家族カウンセラーの想いつれづれ
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    ★依存とは、すすんで洗脳されること--------

    まず【依存】について、少し書いておきたいです。

    たとえば、相談者さんの中には質問ばかりされる方がいらっしゃいます。自分らしく生きることが出来ず、依存しか知らない人生脚本ですから無理もないことでしょう。
    ☆親といると辛いので、家を出たほうがいいですか?
    ☆自分で服を買ったことがないので、似合う服がわからないんですがどうしたらいいですか?(大人になっても親に与えられた服を着ている人もいます。)
    ☆会社にハラッサーがいるんですが、退職したほうがいいですか?

    その他にも、色々な場面で自分で決められずに訊いてくる人がいます。自分で決めたけど「あってますか?」と訊く人もいます。誰基準の「あってる(正解)」なのでしょうーカウンセラーを代理親にしています。

    こんな時は「私を代理親にしていますよ〜。」とお伝えして、お話を聴きながら問題を整理するお手伝いをさせていただきます。
    どこまでも自分が主体であることを知って欲しい。
    自分の思いは自分の責任であると自覚して行動することの大切さを伝えながら進んでゆきます。




    ★カウンセラーに恨みを抱く?--------

    依存が強い方は覚悟も決意も中途半端なので、カウンセラーの言葉のどこか(または何か)にその時は納得して取り入れてみたものの、しばらくして“やらされ感”が湧いて、あげくはカウンセラーに恨みを抱かせることさえあります。

    取り入れて行動したのは自分ですから恨むのはお門違いなのですが、脳内親に忠実な脚本に支配されている本人は気がつきません。カウンセラーを代理親にして(依存)いる間は、カウンセリングは進みません。

    そういう時は、本人が決めた経緯や事実をお伝えしながら進めていきます。

    縛られて身動きとれないストーリーにしているのも自分だと気付いて、いかに自分が無意識に人に依存してしまうか、そこでの葛藤を人のせいにして自分を大事にしていないかをフィードバックさせて頂くいい機会になります。

    カウンセラーは命令しませんから決めるのは全て自分ですが、生育環境で強く支配された方(絶対的服従を強いられた場合、真綿の支配を受け自己決断のチャンスを奪われた場合、放置されていながら何かをすると罰を受けた場合など色々)は、自分の言動に責任を持つことを脳が禁止するので、自分の感情を人のせいにして生きてゆきます。

    こちらがフィードバックしても、脳の支配から抜ける“決意”が足りない方は、カウンセリングを続けることが出来ません。




    ★アサーションに傷ついた方を無意識に背負っていた私-------

    わたくしごとですが、随分前にアサーションについて文字や言葉にするのがなんとなく億劫になるようなことがありました。

    「別のカウンセリングにかかったら、そこでアサーションを強要された。」というのです。アサーションスキルを強要するカウンセリングがあるとは考えにくいので、それはおかしいと思い詳しいことを聞こうとしましたが、「よくわからないんです」と、はっきりとした答えが返って来ず、もどかしい思いをしました。(よくわからない、を使う方も多いです。)

    現場を見ていないながらも、カウンセラーがよくわからないまま説明もしないで放置しておくはずはないとは思うので、クライエントに拒否反応が強くどんな説明も“強要”と受け取ってしまったのかなぁと、想像することは出来ます。

    ただ、その方はアサーションという言葉に酷く傷ついている様子なので、この言葉でここまで傷つくことがあるのだろうか、と戸惑いましたが、“無理をさせない”倫理に囚われて、やりとりの事実を徹底的に訊かなかった反省があります。

    同業者として真意を尋ねることも出来たのですが、その方の傷に重きを置いてそのままにしてしまいました。これが今では大いなる反省になっています。このようなよくわからない背景の中で、私自身もアサーションという言葉になんだか重たいものを背負ってしまっていたことに最近気がついたのでした。

    今思い返すと、はっきりと明確に白日のもとに晒してこそ出来る解決だったのではないだろうか、と思えてなりません。その方とそのカウンセラーとの誤解にも踏み込んで、解決出来る方法も模索出来たのではないかと残念です。


    とはいえ、日々のカウンセリングでは(日常生活においても)アサーションを意識しています。
    感情に良いも悪いもない、自分の感情は自分のもので誰かのせいで起こったものではなく自分に責任がある、相手の感情は相手のもので責任は相手にある、切っ掛けはともかく沸いた感情は沸いた人のものだということをきちんと把握してゆくことで、カウンセリングは進んでゆきます。

    あなたの感情や言動はあなたの責任の上で自由に起こっています。脚本を選択している時は不自由に感じるかもしれませんが、脚本ちゃんは自由自在に不幸の物語を紡げます。





    ★アサーションから見る3つのコミュニケーション-------

    Aさんは人の意見をそれはそれとして聞きながらも、自分の意見をはっきり言います。
    Bさんは、自分の意見に迷うことが多い人で、自分に自信を持ちたいと思い、Aさんを尊敬しています。
    Cさんは、何かと攻撃的な言い方で自分の意見を押し付けてしまいがちです。

    この三人の友人が久しぶりに会って友好を深めました。
    Aさんは、Bさんの意見もCさんの意見も尊重しつつも自分の意見ははっきりと伝えます。
    Bさんは、意見らしい意見を言ってはいないのでAさんをますます尊敬して見ます。
    Cさんは、自分の意見を二人に無視されたように感じてとても腹が立ちます。

    上のような経験をされていらっしゃる方は多いと思います。クラスメイトや会社の同僚やら「女子の3人組」はありがちです。

    コミュニケーションは実はこの3つに分けて考えられています。
    ・アサーティブーAさん
    ・ノン・アサーティブ(非主張的)ーBさん
    ・アグレッシブ(攻撃的)ーCさん

    ついでに言うと、アグレッシブの中に「操作的(他の人の利権を巧妙に侵す)」というものがあります。
    たとえば、なんとか自分の意見を押し通そうと色々な策をします。あるいは、媚びて取り入って自分を受け入れさせようとします。そのために相手の時間(=命)を奪うことさえ厭わないのですから、なんと罪深いと感じますが、そのようにしか生きて来れなかった生育環境(人生脚本)に目を向けて勇気を持って自分改革をするといいでしょう。

    操作的(他の利権を巧妙に侵す)というは日常でも見聞きします。
    平気で嘘をついたり、嘘の評判を噂で流して人を陥れたり、上司に媚びて部下には意地悪をしたり、先輩後輩で差別したり、暴力的な父親(母親)にわが子を差し出す母親(父親)、など困った人はいっぱいいます。

    かと思えば、ノン・アサーティブに言いたいことが言えないで、 ストレスが溜まり突然キレたり、外に攻撃的になれず自分を傷つける行為(自傷、OD、摂食障害など)になったり、いずれにしても生育歴で身についた人生脚本に関わっているでしょう。

    相談者さんは、ほぼ皆さんがBさんかCさんなことは、おわかりいただけると思います。(BかC、時々Aでしょうか)




    ★正直さと素直さがアサーティブな姿勢を導く--------

    私の相談者さんは、問題の整理をしてゆきながら、あるいはロールプレイやエンプティチェアの体験から自分の感情の責任を持つこと(アサーティブ)を学ばれてゆかれる方が多いです。思考ではなく実践的に体得して自分のものになってゆけたらと願い、ご本人が気付かれることを大事にしながらフィードバックをさせていただいています。


    自分を大事にすることがなかなか出来ない方、自分に自信が持てない方は、色々な場面で回りの人に依存しているかもしれません。
    「私を認めて!」という主張が強くて相手を大事に出来ないでいる時や、認めさせるために操作的に人と関わっている時は、相手に依存しています。

    ノン・アサーティブのストレスが鬱積して、ついにキレてアグレッシブになるわけですが、自分の問題と素直に向き合おうとする人は、アサーティブになっていくことを日々のカウンセリングで実感しています。
    自分自身と繋がって自分を信じること(自信)が出来るのは、正直さと素直さしかないと感じます。





    ★依存を乗り越えた人は凜として美しい--------

    時には、カウンセラーを権威と祭り上げ(依存)て、頑張りを認めてもらおうとしますが、「ハラスメントなやり方ですからこのままでは進めません。」と正直にお伝えしています。

    ここではっとされた方は、素直に向き合う勇気を手にしますから、自分とますます繋がってゆかれるので、見ていて楽しいです。

    「アドバイスをくれないから初めはがっかりしていたんです。」
    「依存したかったんだって気がつきました。」
    「先生に認めて欲しかったんですね。」
    など等、依存の自覚を告白されることは多々ありますが、この自己開示が先に進めてゆくのですから、素直さと正直さは宝ですね。

    依存の部分をどう切り抜けるだろうか、いつ途切れるかわからない細い糸の繋がりに思えることもありますが、自分を諦めず見捨てずに丁寧に進んで、まっすぐになった時の様子は凜と美しいです。自分と繋がることが出来たからカウンセラーを信じることが出来たのです。

    執着を手放した後は、苦しいけど楽しい。過去の自分を愛おしく悼み、新しい自分を向かえる涙を流すとき、人は美しいです。


    ここまで来るのに、丁寧に進めても数年かかります。
    それほどに、生育環境は大きいです。

    誰が好き好んで、攻撃的で自己防衛に終始する生き方を望んだでしょうか。人の言いなりになって道具のように差し出す生き方を望んだでしょうか。

    親の支配から抜けたと感じたら、まもなく親への忠誠心(脚本)が異論を唱えてくるのですから、カウンセリングの日々も決してラクじゃありません。

    それでも、まっすぐに向き合う方は確実に変わっていかれます。周りにも変化が(良くも悪くも)起こります。

    「周りに期待しないでやってきたけれど、自分が変わったら回りも前と違うんです。」ーまっすぐな人には、ハラスメントが通用しませんから、当然といえば当然でしょうね。

    素直(正直)になる。
    相手の問題を引き受けない、引き取らない。
    自分の問題を人のせいにしない。
    人の問題を自分のせいにしない。

    これを心がけるだけでも、相当生きやすくなってゆくでしょう。



    アサーションは、交流分析での「あなたも私もOK」の部分です。

    クリックして見てね。
    LifePosition1.jpg


    援助者の心構え(=人間関係の心構え)←こちらもどうぞ。



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    壁(鏡)になること
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    ☆親といると辛いので、家を出たほうがいいですか?
    ☆自分で服を買ったことがないので、似合う服がわからないんですがどうしたらいいですか?(大人になっても親に与えられた服を着ている人もいます。)
    ☆会社にハラッサーがいるんですが、退職したほうがいいですか?

    その他にも、色々な場面で自分で決められずに訊いてくる人がいます。自分で決めたけど「あってますか?」と訊く人もいます。誰基準の「あってる(正解)」なのでしょうーカウンセラーを代理親にしています。

    こんな時は「私を代理親にしていますよ〜。」とお伝えして、お話を聴きながら問題を整理するお手伝いをさせていただきます。
    どこまでも自分が主体であることを知って欲しい。
    自分の思いは自分の責任であると自覚して行動することの大切さを伝えながら進んでゆきます。




    ★カウンセラーに恨みを抱く?--------

    依存が強い方は覚悟も決意も中途半端なので、カウンセラーの言葉のどこか(または何か)にその時は納得して取り入れてみたものの、しばらくして“やらされ感”が湧いて、あげくはカウンセラーに恨みを抱かせることさえあります。

    取り入れて行動したのは自分ですから恨むのはお門違いなのですが、脳内親に忠実な脚本に支配されている本人は気がつきません。カウンセラーを代理親にして(依存)いる間は、カウンセリングは進みません。

    そういう時は、本人が決めた経緯や事実をお伝えしながら進めていきます。

    縛られて身動きとれないストーリーにしているのも自分だと気付いて、いかに自分が無意識に人に依存してしまうか、そこでの葛藤を人のせいにして自分を大事にしていないかをフィードバックさせて頂くいい機会になります。

    カウンセラーは命令しませんから決めるのは全て自分ですが、生育環境で強く支配された方(絶対的服従を強いられた場合、真綿の支配を受け自己決断のチャンスを奪われた場合、放置されていながら何かをすると罰を受けた場合など色々)は、自分の言動に責任を持つことを脳が禁止するので、自分の感情を人のせいにして生きてゆきます。

    こちらがフィードバックしても、脳の支配から抜ける“決意”が足りない方は、カウンセリングを続けることが出来ません。




    ★アサーションに傷ついた方を無意識に背負っていた私-------

    わたくしごとですが、随分前にアサーションについて文字や言葉にするのがなんとなく億劫になるようなことがありました。

    「別のカウンセリングにかかったら、そこでアサーションを強要された。」というのです。アサーションスキルを強要するカウンセリングがあるとは考えにくいので、それはおかしいと思い詳しいことを聞こうとしましたが、「よくわからないんです」と、はっきりとした答えが返って来ず、もどかしい思いをしました。(よくわからない、を使う方も多いです。)

    現場を見ていないながらも、カウンセラーがよくわからないまま説明もしないで放置しておくはずはないとは思うので、クライエントに拒否反応が強くどんな説明も“強要”と受け取ってしまったのかなぁと、想像することは出来ます。

    ただ、その方はアサーションという言葉に酷く傷ついている様子なので、この言葉でここまで傷つくことがあるのだろうか、と戸惑いましたが、“無理をさせない”倫理に囚われて、やりとりの事実を徹底的に訊かなかった反省があります。

    同業者として真意を尋ねることも出来たのですが、その方の傷に重きを置いてそのままにしてしまいました。これが今では大いなる反省になっています。このようなよくわからない背景の中で、私自身もアサーションという言葉になんだか重たいものを背負ってしまっていたことに最近気がついたのでした。

    今思い返すと、はっきりと明確に白日のもとに晒してこそ出来る解決だったのではないだろうか、と思えてなりません。その方とそのカウンセラーとの誤解にも踏み込んで、解決出来る方法も模索出来たのではないかと残念です。


    とはいえ、日々のカウンセリングでは(日常生活においても)アサーションを意識しています。
    感情に良いも悪いもない、自分の感情は自分のもので誰かのせいで起こったものではなく自分に責任がある、相手の感情は相手のもので責任は相手にある、切っ掛けはともかく沸いた感情は沸いた人のものだということをきちんと把握してゆくことで、カウンセリングは進んでゆきます。

    あなたの感情や言動はあなたの責任の上で自由に起こっています。脚本を選択している時は不自由に感じるかもしれませんが、脚本ちゃんは自由自在に不幸の物語を紡げます。





    ★アサーションから見る3つのコミュニケーション-------

    Aさんは人の意見をそれはそれとして聞きながらも、自分の意見をはっきり言います。
    Bさんは、自分の意見に迷うことが多い人で、自分に自信を持ちたいと思い、Aさんを尊敬しています。
    Cさんは、何かと攻撃的な言い方で自分の意見を押し付けてしまいがちです。

    この三人の友人が久しぶりに会って友好を深めました。
    Aさんは、Bさんの意見もCさんの意見も尊重しつつも自分の意見ははっきりと伝えます。
    Bさんは、意見らしい意見を言ってはいないのでAさんをますます尊敬して見ます。
    Cさんは、自分の意見を二人に無視されたように感じてとても腹が立ちます。

    上のような経験をされていらっしゃる方は多いと思います。クラスメイトや会社の同僚やら「女子の3人組」はありがちです。

    コミュニケーションは実はこの3つに分けて考えられています。
    ・アサーティブーAさん
    ・ノン・アサーティブ(非主張的)ーBさん
    ・アグレッシブ(攻撃的)ーCさん

    ついでに言うと、アグレッシブの中に「操作的(他の人の利権を巧妙に侵す)」というものがあります。
    たとえば、なんとか自分の意見を押し通そうと色々な策をします。あるいは、媚びて取り入って自分を受け入れさせようとします。そのために相手の時間(=命)を奪うことさえ厭わないのですから、なんと罪深いと感じますが、そのようにしか生きて来れなかった生育環境(人生脚本)に目を向けて勇気を持って自分改革をするといいでしょう。

    操作的(他の利権を巧妙に侵す)というは日常でも見聞きします。
    平気で嘘をついたり、嘘の評判を噂で流して人を陥れたり、上司に媚びて部下には意地悪をしたり、先輩後輩で差別したり、暴力的な父親(母親)にわが子を差し出す母親(父親)、など困った人はいっぱいいます。

    かと思えば、ノン・アサーティブに言いたいことが言えないで、 ストレスが溜まり突然キレたり、外に攻撃的になれず自分を傷つける行為(自傷、OD、摂食障害など)になったり、いずれにしても生育歴で身についた人生脚本に関わっているでしょう。

    相談者さんは、ほぼ皆さんがBさんかCさんなことは、おわかりいただけると思います。(BかC、時々Aでしょうか)




    ★正直さと素直さがアサーティブな姿勢を導く--------

    私の相談者さんは、問題の整理をしてゆきながら、あるいはロールプレイやエンプティチェアの体験から自分の感情の責任を持つこと(アサーティブ)を学ばれてゆかれる方が多いです。思考ではなく実践的に体得して自分のものになってゆけたらと願い、ご本人が気付かれることを大事にしながらフィードバックをさせていただいています。


    自分を大事にすることがなかなか出来ない方、自分に自信が持てない方は、色々な場面で回りの人に依存しているかもしれません。
    「私を認めて!」という主張が強くて相手を大事に出来ないでいる時や、認めさせるために操作的に人と関わっている時は、相手に依存しています。

    ノン・アサーティブのストレスが鬱積して、ついにキレてアグレッシブになるわけですが、自分の問題と素直に向き合おうとする人は、アサーティブになっていくことを日々のカウンセリングで実感しています。
    自分自身と繋がって自分を信じること(自信)が出来るのは、正直さと素直さしかないと感じます。





    ★依存を乗り越えた人は凜として美しい--------

    時には、カウンセラーを権威と祭り上げ(依存)て、頑張りを認めてもらおうとしますが、「ハラスメントなやり方ですからこのままでは進めません。」と正直にお伝えしています。

    ここではっとされた方は、素直に向き合う勇気を手にしますから、自分とますます繋がってゆかれるので、見ていて楽しいです。

    「アドバイスをくれないから初めはがっかりしていたんです。」
    「依存したかったんだって気がつきました。」
    「先生に認めて欲しかったんですね。」
    など等、依存の自覚を告白されることは多々ありますが、この自己開示が先に進めてゆくのですから、素直さと正直さは宝ですね。

    依存の部分をどう切り抜けるだろうか、いつ途切れるかわからない細い糸の繋がりに思えることもありますが、自分を諦めず見捨てずに丁寧に進んで、まっすぐになった時の様子は凜と美しいです。自分と繋がることが出来たからカウンセラーを信じることが出来たのです。

    執着を手放した後は、苦しいけど楽しい。過去の自分を愛おしく悼み、新しい自分を向かえる涙を流すとき、人は美しいです。


    ここまで来るのに、丁寧に進めても数年かかります。
    それほどに、生育環境は大きいです。

    誰が好き好んで、攻撃的で自己防衛に終始する生き方を望んだでしょうか。人の言いなりになって道具のように差し出す生き方を望んだでしょうか。

    親の支配から抜けたと感じたら、まもなく親への忠誠心(脚本)が異論を唱えてくるのですから、カウンセリングの日々も決してラクじゃありません。

    それでも、まっすぐに向き合う方は確実に変わっていかれます。周りにも変化が(良くも悪くも)起こります。

    「周りに期待しないでやってきたけれど、自分が変わったら回りも前と違うんです。」ーまっすぐな人には、ハラスメントが通用しませんから、当然といえば当然でしょうね。

    素直(正直)になる。
    相手の問題を引き受けない、引き取らない。
    自分の問題を人のせいにしない。
    人の問題を自分のせいにしない。

    これを心がけるだけでも、相当生きやすくなってゆくでしょう。



    アサーションは、交流分析での「あなたも私もOK」の部分です。

    クリックして見てね。
    LifePosition1.jpg


    援助者の心構え(=人間関係の心構え)←こちらもどうぞ。



    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    壁(鏡)になること
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。
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    【2012/03/11 11:56】 | 自律
    【タグ】 アサーション  アサーティブ  
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    Re: 子供の話を聞く時
    中尾真智子
    > これどう思う?と私の意見を聞きたがります。
    >そういう時に私の考えを言ってもいいのでしょうか。

    面白いですね。意見を聞きたがる娘さん
    そして、私に聞いているユキさん。

    ここに何かヒントがあるのかなと感じます。
    あくまでも、コメントからの印象です。^^

    子供の話を聞く時
    ユキ
    こんにちは ブログ興味深く読ませて頂いております。このままでいいのか不安になりコメントしました。毎日二人の娘の話を聞いています。上の娘は会社の事、下の娘は彼氏の事。悩みだったりグチだったり。片方が約1時間 計2時間。大体週5〜6日。それでスッキリしてもらえればと思って面倒な時も聞く様にしていますが、これどう思う?と私の意見を聞きたがります。そういう時に私の考えを言ってもいいのでしょうか。言ってしまうと自分で考える事をしなくなってしまう様な感じがあり、どうした物かと…娘は21と19です。父親嫌いの人間に育ててしまいどうも私に対して依存傾向があるのではと心配になりまして中尾相談室のブログを毎日少しづつ読ませて頂いております。

    Re: 追記読ませて頂きました
    中尾真智子

    > まだまだ、でした。
    > 引き続き、自分と向かい合います(^^)

    私もまだまだです。ずっとまだまだなんだろうけれど、自分をよしよしして生きてゆくことを良しとしていきます。

    Re: タイトルなし
    中尾真智子

    > 「自分を出してはいけない」と生きてきたんだもの
    > 「ほんとの自分を見せちゃったら嫌われる」と相手に合わせて生きてきたんだもの
    > 自分を信じていないんだもの

    私を含め多くの皆さんが、こんな風な子ども時代を過ごしてきたんだなぁーと切ないです。

    > 正直と素直ってまだ照れくさいけどすがすがしいなぁ

    ほんと、すがすがしいですよぉ。自分に正直になってみたら、人のせいにしていられないですから、自分の傷を直視するのだけど、それが出来る勇気があればたいしたもんだと思います。^^

    Re: 時の経過と共に
    中尾真智子

    > 完全なる自己一致してると思っても頭の中の支配により手の上で踊らされることもあるでしょうし、、。
    > お恥ずかしい話ながら私が、その典型でした。
    >

    生きにくいことがおありだったのですね。私は今とてもシンプルに生きたいと思っています。好き、面白い、楽しい、そういうものと過ごしたいと思っています。随分らくちんですから推奨しますよー。

    追記読ませて頂きました
    にゃんにゃん
    はい、未完でいいと思います(^^)
    自律する姿勢が大事と感じています。

    完璧という表現、誤解を招いてしまいましたね。
    ごめんなさい。

    完璧と思う⇒自分の心と向かい合い、その時の最善を尽くす、そんな意味合いでの表現でした。

    あるがままを認められた、受け入れ体験のない私は、以前は固定観念に執着してました。
    押し付けのプロみたい(しかも完璧な価値観でした。心にありましたのは、母と別の価値観。もう 誰にも脅かされる事のない価値観が欲しかった、それが本心でした。)でした。

    そんな執着は、手放したと思いました。
    しかし、それは思い込みで、つもりでした。

    ご指摘有難うございます。
    まだ、完全には抜けきれてないと発見出来ました。
    無意識でしてる、自己洗脳、、。

    まだまだ、でした。
    引き続き、自分と向かい合います(^^)

    有難うございます。


    wakako
    正直と素直
     
    むむむむ・・・
    これが難しい

    「自分を出してはいけない」と生きてきたんだもの
    「ほんとの自分を見せちゃったら嫌われる」と相手に合わせて生きてきたんだもの

    自分を信じていないんだもの

    だからすごーくおっかなびっくり、勇気を振り絞ってになる
    でも少しずつ正直と素直になれてるかな?

    正直さと素直が自己一致へのただ一つの道であり、自己一致すれば正直で素直になる
    正直と素直ってまだ照れくさいけどすがすがしいなぁ

    時の経過と共に
    にゃんにゃん
    個人的には、もっと、こうしていたらと思うことあると思いますし、むしろ、あっていいと思います。

    私自身、どんなにその時出来る精一杯をしても、今ならこうしたかなぁ、こう出来たなぁと悔むこともあります。

    体験からしか人は学べません。そういう体験だったから、次に生かそうと感じるのかなぁと、また、悔む気持ちがあるから成長できますし、沢山の経験を積むことで、より適切に対処できるようにも感じます。
    かつて自分をこれでもかと苦しめた癖や過去。今では、自分の支えになっています。

    もっと言ってしまうと、同じ体験でも思いや感じ方は千差万別だから、人は支え合えると思います。

    私は、すべての人は本来愛溢れる存在で、そうなれない何かがあり、自己責任を取らず人のせいにし、貶めると気付いていたのもあり、どんな目にあっても人が好きなのです。

    人の持つ無限の可能性を信じるカウンセラーといえど、心ある一人の人間ですもの。完璧だと思っていても今ならもっとと思っていいと思います。

    完全なる自己一致してると思っても頭の中の支配により手の上で踊らされることもあるでしょうし、、。
    お恥ずかしい話ながら私が、その典型でした。

    今回の真智子先生の記事を読ませて頂いて、どれほど励みになったか解りません。

    きっかけを嬉しく思います。

    心から、有難うございました。

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    Re: 子供の話を聞く時
    > これどう思う?と私の意見を聞きたがります。
    >そういう時に私の考えを言ってもいいのでしょうか。

    面白いですね。意見を聞きたがる娘さん
    そして、私に聞いているユキさん。

    ここに何かヒントがあるのかなと感じます。
    あくまでも、コメントからの印象です。^^
    2013/04/07(Sun) 08:49 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    子供の話を聞く時
    こんにちは ブログ興味深く読ませて頂いております。このままでいいのか不安になりコメントしました。毎日二人の娘の話を聞いています。上の娘は会社の事、下の娘は彼氏の事。悩みだったりグチだったり。片方が約1時間 計2時間。大体週5〜6日。それでスッキリしてもらえればと思って面倒な時も聞く様にしていますが、これどう思う?と私の意見を聞きたがります。そういう時に私の考えを言ってもいいのでしょうか。言ってしまうと自分で考える事をしなくなってしまう様な感じがあり、どうした物かと…娘は21と19です。父親嫌いの人間に育ててしまいどうも私に対して依存傾向があるのではと心配になりまして中尾相談室のブログを毎日少しづつ読ませて頂いております。
    2013/04/05(Fri) 11:38 | URL  | ユキ #27sysNC2[ 編集]
    Re: 追記読ませて頂きました

    > まだまだ、でした。
    > 引き続き、自分と向かい合います(^^)

    私もまだまだです。ずっとまだまだなんだろうけれど、自分をよしよしして生きてゆくことを良しとしていきます。
    2012/03/26(Mon) 21:54 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    Re: タイトルなし

    > 「自分を出してはいけない」と生きてきたんだもの
    > 「ほんとの自分を見せちゃったら嫌われる」と相手に合わせて生きてきたんだもの
    > 自分を信じていないんだもの

    私を含め多くの皆さんが、こんな風な子ども時代を過ごしてきたんだなぁーと切ないです。

    > 正直と素直ってまだ照れくさいけどすがすがしいなぁ

    ほんと、すがすがしいですよぉ。自分に正直になってみたら、人のせいにしていられないですから、自分の傷を直視するのだけど、それが出来る勇気があればたいしたもんだと思います。^^
    2012/03/26(Mon) 21:51 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    Re: 時の経過と共に

    > 完全なる自己一致してると思っても頭の中の支配により手の上で踊らされることもあるでしょうし、、。
    > お恥ずかしい話ながら私が、その典型でした。
    >

    生きにくいことがおありだったのですね。私は今とてもシンプルに生きたいと思っています。好き、面白い、楽しい、そういうものと過ごしたいと思っています。随分らくちんですから推奨しますよー。
    2012/03/26(Mon) 21:43 | URL  | 中尾真智子 #-[ 編集]
    追記読ませて頂きました
    はい、未完でいいと思います(^^)
    自律する姿勢が大事と感じています。

    完璧という表現、誤解を招いてしまいましたね。
    ごめんなさい。

    完璧と思う⇒自分の心と向かい合い、その時の最善を尽くす、そんな意味合いでの表現でした。

    あるがままを認められた、受け入れ体験のない私は、以前は固定観念に執着してました。
    押し付けのプロみたい(しかも完璧な価値観でした。心にありましたのは、母と別の価値観。もう 誰にも脅かされる事のない価値観が欲しかった、それが本心でした。)でした。

    そんな執着は、手放したと思いました。
    しかし、それは思い込みで、つもりでした。

    ご指摘有難うございます。
    まだ、完全には抜けきれてないと発見出来ました。
    無意識でしてる、自己洗脳、、。

    まだまだ、でした。
    引き続き、自分と向かい合います(^^)

    有難うございます。
    2012/03/23(Fri) 20:39 | URL  | にゃんにゃん #-[ 編集]
    正直と素直
     
    むむむむ・・・
    これが難しい

    「自分を出してはいけない」と生きてきたんだもの
    「ほんとの自分を見せちゃったら嫌われる」と相手に合わせて生きてきたんだもの

    自分を信じていないんだもの

    だからすごーくおっかなびっくり、勇気を振り絞ってになる
    でも少しずつ正直と素直になれてるかな?

    正直さと素直が自己一致へのただ一つの道であり、自己一致すれば正直で素直になる
    正直と素直ってまだ照れくさいけどすがすがしいなぁ
    2012/03/12(Mon) 17:02 | URL  | wakako #-[ 編集]
    時の経過と共に
    個人的には、もっと、こうしていたらと思うことあると思いますし、むしろ、あっていいと思います。

    私自身、どんなにその時出来る精一杯をしても、今ならこうしたかなぁ、こう出来たなぁと悔むこともあります。

    体験からしか人は学べません。そういう体験だったから、次に生かそうと感じるのかなぁと、また、悔む気持ちがあるから成長できますし、沢山の経験を積むことで、より適切に対処できるようにも感じます。
    かつて自分をこれでもかと苦しめた癖や過去。今では、自分の支えになっています。

    もっと言ってしまうと、同じ体験でも思いや感じ方は千差万別だから、人は支え合えると思います。

    私は、すべての人は本来愛溢れる存在で、そうなれない何かがあり、自己責任を取らず人のせいにし、貶めると気付いていたのもあり、どんな目にあっても人が好きなのです。

    人の持つ無限の可能性を信じるカウンセラーといえど、心ある一人の人間ですもの。完璧だと思っていても今ならもっとと思っていいと思います。

    完全なる自己一致してると思っても頭の中の支配により手の上で踊らされることもあるでしょうし、、。
    お恥ずかしい話ながら私が、その典型でした。

    今回の真智子先生の記事を読ませて頂いて、どれほど励みになったか解りません。

    きっかけを嬉しく思います。

    心から、有難うございました。
    2012/03/12(Mon) 07:31 | URL  | にゃんにゃん #-[ 編集]
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