家族カウンセラーの想いつれづれ
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこから降りる】

    誰か(自分や相手)のせいにして悪者を作る発想を手放さないと変わりません。

    気がついた方が変わるしかありません。

    そもそも、ハラッサーもハラッシーも、両親のどちらも見て育っていますから、どっちにもなれる要素があるのです。
    たとえば、ハラッサーはもとは親の期待の受け皿として存在していましたから、いわば「存在自体が受け皿」ですから究極です。親の期待に添うように見えない努力を一生懸命していますが、親からの重圧に対し無意識に抱えこんだ怒りは外に向かいます。親は、怒りっぽい子と扱いますが、実際は、この子が親以外と繋がらないようにしむけています。

    大人になっても、子ども時代に親の支配をなすがまま受けるしかなかった無力感を持ち続けて、当時の親に対する怒りを抱えたまま、親に同化せざるを得なかった自分自身に怒っているのでしょうけれど、身近な人を代理親にして怒りをぶつけます。

    ほんとうは、あるがままの自分を受けとめてもらえなかった哀しさ寂しさを抱え続けています。自己評価が高くなければならない脚本ですから孤高を保ち孤独です。その実、そのような振る舞いをすることで、親を安心させて支えていますから、十分に受け皿をやっているのです。



    たとえば、ハラッシーは子どもの頃から親の健やかな穏やかな笑顔を見たくて、道化役をして才能を隠しながら発揮して親を守りつづけます。やってもやっても報われない怒りを潜在的に抱えながら、「親を支える受け皿」として人生脚本を着々と歩き続けます。

    大人になっても、親を傷つけないように支え続けます。実際は、親の無意識はこの子をターゲットにして「自分の支え手」に育てていますが、本人の無意識はそこに気がつかないように曖昧にして、身近な人を代理親にして受け皿をやってしまいます。

    ほんとうは、健気な頑張りや思いやりを認めてもらえなかった哀しさ寂しさを抱え続けています。自己評価が低くなければならない脚本です。その実、そのような振る舞いをしなければならない情けない親に対して心の奥底で嫌悪(攻撃性)を隠しています。


    どちらも、子どもの気持ちをありのまま受け止めてもらえませんでした。
    なので、どちらも(解って欲しい)と求め続けては(解ってくれない)と嘆きます。



    このように、ハラッサーもハラッシー要素を隠し持っているし、ハラッシーもハラッサー要素を隠し持っています。


    ところが、自分がハラッサーだと気づけた人でも、ハラッシーのことを「頭が悪い!」「気が利かない!」「ダメな奴!」と見下して怒っていましたから、自分にハラッシーの部分があることにピンと来ません。


    自分をハラッシーだと気づけた人も、ハラッサーのことを(ワガママ!)(気分屋!)(暴君!)と内心で見下していましたから、自分がハラッサーだなんて思いも寄らないでしょう。


    自分が気づけた側に身を置いて、そこで安心して相手のせいにしていたらなんにも変わりません。


    ハラッサーは自分に反撃する相手を打ち負かすか無視するかですから、攻撃されることに不慣れです。なので、ハラッシーがハラッサーになった時の攻撃を見て、ハラッシーの怒りは自分を超えると勘違いしたりします。そして更に深く相手を憎みます。


    ハラッシーは、自分と比べて沸点の低いハラッサーに対して怒りを隠し持っていますから、時にハラッシーハラッサーとなって相手を傷つけますが、その後(やっぱり自分の我慢が足りないんだ)と定位置に落ち着き、ハラッサーの一徹した攻撃には敵わないと勘違いしたりします。


    どちらも、ハラッサー(ハラッシー)で居るためにあの手この手の手腕を発揮しているのに、自分の事は見えず相手のやり口だけ見えてしまいますから、結局は相手のせいにしてしまいます。


    実際、色々なケースが見られますがどっちもどっちです。




    時には、ハラッサーは(自分が全て悪かったんだ)と(相手より自分が悪かった、相手には大変申し訳なかった)と自分を責めるハラッシーぶりを発揮したりします。

    ハラッシーは(私は悪くなかったんだ)と相手を責めるハラッサーぶりを発揮して、(これからは相手よりも自分を大事にする!)と決心したりします。


    そこも通り道かもしれませんが、極端から極端にぶれています。
    また、相手と自分を比較していることに気がついて欲しいです。

    誰かのにせいにして誰かを道具にする人生を終わりにしたいのなら、どちらかがどうという比較自体が無意味だと思い至って欲しいです。

    自分自身と向き合う時は、実は相手は要りません。
    徹底して自分の内側に入り、親子の連鎖を辿ります。
    頭でわかっていたものが実感となって棚卸しが出来た時には、鏡になってくれた相手に感謝さえ沸くことでしょう。



    どっちもどっちの【いたちごっこ】から【お互い様】に気がついて、自然体の【おかげさま】という素直な気持ちに至るのでしょう。

    その過程は、その人の持つ人生脚本、そこで身に付いた考え癖や行動の癖(生き癖)が違うように、それぞれがオリジナルです。

    早く色々解ったのに、後から追いつけない気持ちが出てきてあたふたしたり、亀のあゆみのように見えながら、時期が来てオセロのようにいっぺんにひっくり返ることもあります。

    大丈夫。 一歩一歩、歩いていれば行きたい所に行けます。
    急がず焦らずていねいに参りましょう。



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    追記を閉じる▲
    たとえば、ハラッサーはもとは親の期待の受け皿として存在していましたから、いわば「存在自体が受け皿」ですから究極です。親の期待に添うように見えない努力を一生懸命していますが、親からの重圧に対し無意識に抱えこんだ怒りは外に向かいます。親は、怒りっぽい子と扱いますが、実際は、この子が親以外と繋がらないようにしむけています。

    大人になっても、子ども時代に親の支配をなすがまま受けるしかなかった無力感を持ち続けて、当時の親に対する怒りを抱えたまま、親に同化せざるを得なかった自分自身に怒っているのでしょうけれど、身近な人を代理親にして怒りをぶつけます。

    ほんとうは、あるがままの自分を受けとめてもらえなかった哀しさ寂しさを抱え続けています。自己評価が高くなければならない脚本ですから孤高を保ち孤独です。その実、そのような振る舞いをすることで、親を安心させて支えていますから、十分に受け皿をやっているのです。



    たとえば、ハラッシーは子どもの頃から親の健やかな穏やかな笑顔を見たくて、道化役をして才能を隠しながら発揮して親を守りつづけます。やってもやっても報われない怒りを潜在的に抱えながら、「親を支える受け皿」として人生脚本を着々と歩き続けます。

    大人になっても、親を傷つけないように支え続けます。実際は、親の無意識はこの子をターゲットにして「自分の支え手」に育てていますが、本人の無意識はそこに気がつかないように曖昧にして、身近な人を代理親にして受け皿をやってしまいます。

    ほんとうは、健気な頑張りや思いやりを認めてもらえなかった哀しさ寂しさを抱え続けています。自己評価が低くなければならない脚本です。その実、そのような振る舞いをしなければならない情けない親に対して心の奥底で嫌悪(攻撃性)を隠しています。


    どちらも、子どもの気持ちをありのまま受け止めてもらえませんでした。
    なので、どちらも(解って欲しい)と求め続けては(解ってくれない)と嘆きます。



    このように、ハラッサーもハラッシー要素を隠し持っているし、ハラッシーもハラッサー要素を隠し持っています。


    ところが、自分がハラッサーだと気づけた人でも、ハラッシーのことを「頭が悪い!」「気が利かない!」「ダメな奴!」と見下して怒っていましたから、自分にハラッシーの部分があることにピンと来ません。


    自分をハラッシーだと気づけた人も、ハラッサーのことを(ワガママ!)(気分屋!)(暴君!)と内心で見下していましたから、自分がハラッサーだなんて思いも寄らないでしょう。


    自分が気づけた側に身を置いて、そこで安心して相手のせいにしていたらなんにも変わりません。


    ハラッサーは自分に反撃する相手を打ち負かすか無視するかですから、攻撃されることに不慣れです。なので、ハラッシーがハラッサーになった時の攻撃を見て、ハラッシーの怒りは自分を超えると勘違いしたりします。そして更に深く相手を憎みます。


    ハラッシーは、自分と比べて沸点の低いハラッサーに対して怒りを隠し持っていますから、時にハラッシーハラッサーとなって相手を傷つけますが、その後(やっぱり自分の我慢が足りないんだ)と定位置に落ち着き、ハラッサーの一徹した攻撃には敵わないと勘違いしたりします。


    どちらも、ハラッサー(ハラッシー)で居るためにあの手この手の手腕を発揮しているのに、自分の事は見えず相手のやり口だけ見えてしまいますから、結局は相手のせいにしてしまいます。


    実際、色々なケースが見られますがどっちもどっちです。




    時には、ハラッサーは(自分が全て悪かったんだ)と(相手より自分が悪かった、相手には大変申し訳なかった)と自分を責めるハラッシーぶりを発揮したりします。

    ハラッシーは(私は悪くなかったんだ)と相手を責めるハラッサーぶりを発揮して、(これからは相手よりも自分を大事にする!)と決心したりします。


    そこも通り道かもしれませんが、極端から極端にぶれています。
    また、相手と自分を比較していることに気がついて欲しいです。

    誰かのにせいにして誰かを道具にする人生を終わりにしたいのなら、どちらかがどうという比較自体が無意味だと思い至って欲しいです。

    自分自身と向き合う時は、実は相手は要りません。
    徹底して自分の内側に入り、親子の連鎖を辿ります。
    頭でわかっていたものが実感となって棚卸しが出来た時には、鏡になってくれた相手に感謝さえ沸くことでしょう。



    どっちもどっちの【いたちごっこ】から【お互い様】に気がついて、自然体の【おかげさま】という素直な気持ちに至るのでしょう。

    その過程は、その人の持つ人生脚本、そこで身に付いた考え癖や行動の癖(生き癖)が違うように、それぞれがオリジナルです。

    早く色々解ったのに、後から追いつけない気持ちが出てきてあたふたしたり、亀のあゆみのように見えながら、時期が来てオセロのようにいっぺんにひっくり返ることもあります。

    大丈夫。 一歩一歩、歩いていれば行きたい所に行けます。
    急がず焦らずていねいに参りましょう。



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    【2014/12/02 21:45】 | ハラスメント
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    しょうこさん
    中尾真智子
    > 20年くらい続く、“気づけば始まるいたちごっこ”に
    > 終止符を打てそうです^^♪

    終止符を打てると良いですね。^^

    ももさん
    中尾真智子
    > 私に思い当たるとこがいっぱいありました!!どうす れば向き合えるかまだわからないけど、少しずつ進んでいきたいです

    まずは、今の自分自身をまるごと受け止める覚悟からかなと。^^


    おまじない
    しょうこ
    「いたちごっこから降りる」
    という言葉がおまじないのように作用しています。
    20年くらい続く、“気づけば始まるいたちごっこ”に
    終止符を打てそうです^^♪


    少しずつ
    もも
    私に思い当たるとこがいっぱいありました!!どうす れば向き合えるかまだわからないけど、少しずつ進んでいきたいです

    コメントを閉じる▲
    コメント
    この記事へのコメント
    しょうこさん
    > 20年くらい続く、“気づけば始まるいたちごっこ”に
    > 終止符を打てそうです^^♪

    終止符を打てると良いですね。^^
    2015/04/13(Mon) 16:07 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    ももさん
    > 私に思い当たるとこがいっぱいありました!!どうす れば向き合えるかまだわからないけど、少しずつ進んでいきたいです

    まずは、今の自分自身をまるごと受け止める覚悟からかなと。^^
    2015/04/13(Mon) 15:52 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    おまじない
    「いたちごっこから降りる」
    という言葉がおまじないのように作用しています。
    20年くらい続く、“気づけば始まるいたちごっこ”に
    終止符を打てそうです^^♪
    2015/02/17(Tue) 14:00 | URL  | しょうこ #-[ 編集]
    少しずつ
    私に思い当たるとこがいっぱいありました!!どうす れば向き合えるかまだわからないけど、少しずつ進んでいきたいです
    2014/12/16(Tue) 17:09 | URL  | もも #vF3dey8o[ 編集]
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