて、その傷は巧みに隠されていました(無意識が隠していました)。
    それを直視すると、自分が「見捨てられた子」だと自覚しなくてはならないので、なかなかできませんでした。

    実父は姉を欲しがり、離婚後、母は私を祖母に与えたのです。私は、祖母に可愛がられましたし、10歳上の叔母は「500円で欲しい。」と言ったそうです。子どもには大金だったので語り継がれましたが、お金で買う発想が怖いです。
    その叔母は別々に住むまで、よく映画に連れて行ってくれました。大人に嫌われた記憶がないし、可愛がられた記憶しかない幼少時なので、自分が「見捨てられた可哀想な子」だなんて想像もしませんでした。15で出会った親友が、「眞智子って赤毛のアンみたい。」と言いましたが、読んだことがないので、なんのことやら?と思いました。親友は、私の事情は知りませんでしたから、当時の私の自論ー「思いやりは想像力」に対して言ったんだと今はわかります。
    「眞智子は人を諦めないよねぇ。」というのも、彼女に言われましたが、人(が変わることの可能性)を諦めることは自分を見捨てることだと、どこかで察知していたのかもしれません。
    すでに「見捨てられている子」の怒りを、当時は今よりもっと感じていた気がしますが、漠として飄々としていて、その割り切れなさを自己流哲学でなだめて生き延びてきたように感じます。





    ★怒りは自分に気づいて欲しいICがいる証

    怒りは、どんなに平静にしていても、きっかけがあれば出てきます。上にもその場面が書いてありますね。
    自分の気持ちを無視すると、怒らせた相手のせいにできます。
    上に「いらっとしてむかっときて、羨ましかった」と書いていますが、羨ましいという気持ちに気が付けなかったら、いらっとしてむかっとした気持ちを母にぶつけていただろうと容易に想像出来ます。
    ぶつける理由はいろいろ使えるネタがありますね。

    「なんでもっと喜ばないの!?」
    「なんでもっと行ってあげないの?」
    「かわいそうだと思わないの?」
    「姑を看取ったって自慢するけど、実の母親にはどうなのよ!?」
    なーんぼでも使えますね。おぞましいことに。


    「わかりやすい怒りは、相手が反論しやすいからマシ」という人もいます。私も、そうかなぁと思ったこともありましたが、これは、直情的激昂が出来る人の自己弁護です。こういう人は、怒りをぶつけられたら、わかりやすく反論するのだと自ら言っているのでしょう。他の感情は抑圧しても、怒りは我慢しない人生脚本もあります。(その意味は人それぞれ違うでしょうけれど)

    そういう怒りをぶつけられる側からしたら、いつキレるかわかりませんから、相手が笑っている時でさえ気が抜けず、つねに緊張して付き合わねばなりません。ディリーハッスルに陥り、結果的に我慢の限界が来ますから、怒りが噴き出します。が、同時にそれを許さない脚本がありますから、自分で自分を責めます。直情的に怒りを表現する相手は、どのようにもこの人の怒りを利用します。お互いにお互いを脚本を利用しあっている いたちごっこなのです。

    これらの怒りは、自分に気がついて欲しいICがいるよって教えてくれています。
    言い換えると、気が付かない自分自身に怒っているのです。
    それを、怒りのきっかけになった相手に対して向けているから、ICは救われないまま居座ってしまいます。

    まずは、口に出してあげてください。
    ばっかやろー!
    腹が立つー!
    むかつく−!
    ちくしょー!
    同じ言葉でも構いません。口汚くて構いません。むしろ口汚く言ってください。
    なにを言おうかと考えなくて良いです。
    考えてると思ったら、「考えるなー。」と言ってもいいでしょう。
    怒れない人の中には、言葉遣いや表現の荒々しさを禁止されて育っている方も多いです。
    カウンセリングでは、私がご本人の代わりに口汚く表現すると嬉しそうにされますし、回を重ねるうちに、自分の言葉で表現出来るようになってゆきます。
    人が聞いていない場所で、思い切って言ってください。

    怒りが言い尽くされた頃に、別の感情が湧いてきます。
    それを言葉で表現してあげてください。

    忘れていた記憶が出てくることも多々あります。
    記憶とともに出てきたICの気持ちを言ってあげてください。
    芋づる式に記憶が出てくる場合もあります。
    記憶という頼りなさが「思い出」になってゆくこともあります。

    気持ちにいいも悪いもありません。
    気持ちを言うことでいろいろな気持ちを許せるようになります。
    いろいろな気持ちとは、自分の気持ちであり、他人の気持ちでもありましょう。
    誰のものともなく「気持ち」を「そうかそうか」と聴して(ゆるして)聴ける(きける)ようになることと思います。


    ※母は、昨日退院し、点滴の影響か180まで血圧が上がったものの、今は安定して自宅療養しているとのこと。麻痺はしばらく続くとのこと。このまま元気になりますように。高山からやってきた義父も千葉に慣れてきたし、義母は「もう雪国はいや!」と断言しています。みんなみんな、つつがなく過ごせますように。




    心のコップがいっぱいの親御さん
    子育ての愛に混じり気ないですか
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    ★母の入院

    弟夫婦も共働きで忙しいし、姉に電話したくらいだからと母に数回電話してみるも出ません。
    メールをしたら、
    「体じゃなくて、左の耳だけです。入院は10日くらいだから。毎日点滴なので、部屋で電話をかけれないの。心配させてごめんね。」と返信がありました。

    去年、同居の義母が右太ももに帯状疱疹をやった時は、かなり痛みがありました。幸いにも、早い発見で自宅で1週間で治りましたが、少し遅れたら入院だったところです。
    「左耳だけで」と、大したことなさそうに書かれているけれど、自宅療養出来ないくらい悪いんじゃないのかなぁ、それとも脳に近いから入院必至なのかなぁと気になります。

    「耳 帯状疱疹」で検索してヒットした記事「後遺症が怖い!耳帯状疱疹にかかった体験談」に、〔もっと遅ければ入院して、1日3回の点滴で薬を入れなくてはいけないところでした。」とそう言われました。〕とあり、我慢して悪化させたんじゃないの?という疑いが湧きました。


    先日、Mちゃん(弟の奥さん)と電話がつながったところ、少し様子がわかりました。

    母は左側が麻痺して頭痛が酷いので、脳外科に行って検査をしたら異常なしだったこと。Mちゃんが、左側の耳の中を見て、「腫れているから耳鼻科も行った方がいいと思う」と勧めてくれて、耳鼻科ですぐに紹介状を書いてくれたこと。
    母が「午後に行く」と言ったら、 Mちゃんが「早く行った方が良い」とアドバイスをくれて、そのまま入院になったこと。
    急に入院になっても良いように、数日前からMちゃんが「何かあった時のために入院準備もした方が良い」と言ってくれて、母も準備をしていたこと。なので、慌てることなく入院出来たようです。
    (Mちゃんに感謝感謝です。)





    ★母のインナーチャイルド

    このことを英司に話したら、やや一ヶ月前に、ブログの予約記事で「顔の左側」と「顔の右側」を書いていたと言うではありませんか。母のICの念力かもしれませぬ。
    引用-------------------

    顔の半面だけまぶたが垂れ下がったり、顔面神経麻痺になったりすることもありますが、それはIPとICの闘いが顔に表れているのかもしれません。その闘いには様々なパターンがあります。

    ここまで-------------

    これは思い当たりますねぇ。
    まずは子どもたち(私たち)の変化です。
    以前は、私が母に対する怒りを表現すると、姉は「もう、年なんだし、この年で変われっていっても無理だし、仕方ないよ〜。」といい、妹は「お母さんは、ずっと苦労してきたし、今も苦労しているからかわいそう。」と言っていました。弟は、「Mがよくやってくれてるよ。」と言いうくらいで、母の愚痴をあまり聞いたことがありません。 
    それが、最近では、たまに話す電話で、姉のICが出てくるようになりました。そうなると、母と接することに平静ではいられなくなります。弟も一昨年あたりから、母に対する気持ちを表現するようになったと感じていましたが、先日の電話では、「俺、もう我慢するの止めた。」と宣言しました。
    これらの流れの中に母はいます。5~6年前だったかなぁ、私のICを伝えていた時、母が逃げきれなくなって、ついに母のICが噴き出たこともありました。子どもの頃を思い出してわんわん泣きました。初めて見た母ですし、初めて聞く話ですし、そんな我慢すな!と思いました。
    この時、私のICを母は受け止めませんでしたが、母のICが出たことが未来の種まきになっていると感じました。
    その後の子どもたちの変化がありますから、母の無意識の領域では、IPとICの闘いが起こっていて、今回は顔に表れたのだろうと感じています。
    自分のICを解放していないから、子どもたちのICを見ることは辛く苦しく、受け止められるものではありません。とはいえ、それでも、生きている間は関わらないわけにいきませんし、我慢をするつもりはありません。
    伝えたい気持ちは伝えようと思っています。受け止めるかどうかは相手の問題ですし、怒りの礫を投げるつもりはありません。


    引用------------------

    ・IP(左脳)の強烈な感情禁止令で特に右側が無表情となり(=常に緊張し続けて無表情を保ち)、その蓄積疲労で伸びきったゴムのように右半分が垂れ下がる。
    ・逆に、右半分は外に見せるための(脚本ちゃんの)表情を作るが、左半分は凍結した心(小さいちゃん)が表れており、それが硬化して麻痺となる。

    ここまで-----------

    母の左側が、まさにこのようになっていたようです。
    姉が「入院って一体何事だろう?」と慌てたわけですが、母は入院が決まってから姉に電話をしたものの、麻痺で発音がもどかしく、最小限の言葉でに伝えたのでしょう。
    実は、入院患者の母が姉に電話をかけるのも不自然なのです。弟夫婦が、身内に迷惑をかけないように気遣うことも想像できます。しかし、遠方の私はともかく、地元の身内には「お見舞いに行ってあげて」と連絡することも容易に想像できます。
    むしろ母が、身内にも他人にも迷惑をかけないように振る舞いますから、今回はよほど不安だったのでしょう。一度は、脳梗塞も覚悟して脳外科にも行ったほどですから、怖くないわけありません。「こわいよぉ」「こわいよぉ」という子を押し込めて、我慢した結果の入院です。
    入院が決まって、ICはほっとしたことでしょう。(やっと我慢してくていいんだ・・・。)
    こんな時にすることは、気持ちを口に出してあげることです。
    ですが、母の意識は外に向いて、姉を代理親にしてしまったのですね。それが、留守電の「昨日入院した」です。
    「お見舞いに来てね。」とか「寂しい」とか言えばいいものを、可愛くないですねぇ。まぁ、感情を封じろとばかりに、麻痺して言えなかったのですから仕方ありませんが、私へのメールにも、気持ちは書かれていません。「心配かけてごめんね。」とありますが、これは脚本ちゃんです。





    ★脳内親の受け皿

    引用---------------
    顔の左側だけ凝ったり、引きつったり、痙攣したり、痛くなったりする場合もあります。たとえば、親の受け皿となって生きている人は、その受け皿である姿を脳内母親に見せるために、自分を受け皿にしてくれるハラッサーを見つけて付き合うわけですが、脚本ちゃんは大喜びしても小さいちゃんは苦しんでいるわけです。

    ここまで---------

    ここしばらく忘れていましたが、私は左目全体とその奥に強い痛みが1年になんどか起こっていました。
    その痛みを「左目の悪霊」と言っていました。(昔読んだ漫画のタイトルのもじり)
    カウンセリングの仕事をする少し前の年から、消えていたようです。
    結婚して数年で、万年鼻炎アレルギーになり、その頃からの痛みですから、ずいぶん長いこと続いていたなぁと思います。実は、母のことがあるまで忘れていました。

    私の脚本ちゃんは絶好調に、英司の受け皿として嘆き悲しんでいたことでしょう。その間、私の小さいちゃんは怒りでいっぱいで、その怒りを英司を代理親にしてぶつけていたのです。(あ〜あ。。。)

    母も同様に、祖母への怒りを抑圧して、祖母に捧げたちいさいちゃんの気持ちを語らずにいました。
    「私は、母を悪く言ったことなんかない。」
    「母に対してそんなこと言ったことない。」と抵抗を示す母ですが、この台詞が語るに落ちる、です。
    悪く言ったことがないが、悪く思ったことはありそうですし、言ったことはないが隠していた気持ちがありそうです。そこを指摘すると、「もう、あなたと話してると疲れる。この話はやめよう。」と話題を変えます。
    それでも、たまたま引き出されることもあります。
    「母さんって〜ぶつぶつ。」
    「母さんったら〜ぶつぶつ。」
    本人が意識すると、すぐに引っ込みますけどね。





    ★母の子であってはならない

    祖母が、施設に入った年には、帰省した折に、母に連れていってもらいました。
    母が主体じゃありません。私が母に頼んで連れていってもらったのです。
    この時の母の言い方も思い出します。

    「母さんが施設に入ったんだけど、あなた行きたいかと思って。もし行きたいなら連れて行くけど。」です。
    おばあちゃん子だった私が、いかないわけがありません。
    後でわかったのですが、母は、忙しいからと施設にあまり行っていなかったのです。
    母は、姑を二人と叔母(祖母の姉)を亡くなるまで世話をしていますが、忙しさはあまり変わらなかったと思います。なので、なんでもっと行かないのだろうと不思議でした。
    母の言い訳は、祖母の面倒を見ている弟の嫁に遠慮がある、とか、仕事が忙しいし孫が学校から帰ってくるから、とか、説得力がありません。叔父の奥さんだって、施設に一人でも多くお見舞いに行って刺激を与えてくれたほうが嬉しいと思います。母が働いている時は、Mちゃんは専業主婦でしたし、今だってその頃だって、快く母を送り出してくれると思います。

    母も私同様に、無意識に「母の母であること」を引き受けていましたから、子どもとしては自分から繋がれないのでしょう。私を引き合わせた時も、数メートル離れたところに立っていて、不自然で仕方がありませんでした。




    ★母への嫉妬

    「もっと近くにおいでよ。」と誘うと母が来ます。
    祖母は少し呆けて、私の顔も忘れていたのに、母の顔を見たら「あら、H子じゃないかい?」と言います。
    その時、照れ臭そうだけど得意げな様子で「私だけはわかるみたいなんだー。」と言いました。いらっとしてむかっと来ました。羨ましかったんです。

    祖母が寂しくないようにと「もっとH子に来てほしいよねぇ。」というと、祖母は「うん。寂しいから来て欲しいねぇ。」と言います。
    母が「忙しいんだわぁ。」というので、私が「ちょっとでも顔見せてほしいよねぇ。」というと、祖母が「うん。ちょこっとでも会いたいねぇ」と言います。
    母が直接「母さん。忙しいからなかなか来れなくてさぁ。」と言ったら、「仕方ないよねぇ。みんな忙しいもんねぇ。」と言います。
    私の勝手な思いですが、茶番に付き合わされているようでどっと疲れ、哀しく寂しい気持ちになりました。祖母が覚えているのは母の顔、どんなに私が祖母を大好きでもです。
    「私、眞智子だよ。」というと「いやさ、おっきくなったねぇ。」と言い、白内障と強い近眼の目で(メガネなしで)私をまじまじと見て、「ああ、ほんとうだ!」と言います。意地悪して、「H子ってどんな子だった?」と聞くと「おっとりしたやさしい子だったよぉ。」と言います。「Eは?」と聞くと、「おとなしくていい子だったよぉ。」と言います。「いや、わがままだったっしょ。」と言うと「そういうとこもあったかねぇ。」と言います。なんだ、この仏っぷりは、と思いましたが、これが長寿の多幸感というものかもしれません。この仏っぷりを道具にして、母に意地悪もしました。(自分にごめんなさい。母にもごめんなさい。)





    ★見捨てられた子の怒り

    帰ってから母が
    「あんな母さんを見るのが辛い。」と言いましたが、それもダミーです。見るのが辛いけど見たいし、会いたいし、おしゃべりしたいし、撫でたいし、触りたい気持ちを私自身は知っています。母の本当の気持ちは、ずっと親子逆転だったこと、子どもとしては見捨てられていたことに対する怒りがまずあると思います。その奥にICが隠れています。怒りさえ直視しないから、その奥のICに届くわけもありません。いろいろ理屈をつけては、行事で誘われたり、私に頼まれないと実母に会いに来ないのです。

    同じ脚本を私に植え付けた母の仕打ちは、「正しい絶望」と「清々しい誕生」に一例を書いていますが、まーだまだあります。思い起こせば、私が母のことを、母親と実感できないのは無理もないことでした。私の中に、マグマのような怒りと悲しみが、あまりにも奥深くのひだに仕舞われていました。
    5歳までは祖母に育てられ、6歳から姉と母と暮らし始めたので、なかなか母に馴染まなかったーなどという表向きの理由をつけて、その傷は巧みに隠されていました(無意識が隠していました)。
    それを直視すると、自分が「見捨てられた子」だと自覚しなくてはならないので、なかなかできませんでした。

    実父は姉を欲しがり、離婚後、母は私を祖母に与えたのです。私は、祖母に可愛がられましたし、10歳上の叔母は「500円で欲しい。」と言ったそうです。子どもには大金だったので語り継がれましたが、お金で買う発想が怖いです。
    その叔母は別々に住むまで、よく映画に連れて行ってくれました。大人に嫌われた記憶がないし、可愛がられた記憶しかない幼少時なので、自分が「見捨てられた可哀想な子」だなんて想像もしませんでした。15で出会った親友が、「眞智子って赤毛のアンみたい。」と言いましたが、読んだことがないので、なんのことやら?と思いました。親友は、私の事情は知りませんでしたから、当時の私の自論ー「思いやりは想像力」に対して言ったんだと今はわかります。
    「眞智子は人を諦めないよねぇ。」というのも、彼女に言われましたが、人(が変わることの可能性)を諦めることは自分を見捨てることだと、どこかで察知していたのかもしれません。
    すでに「見捨てられている子」の怒りを、当時は今よりもっと感じていた気がしますが、漠として飄々としていて、その割り切れなさを自己流哲学でなだめて生き延びてきたように感じます。





    ★怒りは自分に気づいて欲しいICがいる証

    怒りは、どんなに平静にしていても、きっかけがあれば出てきます。上にもその場面が書いてありますね。
    自分の気持ちを無視すると、怒らせた相手のせいにできます。
    上に「いらっとしてむかっときて、羨ましかった」と書いていますが、羨ましいという気持ちに気が付けなかったら、いらっとしてむかっとした気持ちを母にぶつけていただろうと容易に想像出来ます。
    ぶつける理由はいろいろ使えるネタがありますね。

    「なんでもっと喜ばないの!?」
    「なんでもっと行ってあげないの?」
    「かわいそうだと思わないの?」
    「姑を看取ったって自慢するけど、実の母親にはどうなのよ!?」
    なーんぼでも使えますね。おぞましいことに。


    「わかりやすい怒りは、相手が反論しやすいからマシ」という人もいます。私も、そうかなぁと思ったこともありましたが、これは、直情的激昂が出来る人の自己弁護です。こういう人は、怒りをぶつけられたら、わかりやすく反論するのだと自ら言っているのでしょう。他の感情は抑圧しても、怒りは我慢しない人生脚本もあります。(その意味は人それぞれ違うでしょうけれど)

    そういう怒りをぶつけられる側からしたら、いつキレるかわかりませんから、相手が笑っている時でさえ気が抜けず、つねに緊張して付き合わねばなりません。ディリーハッスルに陥り、結果的に我慢の限界が来ますから、怒りが噴き出します。が、同時にそれを許さない脚本がありますから、自分で自分を責めます。直情的に怒りを表現する相手は、どのようにもこの人の怒りを利用します。お互いにお互いを脚本を利用しあっている いたちごっこなのです。

    これらの怒りは、自分に気がついて欲しいICがいるよって教えてくれています。
    言い換えると、気が付かない自分自身に怒っているのです。
    それを、怒りのきっかけになった相手に対して向けているから、ICは救われないまま居座ってしまいます。

    まずは、口に出してあげてください。
    ばっかやろー!
    腹が立つー!
    むかつく−!
    ちくしょー!
    同じ言葉でも構いません。口汚くて構いません。むしろ口汚く言ってください。
    なにを言おうかと考えなくて良いです。
    考えてると思ったら、「考えるなー。」と言ってもいいでしょう。
    怒れない人の中には、言葉遣いや表現の荒々しさを禁止されて育っている方も多いです。
    カウンセリングでは、私がご本人の代わりに口汚く表現すると嬉しそうにされますし、回を重ねるうちに、自分の言葉で表現出来るようになってゆきます。
    人が聞いていない場所で、思い切って言ってください。

    怒りが言い尽くされた頃に、別の感情が湧いてきます。
    それを言葉で表現してあげてください。

    忘れていた記憶が出てくることも多々あります。
    記憶とともに出てきたICの気持ちを言ってあげてください。
    芋づる式に記憶が出てくる場合もあります。
    記憶という頼りなさが「思い出」になってゆくこともあります。

    気持ちにいいも悪いもありません。
    気持ちを言うことでいろいろな気持ちを許せるようになります。
    いろいろな気持ちとは、自分の気持ちであり、他人の気持ちでもありましょう。
    誰のものともなく「気持ち」を「そうかそうか」と聴して(ゆるして)聴ける(きける)ようになることと思います。


    ※母は、昨日退院し、点滴の影響か180まで血圧が上がったものの、今は安定して自宅療養しているとのこと。麻痺はしばらく続くとのこと。このまま元気になりますように。高山からやってきた義父も千葉に慣れてきたし、義母は「もう雪国はいや!」と断言しています。みんなみんな、つつがなく過ごせますように。




    心のコップがいっぱいの親御さん
    子育ての愛に混じり気ないですか
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    【2015/04/14 18:30】 | 人生脚本
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  脳内親  無意識  怒り  ハラッシー  ハラスメント  インナーペアレンツ  受け皿  気持ち  
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    youyouさん
    中尾真智子
    > まさに自分のこととして読みました。
    > 泣きました。

    ありがとうございます。

    > 私も、母に怒りの礫をぶつけるのではなく、自分のために、一人で自分の口で怒りの気持ちを表現して、隠された本当の気持ちに気づくようにしたいと思います。
    > そして、自分のICは、怒りという形ではなく、伝えていけばいいですね。
    > 淡々と伝え続けようと思います。

    応援しています。

    > 本当にありがとうございました。

    こちらこそ、読んでいただいてありがとうございました。e-113

    ありがとうございました
    youyou
    まさに自分のこととして読みました。
    泣きました。

    私も、母に怒りの礫をぶつけるのではなく、自分のために、一人で自分の口で怒りの気持ちを表現して、隠された本当の気持ちに気づくようにしたいと思います。

    そして、自分のICは、怒りという形ではなく、伝えていけばいいですね。
    淡々と伝え続けようと思います。

    本当にありがとうございました。



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    この記事へのコメント
    youyouさん
    > まさに自分のこととして読みました。
    > 泣きました。

    ありがとうございます。

    > 私も、母に怒りの礫をぶつけるのではなく、自分のために、一人で自分の口で怒りの気持ちを表現して、隠された本当の気持ちに気づくようにしたいと思います。
    > そして、自分のICは、怒りという形ではなく、伝えていけばいいですね。
    > 淡々と伝え続けようと思います。

    応援しています。

    > 本当にありがとうございました。

    こちらこそ、読んでいただいてありがとうございました。e-113
    2015/04/17(Fri) 08:27 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    ありがとうございました
    まさに自分のこととして読みました。
    泣きました。

    私も、母に怒りの礫をぶつけるのではなく、自分のために、一人で自分の口で怒りの気持ちを表現して、隠された本当の気持ちに気づくようにしたいと思います。

    そして、自分のICは、怒りという形ではなく、伝えていけばいいですね。
    淡々と伝え続けようと思います。

    本当にありがとうございました。

    2015/04/15(Wed) 22:41 | URL  | youyou #-[ 編集]
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