家族カウンセラーの想いつれづれ
    誰もが、自分の大事な時間(命)を生きています。

    そのことを忘れて、人の時間(自分の時間)を奪うハラスメント行為はよく見られます。



    ハラッサーは、最もらしい理屈を色々つけて仕掛けてきます。

    自分が軽くなるために、人を利用していることに気がつきません。

    自分の重荷が軽くなる分、相手に重荷を乗せてしまいます。

    本当には軽くなりませんからおなじことを繰り返します。

    本当に向き合うのは、自分自身です。




    ハラッサーは無意識ですから、相手も無意識に受け取ります。

    後から、あの時間はなんだったのだろう・・・と空虚な気持ちになります。

    うかつにも自らのってしまったことには目を瞑り、奪われた時間に腹が立ったり、奪った相手を恨みたくなります。

    このまま、相手のせいにしたら、ハラッシーハラッサーの誕生ですね。

    本当に向き合うのは、自分自身です。




    ハラスメント界は、過去の執着と将来の不安を抱え続けて今を見ようとしません。

    ハラッサーは、無意識に過去(の誰か、あるいは出来事)を恨み続けることを選び続けて、その執着を手放しません。

    ハラッシーは、無意識に過去(の誰か、あるいは出来事)に責められ続けることを選び続けて、その執着を手放しません。

    昨日という過去に執着して、明日を生きれないと心配して「今」という時を「不安」に生きています。

    本当に向き合うのは、常に自分自身の内側です。

    それをせずに、そのもやもやざわざわを、誰かにわかってもらいたいという依存でハラスメントを仕掛ける。

    わかりにくいハラッシーで仕掛けることも多いです。

    ハラスメント界をぐるぐる彷徨い続けます。




    ハラスメント界で生きられる人は、それで幸せです。

    むしろ、依存出来ないので、自律(自由+責任)の世界は居心地が悪いかもしれません。

    自律の世界で、自らの責任で物事を選び決めて行動する自由を味わうにつれて、ハラスメント界の生き難さを痛感されてゆかれます。

    ハラスメント界から離れれば離れるほど、ハラスメントを異質に感じるようになりますから、おのずと世界が別れてゆきます。




    私たちの中にハラスメントは存在します。

    どちらにいたいか、いつも自分次第です。

    ハラッサーでいたら、相手のハラッシーを引き出しやすいでしょう。

    ハラッシーでいたら、相手にハラッサーを受けたと嘆くことが出来ます。

    気がついたら、向き合うのは自分です。

    傷ついた、傷つけた、と相手を対象に悩む膨大な時間を自分に注ぐと良いです。

    自分の時間が昨日で止まっているように、都合良く相手の時間は止まっていません。

    自立度が高い人ならば、傷つけた痛みも、傷つけられた痛みも、早々に向き合っていますから、すでに時間の流れが違います。




    出来事は、人生において一瞬です。

    一瞬の過去の痛みに執着し続けることが、ハラスメント界を作り出しているのかもしれません。

    その傷が、未来を不安に曇らせているもかもしれません。





    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2014/03/27 08:53】 | ハラスメント
    【タグ】 ハラッサー  ハラッシー  ハラスメント  怒り  無意識  インナーペアレンツ  人生脚本  
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    則さんへ
    中尾真智子
    コメントをありがとうございます。

    【ハラスメント界は、過去の執着と将来の不安を抱え続けて今を見ようとしません。】
    【ハラッサーは、無意識に過去(の誰か、あるいは出来事)を恨み続けることを選び続けて、その執着を手放しません。】

    この二文だけをピックアップされていますが、私は、その次に

    【ハラッシーは、無意識に過去(の誰か、あるいは出来事)に責められ続けることを選び続けて、その執着を手放しません。】と書いています。並列で書いているのに、こちらはピックアップされていないことが不思議ですね。則さんの無意識が、あえて避けたように感じました。ハラッサーもハラッシーも同じ世界の住人です。どちらも哀しい連鎖を受けて育って今があります。

    さて、則さんのコメントですが、動詞が全部【受け身】ですね。この【受け身】の姿勢こそが親からの連鎖ではないでしょうか。責められつづけ、蔑まれ、一方的に決めつけられ、拒絶され、理不尽なことを言われ続ける【受け身】から、ご自身はどう変わってゆきたいのでしょう。「こどももまいっています。」とありますが、子どもを守る親として、どうありたいのでしょう。厳しいようですが、抱えている問題や自分自身と、しっかり向き合う覚悟がないままでは、相手を悪者にして愚痴を言ってその後が進みません。また、【受け身】で居続けると、カウンセラーのフィードバックが、自分を責めているように感じられて苦しくなって続きません。

    今は、自分自身の抱えている問題点を明白にして、ご自身に合ったカウンセラー探しをする時期ではないかと推察します。応援しています。


    質問させてください。

    ハラスメント界は、過去の執着と将来の不安を抱え続けて今を見ようとしません。

    ハラッサーは、無意識に過去(の誰か、あるいは出来事)を恨み続けることを選び続けて、その執着を手放しません。

    家内にずっと責められつづけています。
    蔑まされているというか・・

    子供も注意という感じで責められ続け反抗するとさらに責められます。
    こどもの反抗は父親の叱れないから、みじゅくものだからと、100%父親の責任にされます。
    父のわたしは問題を抱えているからと精神科、
    心療内科、カウンセラーの所へ行けといわれます。
    人の話は聞かず、一方的に決めつけられ、どうしようもないので第三者に入ってもらい話し合いをと提案しても拒絶され困っています。

    いつも不安でいらいらし、わたしはずっと理不尽なことを言われつづけています。

    いろいろ読んできましたが、このハラサーの説明がとてもフィットしました。

    こちらでわたしひとりでも相談できますか?
    できなかれば、どこかいい相談所を紹介していただけませんか?
    宜しくお願いいたします。
    こどももまいっています。


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    昨日は、「アナと雪の女王」を見たくて朝一番に見に行きました。一人で映画を見るのはなんといっても気楽です。しかし、エンディングの歌を聞いた時に、物語に散らばっているエピソードのあれもこれも『英司だ!』と、閃き(相応しい言葉が見当たらないので)ました。

    映画が終わるとすぐに外に出て電話をしました。
    「アナの雪の女王を一緒に見ましょ。」
    「え?なんで?」
    「これは、あなたが見なくちゃ。次の映画は間に合わないから、その次の映画の切符を買っておくから。ポイントが溜まってるから私は無料だし、一枚は1000円で買えるから、先に買っておくから。」
    「え?随分強引だね。」
    「だって、これはあなたが見る映画なんだもの。」
    「・・じゃあ、一人で見に行くよ。」
    「また、一人になるの?雪の女王と同じね。」
    「なんか脅しが入ってるね~」
    「私が、こんな風に言うことなんか滅多にないでしょう。私だって、この感じが消えたらどうでも良くなってしまうから、必死なんだと思う。」
    「とにかく、次のには十分時間があるから、ネットで調べてみるよ。」
    「そんなことは必要ないの。私が誘ってるの。チケットは早くしないとなくなっちゃう。(なるべくいい席で見て欲しい)」
    「だから、そういう風にいわれても。」
    「うーんと。もっと言うと、私は見たから別にいいの。でも、これは英司がスクリーンで見なくちゃなの。一人でじゃなくて、いや、あなたはこの映画を一人では見ない。(このへんは言ってる言葉がむちゃくちゃだなぁと自覚しながら言ってました)」
    「でもねぇ・・・。」
    「じゃあ、ホワイトデーのプレゼントにおねだりする。」
    「え?お返ししたじゃない。」
    「じゃあ。一生のお願い。一生のお願いは、あと7回くらいしたいから、その1回(意味不明)。」
    「わかった、行くよ。チケットはそっちで買うんだね。」

    これで、私の仕事はほぼ終わりでした。
    合間の時間を小説を読みながら過ごして、時間になったら一緒に映画館に入りました。

    映画を見ても感動しないかもしれない、そんなことはどうでも良い。英司がその目で見ること、その耳で聴くことがきっと大事なんだ、という変な信念が沸いていました。


    ●-------------------------------------------------

    映画の途中で英司は頬をなでていました。
    泣いてるんですね

    雪の女王にかけられた呪は、魔法を使えることを隠すことでした。
    それは親子の問題です。

    私が、彼女の親なら人里離れたところで練習させてあげたかった。
    どんどん強くなる魔法の力、抑圧されているのだから当然です。

    唯一、魔法を一緒に楽しんでくれる妹を守るために怪我をさせたことは、更に自分を閉じ込めることになりました。

    やっと自由になった女王を私は喜べませんでした。
    ひとりぼっちの自由です。

    それでも、彼女は、やっと自由になったと喜び、こうしていたら誰も傷つけない、とほっとしていたのでしょう。哀しいことです。



    王と王妃が事故で亡くなって、二人の肖像画も布で覆われました。しかし、女王の部屋には王だけの肖像画が飾られていました。私の記憶違いでなければ、おそらく王一人でした。女王になるべく運命を背負った王女は、ずっと父親に従ってきたのでしょう。

    真実の愛を知らない姉妹。
    ここに不幸があったのです。

    真実の愛は、姉妹の中に育っていたのに、不幸な事故で引き離されてしまいました。そして、親からは、不安と恐怖しかもらってなかったと私にはうつりました。



    ●-------------------------------------------------

    英司だ!と思ったあたりは、英司に映画の後に伝えました。
    私の姉も浮かびました。女王とアナが姉と私みたいにも見えました。奇しくも、姉の不可抗力で怪我をしています。姉は自分を責めていますが、私は自分で招いたことだと知っています。

    そして、私は、映画に半ば強引に誘った自分自身の衝動をさぐりながら行動しているのですが、英司が「一人で行くよ。」と言うと、熱が冷めかけて(別にどうでもいいんだけどなぁ)と湧くのです。あかんあかん!と、私の感覚を信じて訴えます。

    「そう言われると言われるほど行きたくなくなる。」と英司が言ったときは、(だよねー。)と引き下がろうとします。が、あかんあかん!と食い下がっていました。あとで ふりかえっても、(  )は脳内の声でした。
    あの衝動は、まさに「愛」しかないでしょう。

    私は、「愛」でもって、合間の時間を過ごして英司が映画を見る時間を一緒に過ごして、涙がこみ上げている英司と夕食を、個室のある居酒屋で過ごしたのです。そこに、共依存とかありません。

    共依存だった頃には、おそらく映画に誘えていないだろうと思います。思いつきもしないか、思いついたとしても、冷たい分析を英司に投げていたかもしれません。「あなたが雪の女王だから私がこんな思いをした」みたいな、自己犠牲的な言葉で英司を打ち続けていたかもしれません。

    私の中は、あたたかいものだけが流れていました。
    その時間を後悔していません。私が自由に行動して、大事な時間を一緒に過ごせたと思えます。



    「愛は、自分よりも相手を思うこと」というような台詞があるのですが(正確に覚えていません)、いっけん共依存的に感じる人もいるかと思います。

    実際、共依存の人は、自己犠牲をよくします。相手に自己投影したり代償行為をしては、相手が望んでもいないのに、あるいは寂しい人をわざわざ見つけて自分が好きでやったことを「あなたのために」と語り「それなのにわかってくれない」と語ります。いかに相手が、自分の思いやりを理解しない冷徹な人間かととうとうと語ったりします。

    しかし、愛ある行動は、自己一致で起こっているので、相手に見返りも求めません。それだけで幸せなのです。

    これを私は、過去に英司にだけは出来ませんでした。
    代理親にして(これがまたそっくりなところがあるんです。汗)責めていました。

    気がついてからの棚卸しは、自分の欠点をさらけ出すようで本当に苦しかったし、罪を露にするようで恐かった。しかし、全部の自分を自分自身が認めて許さない限り、相手を同じ罪深い人として責める気持ちが湧くのです。

    それは、小手先で思考で理解したところで、簡単に変わることは出来ません。自分と向き合うたゆみない日々の中でしか得られないのです。




    相談者さんには、自分自身と向き合っているけれど、恐い、不安、相手に対する憎しみしかない、いろいろな人がいます。相手を憎むことで自分を庇い続けていますから、その憎しみも手放す日が来ることでしょう。

    どうか、勇気を持ってくださいね。
    恐かったらゆっくりでいいのです。
    自分のペースで良いのです。

    子育てママは、ちょっと急ぎたくなるけれど、子どものための自己犠牲になってしまうと自分自身のインナーチャイルドを見捨ててしまうので、抵抗が起こりますから進めません。なので、我が子への愛だけを感じてみてください。それを感じたら、その愛のように自分自身を見てあげて下さい。
    向き合う勇気だけは、持ち続けて下さい。

    【 松たか子 『アナと雪の女王』「Let It Go」】


    【May J. 『アナと雪の女王』エンディング 「ありのままで」】


    本編の「少しは寒くはないわ」とエンディングの「少しは寒くはないわ」が全く違うものに変わっていると私は感じました。


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    【2014/03/17 09:10】 | チャイルド
    【タグ】 人生脚本  脳内親  無意識  インナーチャイルド  インナーペアレンツ  アナの雪の女王  ありのまま  
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    すみれさん
    中尾真智子
    > 気になって気になって仕方なかったのに、上映が始まると観に行こうとしない自分がいて、映画の上映期間が終わりそうなギリギリの状態になってしまいましたが、なんとか観に行って来れました。

    わわー。不思議ですねー。

    > 観て来れて良かったです。

    良かった良かった。

    > 映画館でなかったら観ない気がするので。

    映像すてきでしたね。物語も面白く作られていましたが、それは本編を見ないとわからないですものね。^^



    すみれ
    他の映画を観に行った時の宣伝の映像で、[アナと雪の女王]を観て、気になって気になって仕方なかったのに、上映が始まると観に行こうとしない自分がいて、映画の上映期間が終わりそうなギリギリの状態になってしまいましたが、なんとか観に行って来れました。
    観て来れて良かったです。
    映画館でなかったら観ない気がするので。





    ももさん
    中尾真智子
    > 観に行けました!!満足です。一人じゃなくて子どもと行きました。

    お子さんと一緒に楽しめたら最高ですね。^^





    もも
    観に行けました!!満足です。一人じゃなくて子どもと行きました。
    Let it goの意味を教えて下さってありがとうございました(^^)

    いせびあんさん
    中尾真智子
    > 見に行きますね。

    ぜひぜひ〜。
    今日も、別の雪の女王から電話が来ました。きっとたくさんいるんだなぁーと。^^

    ももさん
    中尾真智子
    > 私も見たい!!Let it go ってありのままっていう意味なんですね。映画に一人で行くっていうのが今までなかったので、一人で行ってもいいんだーと思いました(^^)

    ぜひどうぞ〜。一人でポップコーン食べながら見るお一人様が私は大好きです♡

    Let it goは「ありのまま」ではありません〜。言葉の意味を尊重しつつ、口の動きにあったワードを選びなおして新しく歌詞をつくったそうです。http://news.ameba.jp/20140316-278/

    Let it go については
    http://www.eigowithluke.com/2012/01/let-it-go/


    いせびあん
    見に行きますね。


    もも
    私も見たい!!Let it go ってありのままっていう意味なんですね。映画に一人で行くっていうのが今までなかったので、一人で行ってもいいんだーと思いました(^^)

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