家族カウンセラーの想いつれづれ
    『赦し(許し)』は『怒り』『憎悪』『嫉妬』『執着』等々の負の感情を無視しては到底辿り着けません。

    【負の感情】の根源=『傷』を見ないと辿り着けないところが『赦し(許し)』だと、常々感じています。

    しかも『赦す(許す)』のはまず自分である。自分を赦すと言っても「自分の言動を言い訳して甘やかす」のとは意味が違います。

    先日、私は以下のようにツィートしました。

    -----------
    どこまで人を許せるだろう。
    どこまで人を愛せるだろう。
    若かった私がヘタクソだった人生の傷、今目の前に違う姿で現れて、時にトラウマに襲われながら、あの頃悼んであげられなかった負の感情をだきしめてやるのです。
    -----------

    思わずフラッシュバックにあった時のつぶやきでした。

    まだ、癒えてない傷を発見出来たから、ありがたいフラッシュバックではありましたが、この言葉が、「赦しが癒しの第一歩」とか「赦しが癒しの唯一の方法」とか印象でそう受け取られる場合を懸念して書いておこうと思います。

    というのも、「赦しが癒しの第一歩」とか「赦しが癒しの唯一の方法」と言っているカウンセラーが多い、という一文をネットで見かけたからです。

    どういう文脈でこのように書かれているかわからないし、知らなくても良いのですが、簡単にこのように言っているカウンセラーがいたとしたら大層心配なことです。少なくとも、私を含め私の周囲には、まず『赦せ』と言うカウンセラーはいません。

    先のツィートですが、実は、浮かぶ流れで「どこまで人を許せるだろう。どこまで人を愛せるだろう。」と書いて、すぐにこの言葉では足りないと書いたのが、『若かった私がヘタクソだった人生の傷、今目の前に違う姿で現れて、時にトラウマに襲われながら、あの頃悼んであげられなかった負の感情をだきしめてやるのです。』という言葉でした。

    ツィートなので、瞬時に出来上がった言葉であり深い考察はありませんが、今読んでも納得しています。



    紆余曲折はさておき、20代の頃の私が、色々な場面で、ある人の言動に傷ついて「傷つけられた。」という言い訳に逃げていたということ。
    その傷をながらく放置したのは自分自身だということ。

    つまりは、若かりし私自身の問題だったのだと自分自身に書いているツィートでもありました。
    更には、源家族での生育歴の問題でもあり、家族間連鎖の問題でもあります。





    周囲を見ていて、生育歴で負の受け止められ体験をいっぱい持つ人は、【負の感情】を見ることを恐れないように感じます。

    小さいことで腹を立てないし、日常的に自他を許せるから、気を許せる友人も多いなぁと感じます。

    【負の感情】を受け入れることが出来る(負の感情を持ち続けるという意味ではない)人の多くは、平時にはカウンセリングを必要としないでしょう。

    【負の感情】と向き合うことが出来る人は、ピアカウンセリング(同じ背景を持つ人同志が、対等な立場で時間を対等に分け合って、話しを聞き合う。 )の友人を作れるのではないでしょうか。

    しかし諦めることはありません。

    自分の傷を見る勇気と覚悟があれば、自分自身の傷を受け止めることが出来ます。

    自分の気持ちより相手を優先したり、相手を無視して自分を優先したりのハラスメントから抜け出せます。

    自律してゆくと、おのずと自他の境界線が出来るようになるし、常に向き合うのは自分自身だから相手に投影しなくなります。

    すると、相手のために腹を立てたり、我慢したりする時間がどんどん減ってゆくでしょう。

    これは私の実感なので、そうなるかどうかの保証は出来ないけれど、そうなりたい人はなってゆくと強く感じます。





    苦しい旅です。

    かさぶたを剥がしたら、まだ生々しい傷があった。

    かさぶたで治る傷じゃなかった。

    かさぶたはただ傷を隠していただけでその中でずっと膿んでいた。

    そんな傷をずっと持ち続けて我慢し続けたり、「痛い痛い」と「苦しい」「哀しい」「寂しい」と嘆き続けていたのです。

    その脚本人生を終わりに出来るのは自分自身です。






    ※この記事は、FBで書き始めていたのですが、長くなったのでブログに載せました。今、読み返したら、機能的な文字で暖かみがないので、敬語にして読みやすく行間を空けてみました。
    ツィッターもFacebookも、震災後の情報源として始めましたが、ブログを書く時と全然違うと自分でも驚きました。
    SNSは、自分のメモのように使ったり、情報の共有として利用しているので、人に語りかけるようには書いていないのですねー。
    日常的に流れてゆく小川(SNS)に、色々な葉っぱが浮かんでは消え、特に心に惹かれたものに目が留まるという感じでしょうか。
    そのように利用しているSNSですが、書かれている記事から、人のやさしさ、思いやり、葛藤などを見かけます。すると、心はじゅわんとあたたかいもので包まれ、愛燦々が私の中で流れます。(^^)



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    先日、私は以下のようにツィートしました。

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    どこまで人を許せるだろう。
    どこまで人を愛せるだろう。
    若かった私がヘタクソだった人生の傷、今目の前に違う姿で現れて、時にトラウマに襲われながら、あの頃悼んであげられなかった負の感情をだきしめてやるのです。
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    思わずフラッシュバックにあった時のつぶやきでした。

    まだ、癒えてない傷を発見出来たから、ありがたいフラッシュバックではありましたが、この言葉が、「赦しが癒しの第一歩」とか「赦しが癒しの唯一の方法」とか印象でそう受け取られる場合を懸念して書いておこうと思います。

    というのも、「赦しが癒しの第一歩」とか「赦しが癒しの唯一の方法」と言っているカウンセラーが多い、という一文をネットで見かけたからです。

    どういう文脈でこのように書かれているかわからないし、知らなくても良いのですが、簡単にこのように言っているカウンセラーがいたとしたら大層心配なことです。少なくとも、私を含め私の周囲には、まず『赦せ』と言うカウンセラーはいません。

    先のツィートですが、実は、浮かぶ流れで「どこまで人を許せるだろう。どこまで人を愛せるだろう。」と書いて、すぐにこの言葉では足りないと書いたのが、『若かった私がヘタクソだった人生の傷、今目の前に違う姿で現れて、時にトラウマに襲われながら、あの頃悼んであげられなかった負の感情をだきしめてやるのです。』という言葉でした。

    ツィートなので、瞬時に出来上がった言葉であり深い考察はありませんが、今読んでも納得しています。



    紆余曲折はさておき、20代の頃の私が、色々な場面で、ある人の言動に傷ついて「傷つけられた。」という言い訳に逃げていたということ。
    その傷をながらく放置したのは自分自身だということ。

    つまりは、若かりし私自身の問題だったのだと自分自身に書いているツィートでもありました。
    更には、源家族での生育歴の問題でもあり、家族間連鎖の問題でもあります。





    周囲を見ていて、生育歴で負の受け止められ体験をいっぱい持つ人は、【負の感情】を見ることを恐れないように感じます。

    小さいことで腹を立てないし、日常的に自他を許せるから、気を許せる友人も多いなぁと感じます。

    【負の感情】を受け入れることが出来る(負の感情を持ち続けるという意味ではない)人の多くは、平時にはカウンセリングを必要としないでしょう。

    【負の感情】と向き合うことが出来る人は、ピアカウンセリング(同じ背景を持つ人同志が、対等な立場で時間を対等に分け合って、話しを聞き合う。 )の友人を作れるのではないでしょうか。

    しかし諦めることはありません。

    自分の傷を見る勇気と覚悟があれば、自分自身の傷を受け止めることが出来ます。

    自分の気持ちより相手を優先したり、相手を無視して自分を優先したりのハラスメントから抜け出せます。

    自律してゆくと、おのずと自他の境界線が出来るようになるし、常に向き合うのは自分自身だから相手に投影しなくなります。

    すると、相手のために腹を立てたり、我慢したりする時間がどんどん減ってゆくでしょう。

    これは私の実感なので、そうなるかどうかの保証は出来ないけれど、そうなりたい人はなってゆくと強く感じます。





    苦しい旅です。

    かさぶたを剥がしたら、まだ生々しい傷があった。

    かさぶたで治る傷じゃなかった。

    かさぶたはただ傷を隠していただけでその中でずっと膿んでいた。

    そんな傷をずっと持ち続けて我慢し続けたり、「痛い痛い」と「苦しい」「哀しい」「寂しい」と嘆き続けていたのです。

    その脚本人生を終わりに出来るのは自分自身です。






    ※この記事は、FBで書き始めていたのですが、長くなったのでブログに載せました。今、読み返したら、機能的な文字で暖かみがないので、敬語にして読みやすく行間を空けてみました。
    ツィッターもFacebookも、震災後の情報源として始めましたが、ブログを書く時と全然違うと自分でも驚きました。
    SNSは、自分のメモのように使ったり、情報の共有として利用しているので、人に語りかけるようには書いていないのですねー。
    日常的に流れてゆく小川(SNS)に、色々な葉っぱが浮かんでは消え、特に心に惹かれたものに目が留まるという感じでしょうか。
    そのように利用しているSNSですが、書かれている記事から、人のやさしさ、思いやり、葛藤などを見かけます。すると、心はじゅわんとあたたかいもので包まれ、愛燦々が私の中で流れます。(^^)



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    【2014/10/18 11:47】 |
    【タグ】 人生脚本  怒り  赦し  許し  ハラスメント  家族間連鎖  生育歴  
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