家族カウンセラーの想いつれづれ
    まほろば講座、無事に終わりました。

    70名参加のうち、2名の方が急病で欠席の連絡がありました。
    キャンセル待ちでお申し込みいただいた方もいらしたのですが、携帯で連絡が取れる方3名にはお電話させていただきました。

    当日の連絡なしの欠席が4名いらっしゃいましてワークショップからの参加かも、質疑応答からの参加かも、とずっとお待ちしておりました。
    が、残念ながらお見えになりませんでした。
    IPに邪魔されてしまったかな・・・。むむ・・・。

    夜に
    「30日と思っていました。残念です。」というメールをいただいた方もいらっしゃいました。
    次の機会にお会い出来ることを楽しみにしております。


    12時半からの予定でしたが、20数名が遅れていたので、その時間をちょっと面白いゲームに参加していただきました。緊張がほぐれるのに効果があったのではないでしょうか。^^
    ほぼそろったところで、13時から講座が始まりました。
    準備の入念さも、講座の内容も、中尾相談室として密度の高いものになっていたと思います。
    皆様、時に笑いも起こりながらも、真剣に「今」という時間を大事に過ごされていることを感じました。



    「聞き方三態」は、感想を聞いてみると、色々違って面白かったです。
    人数が奇数だったので私も参加しました。
    このワークはあちこちで体験してきたので気楽に参加したのですが、横を向いて無表情で聞いた時、向き合って無表情で聞いた時、落ち着きません。
    やはりちゃんと会話出来たほうが全然気持ちがいいですね。

    反対に話す立場になり、横向きの相手には途中で話す気が失せてしまいました。前を向いても無表情の方を前に、やはり話す気が失せて、たった2分が話せないのでした。
    向き合って話したときは「ストップ」がかかっても話したりない気持ちでした。

    ほんの短いワークですが、色々見えるところもあります。
    どの聞き方、話し方が楽だったか、感想を聞いてみて、これも家族関係でで形成された日常が反映されているのかもしれませんね。



    30分遅れの分、「質疑応答」が短くなってしまいましたが、皆さんの声も反映させながら、私たちも応えてゆく形式で進めてまいりました。

    事例は守秘が生じますので、皆様お一人お一人の糧にしてお持ち帰りいただけたと思います。
    私も、皆様と共有出来た時間を糧に、これからも過ごしてまいります。


    最後に私が質問に手身近に答えた部分は私のことなので更に書いてみます。

    夫婦で仲良く棚卸しは出来ません。
    絶対出来ないかというと、それはわかりません。
    その人たちの覚悟と愛と懐の深さで出来るご夫婦や家族もあろうかと思いますが、私はまだその人々を知りません。
    私で言えば、ほぼ10年前に配偶者の実家からの電話に出れなくなりました。
    姑の息子への思いがとても深く、私に干渉されているようで重く苦しくなってしまったのです。
    夏に冬に夫の両親に会うのですが、私自身の実家には5年に一度か忌引きの時に帰ることの不満がありました。それも「北海道はお金がかかるから」と自分に言い聞かせて我慢していたのでした。
    当然のように、毎年「今年はいつ来るの?」と言ってくる電話に耐えられなくなり、丁度部活で忙しくなったわが子を理由に行かなくなりました。
    電話をうっかり取ったらすぐに夫に渡しました。
    薄情かもしれませんが、もう私のコップは色々な理由でいっぱいいっぱいだったのです。
    自らを悪妻を名乗ることで気が楽になりました。
    思えば、自ら勝手に長男の嫁と言われることに縛られていたのです。

    夫が仕事を辞めて家で書き物を始めた時は、家にいることが辛くて、放送大学は通信で出来る時間もあるのですが、わざわざ視聴覚室や図書室で勉強していました。
    それでも足りず、パートに出ました。
    家にずっと夫がいるなんて耐えられない・・・熟年離婚ってわかるなぁ・・・と思いました。
    お一人様というドラマがあったそうですが、もっと前にお一人様をやっていました。
    ドリンクバーの店で試験勉強、ネットカフェ、カラオケ(カラオケで個室を自由に使っていました)、ひたすら歩くなどで棚卸しの時間。
    大黒柱が無収入になった家計で教育費もばかにならない今後を見越すと、安く一人になれる場所を選んでいました。

    自分の問題に気付いてしまったからには、逃げ切れません。
    誰かのせいにして逃げているうちは、ずっともやもやとすっきりしないのです。
    ほぼ、夫のせいだと思っていた夫婦関係の下地に自分の生い立ちの影響があると気付いたからには、そこを掘り返さなくてはなりません。
    私自身は、悔いなく親から自立して18歳で盆暮れにも帰らず一人の部屋で過ごしたはずです。
    しかし、盆暮れにも帰らないあたりがおかしいといえばおかしいですよね。徒歩で行ける距離のアパートなのに、ほとんと足を運びませんでした。
    なぜなら、私はもう実家に頼られたくないと強く思っていたのです。
    高校まで出してもらって感謝はしているけれど、束縛された子ども時代や思春期はもう帰ってこない、その無念をこれからも過ごす気はない、私は私の人生を歩く!と勝手に決意していました。

    なのに、ここへ来てまた親子の問題に取り組むほどのことはない、私は悔いなく過ごしてきた、と思いましたが、実は泣きたかった私、頑張りすぎていた私、怒りたかった私がいっぱいいました。
    常に母や義父やきょうだいを気遣う癖がついていました。
    こんなに我慢して過ごしてその不満を「仕方なかったんだもん。平気だよ。」と押し込めていたことに気がつきました。
    これらの思いは、誰かに向けて石つぶてとなって向かったこともあったでしょう。
    特に夫はお互い様とはいえ、私が一番苦しめた相手です。
    子どもには寛容に思われてきた私も、夫婦喧嘩を見せることで哀しい思いをさせた共犯者です。
    夫婦喧嘩を見せたら仲直りも知らせないと子どもは不安です。
    いつ勃発するかわからない夫婦喧嘩の原因が子育ての方針の違いだった日には、自分の存在がいけないんだ、と思いかねません。
    子どもの立場になってみたら、いつ戦争が勃発するかわからない夫婦、いつ仲直りしたのかわからない夫婦(仲直りなんか大抵してません。自分自身で折り合いつけて妥協して普通に過ごしているだけの夫婦です。)、子どもにとって一番辛いのは、「意味不明」なことではないかと思います。

    心理学ではフロイトから始まり、色々なスキルや理論を学びました。が、家族カウンセリング協会で「夫婦連合」を学び、「世代間境界」の必要を学び、自分自身でそこを変えてゆくことにまい進する日々でした。
    「夫婦連合」にたどり着くには、私自身の自律が必要です。
    はじまっていた旅とはいえ、更に孤独と向き合うことになりました。
    一人でやるのですが、実際一人では難しい。
    自分が一番自分を知っているようで、無意識な自分からは一番遠いかもしれません。
    周りからは見えても、自分は無意識だからわからない部分です。ここは鏡が必要でした。
    私は、カウンセリング協会のロールプレイ研修で、先生がたと仲間に支えられながら更に奥深く自分の中に入ってゆきました。この微妙な心のひだに入れるのは私しかいないし、それを安心出来る安全な場所で見守ってくれる先生と仲間の皆さんに今も感謝でいっぱいです。
    毎日が棚卸しの継続で、月に一回以上は研修に通い、何かを得ては日常で自分と向き合う日々でした。

    夫婦でお互いにカウンセリングが出来るようになるには、それぞれの熟練が必要ですから、私はまだまだその域にはいませんでした。彼を夫の部分とカウンセラーの部分を切り分けて見られない限りは無理ですし、彼も自分の役割を切り分けられなければ出来ません。
    そうこうして、お互いにそれぞれに自分と向き合って過ごしているうちに、憎しと思っていたはずの彼が、「受け止めてくれていた私自身の過去の因縁」に気付き、感謝までするに至ったのです。

    傷つける人がいるかもしれませんし、私自身も傷つきたくないので、書かない部分はたくさんあります。また、書ききれるものでもありませんので、簡単に(長いですが)書いてみました。


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    【2011/01/30 11:25】 | 育児(育自)
    【タグ】 まほろば講座  夫婦連合  世代間境界  
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    ありがとうございます
    まゆみ
    自分がパートナーとやっていけるのかどうか、いろいろ考えてきましたが、まずは自分からなのだと、改めて気づかされました。

    真知子さんの率直な思いが淡々と語られて、その葛藤も行間にはつまっているように感じ、何回も読ませてもらいました。

    そして勇気をもらいました。
    まずは自分から・・(これがすごくつらい作業なのはよく知ってます。。。だから逃げていたんでしょう、無意識に)

    ブログ 読めてよかったです。
    ありがとうございます。


    WOLF
    内罰的な人
    無罰的な人
    外罰的な人‥‥

    16歳の息子が、保健体育の時間に、簡単な心理学を勉強してきたらしい。
    その話の流れで『ママは内罰的だね』と言われ、そこから息子と色々な話をした。


    正直、私はずっと恐かった。
    実家の人間達は、散々私の陰口を息子に聞かせていたようだし、何より、父親を奪い、寂しい思いや、辛い思いをさせ、勝手な都合を押し付けてきたので、息子には心底恨まれ、軽蔑されていると思っていた。


    話の最後に息子が私に一言、
    『ママ、泣いていいんだよ』
    と言った。


    なんだか、清々しく心地いい寂しさを感じた。

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    さて

    「我が家を“まほろば”にする講座」

    がいよいよ明日です。

    楽しみです。



    「英司ブログ」にありますように

    受付は、会場の中、入口付近で二人で名簿にチェックしていきますので、お名前をおっしゃってください。

    机は3人がけで満席となりますのでよろしくお願いいたしますね。^^



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    【2011/01/28 11:06】 | 講座・講演
    【タグ】 まほろば講座  
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    らん
    明日、行きます。
    楽しみにしています。
    よろしくお願いします。

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    一昨年の秋に、集団カウンセリングの可能性について中尾英司がブログで書きましたら、ONEFORALLというグループから依頼がありました。
    代表の方の人柄や人気なのでしょう、立ち上げたばかりなのに参加者が多くて驚きました。
    生まれたてのチャイルドに突き動かされたその方の輝きが人を引きつけたのでしょう。
    主催者さんたちやお手伝いの方々のご助力はもちろんのことですが、とくに辛い体験談を話してくださった方々、それを共有した参加者全員の力で、大成功に終わりました。

    その後、こちらの反省点が見えてきました。
    まず、ブログを持つ多くの人が集団カウンセリングについて書かれたことで守秘義務の徹底をそれこそ徹底して言わなかった反省があります。
    自分の持ち帰ったものだけ書かれるならいいのですが、他の方の体験を書いた場合、その方が傷つくこともあります。
    また、人の記憶はあいまいなもので、流れの中で変化することもおおいにあります。
    同じ時間、同じ場所でも個々で違うものを体感していたりします。
    私は久しぶりにネットの危険を感じました。

    参加者の間での色々な気持ち、参加したくても出来なかった人の色々な気持ち、それらの声が明確に聞こえてきました。
    去年の春から初夏にかけて中尾相談室は時間があけば会議の日々でした。
    反省して検討して見直しして、時間をおいて、案を持ち寄って、etc・・・。
    成功を活かしたい願いが強かったのですが、検討の末、集団カウンセリングは中止にしました。



    「ブログ」をうまく活用していかれることは大賛成です。
    カウンセリングでの自分の気づきを書かれる場合はそれもいいと思います。
    しかし、カウンセリングの細かい内容、カウンセラーとのメールの公開とか、驚くことが起こっていました。(こちらで知りえた方がたは快く訂正をしていただきました。)

    それらを読んだ人は、自分とは違う、どうして?と本来の自身の問題とは方向違いの痛みまで背負うことになりました。
    現実世界だけでも大変なのに、救いのネット世界でも苦しむなんてとても気の毒です。

    実際は個々人でカウンセリング内容が違うのは自然なことですが、それにしてもどの方ともそれほど大きな違いは生じてないのです。
    しかし文章で固定されてしまう事で、ことさらに強調されて感じられるのでしょう。

    人は弱いものです。嫉妬、羨望、絶望、怒りなど感情が揺れるのは自然なことです。
    そんな自分を責めることはありません。
    それらの気持ちに気付かずに無意識に迎合することさえあります。これは依存と共依存の関係になりかねません。

    たとえば、知人のブログに登場した人物が自分のとても大切な人だとわかり、その上とりわけ間柄が深いように書かれていていたとしたら、傷つき悲しむのはすごく自然なことです。(そのように書かれたブログがネチケットを大事にしていないのでしょう。)
    書かれている内容はその人の物語でしかありません。
    居心地の悪いブログに出会ったら離れていいのです。
    自分に活かせると思うものだけ貰っていけばよいのです。

    読みたくないのに読んでしまう、気分が悪いのに読んでしまう・・・そんな時は自分の中に聞いてみるといいです。

    「なぜそんなに気になるの?」

    なんか気になる、それならむしろがっつり自分の中で取り組んだら面白いと思います。
    自分へのヒントを無意識に見逃しているかもしれません。
    似たものがあるけど認めたくないのかもしれません。

    10年間、私がネット世界でたびたび見かけた現象ですが、「他人」のHPの日記や掲示板(今ではブログでしょうか)に執着が起こり、強い「愛情(友情など含む)」「怒り」「憎しみ」などが沸き起こってしまう人がありました。一時的ならまだしも、持続的ですと、はたから見たらとても不自然でした。

    今思えば、それらの人たちは、その対象へ「依存」があったのかもしれません。
    それは、自分が本当にぶつけたい「誰か(親、友人、知人、などなど)」への代償行為として起こっている感情だと思われます。
    それらの人への感情をいくら募らせても自分の心は幸せになりません。
    ぐるぐるとブラックホールのようになってしまいます。
    そんな時は、何かしら自分自身への課題を示しているのかも?ととらえて見据えることが積極的な解決法になるかもしれません。

    これはネットだけじゃなく現実社会の中でも言えると思います。







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    【2011/01/22 14:01】 | 自律
    【タグ】 執着  依存と共依存    
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    自分の気づきや成長体験を実感すると嬉しいものです。
    ひとつのいいことは次のいいことを引き寄せてしばし成功感は続きます。
    この体験をぜひ苦しんでいる人に知ってもらい誰かのお役にたちたいと思うのも自然なことでしょう。
    失恋、DV離婚、虐待からの克服、自傷行為の克服などなど、よく乗り越えたと思う人々。

    しかし、渦中にいる人は、ついこないだ(こないだが数ヶ月か数年かは聞かされる側の基準)まで同じことをしていた人の成功談を聞かされることは幸せでしょうか。


    一見とても親切で良心的でいい人たちですが、自分のことを語りたい認めてほしい衝動が隠れているのではないでしょうか。(本当は誰に認めて欲しいのでしょうね。)


    依存関係が生じていたら、一定期間は満足した関係になるかもしれません。
    それも、そのうち終わりは来ます。

    なぜならば、人は、自分で体験して自分で手に入れた切符で旅をしたいのです。
    それこそが自律した責任のある自由でしょう。
    人に不必要に干渉されて手に入るものではありません。

    個人でも集団でも同じことがいえると思います。

    たとえば自助グループは、問題を共有しながら解決に向かうのにおおいに役に立つと思います。
    まず、その代表の方の『自律姿勢』がそのグループの維持に繋がっていることでしょう。
    そのグループの特性によるでしょうけれど、どんなグループでも大切なことは、自主性と個人の守秘だと思います。
    人にはオープンに出来ることと出来ないことがあります。
    出来る場面は大いにオープンにして共有したらいいと思います。
    しかし、自分の傷の深みをどこまで提供出来るかは個人で違います。
    出来ない部分は守秘の姿勢でいなければ、長く維持するのは難しいでしょう。
    それは代表者に限らず、参加者全員に必要なことだと思います。

    人は弱い者ですから、自分と他人を比較したりジャッジしたりしがちです。
    だれそれさんよりは自分はましだけど・・・
    だれそれさんはまだまだね・・・等など
    無意味な比較をして意識を外に向けて自分自身を見ないのなら前進がありません。
    団体同士で無意味な競争意識を持つ場合もあります。本末転倒です。


    応援もやりすぎると相手を追い込むことがあります。
    褒め言葉をたくさんもらっても、重たくなることもあるでしょう。

    何か言ってあげたくなる・・・何かしてあげたくなる・・・

    これは代償行為のひとつかもしれません。


    私自身も言えることです。カウンセラーという役割のときに自分を全て消すことは出来ません。
    カウンセリングの時に、何か言ってあげたくなる瞬間がたまに沸きます。
    そういう時は、あえて言わないことが多いです。
    依存心は誰でも持っていますが、相談者さんは依存が強くなっていますので、そこに私の母性が刺激を受けたのか、あるいは私のチャイルドが共感したのか、この(なぜ?)を宿題にして持ち帰ります。(電話では保留メモにします。)
    振り返って必要だと思えたら、後からでも伝えることは出来ます。




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    【2011/01/21 09:53】 | 自律
    【タグ】 守秘  代償行為  
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    中尾英司ブログでは、インナーペアレンツを「IP」と略していることは、読んでいらっしゃる方はご存知と思います。私もたびたび使います。

    インナーペアレンツとは「頭の中の親」というと簡単です


    ペアレントが両親ですから、ペアレンツには(複数)の意味があります。
    生まれたての赤ん坊は、見ているとそれぞれに個性があります。
    おかなが空いた時に大きく泣く子
    ほそぼそと泣く子
    あまり泣かない子
    ガラスのこちらからしばらく眺めていると面白いです。

    退院すると、環境が変わるせいか赤ちゃんの欲求表現が変化したりします。

    病院では寝てばかりいたのにこんなに泣くなんて!
    あんなに泣いてばかりいたのに退院したら大人しい子なのよー。
    色々です。
    まだ、生まれて一週間、帝王切開でも二週間の赤ん坊なのに面白いですね。

    とはいえ、赤ちゃんは全てが「依存」の世界です。
    養育者(多くは母親)がいなければ一日たりとも生きて行けません。

    そんな赤ちゃんも10歳までにはほぼ人格形成の基盤は出来ています。
    記憶があろうとなかろうと、幼い頃にもしトラウマになるようなことが起こっていたら、それはその後の人格形成に影響を与えるでしょう。
    多くは赤ちゃんの頃の記憶はないですから、そういう性格なんだと本人も周りも思い込みます。
    実際は、親との関係で出来上がった人生脚本が大きいでしょう。
    もちろん、親を基地にして外に冒険(幼稚園、保育園、入学、近所での外遊び、ともだちの家遊びなどなど)をしながら、色々な経験を積み、色彩豊かになってゆくことと思います。
    けれどまだまだ親の影響下にいます。
    中には、外の体験を無駄と判断するような親もいます。
    外に出さないようにする親もいます。(遊びに出さない、友達の家に行かせない、きょうだいの面倒を見させる、家事手伝いをさせる、習い事で時間を埋める等など)
    それらはアダルトチャイルドの親に多いように感じます。

    それでも、進学し、就職もして、他の大人にも出会い、友人との会話も増えて、色々な影響を受けあいます。
    そこでも親との間で出来上がったプログラムのような癖(『生き癖』と私は言っていますが)=IPは無意識に発動しています。「そういう性格」と片付けられてしまいがちですけれど。
    しかし、思春期のエネルギーは親を超える力も持ち合わせています。
    特に14、5歳の頃を思い出してみてください。
    大人と子どもの狭間にいる自分は、表向きはともかく心の中まで親に従順ではなかった場面も多いと思います。
    無意識に感じていた生き難さを自覚することも多くなったことでしょう。
    ここで反抗できたらしめたもの。

    ですが、アダルトチャイルドは、なかなかそこまで踏み切れず思い切った反抗期を過ごせない人が多いようです。
    反抗期がなかったという人もいます。
    親に逆らうなんてありえなかったと、未だに逆らうことは出来ない、と言う人もいます。

    大変です・・・。ほんとに・・・。
    それでも、オリジナルな個性もちゃんと形成されているのです。100%親のコピーになれたら生き難くはないのです。生き難さは自分のオリジナルな部分が形成されているからこそと思います。
    その良し悪しもこの先の自分しだいで変化してゆけるでしょう。

    前置きが長くなりましたが、
    先日私はブログで
    インナーハズバンド」と書きました。

    他人との関わりですと、仕事仲間なら部署が変われば終わります。
    友人も選ぶことが出来ます。
    選べない状況(クラスメイト等)でも、一生付き合うことはありません。
    嫌な教師も、嫌な上司も一生付き合いません。


    ところが、結婚相手というのは

    「その健やかなるときも、
    病めるときも、
    喜びのときも、
    悲しみのときも、
    富めるときも、
    貧しいときも、
    これを愛し、
    これを敬い、
    これを慰め、
    これを助け、
    その命ある限り(死が二人を分かつまで)、
    真心を尽くすことを誓いますか。」

    と親族の前でお約束をした相手です。
    つまり、死ぬまで一緒に暮らすことが前提な相手という固定観念があります。

    それぞれが源家族で培われたものに無意識に束縛されていますから、上の誓いを夢に描いたところで相手は叶えてくれないとそれぞれの不幸を嘆いたのじゃなかろうかと思います。
    その不満を相手にぶつけあい、自分にある問題には気づかず傷つけあった間柄です。

    私が自分にも問題があるかも、と気づいたのは放送大学で心理学を学んでいる頃でした。
    夫はその前に、さんざんたる私の指摘(私にとっては悲鳴)で傷つき気づいたことと思います。
    はじめは彼が変わったことに気がつく暇はありません。彼は忙しい人でした。土日も留守で、今思えばカウンセリングの講座に行ったり、研修に行ったり、講義を聞いたり、自分との向き合いの日々だったのでしょう。会社で働きながらですから大変だったと思います。
    私は私で子育てや色々雑多なことで忙しく、自分なりに心理学系統の本を読んだりしてはいましたが、それぞれ会話をするのは子どものことやご近所の用事などになっていたと思います。

    しかし彼は少しずつ変化していましたから、ふと気がつくと過去の彼とは違う場面が増えてゆきました。
    じゃあ私は幸せかというと、まだ何かもやもやいらいらがあるのです。
    夫は変わったからといって過去の夫から受けた傷は消えないもん!と、いらいらの理由をそこに求めたりもしました。しかし、どうやら違いそうです。

    昔、友人の父親がアルコール依存症だったと聞いていたことで買い求めて読んだ「アダルトチルドレン」という本に、夫が「これは俺のことだ」と言ったのは12~3年以上前だと思いますが、その頃から夫の意識が変わっていったのでしょう。(彼の両親はアルコール依存ではありません。)
    その本へ夫ののこだわりを思い出し、私もそうかも・・・と自分の問題に到達したのでした。

    私たちは、別々に自分の棚卸しをしていたのです。
    相手のことなんか知ったことじゃない!くらいの真剣さだったと思います。(笑)
    私の場合は、大学5年(夫の退職により外に出たくてパート6年)
    研修ボランティア5年
    重複していますから、8年かかりました。


    気がついたら同じ場所にいた・・・
    そんな感じです。

    それでも、未だに頭の中にいる夫(妻)に無意識に支配されていることがあります。
    インナーハズバンド』と私が書いたのは、私の頭の中にまだ過去の夫がいて、うっかりその関係性を『今』に引き寄せてしまったので使いました。
    親も強烈に影響を受けますが、その下地を持ち寄って一生を誓った相手(はじめから離婚を前提に結婚する人は滅多にいないでしょう)は、親と同じくらい影響を与え合います。
    厄介ですね。
    インナーハズバンドインナーペアレンツに含まれますが、あの場面ではインナーハズバンドと書いたほうがしっくり来たのです。

    インナーペアレンツは『親』との関係で出来上がった自分の考えの癖、行動の癖など、またそれらを基盤に更に培われたものも含まれると思います。
    結局は自分の中の問題です。
    あの頃の親は今はいません。
    相変わらずの親は今もいるかもしれませんが、今の私たちは大人です。
    その親に太刀打ち出来ない小さな子どもではありません。
    それを束縛しているのは、私たちの脳に刻まれた親子の記憶で、その関係性で形成された人格です。
    それらは、私たちの決心で変えられます。
    『今』の私たちは、親の心理的影響に左右されないで、自分の人生を選んで決めて生きることが出来る大人です。

    単語や造語は便利なツールでしかありません。
    本質は、誰にも何事にも脅かされず今の自分自身を生きることだと思います。

    今日の私は、研修で自分磨き(自分のお洗濯だったり色々)に生きまする。
    ではでは。いってきまーす。ダッシュ!-=≡ヘ(* - -)ノ


    PS:足の心配をいただいてありがとうございます。
    一日中冷やしたおかげで痛みもすっかり消えて水泡も小さくなり普通に生活しています。m(..)m


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    【2011/01/18 09:30】 | 人生脚本
    【タグ】 インナーペアレンツ  インナーハズバンド  アダルトチルドレン  
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    夕日がきれいね
    と散歩も終わって晩御飯のおかずもほぼ作った夜のこと・・・



    寒いな・・・と石油ストーブを机仕事の自分に向けようとした時、あろうことか、上のやかんをひっくり返してしまいました。

    スローモーションのようにやかんからお湯がばしゃーーっと床に広がり、一瞬だけ火が「ぼわっ」とあがった後、ストーブは静まりました。
    火の元は無事だ
    と、思った瞬間、私の足が熱湯に浸っているではないですか。
    (やばっ!足は歩けないと困る!)
    その瞬間に
    「やっばーい!」と大声が出てしまい、別室の電話相談の方に聞こえてしまったのではないかと気にかかったけど、私の足が第一優先です。(すみません)


    ダッシュで靴下のまま、水のはった風呂に飛び込みました。
    その後、これは昔むかし「広範囲のやけどの時に救急車が来るまでどうするか」と描いた緊急対策だと思い直し、流水に切り替える。(これは私独自の想像で良いか悪いかはわかりません)


    次に下の階に湯が漏れないか・・・が気になったが、大丈夫そう。

    息子(イヤホンをして聞こえてないらしい)にSOSを求めようとしたが、湯が熱いうちは彼もやけどをするだろうから少し待つことにしました。
    私の椅子の足元に置いていたバックが湯に浸かっているので、途中でそれを救出。
    濡れているのはバックの底部なので、中身の大事なものは守られたな、と判断してタオルの上に置く。


    20分流水して靴下をそっと脱いだら、真っ赤だけど皮は向けていない。
    床に撒かれた湯もぬるくなったので息子に声をかけて片付けのお願いをしました。
    私は足をたらいの水につけっぱなし。

    息子が惨事の後を片付けてくれたので、私は腹を据えて漫画を読みながらずっと冷やし続けました。
    2時間冷やしている間に、外出の娘も帰宅、皆のご飯も済んだ頃、
    そろそろお腹も空いたなーと水から足を出すと、ひりひり激痛がする。
    気が付いたら水ぶくれが出来ている。

    うぬぬ。

    冬の水は冷たさが衰えないのでお風呂ブーツに水を入れて机へ移動。
    パソコンで「熱湯、やけど」など調べてみる。



    外傷は赤いことと小さな水泡だけなんだけどな。
    なになに・・・やけどは見た目ではわからない。
    中の組織がどうのこうの・・・。
    うーん。
    問題は、私はこの痛みに堪えて眠ることは出来そうにない。
    どう考えても冷やすこと以外にないとは思う。
    なぜか熱っぽいので体温を測ったら37度ある。
    足をひやしているから、体温をあげて調節してるのかしら・・・。
    怖いのは、感染症なんだけど、水泡は破れてないし、傷もないのに感染症なんか起こるかなぁ。
    足の甲の毛細血管の色が紫になっているので、このあたりがやられたのだろうか。
    むむ・・・だんだんおかしな思考に取り付かれている。

    怖いことしか目に付かなくなっているぞ、と自覚したところで(こわい)は消えないものだなぁ。

    痛い・・・痛い・・・
    痛みによる妄想が心臓まで痛くさせるようです。

    ネットで病院を調べる。
    皮膚科の夜間(夜間の皮膚科?)はなさそうだ。
    やかんで火傷したのに、夜間やってないのかい・・・

    その頃には、私のただならぬ様子に家族もネットや携帯で何か動いてくれている気配がありました。
    参ったな。不安の拡大じゃないか・・・それはいやなんだな。(←これはこれで『迷惑をかけたら申し訳ない』という私の人生脚本です。)

    「私は大丈夫だから、自分のことだけやってくれたら助かる。」(←こんな時は素直に『ありがとう』なのにね)と言いながら
    痛いと言えば、尿路結石でかかった病院があるじゃないか、とはたと気づき電話をする。

    「今晩の宿直は泌尿器科の医師です、とりあえず見るというので来てください。」
    石でお世話になった泌尿器科の医師が担当とは、これもご縁と伺うことにしました。

    そうと決まると夫は、早くも運転するつもりでジャンパーを着て、車に行ってしまった・・・。(実は「車を暖めてくる」と言っていたらしい。私のインナーハズバンドが今の彼を決め付けてしまったのだろうなぁ。)

    なんか懐かしい・・・。
    夫がどんなに早く行動しても私が(昔なら家族が)準備出来ないとどうしようもない。 
    緊急事態には彼に手伝って欲しかったこともあったが、彼の出来る精一杯は速く動くことだったのだぁーと今なら納得できる。彼の人生脚本は「早く!速く!」が多かったらしい。こういうアクシデントで出てくるIP、なんだか今では可愛いものです。


    昔なら急かされて慌てる気持ちと、急かす相手を責める気持ちとの葛藤を抱えながら行動していたなー。
    急かされているのは私の問題、急かす方の受け皿になっていたのよねー。
    と思いながら、私は、底の濡れたバックから新しいバックにものを入れ替えたり、足がどうなるかを想像して(包帯になったら靴は履けない)つっかけて履ける靴を娘から借りるなどして、やっと外に出ました。
    すると、夫がドアの前まで迎えに来ていて、一緒に車に向かう。

    着いたら「車を駐車場に入れてくる」と行ってしまいました。
    夜間で誰もいないから、一緒に受付をしてから車を移動しても大丈夫だと思うのだけど、夫の中で公的に「他人に迷惑をかけてはならない」という禁止令が作動してるんだろうなぁ。
    尿路結石の時もそうだった。激痛で会話もしんどい中、一人で受付を済ませたっけなぁ。

    また、あのときは検査を終えて点滴が決まった段階で「ここにいてもすることがないから帰る。終わる頃に電話して」って帰ったけれど、今回は、なんと診察室まで入って来てびっくりしました。


    医師いわく
    「ともかく今は冷やし続けることです。
    症状の悪化を遅らせるにはまず冷やすことです。怖いのは感染症ですが、今晩は冷やすお薬を使って包帯しますから、その上から氷で冷やしてください。」


    痛いまま放置したら悪化するということですね・・・。はい・・・。寝ないで冷やします・・・。

    包帯でもこもこになった足は靴が履けない。看護師さんが紙のキャップ(頭にかぶる)で足を包んで外に出られるようにしてくれて助かりました。



    その後、会計も夫がやってくれてコンビニで氷を買ってくれました。
    その氷を当てながら私は一日起きているつもりでパソコンに向かいました・・・。

    でも・・・眠い・・・
    なんかすっごく疲れてしまって・・・眠いを通り越して気持ちが悪い・・・

    幸い冬なので氷はなかなか解けないでいてくれる。
    氷を大きめのビニルに沢山入れて、足にぐるりと巻きつけるようにして、大き目のハンカチで縛り、その上からずれないように包み込む方法で更にバンダナで固定して縛りました。

    万が一解けて水漏れしたらやっかいなので、布団には入りたくないので、何枚も重ね着をして、大きなベンチコートを着て、コタツに入り込み、顔と足を出してなんとか寝る体制にしました。
    おお!いい感じに漫画を読める。
    ほどほどに面白いけど夢中になり過ぎない漫画を選んで、数時間は眠れました。

    朝になり、病院へ。

    夫もわずかしか寝てないのに、文句も言わず送ってくれます。感謝です。

    朝は痛みが楽になっていたので、水泡が破れたときのための薬を出してくれるくらいだろうと思いきや、医師は慎重でした。

    「薬を塗りますから明日見せてください。今日は薬は出しません。」



    夫に電話をしたら電話中。
    幸い靴が履けたのでバスと電車で帰り、家ではおりこうに過ごしました。(笑)


    そして
    今日、再診にて、悪化が見られず、水泡が破れた場合のお薬のみ出されて解放。
    「悪化したら来るように」と言い添えることを忘れない昨日と同じ医師。

    ともかく冷やし続けたことが良かったとのこと。 
    真っ赤だったところが小さくなっている。
    痛みはほぼ消え、多少のひりひり感。
    今にも水泡になりそうだった箇所はいくつか見られるが、実質小指の爪くらいの水泡一個で済んでいる。



    夜間の医師に心から感謝です。
    痛みを堪えて眠ろうと過ごしていたら悪化していたことでしょう。



    迎えに来てくれた夫が言いました。

    「何よりいの一番に2時間冷やし続けたことが偉かったよ。
     ○○(息子の名前)がやけどをしないように少し時間を置いたのもいい判断だったね。
     IPが強かったら自分の痛みを我慢しても先に片づけをして悪化させてしまっただろう。」

    確かにそうかも・・・。

    誰かに迷惑をかけてはいけない、とか
    自分が悪い、とか
    早く片付けなくちゃ、とか
    それらが浮かぶのは自然なことだけれど、何を優先させるか。


    昔、姉が大きなおかず鍋を落としたことがあったなぁ。
    姉は無傷だった。母が隣の部屋から駆けつけてきたっけ。
    その時私は、今晩のおかずがダメになったことで怒るかな、とどきどきした。
    血相を変えた母は開口一番に
    「大丈夫だったかい?」
    無事だったことを確認したあとも、失敗を責めなかった。
    その夜何を食べたのかは覚えていないけど、まずは『無事』が第一だってインプットされた日かもしれません。


    それはさておき、アクシデントで発動する無意識の人生脚本は興味深かったです。
    過去と大きく変わっている部分と、無意識に発動されるいわばプログラムのような部分を夫と振り返りました。
    お互いに相手の変化を認め褒めているのが面白いです。

    本当は、それぞれ苦しい思いをしながら自分が変わったんだよね。
    指摘の仕方がやわらかいから、傷つかずに受け入れられて、互いに問題点を自分の外に出して検証できるようになっている。自分の中でじくじくと傷つかない。(あれほど傷つけあえたことが今では夢のようです。)


    「自律」って、一人で抱え込むことではないのね。
    出来ることを申し出ていいし、して欲しいことをお願いしてもいい。
    改めて、そんなことを思いました。

    水浸しの床をきれいにしてくれた息子にありがとう。
    夜間皮膚科を検索してくれた娘にありがとう。
    夜遅くまで付き合ってくれて、晩御飯も作ってくれた夫にありがとう。


    自然に「ホ・オポノ・ポノ」を唱えています。


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    【2011/01/14 16:27】 | 家族小景
    【タグ】 人生脚本  
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    冷やしても冷やしても
    氷や流水から離した途端に復活する血流と激痛…
    想像しただけでイタタタタ…。
    大事に至らずよかったです。

    そんな事件中?にも内面観察…些細な行動にもIPが関わってくる…グサッと思い当たる節が。

    何はともあれ、お大事にしてください。

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    まだ片言の小さな子どもたちが遊んでいて、不意のアクシデントで子どもたちが泣いた時
    一人のお母さんが、

    「ごめんなさいね」と謝りました。


    すると、もう一人のお母さんがにっこり笑って言いました。


    「これはアクセントですよ♪」



    音楽の「アクセント」にたとえているのでした。

    なんか、いいなぁーーー。







    人生でもアクシデントは起こるけれど



    このアクセント

    どう奏でましょうかねぇ・・・




    と思えたら、文字通り「苦楽をともに」出来そうです。







    【2011/01/08 13:54】 | 育児(育自)
    【タグ】 フリーチャイルド  自由自在  
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    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願い致します。




    今日、新月のアファメーション案内が届きました。




    今月の新月  1月4日  18:03 山羊座 

    あけましておめでとうございます。
    今年最初の新月です。


    2010年は激動の年でした。
    個人的にも変化を体験された方が多かったのではないでしょうか。
    時間の流れもとても速く感じられました。

    今年も更に大きな変化が続きますが、周囲に振り回されず、しっかりと自分の心の声に耳を傾けましょう
    それを信じて自分の人生を生きる意志をしっかりと持つ人には、自分自身の方向性や結果が見えてくることでしょう。

    目の前の出来事に一喜一憂せず、起こったことの意味を気づきとして捉え
    それに対して、自分のするべきことを淡々としてゆくことが大切です。

    答えは既にあなたの中にあります。

    心を開放して素直に受け入れることで、迷うことなく見つけられることでしょう。




    文字の色は私が勝手に付けましたが、言葉には力があります。
    なかなかいい言葉をいただいたなぁと感じました。


    短くていいから自分のお守りの言葉を持つことをお勧めします。


    私の場合、子どもの頃家庭環境が複雑で、のびのびと子ども時代を過ごすことは出来ず、時には

    (こんな星の下に産まれた自分が悪いのかな)

    なんて自分を責めることもありました。

    しかし、私の前世の冷静な人物の影響を受けている(虎井さんのリーディングより)せいかどうかはともかく『どの星の下に産まれたとしても私は悪くない』という信念が出来ました。どう見ても大人の事情(世情を含めて)です。



    「私は悪くない。」
    「私の心は私だけのもの。」

    このふたつは子どもの頃から私のお守りでした。長いことずっと、苦しい時に支えてくれた言葉でした。
    大人も大人びた子どもも、気を許すと人の心にずかずかと入ってきます。
    「私の心に土足で入るな!」という思いが強かったなぁ。




    その後、

    「大丈夫」
    「大丈夫」

    と、唱え続けた日々もありました。
    (何が大丈夫なのさ)ってくらい根拠のない「大丈夫」なのだけど、震えるくらい怖い時、大丈夫大丈夫と唱えることで、感情の拡大を抑えられました。




    「一人になる勇気」

    これも、小学校くらいでしょうか。
    楽しくない人といるより一人のほうがいいのに、周りに合わせてしまう世の中の風潮と自分自身に苛立ち、それでも大勢の中で一人になるのは勇気が要ります。だけど気が合わないのに無理して仲間面して群れるのを嫌う自分がいました。
    その頃は陰口が嫌いで、不本意な悪口に付き合うのはいやでした。
    愚痴なら「うんうん」と聞けるのに、仲間意識を持たれて同調を求められると、急に私の中で抵抗が強くなり息苦しくなるのです。うっかりとその場の空気や面倒臭さでうなずいた日には後でがっつり落ち込みました。
    正義感といえば聞こえはいいですが、何か禁止令があったのでしょうね。

    さておき、
    一人になる勇気を持っている時は、不思議といじめられませんでした。
    こちらの覚悟が姿勢になって現れているのかもしれません。
    反対に、信頼してくる友人が現れました。
    こちらが空気を読もうとしていると、空気を読んで欲しがる人が近づいて来るのでしょうね。
    最後の最後は、結局『私は私だけのもの』と開き直るから、私の手のひら返しに困惑した人もいたでしょう。
    (けど、うーん。謝る気持ちは今は起こらないなぁ・・・。)



    子どもって大人から見たら(なんてことないおちびさん)と思ってるでしょうが、こんなことを感じながら生きていたりするのです。侮れません。


    子どもの頃を覚えている大人ならわかるでしょう。
    子どもの頃を忘れた大人は子どもをよくよく見たら思い出すでしょう。
    思い出せなかったら、大人の穢れを捨て切れていませんので、大人の事情を放棄して(仕事とか責任とかのない時間を確保して)本気で子どもと同じレベルで遊んでみたらいいですよ。

    子どもは、その眼(まなこ)でしっかりと大人や事象を見つめてその場で生きる力を学んでいます。
    大人のずるさを哀しみながら許していたりするのです。
    気が付いたら、その大人をモデルに大人になっていたりします。


    私は大人が苦手でした。
    大人が、というより大人の権威を振るう人が嫌いでした。
    社会に出ても変わりませんでした。
    多分今も変わりません。
    凄い顔で嫌悪感を丸出ししそうです。(汗)舌打ちくらいしかねません。(おいおい)


    大人が苦手・・・というとなんで?と内省することもありますが、それなりに答えは自分の中にあります。
    しかしながら

    大人が苦手じゃない子どもはどれくらいいるのかな・・・
    大人を信じられる幸せな子がどれくらいいるのかな・・・

    もう、大人になった私なのに、こんなことを思います。
    私は?
    そうですね。わが子に関する事で嘘を付くまいと生きてきました。
    信じられる大人でありたいという願いでしたが、それが良かったか悪かったかは多分わが子にしたら両面あるだろうと思います。

    そして、ちょっと大きくなった頃に、
    『嘘も方便』を教えました。
    自分を守るためにつく最小限の沈黙は、嘘といえるのだろうか。
    馬鹿正直に何でも打ち明けて、傷を受けることは人生において必要だろうか。
    あまりにも正直な開けっ広げな性格の娘が、これまたまっすぐ傷ついて帰ってくるので、ちょっと見かねたのです。うーん。あまりいじくりたくないと思いつつ、こうして大人はいじってしまいますね。


    思い起こせば、育児は育自というように、常に自分が問われます。
    わが子を一人の人としてちゃんと向き合えば、自分も何かしら成長をさせてもらえるだろうなぁと思います。


    小さなわが子も、大きくなったわが子も、相手は自分を映し出す鏡です。
    厳しい時もあるでしょう。
    悲鳴をあげて逃げ出したくなることもあるでしょう。
    勇気を出して自分の中に入ってゆきます。
    逃げない決意をして、起こったことの意味を気づきとして据え、じっくりあるいは淡々と自分と向き合います。
    (ただし、怒りがあったら先に怒りを何かの形で表現して手放します)



    答えはいつも自分の中にあります。







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    【2011/01/03 12:57】 | 家族小景
    【タグ】 私の心は私だけのもの  答えは自分の中  子は鏡  
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