父の変遷と水墨画を読んで、あっという間のようでありながら着々と重ねた4年の月日が蘇りました。
同居を始めた頃の私は、「これは女性がやることだから」という同じ女性からの押し付けや、「べきねば」で生きている人の押し付けに嫌悪感が湧いて、油断すると急接近で依存される感覚に慄いたりしました。
私の母親に同居のことを話したら「こどもが親の面倒をみるのは当たり前でしょ。」「あら、私は二人も姑(再婚したから)を看取ったわよ。」と言われました。
娘を労わることもなくこのように言う彼女は息子夫婦と同居しているわけで、嫁である義妹のことを思うと、母の言葉に厚かましさを感じて、なんともいえぬ恥ずかしさ情けなさでいっぱいになりました。
また、自分がやったことは我が子もやって当たり前という感覚があるのでしょう。
以前「ええ?私の子どもなのに掃除が嫌いなの!?」と驚かれ(姉は母直伝で掃除が好き、私は祖母との暖かい記憶で洗濯が好き)、逆に「あなたが掃除好きだったなんて、私たちにさせてたから知らなかったよ?」と驚きましたっけ。
そんな母に「ジェノグラムを書かせて欲しい」とお願いしたのが去年の1月で色々なことが見えてきて、祖母と母の関係も親子逆転していたこと、祖母も母も私も次女で同じような連鎖を持っていたこともわかりました。
色々スッキリして今後は母に腹を立てることも無意味だし止めようと思った矢先に、全く別のところで災難は起こっていて、それもこれも母の甘えや油断が状況を悪くしていったので致し方なし。
さてさて、義父母と暮らし始めた当初は、油断すると私の無意識の脚本が発動して、母の価値観「介護は嫁がやるものだ」を引き受けてせっせと介護しようとしたり、「家にはいつも誰かがいないとならない」と言う人の刷り込みに捉われかけたりしては、『甘やかしは義父母の生活力を奪う』と思い返して踏みとどまるーその繰り返しでした。
こちらが無意識の脚本で動いた時は、必ず寄りかかられてしまい『本当に彼らをダメにするのは、こういう時の私なのだ!』と戒めながら生活していました。
暮らし始めは、家事も介護も夫と半分くらいで、気がついた時のタイミングで関わっていましたが、だんだんと得意なことを分業するようになり、守備範囲が決まっている分他のことを気にしないので心の余裕が全然違いますね。
人生を楽しもう!
引っ越してから諦めの脚本に引っ張られかけていたけど、私は楽しむぞー!
思い切って習い事を始めました。
産まれて初めての発表会(自作の歌を披露)も経験して、次の課題曲が決まった頃に、夫から絵でもやらないかと誘われました。
正直、気が進みませんでした。お金も時間もかけてやりたいことと思えなかったのです。
ためいきまじりに付いていった水墨画教室
「私はおじいちゃまの付き添いで来ただけで、習字も嫌いで左利きだから無理です〜。」
「あら、左利き!いいですねえ。左で描いたらいいですよ。」と先生はにこにこ
格調高い水墨画の世界の敷居をかなり渡りやすくしてくれたのです。
教室のみなさんも「私はピアノしか練習しないです〜。」とのうのうと言う私をあたたかく迎えてくれました。
教室では、当日にいただいたお手本を見ながら練習をして、次のレッスンに提出、黒板に貼ってみんなで見て感想を言う、そんな感じですが、私たち3人は初級なので、まずはいろんな線描きです。
直線、曲線、丸、葉っぱ、竹、木、岩、という具合に少しずつ課題をもらいました。
一ヶ月に2回ですから、そうそう進みませんが、夫はたまに家で練習をするので上達が早いです。
それでもひとつでも上手く描けたら「あら、初めてなのに上手だわぁ」と褒めてくださるお姉さまがたに乗せられて、通うのが楽しくなっちゃいました。
半年も経たない頃に「カルチャーセンターに展示しますから」と先生から通達があり、新人さんもと言われても何も描けないから諦めていました。
いや、諦める以前にやる気がありませんでした。
みなさんの立派な作品を毎回見てきて、とてもじゃないが無理無理〜〜。
ところが、どういった心境でしょうか、描いちまったんですね。
その絵は、木々があり、水面に映る景色があり、光があり、私にとってはレベルが高いものでした。練習嫌いですから、1枚目で本番です。
「ダイナミックで良いですねぇ。」先生は私の伸ばし方を会得した様です。しゅばらしいー。
同じお手本で夫も描いたのですが、とても繊細で丁寧で、絵と向き合う根気の良さには感心しました。
ふたりとも先生の手直しをいただいて、次は本番です。
私は大作を描いて満足してしまい、あれ以上の絵なんかかけるものか、と思って諦めていました。
夫がますます磨きがかかっていくのに感動しても、描く気になれないし、別にいいやって思っていました。
ところが、提出前日に、しかも夕方に無償に描きたくなってしまったんですね。
脚本(別にいいや)に従う私に痺れを切らしたチャイルドが溢れ出たとでもいうか・・・
大作じゃなくていい!
新人の作品は今だからかける!(ずっと新人並と本当の新人は違う)
新人ならではの作品をかこう!
私にしては、3枚は練習したと思います。
いまいちな線や葉っぱがあるけれど、まずます頑張りました。
英司の作品は、水面を霧吹きを使ったり、何度も手を加えて素晴らしい作品になりました。
私が今やりたいのはピアノなので、今後は作品を提出する機会が巡ってくるかわかりません。
けれども、もしチャンスが与えられたら、気持ちのまま作品を描きたいです。
たった一度の人生、子どもの頃にやりたかったこと、やれなかったことを楽しみます。
いつも思うことだけど・・・
いろいろと乗り越えたつもりでも、更に深いところの棚卸しが待っています。
そして、それはやっぱり母親に繋がっていくのでした。
終わりなんてないのでしょうけれど、自分を選び、その道を信じる、信じて進むのです。
道はいつも整理整頓されてはいません。
頭でどれほど分析したところで、分析とおりに進めません。
葛藤は葛藤で、混沌は混沌でしっかり味わって、それを外から眺めて、自分から出たいと思ってからでないと先に進めません。
この過程を、一足飛びに進もうとしても必ずつまづきます。
けど、つまづいた自分を省みてまた進めば良いのです。
ダメだとレッテルを貼らないことです。
まだこんなところに居るのか、と絶望するのは脳の仕業。
諦めないで自分を愛していきましょう。
私の母親に同居のことを話したら「こどもが親の面倒をみるのは当たり前でしょ。」「あら、私は二人も姑(再婚したから)を看取ったわよ。」と言われました。
娘を労わることもなくこのように言う彼女は息子夫婦と同居しているわけで、嫁である義妹のことを思うと、母の言葉に厚かましさを感じて、なんともいえぬ恥ずかしさ情けなさでいっぱいになりました。
また、自分がやったことは我が子もやって当たり前という感覚があるのでしょう。
以前「ええ?私の子どもなのに掃除が嫌いなの!?」と驚かれ(姉は母直伝で掃除が好き、私は祖母との暖かい記憶で洗濯が好き)、逆に「あなたが掃除好きだったなんて、私たちにさせてたから知らなかったよ?」と驚きましたっけ。
そんな母に「ジェノグラムを書かせて欲しい」とお願いしたのが去年の1月で色々なことが見えてきて、祖母と母の関係も親子逆転していたこと、祖母も母も私も次女で同じような連鎖を持っていたこともわかりました。
色々スッキリして今後は母に腹を立てることも無意味だし止めようと思った矢先に、全く別のところで災難は起こっていて、それもこれも母の甘えや油断が状況を悪くしていったので致し方なし。
さてさて、義父母と暮らし始めた当初は、油断すると私の無意識の脚本が発動して、母の価値観「介護は嫁がやるものだ」を引き受けてせっせと介護しようとしたり、「家にはいつも誰かがいないとならない」と言う人の刷り込みに捉われかけたりしては、『甘やかしは義父母の生活力を奪う』と思い返して踏みとどまるーその繰り返しでした。
こちらが無意識の脚本で動いた時は、必ず寄りかかられてしまい『本当に彼らをダメにするのは、こういう時の私なのだ!』と戒めながら生活していました。
暮らし始めは、家事も介護も夫と半分くらいで、気がついた時のタイミングで関わっていましたが、だんだんと得意なことを分業するようになり、守備範囲が決まっている分他のことを気にしないので心の余裕が全然違いますね。
人生を楽しもう!
引っ越してから諦めの脚本に引っ張られかけていたけど、私は楽しむぞー!
思い切って習い事を始めました。
産まれて初めての発表会(自作の歌を披露)も経験して、次の課題曲が決まった頃に、夫から絵でもやらないかと誘われました。
正直、気が進みませんでした。お金も時間もかけてやりたいことと思えなかったのです。
ためいきまじりに付いていった水墨画教室
「私はおじいちゃまの付き添いで来ただけで、習字も嫌いで左利きだから無理です〜。」
「あら、左利き!いいですねえ。左で描いたらいいですよ。」と先生はにこにこ
格調高い水墨画の世界の敷居をかなり渡りやすくしてくれたのです。
教室のみなさんも「私はピアノしか練習しないです〜。」とのうのうと言う私をあたたかく迎えてくれました。
教室では、当日にいただいたお手本を見ながら練習をして、次のレッスンに提出、黒板に貼ってみんなで見て感想を言う、そんな感じですが、私たち3人は初級なので、まずはいろんな線描きです。
直線、曲線、丸、葉っぱ、竹、木、岩、という具合に少しずつ課題をもらいました。
一ヶ月に2回ですから、そうそう進みませんが、夫はたまに家で練習をするので上達が早いです。
それでもひとつでも上手く描けたら「あら、初めてなのに上手だわぁ」と褒めてくださるお姉さまがたに乗せられて、通うのが楽しくなっちゃいました。
半年も経たない頃に「カルチャーセンターに展示しますから」と先生から通達があり、新人さんもと言われても何も描けないから諦めていました。
いや、諦める以前にやる気がありませんでした。
みなさんの立派な作品を毎回見てきて、とてもじゃないが無理無理〜〜。
ところが、どういった心境でしょうか、描いちまったんですね。
その絵は、木々があり、水面に映る景色があり、光があり、私にとってはレベルが高いものでした。練習嫌いですから、1枚目で本番です。
「ダイナミックで良いですねぇ。」先生は私の伸ばし方を会得した様です。しゅばらしいー。
同じお手本で夫も描いたのですが、とても繊細で丁寧で、絵と向き合う根気の良さには感心しました。
ふたりとも先生の手直しをいただいて、次は本番です。
私は大作を描いて満足してしまい、あれ以上の絵なんかかけるものか、と思って諦めていました。
夫がますます磨きがかかっていくのに感動しても、描く気になれないし、別にいいやって思っていました。
ところが、提出前日に、しかも夕方に無償に描きたくなってしまったんですね。
脚本(別にいいや)に従う私に痺れを切らしたチャイルドが溢れ出たとでもいうか・・・
大作じゃなくていい!
新人の作品は今だからかける!(ずっと新人並と本当の新人は違う)
新人ならではの作品をかこう!
私にしては、3枚は練習したと思います。
いまいちな線や葉っぱがあるけれど、まずます頑張りました。
英司の作品は、水面を霧吹きを使ったり、何度も手を加えて素晴らしい作品になりました。
私が今やりたいのはピアノなので、今後は作品を提出する機会が巡ってくるかわかりません。
けれども、もしチャンスが与えられたら、気持ちのまま作品を描きたいです。
たった一度の人生、子どもの頃にやりたかったこと、やれなかったことを楽しみます。
いつも思うことだけど・・・
いろいろと乗り越えたつもりでも、更に深いところの棚卸しが待っています。
そして、それはやっぱり母親に繋がっていくのでした。
終わりなんてないのでしょうけれど、自分を選び、その道を信じる、信じて進むのです。
道はいつも整理整頓されてはいません。
頭でどれほど分析したところで、分析とおりに進めません。
葛藤は葛藤で、混沌は混沌でしっかり味わって、それを外から眺めて、自分から出たいと思ってからでないと先に進めません。
この過程を、一足飛びに進もうとしても必ずつまづきます。
けど、つまづいた自分を省みてまた進めば良いのです。
ダメだとレッテルを貼らないことです。
まだこんなところに居るのか、と絶望するのは脳の仕業。
諦めないで自分を愛していきましょう。
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【タグ】 インナーチャイルド 人生脚本 無意識 脳内親
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夫が、花壇の面白さに目覚めたのはごくごく最近のことです。
実は私も花壇に縁がなく、それどころかアブラナの種をそこらの土に植えて育たなかった(小2の宿題)嫌な思い出があるので、社宅の花壇に途方に暮れましたっけ。
それでも土は私に優しかった
実は私も花壇に縁がなく、それどころかアブラナの種をそこらの土に植えて育たなかった(小2の宿題)嫌な思い出があるので、社宅の花壇に途方に暮れましたっけ。
それでも土は私に優しかった
季節の花々が咲き乱れ
枝豆の収穫を子どもたちと楽しんだし
インゲンはご近所さんが支柱立て等を手伝ってくれたし
毎日少しずつ雑草を取っては、アリッサムを這わせましたっけ。
アリッサムをそうっとめくると、可愛らしいトカゲの卵があってね、
うっかりひとつ潰してしまったんだけど、孵るまでは気をつけていましたっけ。
小さいトカゲは糸みたいに可愛らしくて大好き。
ああ〜あのトカゲちゃんたちは元気かなぁ。
お〜っと!夫の花壇についてでした。
★土起こしの巻--------------------
引っ越し先で割り当てられた花壇の土起こしをしてもらった時のこと、真上の部屋から見て、私は「黒々とほこほこした土になった〜」と大変気をよくしていました。
だがしかし!
次に見た時にはびっくりがっかり
すんばらしく小高い山と、泥だんごと、裸足の父子
あのほこほこした土を触りたかった〜
そこに植えたかった〜
もう一回私がほこほこさせないだべさ〜
雑草の根っこも混じってる〜?
うっげー!硬そうな土だぞ・・・
何度か土起こしはしてもらったけれど、毎回こうでした。
子どもたちの嬉しそうな笑顔を見ると怒れないけどね、パパがやり直してくれるならいいのにさっ
不満たらたら抱きながら、一人でやりなおしたものです。
★生い茂る雑草の巻----------------
2014年5月にこの家に引っ越してきた時、伸び放題の雑草を刈ろうとしたら
「風情を楽しみたいからそのままにしておいて」と言われ、私はしばしフリーズしました。頭の中が過去の嫌な経験(ムカデ、ゲジゲジ、スズメバチの巣など)が浮かび、ぞ〜〜〜っ
「わかった(=私はそこに出ない)」と言ったものの、洗濯物を干す時に嫌でもベランダに出るわけで、あっというまに高々と雑草が伸び、涙がチョチョ切れそう。
もうやだ!
もう無理!
あちこちかゆい!
風情っていうけど、雑草にまみれて住んでいるのはご近所で我が家だけだものねぇ。
一軒家が雑草にまみれていると、ただの荒れ屋敷だよなぁ。
「あまり酷いと思う、草刈っていい?」
「そうまで言うなら刈ってもいいけど、少し残しといて。あの辺とあの辺はそのままね」
一人で黙々と一軒家にはびこった雑草を刈りながら、「これは夫のもの(私のじゃない)」と自分に言い聞かせました。雑草を刈りたくない持ち主に、私の心身の健康のためにご無理言って刈らせていただいているーそうでも思わないと、やってらんねがったよ〜〜。
★畝?--------------
いよいよ義父母を迎え、花を植えるだんになったら、義父が立派な畝を4つくらい作っていました。
「え?畑借りたのにここも畑にするの?」
夫いわく、せっかく義父が作った畝を壊すのも忍びないのでだんだんと作っていく、とのこと。
畝に植得られた花は、野菜のように花が等間隔で咲いている状態でした。
水やりのたびに土が少しずつ流れていくので、そのうちに花の根っこが露わになって、まぁ、弱ったり枯れたりしました。
夫が、花の色を見てはあっちこっちに植え替えて弱らせたものもあったと思います。
居間に座る義母から見えるところに綺麗に花を植えたいー義母は自宅の前の道路をコスモス街道にしたり、庭はところ狭しと花が植わっていましたから、一人で動けなくなった義母をせめて好きな花で癒したい思いはよくわかります。
前の段階でだいぶ手放していたので、(やりたいようにやったらいいよ)と思って見ていたし、頼まれたら手伝いました。
そのうち、義父が大きい畑を借りているのに、花壇にミニトマトを植えたり、野菜の苗を植えたりしました。お花たちの脇にネギ苗を何本も突っ込んだ頃に、夫が花たちの救済に動きましたっ!
「花壇は手を出さない」という取り決めをしたことと、庭に置いていたコンポストを畑に移動したおかげで、義父の《土を見ると野菜を植えたい症候群》から、花壇の景観が守られるようになりました。
★覚醒?-------------
夫が畝を取り壊し、自由に花を植え始めましたが、今度は多少の植え替えでも弱りません。
花を増やすたびに、全体を見ては必要を感じたら植え替えます。私が種から育てたシソもバジルも、お花たちの為なら、いとも簡単に植え替えられて、あたしゃ必死こいて水やりしましたともさっ。
そんなある朝「ミントティーでいれたコーヒーが美味しい!」と夫。
バジル入りとまとスープ、バジルサラダ、バジルパスタ、ローズマリーの香りのウィンナー、それらを食べた彼は、お花だけじゃなくハーブにも着目し始めましたから楽しみ。
さて、雑草さえ切りたくないのですから、伸びた花も木も切りたくないわけで、おかげでランタナは伸び放題、強い花は根っこは一つなのにどんどん横に伸びて行きました。
その夫が、今年になって、摘芯、切り戻し、刈り込みを始めました。
これまでは咲いている花があるから切れなかったーすると上に伸びるばっかりで良い花が咲かないー花を楽しむためには伸び放題にして良いわけじゃないんだ、とやっと辿り着いたようです。
更には、にゃんと!夫が雑草を取ってるではありませんか!?
感激!
「雑草にも名前がある!」と言っていた(だからって名前を知ってるわけじゃないが)夫が、お花のために雑草の根っこを抜いているんだもん。(※刈らないです、抜いてます)
「あ、カタバミは抜かないでね」という夫も、なんとも可愛らしい。
彼のブログを見ると、今年の春からすごいですね。
昔は、花壇の土起こしをしたら、まず大きな山を作ってトンネルを作る夫でした。
水も使ってカチカチに固めた山をそのまま放置して、満面の笑みで風呂場に行く夫でした。
その夫がまるで「花博士(我が家の花壇限定)」のようです。
感動しちゃいます。
凄いなぁ。
「書く」ことを空気のようにやってきたのかなぁ。
「書く」には、内容について吟味しなければならないから、常に研究熱心で観察熱心だなぁと感心します。
よろしかったら、どうぞ〜。
春の庭模様
※写真はフォト蔵の事情で見れないものもありますが、修復次第見れるようになるようです。「flickr」もお楽しみください。(^^)
枝豆の収穫を子どもたちと楽しんだし
インゲンはご近所さんが支柱立て等を手伝ってくれたし
毎日少しずつ雑草を取っては、アリッサムを這わせましたっけ。
アリッサムをそうっとめくると、可愛らしいトカゲの卵があってね、
うっかりひとつ潰してしまったんだけど、孵るまでは気をつけていましたっけ。
小さいトカゲは糸みたいに可愛らしくて大好き。
ああ〜あのトカゲちゃんたちは元気かなぁ。
お〜っと!夫の花壇についてでした。
★土起こしの巻--------------------
引っ越し先で割り当てられた花壇の土起こしをしてもらった時のこと、真上の部屋から見て、私は「黒々とほこほこした土になった〜」と大変気をよくしていました。
だがしかし!
次に見た時にはびっくりがっかり
すんばらしく小高い山と、泥だんごと、裸足の父子
あのほこほこした土を触りたかった〜
そこに植えたかった〜
もう一回私がほこほこさせないだべさ〜
雑草の根っこも混じってる〜?
うっげー!硬そうな土だぞ・・・
何度か土起こしはしてもらったけれど、毎回こうでした。
子どもたちの嬉しそうな笑顔を見ると怒れないけどね、パパがやり直してくれるならいいのにさっ
不満たらたら抱きながら、一人でやりなおしたものです。
★生い茂る雑草の巻----------------
2014年5月にこの家に引っ越してきた時、伸び放題の雑草を刈ろうとしたら
「風情を楽しみたいからそのままにしておいて」と言われ、私はしばしフリーズしました。頭の中が過去の嫌な経験(ムカデ、ゲジゲジ、スズメバチの巣など)が浮かび、ぞ〜〜〜っ
「わかった(=私はそこに出ない)」と言ったものの、洗濯物を干す時に嫌でもベランダに出るわけで、あっというまに高々と雑草が伸び、涙がチョチョ切れそう。
もうやだ!
もう無理!
あちこちかゆい!
風情っていうけど、雑草にまみれて住んでいるのはご近所で我が家だけだものねぇ。
一軒家が雑草にまみれていると、ただの荒れ屋敷だよなぁ。
「あまり酷いと思う、草刈っていい?」
「そうまで言うなら刈ってもいいけど、少し残しといて。あの辺とあの辺はそのままね」
一人で黙々と一軒家にはびこった雑草を刈りながら、「これは夫のもの(私のじゃない)」と自分に言い聞かせました。雑草を刈りたくない持ち主に、私の心身の健康のためにご無理言って刈らせていただいているーそうでも思わないと、やってらんねがったよ〜〜。
★畝?--------------
いよいよ義父母を迎え、花を植えるだんになったら、義父が立派な畝を4つくらい作っていました。
「え?畑借りたのにここも畑にするの?」
夫いわく、せっかく義父が作った畝を壊すのも忍びないのでだんだんと作っていく、とのこと。
畝に植得られた花は、野菜のように花が等間隔で咲いている状態でした。
水やりのたびに土が少しずつ流れていくので、そのうちに花の根っこが露わになって、まぁ、弱ったり枯れたりしました。
夫が、花の色を見てはあっちこっちに植え替えて弱らせたものもあったと思います。
居間に座る義母から見えるところに綺麗に花を植えたいー義母は自宅の前の道路をコスモス街道にしたり、庭はところ狭しと花が植わっていましたから、一人で動けなくなった義母をせめて好きな花で癒したい思いはよくわかります。
前の段階でだいぶ手放していたので、(やりたいようにやったらいいよ)と思って見ていたし、頼まれたら手伝いました。
そのうち、義父が大きい畑を借りているのに、花壇にミニトマトを植えたり、野菜の苗を植えたりしました。お花たちの脇にネギ苗を何本も突っ込んだ頃に、夫が花たちの救済に動きましたっ!
「花壇は手を出さない」という取り決めをしたことと、庭に置いていたコンポストを畑に移動したおかげで、義父の《土を見ると野菜を植えたい症候群》から、花壇の景観が守られるようになりました。
★覚醒?-------------
夫が畝を取り壊し、自由に花を植え始めましたが、今度は多少の植え替えでも弱りません。
花を増やすたびに、全体を見ては必要を感じたら植え替えます。私が種から育てたシソもバジルも、お花たちの為なら、いとも簡単に植え替えられて、あたしゃ必死こいて水やりしましたともさっ。
そんなある朝「ミントティーでいれたコーヒーが美味しい!」と夫。
バジル入りとまとスープ、バジルサラダ、バジルパスタ、ローズマリーの香りのウィンナー、それらを食べた彼は、お花だけじゃなくハーブにも着目し始めましたから楽しみ。
さて、雑草さえ切りたくないのですから、伸びた花も木も切りたくないわけで、おかげでランタナは伸び放題、強い花は根っこは一つなのにどんどん横に伸びて行きました。
その夫が、今年になって、摘芯、切り戻し、刈り込みを始めました。
これまでは咲いている花があるから切れなかったーすると上に伸びるばっかりで良い花が咲かないー花を楽しむためには伸び放題にして良いわけじゃないんだ、とやっと辿り着いたようです。
更には、にゃんと!夫が雑草を取ってるではありませんか!?
感激!
「雑草にも名前がある!」と言っていた(だからって名前を知ってるわけじゃないが)夫が、お花のために雑草の根っこを抜いているんだもん。(※刈らないです、抜いてます)
「あ、カタバミは抜かないでね」という夫も、なんとも可愛らしい。
彼のブログを見ると、今年の春からすごいですね。
昔は、花壇の土起こしをしたら、まず大きな山を作ってトンネルを作る夫でした。
水も使ってカチカチに固めた山をそのまま放置して、満面の笑みで風呂場に行く夫でした。
その夫がまるで「花博士(我が家の花壇限定)」のようです。
感動しちゃいます。
凄いなぁ。
「書く」ことを空気のようにやってきたのかなぁ。
「書く」には、内容について吟味しなければならないから、常に研究熱心で観察熱心だなぁと感心します。
よろしかったら、どうぞ〜。
春の庭模様
※写真はフォト蔵の事情で見れないものもありますが、修復次第見れるようになるようです。「flickr」もお楽しみください。(^^)
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