家族カウンセラーの想いつれづれ
    私には、腎臓にそれぞれ石があった。
    それがわかってから、一週間後には、腎臓から出た石が尿路に出てきて七転八倒の痛みに襲われたが、幸いにも入院手前で石が出てくれた。

    お話はその翌年のこと・・・
    ★偶然の場所------------------------------------------------------

    その夏は、一週間連泊で格安のプランのホテルが見つかり、この際生まれ育った町でゆっくりして来ようと思った。

    母(弟夫婦と同居)にそのことを話したら、案の定、お金が勿体無いんじゃないの?と気を回した後に、そのホテルの場所を聞いてきた。
    面倒臭いなぁと思いつつも、なにかあったら、と思い教えたら

    母「え?今なんていったの?」

    私「え?何が?」

    母「そこ、あなたが産まれたところ。」

    私「えぇ?」

    母「そのあたりで産まれたの。」

    私「へぇ~?家とかあるの?」

    母「色々変わったから家はないけどね。びっくりしたわぁ。」

    なんだか、変な因縁を背負った気分だったけど、気を取り直してホテルでゆったりとしながら姉、妹、友人と個々に過ごして、その後に弟宅に宿泊させてもらって関東に帰る予定にした。




    ★偶発の痛み------------------------------------------------------

    ホテルについた翌日に母から電話が来た。無事に着いたかということだったと思う。丁度その時だ。
    右のお腹に懐かしい激痛が走り始めた!

    私「お母さん、尿路結石だわ。痛い! ちょっと来て欲しい。」

    あの七転八倒の痛みがまもなくやってくることが予測されている私は、冷静に聞こえたかもしれないけど、頭の中はぞわ~っとなり、まもなく真っ白になるかも~という状態だった。

    なのに、母は
    「いっしゃ~(北海道弁?)、私今から髪切りに行くんだわ~。」

    へ?何言ってるの?この人?
    私の頭は、真っ白になる切っ掛けを失ってしっかりしてきた。

    私「尿路結石って知ってる?胆石とか腎臓結石とか」

    母「聞いたことあるけど、すっごく痛いんだってね。」

    私「そうなの。すっごく痛いの。だから助けて欲しいの。」



    母「でもさ、今そんなでもなさそうじゃないの。ずっと髪切るチャンスなかったのさ。」

    私「あのさ、前回も入院しなさいって言われたのね。」

    母「入院になったらそりゃ行くと思うけど。病院はどこに行くの?」

    私「札幌の病院は知らない。どこがいいと思う?」

    母「今、(同居の弟の妻)Mちゃんに聞いたら、○○病院ならいいんじゃないかって。」

    私「わかった。そこに電話してみるわ。」

    母「したら、ひとまず電話切るわ。」




    ★目の前の私を救う------------------------------------------------

    このときの絶望感!

    わが子が旅先で、尿路結石で激痛で苦しんでいるというのに、予約したヘアカットを優先する母親・・・

    ともあれ私は、目の前の私を救わなければならなかった。
    気を取り直して、「ホテルの従業員は家族だ」と妄想することにした。

    そのとき、
    「ああ、私は産まれたところにいるんだ!」
    と気がついた。なんだか心強くなった。

    フロントに今の状況を話して、いい病院を探して欲しいとお願いした。フロントの人は親切だった。

    一方で、持参したパソコンで母が言っていた病院を探して電話をかけると、泌尿器科がないということで他の病院を紹介された。その病院でも、他の病院を紹介され、結局二次救急の病院に行くことになった。

    これが救急車だったら、たらいまわしという結果になったかもしれない。移動時間でかなり痛みが増していったのだろうと思うと我ながら良くやった。(それぞれの病院の対応が旅の者に親切だったのだけどね。妥協しなかったのも私なの。)




    ★待合室での深い落胆---------------------------------------------

    病院が決まったのでフロントにその旨を告げ、母に電話をしたらMちゃんが出た。
    「お母さん、髪を切りにいってしまって・・・。」
    Mちゃんも困っている様子で申し訳なかったが、一応病院を伝えてもらうことをお願いした。

    「ひとまず」って言っていたのに、本当に髪を切りに行ったんだ・・・本気で呆れた。

    私なら何をおいても駆けつける。
    速い手段で駆けつける。
    遠ければ飛行機でもかけつける。

    母に改めて落胆して、一人で病院にたどり着いた。
    改めて落胆したと言うことは、心のどこかで母が髪を切りに行かずに駆けつけてくれるのではないかという期待があったのかもしれない。携帯の音を消しながらも振動を気にしていたからなぁ。


    造影剤を使うので、家族の同意書みたいなものに自分でサインをした。本来は、地元で親も親戚もいるのだから、自分で書くことはないだろうに。「旅の者」として病院受付したのだから、寂しさはひとしおだ。

    緊急で入れてくれた病院は、電気が必要なところしか点いておらずとても薄暗かった。その待合室で、つくづくと思った。

    「ほんとあの人はだめだなぁ・・・」


    母親と言われても実感がわかない。
    名ばかりの母親だ。

    いつからと言えば、小さい頃からだった。
    親の権威は感じても頼れない母親だった。

    子どもの頃から抑圧していたチャイルドがじんわりと涙になって溢れた。




    ★祝福------------------------------------------------------------

    造影剤の影響か極度の緊張か、途中で気分が悪くなりながらも検査を受け、途中で石が出たことも確認して、この先のための痛み止めを処方してもらった。

    外に出たら、眩しかった!

    どこまでも澄み渡った青!

    なんと晴れ晴れしい空だろう!!


    まぶしいー(嬉しい)
    青いー(嬉しい)

    何かが死んで何かが生まれた気がした。




    ★神仕組み-------------------------------------------------------

    この話を夫にしたら、お母さんに「正しく絶望」して、自分が生まれた場所で「第二の誕生」をしたんだね、と言った。「まさに神仕組みだ」と、夫は感動していた。

    カウンセリング体験から夫が言う。
    「親から心を放置されている子どもは大きな事故を起こすことがある。どこまで大変な目に遭えば母親が自分のことを心配してくれるのかを(無意識に)試しているかのようだ。」―私自身もいくつもそういう事例を見てきた。

    「母親の母親役」をしていた私も、母親から心を放任されていた。
    ※放任とは、事態の推移になんら手を出さないということであり、人の行動の上では当人の自己責任に委ねるという考えである。こと教育の範疇では、なんら指導を行わないことを意味している。言い換えれば各々が自由に行動するに任せ、その過程で各々が様々な判断を交えながら行動することを許す状態である。またその結果発生する責任をどう果たすかも当人の自由に任されている。(ウキペディアより)
    ―私の心は放任されていたと痛感する。


    そういえば、小さい頃にお転婆をして、膝にガラスの破片で穴が出来るほどの怪我をしたことがある。そのときも、腰を抜かした母は、たまたまいた祖母に私を病院まで連れていくように頼んだのだ。

    千葉で幼い娘が入院した時もそうだった。
    あの時母は、飛行機に乗るのが怖いといって来てくれなかったのだ。
    姉が内地で結婚した時に、重なるストレスから飛行機の中で不安発作を起こしたことが要因だったが、下の子を自宅で見てくれる人が必要なのに来てくれないことが哀しかった。

    もしかすると、母のいるこの町で“困った状況”になったら来てくれるのだろうか。ここなら「飛行機に乗るのが怖い」という言い訳は通用しない―私のチャイルドは、それを試したのかもしれない。母から電話が来たタイミングで痛み出したのだから、今はそう思えて仕方がない。




    ★第二の誕生------------------------------------------------------

    確かに私は、偶然にも生まれた場所にたどり着き、そこで母への“最終確認”をして思い知らされたのだ。同時に、頼りにならない母の一方で、ホテルの親切な人たち― 第三者が助けになってくれる心強さもわかった。自分が一人ではないことがわかった。

    もう、母に母親を期待する気持ちは消えていた。
    ただの人と人であればいいじゃないか。

    気が楽になったー。


    これまでの私、よく頑張った。

    ありがとう。



    あの薄暗い病院からたった一人で外に出た時、
    私を迎えてくれた澄み切った眩しい青空!

    今、夫の言った「第二の誕生」と言う言葉が実感としてわかる。
    私は、薄暗い産道を一人で抜けて、青空の下に立ったのだ。

    まさに、自分が生まれた場所で、生まれ直しをしたのである。


    あの澄み切った眩しい青空は、
    母への期待を消し去った私の心だったのかもしれない。



    BUMP OF CHICKENさん『ダイヤモンド』の歌詞



    アサーティブなあり方
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    壁(鏡)になること
    自分の生き癖や執着に気付く
    中尾相談室の方針を熟読戴いた上で私専用相談申込(女性のみ)からお申込ください。
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    ★偶然の場所------------------------------------------------------

    その夏は、一週間連泊で格安のプランのホテルが見つかり、この際生まれ育った町でゆっくりして来ようと思った。

    母(弟夫婦と同居)にそのことを話したら、案の定、お金が勿体無いんじゃないの?と気を回した後に、そのホテルの場所を聞いてきた。
    面倒臭いなぁと思いつつも、なにかあったら、と思い教えたら

    母「え?今なんていったの?」

    私「え?何が?」

    母「そこ、あなたが産まれたところ。」

    私「えぇ?」

    母「そのあたりで産まれたの。」

    私「へぇ~?家とかあるの?」

    母「色々変わったから家はないけどね。びっくりしたわぁ。」

    なんだか、変な因縁を背負った気分だったけど、気を取り直してホテルでゆったりとしながら姉、妹、友人と個々に過ごして、その後に弟宅に宿泊させてもらって関東に帰る予定にした。




    ★偶発の痛み------------------------------------------------------

    ホテルについた翌日に母から電話が来た。無事に着いたかということだったと思う。丁度その時だ。
    右のお腹に懐かしい激痛が走り始めた!

    私「お母さん、尿路結石だわ。痛い! ちょっと来て欲しい。」

    あの七転八倒の痛みがまもなくやってくることが予測されている私は、冷静に聞こえたかもしれないけど、頭の中はぞわ~っとなり、まもなく真っ白になるかも~という状態だった。

    なのに、母は
    「いっしゃ~(北海道弁?)、私今から髪切りに行くんだわ~。」

    へ?何言ってるの?この人?
    私の頭は、真っ白になる切っ掛けを失ってしっかりしてきた。

    私「尿路結石って知ってる?胆石とか腎臓結石とか」

    母「聞いたことあるけど、すっごく痛いんだってね。」

    私「そうなの。すっごく痛いの。だから助けて欲しいの。」



    母「でもさ、今そんなでもなさそうじゃないの。ずっと髪切るチャンスなかったのさ。」

    私「あのさ、前回も入院しなさいって言われたのね。」

    母「入院になったらそりゃ行くと思うけど。病院はどこに行くの?」

    私「札幌の病院は知らない。どこがいいと思う?」

    母「今、(同居の弟の妻)Mちゃんに聞いたら、○○病院ならいいんじゃないかって。」

    私「わかった。そこに電話してみるわ。」

    母「したら、ひとまず電話切るわ。」




    ★目の前の私を救う------------------------------------------------

    このときの絶望感!

    わが子が旅先で、尿路結石で激痛で苦しんでいるというのに、予約したヘアカットを優先する母親・・・

    ともあれ私は、目の前の私を救わなければならなかった。
    気を取り直して、「ホテルの従業員は家族だ」と妄想することにした。

    そのとき、
    「ああ、私は産まれたところにいるんだ!」
    と気がついた。なんだか心強くなった。

    フロントに今の状況を話して、いい病院を探して欲しいとお願いした。フロントの人は親切だった。

    一方で、持参したパソコンで母が言っていた病院を探して電話をかけると、泌尿器科がないということで他の病院を紹介された。その病院でも、他の病院を紹介され、結局二次救急の病院に行くことになった。

    これが救急車だったら、たらいまわしという結果になったかもしれない。移動時間でかなり痛みが増していったのだろうと思うと我ながら良くやった。(それぞれの病院の対応が旅の者に親切だったのだけどね。妥協しなかったのも私なの。)




    ★待合室での深い落胆---------------------------------------------

    病院が決まったのでフロントにその旨を告げ、母に電話をしたらMちゃんが出た。
    「お母さん、髪を切りにいってしまって・・・。」
    Mちゃんも困っている様子で申し訳なかったが、一応病院を伝えてもらうことをお願いした。

    「ひとまず」って言っていたのに、本当に髪を切りに行ったんだ・・・本気で呆れた。

    私なら何をおいても駆けつける。
    速い手段で駆けつける。
    遠ければ飛行機でもかけつける。

    母に改めて落胆して、一人で病院にたどり着いた。
    改めて落胆したと言うことは、心のどこかで母が髪を切りに行かずに駆けつけてくれるのではないかという期待があったのかもしれない。携帯の音を消しながらも振動を気にしていたからなぁ。


    造影剤を使うので、家族の同意書みたいなものに自分でサインをした。本来は、地元で親も親戚もいるのだから、自分で書くことはないだろうに。「旅の者」として病院受付したのだから、寂しさはひとしおだ。

    緊急で入れてくれた病院は、電気が必要なところしか点いておらずとても薄暗かった。その待合室で、つくづくと思った。

    「ほんとあの人はだめだなぁ・・・」


    母親と言われても実感がわかない。
    名ばかりの母親だ。

    いつからと言えば、小さい頃からだった。
    親の権威は感じても頼れない母親だった。

    子どもの頃から抑圧していたチャイルドがじんわりと涙になって溢れた。




    ★祝福------------------------------------------------------------

    造影剤の影響か極度の緊張か、途中で気分が悪くなりながらも検査を受け、途中で石が出たことも確認して、この先のための痛み止めを処方してもらった。

    外に出たら、眩しかった!

    どこまでも澄み渡った青!

    なんと晴れ晴れしい空だろう!!


    まぶしいー(嬉しい)
    青いー(嬉しい)

    何かが死んで何かが生まれた気がした。




    ★神仕組み-------------------------------------------------------

    この話を夫にしたら、お母さんに「正しく絶望」して、自分が生まれた場所で「第二の誕生」をしたんだね、と言った。「まさに神仕組みだ」と、夫は感動していた。

    カウンセリング体験から夫が言う。
    「親から心を放置されている子どもは大きな事故を起こすことがある。どこまで大変な目に遭えば母親が自分のことを心配してくれるのかを(無意識に)試しているかのようだ。」―私自身もいくつもそういう事例を見てきた。

    「母親の母親役」をしていた私も、母親から心を放任されていた。
    ※放任とは、事態の推移になんら手を出さないということであり、人の行動の上では当人の自己責任に委ねるという考えである。こと教育の範疇では、なんら指導を行わないことを意味している。言い換えれば各々が自由に行動するに任せ、その過程で各々が様々な判断を交えながら行動することを許す状態である。またその結果発生する責任をどう果たすかも当人の自由に任されている。(ウキペディアより)
    ―私の心は放任されていたと痛感する。


    そういえば、小さい頃にお転婆をして、膝にガラスの破片で穴が出来るほどの怪我をしたことがある。そのときも、腰を抜かした母は、たまたまいた祖母に私を病院まで連れていくように頼んだのだ。

    千葉で幼い娘が入院した時もそうだった。
    あの時母は、飛行機に乗るのが怖いといって来てくれなかったのだ。
    姉が内地で結婚した時に、重なるストレスから飛行機の中で不安発作を起こしたことが要因だったが、下の子を自宅で見てくれる人が必要なのに来てくれないことが哀しかった。

    もしかすると、母のいるこの町で“困った状況”になったら来てくれるのだろうか。ここなら「飛行機に乗るのが怖い」という言い訳は通用しない―私のチャイルドは、それを試したのかもしれない。母から電話が来たタイミングで痛み出したのだから、今はそう思えて仕方がない。




    ★第二の誕生------------------------------------------------------

    確かに私は、偶然にも生まれた場所にたどり着き、そこで母への“最終確認”をして思い知らされたのだ。同時に、頼りにならない母の一方で、ホテルの親切な人たち― 第三者が助けになってくれる心強さもわかった。自分が一人ではないことがわかった。

    もう、母に母親を期待する気持ちは消えていた。
    ただの人と人であればいいじゃないか。

    気が楽になったー。


    これまでの私、よく頑張った。

    ありがとう。



    あの薄暗い病院からたった一人で外に出た時、
    私を迎えてくれた澄み切った眩しい青空!

    今、夫の言った「第二の誕生」と言う言葉が実感としてわかる。
    私は、薄暗い産道を一人で抜けて、青空の下に立ったのだ。

    まさに、自分が生まれた場所で、生まれ直しをしたのである。


    あの澄み切った眩しい青空は、
    母への期待を消し去った私の心だったのかもしれない。



    BUMP OF CHICKENさん『ダイヤモンド』の歌詞



    アサーティブなあり方
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    壁(鏡)になること
    自分の生き癖や執着に気付く
    中尾相談室の方針を熟読戴いた上で私専用相談申込(女性のみ)からお申込ください。
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    【2012/10/14 14:50】 | 誕生
    【タグ】 絶望  誕生    
    トラックバック(0) |

    Re: うちの母も同じ
    中尾真智子
    辛いことを思い出してしまいましたね。
    思い出せて良かったですね。その頃の体感で味わえたらよいなぁと思います。
    傷を見るのも癒すのも、最後は自分ですものね。

    >
    > わたしも正しく絶望できてる(できる)でしょうか。

    それは、ここの文脈だけではわからないですが、私に質問されているところを見るとまだ?かも?
    あるいは、人に意見を求めてしまう脚本をお持ちなのかな?
    この一文は、カウンセリングだと興味深く掘り下げているところです。^^
    ここは、そういう場じゃないので、このへんでやめておきますね。


    arc さん
    中尾真智子
    >後遺症は半身麻痺が残りましたので
    >そうまでして得た母からの関心は半年程度と短かいモ>ノだったけれどおかげで以前より人に素直に甘えられ>るようになった気がします

    怪我の功名でしょうか。切なく複雑な思いで読みました。

    講座の参加ありがとうございます。
    お待ちしています。^^

    うちの母も同じ
    にゃん
    私が結婚して、2ヶ月後虫垂炎で入院した時、
    義父がびっくりして実家に連絡したら
    『「そちらにやった子なのでよろしくお願いします」って、言われたよ。豪傑なおかあさんやなぁ。』
    と義父に言われた時、なんとも言えない気持ちがしました。

    このときは、切らずに薬でちらし、10年後、お腹が痛くて痛くて、病院で、検査のためでも歩けないほどで、車いすで検査に回ったほどで、再度虫垂炎と診察された時、迷いなく「切ってください。」とお医者様に言いました。(うんうんうなりながら、検査と手術の説明を聞いて決断&仕事先にも電話。)

    手術が終わって目が覚めて、ほっとしたら、
    「あ、お母さんに知らせなきゃ」と電話したら、
    聞くなり母は第一声、「あんた、なんでそんなん(病気になんか)なってんの。」

    ふつうは、大丈夫?とか痛くない?とか
    母親だったらそう言わない?

    真知子さんの記事見て、このこと思い出して泣きました。

    今年、乳がんかもって思った時、検査結果でるまでの間、もしそうだったら、余命3カ月ってなるまで
    絶対うちの実家には言わないで、って夫にたのもう、と思ってました。
    結局、なんでもなかったんですけど。

    また、「なんで、そんなんなってるの。」って言われたら、辛すぎるから。
    だれが、好きで病気になるって言うねん!!

    わたしも正しく絶望できてる(できる)でしょうか。


    arc
    後遺症は半身麻痺が残りましたので
    ちょっと。と言う表現はなんか違いますね<(_ _*)

    そうまでして得た母からの関心は半年程度と短かいモノだったけれどおかげで以前より人に素直に甘えられるようになった気がします

    運よく11月の講座に参加させていただく予定なのでそれまでにIPに怪我などさせられぬよう気を引き締めておかないと(笑
    お会いできるの楽しみです!






    Re: タイトルなし
    中尾真智子
    なんということでしょう。
    後遺症とか大丈夫でしょうか。

    > ちょっとわたしってかわいそうって思ったのでコメントに残しました

    ちょっとどころじゃありません。

    > 吐き出しみたいになってすみません

    ご自分のことを書かれておられるだけですから、大丈夫ですよ~。


    arc
    自分の事を思いながら読ませていただきました

    15年も前の話ですが私が脳内出血を起こして苦しんでいる時
    呼吸が出来ないから救急車を呼んで欲しい・・とか細い声で頼んでも
    なにこの子・・酔っ払ってんじゃないの?と母。瀕死の状態でもまともに取り合って貰えませんでした

    翌日私が部屋で意識を失い口から泡を吐いて身体を痙攣させていたらしく
    慌てて救急車を呼んでやった!と意識不明から戻った後に聞かされました。その間、病院に来なければならなかったと恩にきせられた記憶をいま思い出してしまいました

    この記事を読んで、もしかして私もそうまでして(命をはってまで)お母さんに自分のほうを見て貰いたかったのかナ~?と感じました

    ちょっとわたしってかわいそうって思ったのでコメントに残しました

    吐き出しみたいになってすみません



    Re: タイトルなし
    中尾真智子
    > 小学生か中学生の時、おなかが痛くて病院に連れて行ってと母に頼んだら、かなりしぶったのち車を出してくれ、その途中で交通事故を起こしたのを思い出しました。


    ガラスが割れて振ってくるなんて怖かったでしょうね。慌てていたのでしょうか。それにしても、事故の始末とは別に、病院に連れていく事は可能でしょうに。

    > 耳が痛いのを放置されて、ひどい中耳炎になって、結果1年病院に通うはめになったこともありました。子どもはほんと、親を写していますね。でも彼女は彼女でたいへんなものを負っていたのだと、これも今なら言えます。うん、ただの人と人でいいですよね。

    母親だと思うと色々な感情がわきますが、気の毒な連鎖を生きている人と思える時は平和です。ただの人と人でいつもありたいものだなぁと思いつつ、インナーチャイルドはこちらの背骨が育った分深いところからわいてきます。^^

    チエさん
    中尾真智子
    > (身内に悪気はなく
    > 叱咤激励だったんですが、、ね)

    悪気があろうとなかろうと、傷ついた気持ちが哀しいですよー。
    >
    > 頼るべき親は居ない、、と心底思い
    > 居るのに、居ない辛さ、、味わいました

    居るのにいない、辛いですね。寂しいですね。

    > その時に私の中で何かが壊れました
    > 今では、必要で良かったと受け取りますが

    必要で良かったと受け取れている今のチエさんがすてきです。

    ピノキオさん
    中尾真智子
    > 僕の場合、病気になったら母は普段は子供に極めて無関心なのに、急に物凄く「看病」してくれます。
    > でも、なぜか物凄い重苦しいんです。
    > なんというか、病気をさらに看病で悪化されている感じです。

    大変でしたね。普段優しいわけじゃないので、安心よりも不安や怖さがある人も多いです。


    > 一見「素晴らしい母」の裏にも「承認欲求のゲーム」が隠されてることって結構あるんだろうなって僕は思います・・・。

    私も、あると思います。子どもにしたらホラーだったりして・・・怖いもん。


    とくめい
    小学生か中学生の時、おなかが痛くて病院に連れて行ってと母に頼んだら、かなりしぶったのち車を出してくれ、その途中で交通事故を起こしたのを思い出しました。

    細道から優先道への右折。左を見ていなかった。
    先方の右前部が、私の乗っていた助手席に見事に当たり、窓ガラスが割れて降ってきた。私が無事かどうかよりも、事故の対処のために、近くの公衆電話に走って行った母。当然のように病院に行くのはなかったことになり、そのまま家に帰ったような…。

    幸いひどいケガではなく、今はなんともありませんが、今になって言えるのは「これだけ子どもがサインを出してたのに、母はなんにもわかってなかったんだなぁ」ということ。
    耳が痛いのを放置されて、ひどい中耳炎になって、結果1年病院に通うはめになったこともありました。子どもはほんと、親を写していますね。でも彼女は彼女でたいへんなものを負っていたのだと、これも今なら言えます。うん、ただの人と人でいいですよね。


    チエ
    うちと、似てます

    私が、救急車で運ばれた時の
    私にとって、心ない物の言い方に
    感じる表現をする身内と酷似してます

    (身内に悪気はなく
    叱咤激励だったんですが、、ね)


    人は、肉体的にピンチで
    精神的に弱くなる時
    こんなにも傷つくんだと、、
    身を持って解りました

    頼るべき親は居ない、、と心底思い
    居るのに、居ない辛さ、、味わいました




    その時に私の中で何かが壊れました


    今では、必要で良かったと受け取りますが



    当時は、どぉして〜、ひっど〜い
    と苦悩しましたね


    懐かしいです(^_^)


    私が、住んでいますのは
    北のはずれ、古い因習の地方です


    ピノキオ
    はじめまして!

    この記事に書いてることと僕の体験は
    まったく逆です・・。

    僕の場合、病気になったら母は普段は子供に極めて無関心なのに、急に物凄く「看病」してくれます。

    でも、なぜか物凄い重苦しいんです。
    なんというか、病気をさらに看病で悪化されている感じです。

    代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉をある時しりました。子供を病気にさして、その母であることに「酔っている」いわゆる、ここでいうとこの承認欲求を獲得するためのゲームでしょうか。

    この言葉を知ったときに、あの病気に時の重苦しい感じが納得できました。

    あーあの人は自分のために子供を看病してたんだなって。


    一見「素晴らしい母」の裏にも「承認欲求のゲーム」が隠されてることって結構あるんだろうなって僕は思います・・・。







    あこちさんへ
    中尾真智子
    この数年前の出来事を記事をあげた日に、祖母が亡くなった偶然に驚いています。

    形は違えど、同じことですね。心は放置されているのですものね。

    時期があるって思います。
    焦っても出来ないし、進んでいったらそこにいるという感じでことは運ばれていく気がします。^^
    心おきなく、祖母とお別れしてきますね~。

    うちの母とは真逆。
    あこち
    私の母は、来るなと言っても駆けつける人です。
    でも、頼りにはなりません。
    私に病気が見つかったときも母は「娘が病気になってしまった母」という「悲劇のヒロイン」になってしまい、
    そのモノガタリの中で「すぐにでも行く」「顔が見たい」と言い出しました。

    私の不安や悲しみを受け止める余裕などない彼女が手術に合わせて来たとしても
    私の重荷になる事はわかっていたので 必死になって来るのを阻止しました。

    やっている事は真智子さんのお母さまの真逆ですが
    内面的にはおなじだな、と思います。

    自分の不安を見ないために 娘を心配する母でした。
    (過去形なのは、私の中で、先日 この人と訣別したからです。)

    母に母親を期待する気持は、この訣別と同時に消えました。もっと早く消してもよかったのですが
    やはり時期というものがあるのですね。

    いまは 一人がすがすがしいです。

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    Re: うちの母も同じ
    辛いことを思い出してしまいましたね。
    思い出せて良かったですね。その頃の体感で味わえたらよいなぁと思います。
    傷を見るのも癒すのも、最後は自分ですものね。

    >
    > わたしも正しく絶望できてる(できる)でしょうか。

    それは、ここの文脈だけではわからないですが、私に質問されているところを見るとまだ?かも?
    あるいは、人に意見を求めてしまう脚本をお持ちなのかな?
    この一文は、カウンセリングだと興味深く掘り下げているところです。^^
    ここは、そういう場じゃないので、このへんでやめておきますね。
    2012/11/11(Sun) 05:31 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    arc さん
    >後遺症は半身麻痺が残りましたので
    >そうまでして得た母からの関心は半年程度と短かいモ>ノだったけれどおかげで以前より人に素直に甘えられ>るようになった気がします

    怪我の功名でしょうか。切なく複雑な思いで読みました。

    講座の参加ありがとうございます。
    お待ちしています。^^
    2012/11/11(Sun) 05:21 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    うちの母も同じ
    私が結婚して、2ヶ月後虫垂炎で入院した時、
    義父がびっくりして実家に連絡したら
    『「そちらにやった子なのでよろしくお願いします」って、言われたよ。豪傑なおかあさんやなぁ。』
    と義父に言われた時、なんとも言えない気持ちがしました。

    このときは、切らずに薬でちらし、10年後、お腹が痛くて痛くて、病院で、検査のためでも歩けないほどで、車いすで検査に回ったほどで、再度虫垂炎と診察された時、迷いなく「切ってください。」とお医者様に言いました。(うんうんうなりながら、検査と手術の説明を聞いて決断&仕事先にも電話。)

    手術が終わって目が覚めて、ほっとしたら、
    「あ、お母さんに知らせなきゃ」と電話したら、
    聞くなり母は第一声、「あんた、なんでそんなん(病気になんか)なってんの。」

    ふつうは、大丈夫?とか痛くない?とか
    母親だったらそう言わない?

    真知子さんの記事見て、このこと思い出して泣きました。

    今年、乳がんかもって思った時、検査結果でるまでの間、もしそうだったら、余命3カ月ってなるまで
    絶対うちの実家には言わないで、って夫にたのもう、と思ってました。
    結局、なんでもなかったんですけど。

    また、「なんで、そんなんなってるの。」って言われたら、辛すぎるから。
    だれが、好きで病気になるって言うねん!!

    わたしも正しく絶望できてる(できる)でしょうか。
    2012/10/26(Fri) 16:54 | URL  | にゃん #-[ 編集]
    後遺症は半身麻痺が残りましたので
    ちょっと。と言う表現はなんか違いますね<(_ _*)

    そうまでして得た母からの関心は半年程度と短かいモノだったけれどおかげで以前より人に素直に甘えられるようになった気がします

    運よく11月の講座に参加させていただく予定なのでそれまでにIPに怪我などさせられぬよう気を引き締めておかないと(笑
    お会いできるの楽しみです!




    2012/10/25(Thu) 12:41 | URL  | arc #kEZLURBw[ 編集]
    Re: タイトルなし
    なんということでしょう。
    後遺症とか大丈夫でしょうか。

    > ちょっとわたしってかわいそうって思ったのでコメントに残しました

    ちょっとどころじゃありません。

    > 吐き出しみたいになってすみません

    ご自分のことを書かれておられるだけですから、大丈夫ですよ~。
    2012/10/22(Mon) 06:07 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    自分の事を思いながら読ませていただきました

    15年も前の話ですが私が脳内出血を起こして苦しんでいる時
    呼吸が出来ないから救急車を呼んで欲しい・・とか細い声で頼んでも
    なにこの子・・酔っ払ってんじゃないの?と母。瀕死の状態でもまともに取り合って貰えませんでした

    翌日私が部屋で意識を失い口から泡を吐いて身体を痙攣させていたらしく
    慌てて救急車を呼んでやった!と意識不明から戻った後に聞かされました。その間、病院に来なければならなかったと恩にきせられた記憶をいま思い出してしまいました

    この記事を読んで、もしかして私もそうまでして(命をはってまで)お母さんに自分のほうを見て貰いたかったのかナ~?と感じました

    ちょっとわたしってかわいそうって思ったのでコメントに残しました

    吐き出しみたいになってすみません

    2012/10/19(Fri) 19:46 | URL  | arc #kEZLURBw[ 編集]
    Re: タイトルなし
    > 小学生か中学生の時、おなかが痛くて病院に連れて行ってと母に頼んだら、かなりしぶったのち車を出してくれ、その途中で交通事故を起こしたのを思い出しました。


    ガラスが割れて振ってくるなんて怖かったでしょうね。慌てていたのでしょうか。それにしても、事故の始末とは別に、病院に連れていく事は可能でしょうに。

    > 耳が痛いのを放置されて、ひどい中耳炎になって、結果1年病院に通うはめになったこともありました。子どもはほんと、親を写していますね。でも彼女は彼女でたいへんなものを負っていたのだと、これも今なら言えます。うん、ただの人と人でいいですよね。

    母親だと思うと色々な感情がわきますが、気の毒な連鎖を生きている人と思える時は平和です。ただの人と人でいつもありたいものだなぁと思いつつ、インナーチャイルドはこちらの背骨が育った分深いところからわいてきます。^^
    2012/10/19(Fri) 14:18 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    チエさん
    > (身内に悪気はなく
    > 叱咤激励だったんですが、、ね)

    悪気があろうとなかろうと、傷ついた気持ちが哀しいですよー。
    >
    > 頼るべき親は居ない、、と心底思い
    > 居るのに、居ない辛さ、、味わいました

    居るのにいない、辛いですね。寂しいですね。

    > その時に私の中で何かが壊れました
    > 今では、必要で良かったと受け取りますが

    必要で良かったと受け取れている今のチエさんがすてきです。
    2012/10/19(Fri) 14:08 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    ピノキオさん
    > 僕の場合、病気になったら母は普段は子供に極めて無関心なのに、急に物凄く「看病」してくれます。
    > でも、なぜか物凄い重苦しいんです。
    > なんというか、病気をさらに看病で悪化されている感じです。

    大変でしたね。普段優しいわけじゃないので、安心よりも不安や怖さがある人も多いです。


    > 一見「素晴らしい母」の裏にも「承認欲求のゲーム」が隠されてることって結構あるんだろうなって僕は思います・・・。

    私も、あると思います。子どもにしたらホラーだったりして・・・怖いもん。
    2012/10/19(Fri) 13:59 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    小学生か中学生の時、おなかが痛くて病院に連れて行ってと母に頼んだら、かなりしぶったのち車を出してくれ、その途中で交通事故を起こしたのを思い出しました。

    細道から優先道への右折。左を見ていなかった。
    先方の右前部が、私の乗っていた助手席に見事に当たり、窓ガラスが割れて降ってきた。私が無事かどうかよりも、事故の対処のために、近くの公衆電話に走って行った母。当然のように病院に行くのはなかったことになり、そのまま家に帰ったような…。

    幸いひどいケガではなく、今はなんともありませんが、今になって言えるのは「これだけ子どもがサインを出してたのに、母はなんにもわかってなかったんだなぁ」ということ。
    耳が痛いのを放置されて、ひどい中耳炎になって、結果1年病院に通うはめになったこともありました。子どもはほんと、親を写していますね。でも彼女は彼女でたいへんなものを負っていたのだと、これも今なら言えます。うん、ただの人と人でいいですよね。
    2012/10/16(Tue) 20:00 | URL  | とくめい #X6AIgIjQ[ 編集]
    うちと、似てます

    私が、救急車で運ばれた時の
    私にとって、心ない物の言い方に
    感じる表現をする身内と酷似してます

    (身内に悪気はなく
    叱咤激励だったんですが、、ね)


    人は、肉体的にピンチで
    精神的に弱くなる時
    こんなにも傷つくんだと、、
    身を持って解りました

    頼るべき親は居ない、、と心底思い
    居るのに、居ない辛さ、、味わいました




    その時に私の中で何かが壊れました


    今では、必要で良かったと受け取りますが



    当時は、どぉして〜、ひっど〜い
    と苦悩しましたね


    懐かしいです(^_^)


    私が、住んでいますのは
    北のはずれ、古い因習の地方です
    2012/10/15(Mon) 16:16 | URL  | チエ #-[ 編集]
    はじめまして!

    この記事に書いてることと僕の体験は
    まったく逆です・・。

    僕の場合、病気になったら母は普段は子供に極めて無関心なのに、急に物凄く「看病」してくれます。

    でも、なぜか物凄い重苦しいんです。
    なんというか、病気をさらに看病で悪化されている感じです。

    代理ミュンヒハウゼン症候群という言葉をある時しりました。子供を病気にさして、その母であることに「酔っている」いわゆる、ここでいうとこの承認欲求を獲得するためのゲームでしょうか。

    この言葉を知ったときに、あの病気に時の重苦しい感じが納得できました。

    あーあの人は自分のために子供を看病してたんだなって。


    一見「素晴らしい母」の裏にも「承認欲求のゲーム」が隠されてることって結構あるんだろうなって僕は思います・・・。





    2012/10/15(Mon) 15:51 | URL  | ピノキオ #-[ 編集]
    あこちさんへ
    この数年前の出来事を記事をあげた日に、祖母が亡くなった偶然に驚いています。

    形は違えど、同じことですね。心は放置されているのですものね。

    時期があるって思います。
    焦っても出来ないし、進んでいったらそこにいるという感じでことは運ばれていく気がします。^^
    心おきなく、祖母とお別れしてきますね~。
    2012/10/15(Mon) 08:40 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    うちの母とは真逆。
    私の母は、来るなと言っても駆けつける人です。
    でも、頼りにはなりません。
    私に病気が見つかったときも母は「娘が病気になってしまった母」という「悲劇のヒロイン」になってしまい、
    そのモノガタリの中で「すぐにでも行く」「顔が見たい」と言い出しました。

    私の不安や悲しみを受け止める余裕などない彼女が手術に合わせて来たとしても
    私の重荷になる事はわかっていたので 必死になって来るのを阻止しました。

    やっている事は真智子さんのお母さまの真逆ですが
    内面的にはおなじだな、と思います。

    自分の不安を見ないために 娘を心配する母でした。
    (過去形なのは、私の中で、先日 この人と訣別したからです。)

    母に母親を期待する気持は、この訣別と同時に消えました。もっと早く消してもよかったのですが
    やはり時期というものがあるのですね。

    いまは 一人がすがすがしいです。
    2012/10/15(Mon) 02:16 | URL  | あこち #-[ 編集]
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