家族カウンセラーの想いつれづれ
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    葬送~四十九日の間、喪主がなすべき事にあるとおり、先日、無事に四十九日の法要と納骨式を終えて、ひと段落したところです。

    振り返ってみますと・・・


    11月末に娘が管理入院開始(2〜3日おきに飲み物数リットル持参)
    12月8日〜11日夫と義父が九州里帰り
    12月11日に娘のお産の点滴開始ー夫帰宅後お見舞い
    12月12日娘が2500グラムで出産
    12月16日娘が退院〜我が家で産褥期を過ごすー乳マッサージ
    12月18日孫が退院(一室を娘家族に提供)
    12月24日命名式で我が家に両家集合
    正月から還暦(夫)、米寿(義母)、初節句、お食い初め(と宮参り)の計画
    1月22日大雪
    1月23日娘と産後初の買い物(息子の誕生プレゼントとバレンタインデーの準備)
    1月24日夫が発熱で寝込む
    1月25日私が空咳ーインフルエンザ対策(手洗いとドアノブ消毒)
    1月26日義母咳ー水分に気をつける
    1月28日〜29日私38度ーマスクで家事
    2月2日義母が良くなってきてほっとする
    2月3日息子の誕生日ー夜義母亡くなる
    2月7日通夜、息子発熱
    2月8日お葬式
    2月10日夫の還暦
    2月11日娘床上げ(家に戻る)
    2月14日手作りバレンタイン
    2月19日札幌の姉来訪ーお参り
    2月25日娘夫婦引っ越し
    3月1日義父の分も一緒に確定申告
    3月3日初節句(&婿の誕生日祝い)
    3月4日三十五日法要で我が家に親族集まる
    3月21日午前お宮参り、午後お食い初め
    3月23日四十九日法要と納骨式

    12月の退院当初は、娘と孫のリズムを作ることと、義父母の生活リズムを崩さないことを意識して、誰もが無理のないように過ごせるよう心がけていたと思います。

    命名式は、大人たちそれぞれが筆を取って、一番堂々とした婿の書を飾ることになりました。その後のクリスマスパーティーも楽しく過ごし、娘の母乳も落ち着き始めた頃でした。

    お正月は近くの神社に義父母とお参り。人生初の大凶を引いた義父が慌てて二度目のみくじを引いていましたが、義母はそんな義父を笑い飛ばしていました。この時に義父がお祓いをしてもらっていたら違っただろうか・・・

    日常では、私のピアノの先生が旦那さまの転勤で3月に札幌に行ってしまうので、2月7日の先生のステージでは友人と歌う約束でした。またギターの先生が、私と友人のハーモニー(歌)をCDにしてプレゼントする企画を考えてくださり、2月7日に間に合うようにと1月22日に録音してくださいました。帰り道はまるで札幌?という雪景色でした。

    次の日は夫と義父が雪かきをして、午後は娘と内緒のプレゼントを書いました。先生のステージ(イオン幕張新都心とベイタウン)を夕方に見に行った以外は、ほとんど外出していなかったので、久しぶりにのびのびとショッピングを楽しみました。夫も孫を抱っこしてのお留守番が幸せそうでした。

    その翌日、夫が風邪で寝込み、全ての負担が私にかかってくるので緊張しました。娘と孫を守ること、つまりは風邪ひきを増やさないことーそれは無理なので娘には手洗いを徹底してもらいました。

    義父は「風邪は何十年もひいたことがない」と豪語するほど丈夫で、炊事洗濯をする者として(全員がダウンしなかったことが)とっても有難かったです。

    風邪の猛威もひと段落しかけて迎えた息子の誕生日を祝い、その夜にまさかの出来事ーそこから怒涛のように日々が過ぎました。日常も淡々と流れながら、同時に非日常を生きるための違うエネルギーを注ぐ日々が始まりました。


    義母がいない朝、納豆が嫌いで、豆腐が嫌いで、前回と同じ形で出たおかずを食べない義母に(今日は何を作ろうか?)とわくわくしていた私を発見し、それをしないことの寂しさに泣きました。もう義母の体を拭くこともない、義母を支えることもない、昨日トイレで一人移動した時に、「病み上がりなのに素晴らしい!後は良くなるばかりね」と喜んだ私を「ありがとう、そう言ってくれると嬉しい」と言った祖母がもういない。
    私でこんなですから、血族の皆さんはいかばかりか・・・。


    4日の夫の「喪に服す」宣言で、一度は祝い事に白紙の空気が流れましたが、義母が残した財産(我が子=夫)の祝い事を中止にしたら義母が悲しむと思い、私が勝手に準備を進め、こどもたちが協力してくれて、義父とも郵便局に付き合うと見せかけて内緒のプレゼントを相談して買いました。


    通夜お葬式は、夫が打ち合わせを綿密にしてくれていたので、つつがなく終えることができました。棺に思い入れのある衣類やお帽子、あったかい下着上下、手紙を入れて、送りました。


    葬儀関係で日々多忙な夫に内緒で、夫がかつて「美味しい」と言ったものの組み合わせで「赤」「紅白」「祝」を意識した還暦メニュー(鯛の尾頭付き、お赤飯、寿司ケーキ、筑前煮、長芋ゆず酢和え、豚角煮、煮タマゴ、白和え、からいね大根酢漬け、エビチリ、アボカドフルーツサラダ、吸い物、ベリーケーキ)を、数日かけて作りお祝いしました。ただひたすら夫の笑顔が浮かび愛おしい思いで作っていました。赤いちゃんちゃんこもかっこよく似合ってましたよ〜。


    翌日は娘たちが床上げで戻りましたら、急に寂しい人数です。
    お魚を買う時に、7切れだったのが急に4切れになってしまい、「いくつだっけ?」と数えてしまいます。


    喪主(あるいは喪主の家族)になることはそうそうないわけですが、外からはわからないこと、見えない苦労があるものだなぁとつくづく思いました。葬儀の前も後も細かい仕事が多く、それらを業者に任せてしまわず、ひとつひとつ丁寧にすることで、自分の気持ちの整理もできていくのだろうと思います。


    葬儀に関わることは頼まれたこと以外は手を出さず、もっぱら義父の話し相手をして、全てを夫がしたいようにしてもらいました。
    こんなに細やかな心遣いをして家に関わり、細かい事務仕事や電話連絡にも時間を費やしている夫を見るのは初めてです。任された現金管理(出納帳)で概ねの出来事は理解出来ますが、そこからも苦労が偲ばれます。夫には、本当にお疲れ様だし、本当に良かったねって思います。


    義母の料理を考えていた朝の時間は、義父とのラジオ体操になりました。
    日常と非日常を、喜びと哀しみの時を、丁寧に過ごした私たちを、義母も喜んでくれていると思います。







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    【2018/03/30 09:09】 | 家族小景
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    義母の花の水を換え

    ご飯とお水とお茶と果物を添え

    すずらんやラベンダーのお線香をあげ

    「おはよう」って話す




    義父につきあってラジオ体操をはじめ

    体が軽くなりつつある私と夫




    これまでずいぶんと義母に関わってきたこと

    24時間気が抜けなかったことも

    今になってわかる




    みんな頑張った

    義母も応えるように頑張った

    なんども投げ出しては立ち上がる義母

    はじめは帯状疱疹ー発見が早く自宅で完治

    「痛い痛い」という義母を

    励まし励まし発疹が飛ばないように手当したっけ

    ある時は義父がしくじって義母の膝を折った

    デーサービスに行けず訪問入浴を依頼し、車椅子をレンタルした

    「痛い痛い」と言う義母に、筋力維持の運動をさせる夫

    これも長かった

    おかげで、寝たきりにならずにバーで歩けるまでになった

    足の骨折が一番やっかいと聞いていたからよく頑張った



    と思ったら翌年秋に自分で転倒して腰骨にひび

    またもやデーに行けず訪問入浴になるのかと思ったら

    医師が「痛くても普通に過ごしなさい」と指示してくれた

    「痛い痛い」と言う義母は、辛かったと思うけどバーで毎日歩いた

    2ヶ月後には痛みが消えて治った

    この2ヶ月をサボっていたら寝たきりだったろう

    義母を励ます家族も諦めずによく頑張った




    去年は心臓が人の2倍の大きさだとわかったが

    医師が「長年かけて作った心臓だから仕方がない。普通に過ごして良い。」と

    入院したら家には戻れないことは想像がつく

    足のむくみが酷かったけど、寝る時に高くすると朝は消えていた

    なのに冬は、朝に戻らない日々が続いていたね・・・




    この4年間に義父は何度か言ったー「もうそろそろやろうなぁと思う」

    同居前にもそんなことを聞いたっけ

    最後まで叱咤激励して諦めない夫に、義母は応えたと思う

    よく頑張ったと思う




    頑張ったね、お母さん

    「頑張らなくていいんだよ」ってよく言うけど

    頑張り時は頑張らなきゃね

    自分の命を生き切るのは誰にも出来ないから

    痛くても苦しくても動かなきゃね

    ベッドの中に居たら筋肉が強張り固まり痛みが増す

    健康な人でも数日寝込んだら筋肉は強張る

    痛みの相乗効果に身を置くわけにいかないものね

    毎日リハビリで動いて緩和するしかないものね

    自分で食べて自分で飲んで、最後まで動き続けたね

    本当に偉かったね




    お見事でした




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    【2018/02/16 11:15】 | 家族小景
    【タグ】  終末  痛み  リハビリ    
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    あけましておめでとうございます。


    去年は、私にとって嬉しいこと楽しいことがたくさんありました。

    2月には、義父の付き合いで水墨画を始めました。教室の陽水先生は笑顔が素敵な飾らないお人柄で、絵が苦手な私の気分を乗せるのがうまく、更にのびのびさせてくれるので、とうとう作品を出すに至りました。(笑)




    春には娘の妊娠がわかり、当初は出血が続き安静を言い渡されましたが、職場でも大事にしてくれたおかげか、わりと早くに回復して元気になりました。ほっとしたら、嬉しさが募って30年ぶりにベビードレスなどを一針ひとはり手縫しました。



    夏には、ギターの先生ピアノの先生のステージで、友人とオリジナルソングを歌わせていただきました。私にとっては、2013年以来のコンビプレイでした。



    夏の終わりにクミコ・カーロ先生が、ご主人の転勤で札幌に移動とわかりショックを受けますが、1年で達成するつもりの「糸」を10月の発表会に間に合わせる!と誓い出張で空ける以外は毎日ピアノを触っていました。クミコ先生のファンになった友人と、近場のライブを見に行く楽しみが増えました。



    秋には、誓いのとおりピアノがほぼ完成し、クミコ先生のステージでひかせていただきました。その二日後の発表会では、去年と違い、緊張している自分を観察する余裕がありました。去年は、緊張で声が上滑りするし先生のギターも聞こえないし、自分としてはわやくちゃでしたからね。

    「アガるのは脚本だ!ダミー感情だ!」と言ったところで、アガらなくなるどころかますます見えない葛藤が激しくなります。まず「アガって良し!」とし、その中でフリーダムを勝ち取り、そこから更に自由になっていくのです。

    先生のステージでも脳が「失敗したら恥ずかしい」「ギターが下手だ」などと囁きましたが、「それでも良い、その私からのスタートで良い」と決めた二度目には気持ちがだいぶ落ち着き、先生からお褒めの言葉をいただきました。

    新しいことをやると、その度に脳が邪魔するので、「失敗してもいい、失敗しなくてもいい」と自分を勇気付けてやります。
    “べき、ねば”や“否定”“条件付きの承認“で自分(&人)を縛ることが、どれほど物事を滞らせ、人を成長させないことか、血液だと動脈瘤があるようなものです。ここはきちんと見てゆかないとね。





    そして冬、かわいい初孫の誕生です。

    IMG_6679.jpg


    予定日が12月26日で、私が1週間遅れたので年末年始に産まれたら大変だなぁと思っていましたが、2週間早くに小さめで誕生。その後すくすくと体重も増え、こうして落ち着いたお正月を迎えることができました。

    IMG_6784_convert_20171229062231.jpg




    ありがたいです。
    毎日まいにちがありがたいです。



    私の中で、変わってゆくもの、溶けていくものがあります。
    “わだかまり”というのかなぁ。
    『母の言いなりにはなりたくない』という思いが強過ぎてそれが悪さをしていたなぁ。
    それがいつの間にか、べきねばや執着になっていたんだなぁ。
    私が溶けないままだから、家族にその思いを乗せていただろうなぁ。
    申し訳なかったなぁ。
    気づかせてもらってありがたいなぁ。




    朝日が登り始めました。
    私の部屋から見事な朝焼けが見えます。





    今年もよろしくお願いいたします。m(__)m






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    【2018/01/01 06:20】 | 家族小景
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    「午後2時20分に、無事に産まれました!」

    電話の向こうから「父親」の喜びが伝わってきます。



    やったー!!!

    おめでとう!!!!!



    忙しい旦那さんですが、大切な時は必ず娘の側に居ます。



    それにしても12日に出産して16日には退院ー今は早いですね〜。

    赤ちゃんは小さめだったのでもう少し入院となりました。

    別れがたい娘が涙して旦那さんが優しく励ますー思わずもらい泣き。



    赤ちゃんの退院が決まるまで、おっぱいマッサージをして乳腺症予防と搾乳。

    初乳を冷凍保存して届ける娘。



    がんばれ〜〜。



    すると、2日目には退院許可がおりました。

    ママの環境が万全になった頃に退院なのね〜。

    いそいそと作った襦袢とベビードレスを着てくれました(感激)。




    自分を振り返ると、思ったよりも娘の回復が早くてほっとします。

    ミルクの飲み足しも減って、おっぱいの柔らかい匂いに変わりました。

    眠ってる娘から、赤ちゃん時代の匂いがした時は感慨無量。

    懐かしい匂いが同じ娘から香るなんてね〜。

    娘は「自分ではわかんない」

    そりゃそうだ。私も自分の匂いとして記憶してないもんね。



    「ちぃと小さめやけど、6ヶ月は風邪もひかんことになっちょる」とひいおじいちゃん

    「ほらほら、怒ってる(泣いてるから世話してあげて)」と心配顏のひいおばあちゃん

    「もうちょっと泣いていいよ〜」とだっこするおじいちゃん

    みんなに暖かく見守られてる娘と孫を見て幸せなおばあちゃん(私)




    鳴き声がなんとも可愛らしく毎日表情が変わるので見てて飽きません〜。





    さっそく作ったフォトシールです。(^^)
    あかちゃん



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    【2017/12/23 11:02】 | 家族小景
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    Re: タイトルなし
    中尾眞智子
    ありがとうございます〜。(^^)






    シーズン
    おめでとうございます~。
    これから楽しみですね!

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    短襦袢と長襦袢は晒で作っていましたが・・・さて準備

    IMG_5846_convert_20170930092333.jpg















    休み休み出来上がりました♡
    IMG_5983_convert_20170930092612.jpg




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    【2017/09/30 09:30】 | 家族小景
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    夫が、花壇の面白さに目覚めたのはごくごく最近のことです。

    実は私も花壇に縁がなく、それどころかアブラナの種をそこらの土に植えて育たなかった(小2の宿題)嫌な思い出があるので、社宅の花壇に途方に暮れましたっけ。

    それでも土は私に優しかった
    季節の花々が咲き乱れ

    枝豆の収穫を子どもたちと楽しんだし

    インゲンはご近所さんが支柱立て等を手伝ってくれたし

    毎日少しずつ雑草を取っては、アリッサムを這わせましたっけ。

    アリッサムをそうっとめくると、可愛らしいトカゲの卵があってね、

    うっかりひとつ潰してしまったんだけど、孵るまでは気をつけていましたっけ。

    小さいトカゲは糸みたいに可愛らしくて大好き。

    ああ〜あのトカゲちゃんたちは元気かなぁ。




    お〜っと!夫の花壇についてでした。




    ★土起こしの巻--------------------

    引っ越し先で割り当てられた花壇の土起こしをしてもらった時のこと、真上の部屋から見て、私は「黒々とほこほこした土になった〜」と大変気をよくしていました。

    だがしかし!

    次に見た時にはびっくりがっかり

    すんばらしく小高い山と、泥だんごと、裸足の父子

    あのほこほこした土を触りたかった〜

    そこに植えたかった〜

    もう一回私がほこほこさせないだべさ〜

    雑草の根っこも混じってる〜?

    うっげー!硬そうな土だぞ・・・



    何度か土起こしはしてもらったけれど、毎回こうでした。

    子どもたちの嬉しそうな笑顔を見ると怒れないけどね、パパがやり直してくれるならいいのにさっ

    不満たらたら抱きながら、一人でやりなおしたものです。





    ★生い茂る雑草の巻----------------

    2014年5月にこの家に引っ越してきた時、伸び放題の雑草を刈ろうとしたら

    「風情を楽しみたいからそのままにしておいて」と言われ、私はしばしフリーズしました。頭の中が過去の嫌な経験(ムカデ、ゲジゲジ、スズメバチの巣など)が浮かび、ぞ〜〜〜っ

    「わかった(=私はそこに出ない)」と言ったものの、洗濯物を干す時に嫌でもベランダに出るわけで、あっというまに高々と雑草が伸び、涙がチョチョ切れそう。

    もうやだ!

    もう無理!

    あちこちかゆい!

    風情っていうけど、雑草にまみれて住んでいるのはご近所で我が家だけだものねぇ。

    一軒家が雑草にまみれていると、ただの荒れ屋敷だよなぁ。

    「あまり酷いと思う、草刈っていい?」

    「そうまで言うなら刈ってもいいけど、少し残しといて。あの辺とあの辺はそのままね」

    一人で黙々と一軒家にはびこった雑草を刈りながら、「これは夫のもの(私のじゃない)」と自分に言い聞かせました。雑草を刈りたくない持ち主に、私の心身の健康のためにご無理言って刈らせていただいているーそうでも思わないと、やってらんねがったよ〜〜。




    ★畝?--------------

    いよいよ義父母を迎え、花を植えるだんになったら、義父が立派な畝を4つくらい作っていました。

    「え?畑借りたのにここも畑にするの?」

    夫いわく、せっかく義父が作った畝を壊すのも忍びないのでだんだんと作っていく、とのこと。

    畝に植得られた花は、野菜のように花が等間隔で咲いている状態でした。

    水やりのたびに土が少しずつ流れていくので、そのうちに花の根っこが露わになって、まぁ、弱ったり枯れたりしました。

    夫が、花の色を見てはあっちこっちに植え替えて弱らせたものもあったと思います。

    居間に座る義母から見えるところに綺麗に花を植えたいー義母は自宅の前の道路をコスモス街道にしたり、庭はところ狭しと花が植わっていましたから、一人で動けなくなった義母をせめて好きな花で癒したい思いはよくわかります。

    前の段階でだいぶ手放していたので、(やりたいようにやったらいいよ)と思って見ていたし、頼まれたら手伝いました。


    そのうち、義父が大きい畑を借りているのに、花壇にミニトマトを植えたり、野菜の苗を植えたりしました。お花たちの脇にネギ苗を何本も突っ込んだ頃に、夫が花たちの救済に動きましたっ!

    「花壇は手を出さない」という取り決めをしたことと、庭に置いていたコンポストを畑に移動したおかげで、義父の《土を見ると野菜を植えたい症候群》から、花壇の景観が守られるようになりました。





    ★覚醒?-------------

    夫が畝を取り壊し、自由に花を植え始めましたが、今度は多少の植え替えでも弱りません。

    花を増やすたびに、全体を見ては必要を感じたら植え替えます。私が種から育てたシソもバジルも、お花たちの為なら、いとも簡単に植え替えられて、あたしゃ必死こいて水やりしましたともさっ。

    そんなある朝「ミントティーでいれたコーヒーが美味しい!」と夫。

    バジル入りとまとスープ、バジルサラダ、バジルパスタ、ローズマリーの香りのウィンナー、それらを食べた彼は、お花だけじゃなくハーブにも着目し始めましたから楽しみ。


    さて、雑草さえ切りたくないのですから、伸びた花も木も切りたくないわけで、おかげでランタナは伸び放題、強い花は根っこは一つなのにどんどん横に伸びて行きました。
    その夫が、今年になって、摘芯、切り戻し、刈り込みを始めました。

    これまでは咲いている花があるから切れなかったーすると上に伸びるばっかりで良い花が咲かないー花を楽しむためには伸び放題にして良いわけじゃないんだ、とやっと辿り着いたようです。

    更には、にゃんと!夫が雑草を取ってるではありませんか!?

    感激!

    「雑草にも名前がある!」と言っていた(だからって名前を知ってるわけじゃないが)夫が、お花のために雑草の根っこを抜いているんだもん。(※刈らないです、抜いてます)

    「あ、カタバミは抜かないでね」という夫も、なんとも可愛らしい。


    彼のブログを見ると、今年の春からすごいですね。

    昔は、花壇の土起こしをしたら、まず大きな山を作ってトンネルを作る夫でした。

    水も使ってカチカチに固めた山をそのまま放置して、満面の笑みで風呂場に行く夫でした。

    その夫がまるで「花博士(我が家の花壇限定)」のようです。

    感動しちゃいます。

    凄いなぁ。

    「書く」ことを空気のようにやってきたのかなぁ。

    「書く」には、内容について吟味しなければならないから、常に研究熱心で観察熱心だなぁと感心します。




    よろしかったら、どうぞ〜。

    春の庭模様
    ※写真はフォト蔵の事情で見れないものもありますが、修復次第見れるようになるようです。「flickr」もお楽しみください。(^^)



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    【2017/09/04 22:44】 | 家族小景
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    ピシッ!

    ピシッ!

    ピシッ!

    真向かいから真っ直ぐに向かってくる桜吹雪を掌で受け止めた



    「ようこそ〜♪」



    「こんにちは〜♪」



    「一緒に遊びましょう♪」



    ピシッ!

    ピシッ!



    こんなに小さい柔らかい花びらが、風の力でよく「当たる」



    こんなことは初めて



    楽しくて楽しくて全身を動かして花びらをキャッチ


    ピシッ!

    ピシッ!



    スカッ

    「あん、外れた〜もう一回!」



    それを見ていた義母が楽しそうに笑い出す



    見渡すと、そんなことをしてるのは私だけでした。

    ははは

    皆さん写真を撮ったりで忙しいですものねぇ。

    おかげで私は写真を夫ブログから借りてますのよ〜。ふふ






    後で気がついたら桜の写真は一枚だけでした。

    写真は性能の良いカメラが大活躍してますしね、私のこの目で堪能しました。

    それでも、この可愛らしい葉桜は撮らずにおられなかったみたい(撮ったことも覚えてない)。

    花見(桜)
    花見(桜) posted by (C)machi









    そして

    桜に譲るように、脇の方で咲いていた椿

    双子のようにも見えるし

    この世で巡り合った夫婦のようにも見えるし

    合わせ鏡のようにお互いを写してるような

    背中合わせにお互いを守っているような



    一緒に朽ちていくのだろうなあ

    仲良く土に還るのだろうなぁ



    人間のようにエゴをぶつけ合うこともなく

    相手を責めることもなく

    相手に責められることもなく



    お互いの命を尊重して存在しているような美しさに

    ただただ見とれました。


    双子椿?
    双子椿? posted by (C)machi







    春の花




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    【2017/05/03 10:03】 | 家族小景
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    はじめてのおもちゃはくまのぬいぐるみ

    産まれた時から一緒にいたね
    毎日抱っこして寝たっけね

    ほっぺを擦り寄せたね

    おんぶひもで背中におぶいつけて(とママに頼んで)床を箒で掃いたりしたね

    椅子に座らせてお話ししたり、仲良しだったね

    お洗濯をしたら大騒ぎ

    「ママ!くまちゃん痛いって言ってるよ!」

    「くまちゃんも洗ってあげないとねぇ。」

    「わたしがお風呂で洗ってあげるから〜。」






    娘と一緒に嫁いでいった

    今では小さなぬいぐるみ






    クマのぬいぐるみ 投稿者 dm_5263e9624d83f


    歌詞【くまのぬいぐるみ


    この歌が「みんなの歌」で流れると涙がぐっと込み上げます。

    ぬいぐるみにつまづくママは「お片づけしなさい」とばかりにぷりぷり怒ります

    お出かけに連れて行く!と駄々をこねる子ども

    お片づけをしないからゴミに捨てちゃうママ

    収集車が来た時に慌てて拾ってぷんぷん怒って持って帰る子ども

    台所のママの後ろをさーっと走り抜けて

    取れかけた腕をちくちく縫う子ども


    もう愛くるしくて泣いちゃいます。





    PS:歌詞を書いたらいけない(凍結されちゃう)んですって。そんなわけで書き直しでーす。


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    【2017/01/13 09:24】 | 家族小景
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    娘の結婚―父親の思いを夫が綴っていますが、私と言えば、挙式前日に、自分が書いた出産(&育児)ノートを読んでいました。

    何十年ぶりに開いたでしょう。
    予定日はたまたま夫も休日で、身内の電話で起こされて「まだ?」と。次々電話が鳴るので外出しました。帰って入浴していたら、我が親友から「予定日に連れ出さないで。何かあったと(期待)思うじゃないですか。」と夫が文句を言われていました(笑)。

    産まれる気配は全くなしと思った夜中に、下腹が軋む感と息苦しさあり、日に日にそれが進み、5日後におしるしあり、更に陣痛微弱が続き体力が奪われて、3日後にやっと10分を切る陣痛が来て入院。子宮が開かない中、医師が苦労して引っ張り出してくれました。
    私がぐったりしている間に、夫はちゃっかりと赤ん坊を抱いて写真を撮ってもらっていたことを退院後に知ります。
    入院した時は「まだ生まれないんですね。じゃあ、産まれる頃に連絡ください。」と帰ってしまいました。

    夜中の入院から次に夫に会ったのは、産後の分娩室で朦朧とした私の写真を撮った時ですが、きっと無理やり頼み込んで入ったんですね。男子禁制ですから、写真を撮ったらすぐに消えました。


    夕食が出た頃に夫がやってきて、いろいろ知りたがるのだけど、全身が泥のように重たくて話せません。

    「ごめんね、眠い」と言ったら、夫が手を口元にやって「くっくっく・・・」

    笑ってる?と思ったら、泣いていました。「夕食を前にして箸も取れず眠い・・・思わず泣けた。」私の朦朧感と目の中の毛細血管が切れている土気色の顔を見て、分娩室の前で聞いていた私の息み、医者の指示、助産婦さんの叱咤激励の声も合わせて、大変なお産だったんだなぁということでした。


    夫は毎日やってきて、写真を撮って行きました。ある日の夫は、娘に夢中で決めることが捗らないので、看護婦さんに言って娘をベビー室に戻しました。ある日の夫は、脅かそうこっそり後をつけていくと、病院の玄関のスリッパを綺麗に揃えて帰って行きました。


    娘の結婚―父親の思いにもあるように、写真をたくさん撮っています。子供達が、「まだぁ?」「またぁ?」というくらい、写真を撮りました。本人の自然体をスナップ写真に収めるだけに飽き足らず、どこかに行くと「ここに並んで。」と言われたものです。

    それが、世の移り変わりでデジカメが主流になって、夫の記事もあるように『この時のためにと、私も過去に撮りためたネガを段ボールで業者に送ってすべてデジタル化し、それをパソコンに取り込んで、そこからピックアップして娘に渡す写真を選び・・・ということを仕事の合間にやっていたので、実は数年越しだった。』んですね。


    夫の好きなことに対する情熱と根気の良さは感動します。
    その趣味と実益は「写真を使わせてください。」とお願いされて、とっくに実を結んでいますが、「また(並ぶの?)?」と呆れ、「まだぁ(シャッター押してないの?)?」と愚痴をこぼした家族に受け入られれる日がやってきたのです。
    まぁ、夫にとってそれは二の次で、夫が描いていた夢が叶ったということでしょうか。おめでとう!








    話は戻りますが、ノートにはつぶさに娘の動向が書かれています。

    とても書ききれないエピソードが綴られています。



    手縫いのオムツ、手作りの退院の三点セット(帽子、ドレス、エプロン)、その後もお揃いのスカートを作ったり、サロペットを作ったり、私のスカートでリフォームしたり、楽しかったなあ。

    退院後初めての夜中ーぐっすり眠っていたからと、夫がオムツを替えて冷蔵庫の母乳をあたためて哺乳瓶で与えてくれたこともありました。ぐっすりというよりぐったりが正しいですが、嬉しかったことが書かれています。

    おっぱいを吐いて泣いた時に、心配で病院に電話をしたら「うつ伏せにしてごらん?」と看護婦さんにアドバイスをもらってご機嫌になったこと。

    お客様が来てぐずった後、眠りかけて声に出して笑ったり、突然ぎゃーっと泣き出したりする我が子を、感情が芽生えているんだなぁと見つめ続けた日々。

    脂漏脂漏が広がった時は慌てたけど、ベビーオイルをたっぷり使って拭いてあげたら綺麗になったこと。

    産後一ヶ月検診の初外出で、娘の股関節脱臼が見つかり、大きな病院で数ヶ月様子を見た後にリューメンビューゲルバンドを装着することになったこと。(その後すっかり治ったこと)

    食が細くて心配したら「痩せているけど元気なので、一週間でバランスの良い食事を!と思ってみたらいいわよ。」と保健婦さんがアドバイスをくださり安心したこと。

    初めて粉薬を貰って、「べ~」っと飲まなくて難儀した時に「ほっぺに塗るといいわよ。」と教えてくれた看護婦さん。

    実家を頼れない心細い未熟な母親(私)を支えてくれる人たちがいてくれたこと。

    ありがたかったなぁ。





    その時々の娘の様子が、可愛くて可愛くて可愛くてたまらない。

    「ベビーラックに座ったらテーブルを蹴り上げて、上にあったひよこのおもちゃが跳ねるのを楽しむ。足をドンドンすると音が鳴るのも楽しくて繰り返す。ドンドンドン(しーん)ドンドンドン(しーん)キャハハ。(五ヶ月手前)」

    うひゃひゃって笑っている娘が今も浮かびます。




    「ママさえいれば怖いものなしの娘。」ー夫の実家への長い旅路もぐずらない様子が書かれていました。

    一歳前の娘は、パパは大好きな遊び相手、ママは安全基地だったんだなぁと思います。

    「ママがいれば大丈夫な子」と言われてのびのびと過ごしていましたが、幼稚園、小学校、中学校、高校と育つうちに、すっかり「ママがいなくても大丈夫な子」に育ちました。




    娘はたくさん私に幸せをくれました。







    ここからは娘への思いです。
    ----------
    花嫁からの手紙に、あなたが一番苦しい時の私とのやりとりがいくつか書かれてありましたね。

    母親と子どものやりとりはとても日常的ですが、いざという時の親の本性を子どもは感じ見抜きますから、こちらも真剣勝負でした。

    「それが今の仕事でも人生にとっても大きな栄養になっている」

    ありがとう。経験を肥やしにするあなたの力です。





    38度で学校に行ったあの日のことはよく覚えています。

    パパが怖そうに「何度だ?」と聞くので、「38度」と言ったら「パパは38度でも行ったけどな。」と言われ、「学校は37度を超えると帰される」と夫婦喧嘩になりました。

    「ママ、私学校にいくから。」と言った時に、(え?)と驚いて、引き止めても決意のように「大丈夫。」と出て行ってしまいました。

    ママは、悲しくて悔しくてたまらなかった。ママはあの時「なんで!?」と驚いて、パパに屈服したようで情けなかったのよね。

    集団登校の途中で誰かが知らせに来るだろうか、保健室から連絡が来るだろうかと思ったら、小一時間で保健室から電話があり迎えに行きました。心の中で、パパに「ほらね!」と毒を吐いていました。そんなママの根性も見抜いていたんだと思います。

    「パパとママの喧嘩を見るのが一番悲しかった。」と大きくなってから話してくれましたね。

    今のママなら、「パパは38度でも行ったけどな。」と言われたら、パパの中の小さいちゃんに向けて「それは大変だったね。」「お母さんに行かされたの?それともお父さん?」と言うでしょうか。

    きっと、パパの中の小さいちゃんが、やっと出てこれた瞬間だったんだよね。
    もっと大事にしてあげたかったなぁ。
    ふたりとも、大事にしたかったなぁ。


    それにしても、このことを書けたということが、あなたの克服を感じます。



    長いこと、パパを守りママを守り大変でしたね。

    もう大丈夫と思ったから書けたんじゃないかなと思います。

    そのとおり、もう大丈夫だよ。

    ママとパパは並んで歩いて行きます。

    あなたも自信を持って、旦那様と並んで歩いて行って欲しい。













    ここまで読んでいただいてありがとうございます。



    前撮り
    2016.3月-2
    2016.3月-2 posted by (C)machi





    控え室にて桜茶
    30年以上前のこと、夫の両親が我が家に来た時も桜茶で迎えました。
    桜茶
    桜茶 posted by (C)machi





    和ドレスのお色直し
    お色直し
    お色直し posted by (C)machi








    載せられる写真が少ないけれど、スライドショーでお楽しみください。




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    【2016/09/02 22:12】 | 家族小景
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    原田さん
    中尾眞智子
    ありがとうございます。(^^)

    ご結婚おめでとうございます
    原田
    お嬢さんご結婚、おめでとうございます。
    ご多幸をお祈り申し上げます^^♪

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    今月結婚式をあげた娘から、電話のついでに「そういえば、シン・ゴジラ観た?面白かったよぉ!」と聞いて俄然興味が沸きました。

    今時は、よほど賑わってないと早々と打ち切られますからね。

    決めたら行動です。

    私「あの子が言うからきっと面白いよ。私は行くわ。」

    夫「そうか。じゃあ、一緒に行こう。」

    私にメリット(ポイントで無料鑑賞)がある会員証で夫婦割引で購入。








    巨大不明生物が現れて右往左往する内閣、

    専門家も含め希望的観測で日和見で呆れますが、3.11を思い出しました。

    津波のように土をうねらせながら、建物を破壊して、人々をパニックに陥れる巨大不明生物。

    武力攻撃を受けても全く打撃はなく、それどころか身体中から高熱線を放ち全滅させて停止。

    無生殖による個体増殖の可能性(分身の術みたいね)があるとわかり、停止中に対策を練るのだけど、核攻撃か凍結かの2択に分かれました。

    怪獣映画というよりは、災害(天災+人災)映画として見ると、今の私たちには、身近に感じるとおもいました。悲しいけど、身近に感じました。




    びっくらこいたのは、映画の終わりに実にたくさんの役者さんの名前があったことです。

    えー、いつ?どこに?

    斉藤工?

    前田敦子?

    三浦貴大?百恵ちゃんと友和さんの息子さん、どっかにいたかしら?




    えーーー???

    野村萬斎?????

    予備知識を持たない私は、全く知らなかったけど、ググったら出てくるわ〜。

    さすが!なるほど!

    あのうねりも咆哮も静止も野村萬斎さんだったのねー。

    となると、もう一度観たくなりますわ〜。




    私と同じく予備知識が無いながら、別の知識と雑学の収集に余念が無い夫は、それらを統合した素晴らしい感想文を書いています。

    人類は、シンゴジラ(地球の化身でありテーマ)にどう向き合うのか?

    これほど深く洞察して書いている感想に、身びいきなしで感動しています。

    これだけの感想文を書く時間もさながら、これだけの知識を学習するには不断の努力が必要ですし、集中力が必要です。そして、彼はその時間が好きです。

    おそらく一生勉強してはわくわくするのでしょう。



    長文が苦手な方もぜひ読んでみてくださいね♪





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    【2016/08/30 12:10】 | 家族小景
    【タグ】 シン・ゴジラ  
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