家族カウンセラーの想いつれづれ
    先日、妹と久しぶりに電話で話しました。

    その時に

    「昔、お姉ちゃん〜と思って話した時に、“親でもないのに”って言われたことがあって、哀しかった。」と言われて、はっとしました。そんなことを直接言ったなんて、酷い私です。
    ※いろいろ会話しましたが、このことだけを取り上げて書きますね。(妹が話した他の事は書きません。)

    ずっと、私の中には“親でもないのに”という言葉がいつのまにか住み着いていました。


    私「ごめんね。私自身の問題だったんだよ。私は、小学校1年から、年子のきょうだいのおむつを取り替えて、ミルクを作って飲ませて、隣の千葉医院に連れて行って二人の注射をさせて、そんなだったの。◯(妹の名前)が知らないことだものね。私と母の問題なの。」

    妹「そっかぁ。でも、お母さんは、いい姑の代表みたいな人だと思うよ。」

    私「◯はそう思うのね。◯がそう思うのはいいと思うよ。ただ、母と私、母と姉、母と弟たち、それぞれの関係は違うからさ、私にとってはしんどかったの。」

    妹「そっかぁ。それぞれだもんね。」



    妹たちは、私を母親だなんて思っていないでしょう。しかし、お世話する人という定位置におかれていたのは事実で、平日は給食があるけれど、土日や夏休み(他長い休み)はお昼ご飯を用意するのが当たり前でした。そういう役割を与えて、両親は私を束縛してもいました。そういうつもりがなくても、束縛されていました。



    妹「それは、お父さん(私には養父)が、店にお母さんを縛っていたから。」と妹が言います。


    私も実はそう思っていたんですよね。無意識に、母を庇い続けていました。しかし、我が身を顧みると、母は、子どもの気持ちに寄り添っただろうかと。母も「お父さんが〜」と言いますが、お父さんの言いなりになっていたとしたら、母は自ら道具になっていたのです。そして、無意識に私を道具として使ったのでしょう。


    私「でもさ、◯もそうだし私もそうだけど、我が子のことを思ったら、夫と闘う場面もあったでしょう。譲れないこともあったでしょう。母も頑張ってほしかったよ。」

    妹「たしかにそうだね。」

    私「家に帰る前に、まず店に鍵を取りに寄るでしょう。誰かが先に帰ってても一度は店に寄るんだよね。あの束縛はいらないよ。」



    もちろん、小さい子だったら、“お帰りなさい”を言ってあげたいという親心と思いますが、私は高校生でした。店に必ず周り道してから、自宅まで帰る時間が本当に勿体なくて、限りある私の時間を無駄にしたくなかったです。



    妹「あれね。店の裏からそっと入るんだよね。あれで大変な思いをしたことがある〜。」



    そうそう。家族は裏から入るという決まりがあり、裏の鍵は閉まっているから、「トントン」と叩いて開けてもらう手はずが、なかなか開けてもらえず、冬の寒い中待っていたんだったか、ともかく大変な思いをしたらしいです。律儀過ぎる妹ですが、これが子どもなんです。素直に健気に親の言う通りにするんですよね。



    妹とのやり取りは、この辺までにしておきますが、“親でもないのに”は、姉に対してもありました。

    にぎやかな私のことは煩そうに冷たくあしらうのに、何かあると、「ねえ、まっちゃん・・・」と話しかけられました。子どもの頃は、ふだん冷たい姉が声をかけてくれるから、嬉しくて役に立ちたくてうきうきしていました。

    しかし、高校生の頃、姉も家を出てから、家事手伝いが私の肩にずんとのしかかり、末の弟が早産で病気がちだったので、熱を出すと学校を休んで看病をして、危なく落第する二年間を過ごしました。(姉がいるころは、半分ずつでした。)
    もう引き受けられない、という思いで家を出ましたが、一人暮らしの部屋に、姉が突然来ては「あのね。そのね。」と話してゆく。「突然来ないで。」と言いながら、結局は聞いてしまう。他人がいると、姉としての凛とした姿を崩さないのですが、私と二人だと、とっても素直な傷だらけの姿を見せるのでした。
    しんどくなると“親でもないのになぁ”と思っていました。



    そういえば“親でもないのに”は、叔母に対してもありました。

    一人暮らしを始めたら、「遊びにおいで」と誘われました。おいしいお酒とつまみとご飯があるのと、叔母と結婚した叔父さんが、えくぼがあるからと「ペコちゃん」と呼んで私を気に入ってくれました。
    叔父が帰るまで、愚痴を聞かされるので、だんだん行かなくなりましたが、その愚痴は、親でもない姉(私の母)に対して「してもらえなかったこと」でした。働き手の姉(母)が父親役になったのでしょうが、過去の不満を姉の娘である私に聴いて欲しがる叔母。私は、母じゃないし、ましてや“親でもないのに”




    “親でもないのに”
    ほとほと、困ったことで、そう言いながら、脚本はせっせと親のかわりに色々なことをしてきました。このことをてんこ盛りでおもしろおかしく書きたい衝動が湧くけれど、傷つく身内がいるかもしれないのでやめておきます。同じ事実でも、私側の思いと他の人の思いは、少し違ったり、時には正反対のこともあるかもしれませんから。それはそれで良いのです。
    問題は、私の生き癖ですから。



    “親でもないのに、なんで私がこんなことを”
    これは、私を使い続けたあの両親にも言いたいことでした。
    いえ、一番に母に言いたいことだったのです。


    私は、母の親じゃないのに・・・。



    全く、どこまで母親を守ってるんだろうねぇ。

    参照:怒りで隠して、母を守り続けた私の脚本



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    心のコップがいっぱいの親御さん
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    追記を閉じる▲

    ずっと、私の中には“親でもないのに”という言葉がいつのまにか住み着いていました。


    私「ごめんね。私自身の問題だったんだよ。私は、小学校1年から、年子のきょうだいのおむつを取り替えて、ミルクを作って飲ませて、隣の千葉医院に連れて行って二人の注射をさせて、そんなだったの。◯(妹の名前)が知らないことだものね。私と母の問題なの。」

    妹「そっかぁ。でも、お母さんは、いい姑の代表みたいな人だと思うよ。」

    私「◯はそう思うのね。◯がそう思うのはいいと思うよ。ただ、母と私、母と姉、母と弟たち、それぞれの関係は違うからさ、私にとってはしんどかったの。」

    妹「そっかぁ。それぞれだもんね。」



    妹たちは、私を母親だなんて思っていないでしょう。しかし、お世話する人という定位置におかれていたのは事実で、平日は給食があるけれど、土日や夏休み(他長い休み)はお昼ご飯を用意するのが当たり前でした。そういう役割を与えて、両親は私を束縛してもいました。そういうつもりがなくても、束縛されていました。



    妹「それは、お父さん(私には養父)が、店にお母さんを縛っていたから。」と妹が言います。


    私も実はそう思っていたんですよね。無意識に、母を庇い続けていました。しかし、我が身を顧みると、母は、子どもの気持ちに寄り添っただろうかと。母も「お父さんが〜」と言いますが、お父さんの言いなりになっていたとしたら、母は自ら道具になっていたのです。そして、無意識に私を道具として使ったのでしょう。


    私「でもさ、◯もそうだし私もそうだけど、我が子のことを思ったら、夫と闘う場面もあったでしょう。譲れないこともあったでしょう。母も頑張ってほしかったよ。」

    妹「たしかにそうだね。」

    私「家に帰る前に、まず店に鍵を取りに寄るでしょう。誰かが先に帰ってても一度は店に寄るんだよね。あの束縛はいらないよ。」



    もちろん、小さい子だったら、“お帰りなさい”を言ってあげたいという親心と思いますが、私は高校生でした。店に必ず周り道してから、自宅まで帰る時間が本当に勿体なくて、限りある私の時間を無駄にしたくなかったです。



    妹「あれね。店の裏からそっと入るんだよね。あれで大変な思いをしたことがある〜。」



    そうそう。家族は裏から入るという決まりがあり、裏の鍵は閉まっているから、「トントン」と叩いて開けてもらう手はずが、なかなか開けてもらえず、冬の寒い中待っていたんだったか、ともかく大変な思いをしたらしいです。律儀過ぎる妹ですが、これが子どもなんです。素直に健気に親の言う通りにするんですよね。



    妹とのやり取りは、この辺までにしておきますが、“親でもないのに”は、姉に対してもありました。

    にぎやかな私のことは煩そうに冷たくあしらうのに、何かあると、「ねえ、まっちゃん・・・」と話しかけられました。子どもの頃は、ふだん冷たい姉が声をかけてくれるから、嬉しくて役に立ちたくてうきうきしていました。

    しかし、高校生の頃、姉も家を出てから、家事手伝いが私の肩にずんとのしかかり、末の弟が早産で病気がちだったので、熱を出すと学校を休んで看病をして、危なく落第する二年間を過ごしました。(姉がいるころは、半分ずつでした。)
    もう引き受けられない、という思いで家を出ましたが、一人暮らしの部屋に、姉が突然来ては「あのね。そのね。」と話してゆく。「突然来ないで。」と言いながら、結局は聞いてしまう。他人がいると、姉としての凛とした姿を崩さないのですが、私と二人だと、とっても素直な傷だらけの姿を見せるのでした。
    しんどくなると“親でもないのになぁ”と思っていました。



    そういえば“親でもないのに”は、叔母に対してもありました。

    一人暮らしを始めたら、「遊びにおいで」と誘われました。おいしいお酒とつまみとご飯があるのと、叔母と結婚した叔父さんが、えくぼがあるからと「ペコちゃん」と呼んで私を気に入ってくれました。
    叔父が帰るまで、愚痴を聞かされるので、だんだん行かなくなりましたが、その愚痴は、親でもない姉(私の母)に対して「してもらえなかったこと」でした。働き手の姉(母)が父親役になったのでしょうが、過去の不満を姉の娘である私に聴いて欲しがる叔母。私は、母じゃないし、ましてや“親でもないのに”




    “親でもないのに”
    ほとほと、困ったことで、そう言いながら、脚本はせっせと親のかわりに色々なことをしてきました。このことをてんこ盛りでおもしろおかしく書きたい衝動が湧くけれど、傷つく身内がいるかもしれないのでやめておきます。同じ事実でも、私側の思いと他の人の思いは、少し違ったり、時には正反対のこともあるかもしれませんから。それはそれで良いのです。
    問題は、私の生き癖ですから。



    “親でもないのに、なんで私がこんなことを”
    これは、私を使い続けたあの両親にも言いたいことでした。
    いえ、一番に母に言いたいことだったのです。


    私は、母の親じゃないのに・・・。



    全く、どこまで母親を守ってるんだろうねぇ。

    参照:怒りで隠して、母を守り続けた私の脚本



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    心のコップがいっぱいの親御さん
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    【2013/07/05 17:03】 | 人生脚本
    【タグ】 人生脚本  脳内親  無意識  インナーチャイルド  脚本チャイルド  
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    マユミさん
    中尾真智子
    以前のコメントが検索で見つかりました。

    > 離れていた子供たちの中で、長女が県外の短大へ行きました。
    > そして、今日メアドを教えてくれたんです。

    おめでとうございます♪

    > ずっと自分と向き合い、自分のチャイルドと繋がれるようになり、大切に出来るようになったこのタイミングで、我が子と繋がれました。
    >

    良かったですね。嬉しいですね。^^

    > 記事と関係ない内容で、すみませんm(__)m

    勇気を出して書いてくれたのでしょうか。ブログ「まほろば」の関連コメントですから歓迎です。

    記事へのコメントではないのですが
    マユミ
    少し報告をさせていただきます。


    離れていた子供たちの中で、長女が県外の短大へ行きました。
    そして、今日メアドを教えてくれたんです。

    ずっと自分と向き合い、自分のチャイルドと繋がれるようになり、大切に出来るようになったこのタイミングで、我が子と繋がれました。

    記事と関係ない内容で、すみませんm(__)m


    すみれさん
    中尾真智子
    > >今やっと、幼い頃の気持ちを癒すことができます\(^o^)/

    たくさんのインナーチャイルドがいることでしょう。^^


    お世話する人
    すみれ


    >私も、妹たちや両親にはわからないことだけど、物心がついた頃から、お世話する人をしてきました。
    >「言わなくてもわかるでしょう?」が口癖で、聞いてはいけなかったので、周りをみて何をしたらいいか、常に妄想してました。
    >ご飯の支度、家事、家業の手伝い、妹たちの面倒(妹たちの面倒をみることは、両親の願いであったとしても、これはさすがに、余計なお節介でしかなかった、と今は思います。)
    >幼い頃から、もしかしたらやらなくても良かったことを、仕方ない、とずっとやっていました。
    >なので、今は、必要以上は何もしないことにしました。
    >今やっと、幼い頃の気持ちを癒すことができます\(^o^)/




    コメントを閉じる▲
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    マユミさん
    以前のコメントが検索で見つかりました。

    > 離れていた子供たちの中で、長女が県外の短大へ行きました。
    > そして、今日メアドを教えてくれたんです。

    おめでとうございます♪

    > ずっと自分と向き合い、自分のチャイルドと繋がれるようになり、大切に出来るようになったこのタイミングで、我が子と繋がれました。
    >

    良かったですね。嬉しいですね。^^

    > 記事と関係ない内容で、すみませんm(__)m

    勇気を出して書いてくれたのでしょうか。ブログ「まほろば」の関連コメントですから歓迎です。
    2013/07/26(Fri) 10:44 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    記事へのコメントではないのですが
    少し報告をさせていただきます。


    離れていた子供たちの中で、長女が県外の短大へ行きました。
    そして、今日メアドを教えてくれたんです。

    ずっと自分と向き合い、自分のチャイルドと繋がれるようになり、大切に出来るようになったこのタイミングで、我が子と繋がれました。

    記事と関係ない内容で、すみませんm(__)m
    2013/07/24(Wed) 21:22 | URL  | マユミ #-[ 編集]
    すみれさん
    > >今やっと、幼い頃の気持ちを癒すことができます\(^o^)/

    たくさんのインナーチャイルドがいることでしょう。^^
    2013/07/22(Mon) 08:10 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    お世話する人


    >私も、妹たちや両親にはわからないことだけど、物心がついた頃から、お世話する人をしてきました。
    >「言わなくてもわかるでしょう?」が口癖で、聞いてはいけなかったので、周りをみて何をしたらいいか、常に妄想してました。
    >ご飯の支度、家事、家業の手伝い、妹たちの面倒(妹たちの面倒をみることは、両親の願いであったとしても、これはさすがに、余計なお節介でしかなかった、と今は思います。)
    >幼い頃から、もしかしたらやらなくても良かったことを、仕方ない、とずっとやっていました。
    >なので、今は、必要以上は何もしないことにしました。
    >今やっと、幼い頃の気持ちを癒すことができます\(^o^)/


    2013/07/16(Tue) 09:28 | URL  | すみれ #-[ 編集]
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