家族カウンセラーの想いつれづれ
    幕末に訪れたオールコック(英人)は“大君の都”に「江戸の街頭で、裸のキューピットが父親に抱かれるのを見かけるが、これはごくありふれた風景だった。父親は、この小さな命を抱いて優しく起用にあやしながら歩き回っている。」と記しているとか。

    江戸時代は育メンが当たり前だったのですね。




    江戸時代の親より

    引用ここから--------
    最近のイクメンではありませんが、江戸時代は、父親が育児をしていたようです。
    しかし、孟母三遷のように母親が子どもの教育のために一生懸命になる姿が昔から紹介されてきました。その母親の姿は、寺子屋の教材として取り上げられ、紹介されてきましたが、その解説に「女性でありながら、素晴らしい子育てをしている。いわんや父親であれば。」と書かれてあるのを見ると、父親が育児をするのが普通であることがわかります。
    その意味から、かつては「父兄」と言っていたのかもしれません。どうして、父親が育児をしていたのかというと、子どもは目に見えない格式などを引き継ぐものであり、先祖から預かったもの、預かりもので、父親が責任を持って育てるという気風があったからだといわれています。
    この子どもは自分の所有物ではないと云う考え方から、昨日のブログの「換え子制度」のようなことが提案されるのでしょう。

    また、江戸時代には、母親が子育てに専念できない厳しい状況があったのもその理由だったようです。江戸時代、20代~30代の女性の死亡率は、男性の2倍もあったのです。その原因は、出産によるトラブルで、妊娠による病気や、難産、産後の日経ちの悪さが原因だったのです。
    また、農村では母親、女性は重要な労働力でした。女性として、出産時期が労働力としてもベストの時期なのです。ですから、江戸時代は父親が子育てに関わることなしでは考えられなかったのです。
    だからと言って、父親が一人で子育てができるわけはありません。そんな父親や家庭を助けるために、江戸時代には独特の地域システムがあったのです。いわゆる子育て支援が行われていました。
    天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した大原幽学は、「子供仕込み心得の掟」20か条を掲げています。

    1、預かった子を家中のものが可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ。
    2、男は15歳、女は13歳までに何事も一人前にできるようにならないと生涯の恥なので、十分に心がけさせよ。ただし、これは口で教えると口で覚えるので、とにかく行いを示して教えよ。
    3.食事について意地汚くならないように心がけよ。
    4、子供が人の悪口を話すときは、家中内挨拶もせず知らぬふりをするが良い。
    5、人に呼ばれた時は、必ず返事をしっかりとさせるべきである。
    そして、最後の結びには、「ただ情の深いのが極上である」と書かれてあります。

    こんな幽学ではありましたが、親子の課題は何かというと、一人前になれない、親離れできない子どもというよりも、子離れできない親の問題でした。
    彼は、村人を立て直す同情として「改心楼」を建設して、子どもを独自に教育しようとします。その時に一番問題になったのは、甘やかす親と甘ったれる子どもであったようです。親子の情は、時として仇になることが多いことを指摘しています。子どもへの愛情がいつのまに溺愛になり、放蕩息子をつくることになって家は破産し、断絶することがままあったのです。
    ですから、子どもは小さいうちから第三者、今でいう保育園に入れるのがいいとしています。そこに入園させるのは、子どもを愛しているからこその行為であり、子どもを放り出すことではないことを強調しています。幽学たちは、幼いころから他人に面倒を見られるのは、親のありがたみ、他人の情けを知り、他との協調性、忍耐力を身に付けさせ、一人前の人間に育つためには非常にいいことであるとしています。
    子どもは、小さいうちは親のもとで育てるのが一番いいとする3歳児神話は、今では政策上の作戦であることはよく知られています。

    ----引用ここまで


    なるほどですねぇ。
    母親しか見当たらない学校行事で「ご父兄の皆様は〜」と言われる原点がわかりました。

    また、「養育往来(天保10年ー1839年京都の書家・小川保麿著)」には、子育ての秘訣が書かれてあって、90%は父親の子育ての心得が書かれてあり、子の9割がたは父親の子育ての結果である、とされていたそうです。

    妊娠中の妻が苦しみ始めた時の夫の心得が、図を使って説明されているそうですから、親切な育児書です。“まだ、体内にいる我が子さえ守るのは父親の責任とされた”なんて、頼もしいったらないですね。





    大原幽学が、我が子をよその子と取り替えて育てる「換え子教育」を始めた背景には、ー農村の改革があったようです。
    村人の心は飢饉の影響であれ荒んで、子供達の素行も乱れていたので、「村を立て直すには、改革しかない」と子どもたちの教育にも目を向けました。


    「江戸の父親たち」より

    引用ここから--------------
    1月5日夜、NHK教育TVで「大江戸子育て事情」という番組をやっていた。
    江戸時代、子どもは「家」やその財産、格式などを受け継ぎ、さらに次代へつなげる重要な役割を担っていた。
    その子どもを大事に育て、一人前にする役目を背負っていたのは父親であり、江戸時代は父親の子育て熱の盛んな時代であったという。
    それは、藩主から農民にいたるまでの様々な立場の人が書いた多くの「子育て論」からも伺えるという。
    また、江戸時代の人々は、親だけでの子育ては難しいことをわかっていて、地域全体での子育て体制を作っていたという。
    医療も発達していない時代で乳幼児の死亡率も高く、子どもを立派に成長させることは大変だった。
    そのため、成長の節目節目の通過儀礼を大切にして、地域全体で子どもを見守る体制を作っていたが、それが「仮親」である。
    これは、一人の子どもに、義理の親として何人もの大人が関わって地域社会の「絆」を深め、生涯にわたって子どもを見守っていくというものである。
    「仮親」は、妊娠中に「岩田帯」を送る《帯親》からはじまり、出産に立ち会い、へその緒を切る《取り上げ親》(産婆とは別)、出産直後に抱き上げる《抱き親》、名前を付ける《名付け親》、赤ん坊を初めて戸外へ連れ出して行き会った人を《行き会い親》、赤ん坊が丈夫に育つように形式的に捨て、それを拾って育てる《拾い親》→後日、実の親が貰い受けるなど等、さらに成人するまでには何人もの仮親がいて、最後は結婚時の仲人まで親が存在していた。
    そして、これらの親たちは、子どものセーフティーネットとして、生涯にわたって見守る役目を持っていたという。
    また、この「仮親」が、“父親たちの子育て”を支えていたという。

    江戸時代後期に、現千葉県旭市で農民を指導し、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合(1838年)」を創設した大原幽学(1797~1858年)は、飢饉で荒廃した村人たちの心を取り戻すためと、未来を託す子どもの教育を兼ねて、「換え子教育」の実践に取り組む。
    これは、6歳~14歳くらいまでの年齢の子どもたちを、1~2年位ずつ実の子と他人の子を換えて育てるというものである。
    これは、格式やしきたりが違う家庭に子どもを預けて教育してもらうことであり、貧しい家の子は裕福な家へ、裕福な家の子は貧しい家へ預けられたという。
    そして、親たちが、どの子も我が子のごとく区別なく可愛がることで、人心の荒廃をくい止め、地域の絆を取り戻していこうというものである。
    この換え子は、幽学の死後も明治期まで続いたという。

    江戸期の父親の「子育て論」を調べてみると、むしろ親を戒めているものが多いと感じる。
    幼児教育に「三悪」といわれるものがあり、「表裏」「臆病」「傲慢」の三つの排除である。
    「表裏」は、親が子どもに対してその場限りの嘘をつくと、子どもも嘘をつくようになり「表裏」のもとになるから、親は子どもに対して嘘をつくなという。
    子どもが言うことを聞かないからといって、怖い話をして脅かせば「臆病」のもとになる
    子どもが気に入らないからと、(子どもの気に入るように)親が道理をまげて知らん顔をしていると「傲慢」のもとになるというものであり、どれも親自身の態度を戒めている。
    また、厳しい教育と折檻(体罰)は別で、まだ体のしっかり出来上がっていない子どもに対しての折檻は、親が病気の種を植え付けているようなものだと諫めている。
    あるいは、折檻は子どもに恨みを抱かせてしまい、結果的に子どもを悪い方へ向かわせてしまうと戒めている
    子どもを褒めればそこで止まってしまうので、褒めてはいけないというものもあれば、幼い子にも道理を尽くして語り、子どもも褒められれば嬉しくてさらに頑張るという、現代でいえば「褒めて育てる」というのもある。
    一番尤もだと思ったのは、悪くなってしまった子に対する接し方だ。
    大人に対する礼儀がないからといって怒ってはいけない、礼儀を教えられていないものに怒っても意味がない、まず、その子の善いところを一つ認めてやることから、人間関係を作っていき、大人自身が自分の親のことを思い出し、自分自身の真の気持ちをその子に語るべきだという
    つまり、口先だけのお説教や教訓は、相手の心に響かない、子どもを、表裏のない真っ当な人間に育てるには、大人自身も表裏のない真っ当な人間でいるということだ。
    そして、これらの「子育て論」の根底にあるのは、子どもを大事に育てるという思想だ。
    さらには、「子どもは預かりもの」で、戸主であってもその自由には出来ないという思想だ。

    引用ここまで----------------


    なんとも羨ましい。


    我々世代では《産む》という大業を成してぐったりしている枕元で、「次は男の子ね」と言われたなんてよくあることで、更には子育ての責任は母親に預けられてきたのです。母親はとても孤独です。その心細さを我が子を抱きしめることで耐え忍び、ついにはいつまでも母子分離出来ないまま、気が付いたら親子逆転しているーしかも気がつかないので連鎖します。

    「お前は母親だろ。」
    「子育ては母親がやるもんだ。」
    我々世代にはこのような男性も多いけど、彼らが本当に母親に愛されて育っていたとはあまり思えません。だって、母親に愛されていたら、内に育った愛情が妻子を放置しないでしょうし、我が子の責任を母親(妻)になすりつけようとはしないでしょう。自分の母親が心もとなく不完全だったから、妻に完全なる母親を求め続けるのだと思います。母親から本当には愛されなかった心の空洞を、妻に埋めてもらおうとするのじゃないかと思います。けれども母親の実態は見たくないから、無意識に母親を理想化して、それを妻に求めて(求めたとて高い理想は叶わず)、妻に不満ばかり言う男性っていますよね。ファザコン女性は、その逆をやって夫を苦しめます。





    1979年に出版された「母原病」という本がベストセラーになりました。
    著者の久徳重盛医師は、【人間学誌『致知』 /2000年12月 致知出版株式会社発行】で以下のように言っています。

    引用ここから-----
    小児科医の立場からいうと昭和30年から35年ごろにかけて、小児麻痺とか日本脳炎という昔の子どもの病気というのが非常に少なくなりました。それで将来の日本の子どもは健全に育つぞと思ったんですが、代わりに小児の心身症とか親子関係の歪みというような、それまでにはなかったような現象が出てきました。
    私の専門の喘息を例にとっても、子どもに投薬しても、生活スタイルを改善するように指導しても病気が快方に向かわないことが多くなり始めました。そういう患者を何人も診ていくうちに、これは身体的な原因だけでなく、心の問題が絡んだ病気ではないかと気づくようになりました。しかも多くの場合、付き添いとして一緒に来る家族、とくにお母さんとの関係が強いのではないかと考えつくようになったのです。
    -----ここまで

    戦争と、戦後の高度成長期が、母親を孤独にしてきたのでしょう。

    長い江戸時代(1603〜1867)を終えて、わずか88年後には「母原病―母親が原因でふえる子どもの異常 (1979年) 」がベストセラーですから、びっくりたまげてしまいます。江戸時代の面影はゼロ。人間ってほんと「忘れる」生き物なんですねぇ。
    『母親が原因で増える子どもの異常』ーつまりは、その母親を支える背景やシステム(社会構造)がおかしいということですが、「母原病」という言葉が独り歩きして苦しむ母親は多かったと思います。

    その後、久徳重盛医師は「父原病―父性なき父親が、子どもを歪ませる(1997)」という本を書いていますが、こちらも、父親を支えるシステム(社会構造)がおかしいということでしょう。

    いずれにしても、母も父も愛情豊かに育っていないから、こんなことになっているのでしょうね。





    2010年には、芦田愛菜ちゃんが、極寒の中薄着一枚でゴミ袋の中に入れられ捨てられていた怜南役をやった、「Mother」が話題になりました。(クライエントさんは辛くて見れないという人が多かった。)





    そして2011年には「母を棄ててもいいですか」という本が出版されました。
    これね、数年前に姉に送ったら「ちょっと読めない・・・」と言われちゃいまして、その後まもなくして、「“母という暴力”」は読めた、と。
    その時は適当に聞き流していたけど、今書いてみると、「母の暴力は受け入れるが、棄てることは出来ない」と言っているようではないか・・・。
    わお!“無意識に守る”ってこういうことです。





    今年は、「お母さん、娘をやめていいですか?(2017年1月〜ドラマ)」が話題になりましたね。

    早瀬美月は母親に真綿の支配を受けていたことに気がつかずに、「ママが大好き」で生きてきましたが、その母親ー顕子も、実母に苦しんできたことが描かれています。会社一筋だった父親が、顕子を母親としてじゃなく“妻”として向き合い始めてから夫婦関係が変わっていく様子も描かれています。
    母親にダメ人間のレッテルを貼られ、逃げるように結婚した顕子が、我が子(三月)を教師(自分がなれなったので母親に侮蔑を受けている)にさせ、自分の愛すべき分身として完全なる存在(人形)に作り上げようとする様子は凄まじいです。我が子のためじゃなく、自分の幸せのためでもなく、実母のためでさえなく、ひたすら脳内で自分を脅かす声に従って、忠実な人形を作ろうと必死なのです。そのたゆまぬ努力は脳内母親に見せるためにやっていますし、我が子を決して幸せにはしない執念があります。

    顕子の母親が、施設を訪れた孫の三月に、娘に対する本音(素直な反省の気持ち)を言った場面がありますが、直接言わないで娘を苦しめているんだもん、このばあちゃん確信犯です。「なーに孫にだけ良い人ぶってんだよ!ばーか、ばーか!」と言いたくなります。
    娘が脚本(アルコール)を手放さないための共依存者をやってる、決して娘を幸せにしないー解放しないのです。





    そして「母になる(2017年4月〜ドラマ)」。

    母原病と言われ、父原病と言われ、母を棄てたり、娘をやめたりして、やっと「母になるってどういうことでしょうね。」というテーマのドラマが出てきました。

    このドラマでは、産んだ母も、育てた母も、子どもを死なせてしまった母も、「母になるってどういうことだろう」と葛藤しますが、私はこの葛藤と向き合う人が「母親」なんだろうなと思います。逃げないで、言い訳しないで、向き合い続けることなんだと思います。

    「私は母になる途中なんです」と言うセリフがあるけど、真摯に向き合っている母なればこそ謙虚さが伝わって来ます。もし、未熟さの言い訳で「私は母になる途中なの!」と開き直って言われたら、「は?途中もなにも母親だろ!」と言いたくなるのじゃないかしらね。

    このドラマには、二人の母親を見守る多くの存在があります。
    例えば夫の母親が“家族会議”を開くと言い出し、孫(広)に関わる人みんなを集めるが、本当の狙いは、「結衣はひとりじゃない」ということを形にしたかったのでした。言葉で言っても説得力がありませんから、行動で示して形にする必要があったのです。こういうひとつひとつも勇気が要る世の中になってしまいましたから、ドラマでどんどここういう場面作ってほしいな。

    多くの人が、自分に無い魅力に惹かれたり、自分に似たものを感じて、結婚してみたら脚本もベストカップルなわけです。それはこのドラマの人物にも言えることだと思いますが、こどもの成長を思う時、自分を壊し(執着を手放す)、新しい自分を構築していくふたりの母親の様子に嬉しくなっちゃいます。

    家庭を築くー“築く”とは「積み上げてつくる」ことです。日々のたゆまぬ努力というか、“心がけ”がなければ築けないのでしょうね。積み木のように簡単に崩れる家庭にはしたくないですね。過去の自分の概念や執着をどんどん壊して、しっかりした土台を作りなおしながら家庭を築いていきたいですね。

    劇中で「母親に卒業はないけど家族にはあるー母親の手を離れた子どもがやがて家を出て行く時、それが家族の卒業」とあって、妙に納得しました。つまり、結婚しても(その後離婚しても)母親(&父親&兄弟姉妹&親戚一同等)に捉われているうちは、今の家族と生活しながら、心は源家族と暮らしてるのです。今の家庭が壊れるのも時間の問題ですよね、って脅したわけではないのですが、そう思えてきたらどうぞ少し焦ってください。本当に大切にしたいのは、どっちかな?





    色々と書きたい放題書きましたが、江戸時代のようにはいかないまでも、“母親”も“父親”も孤独にさせない社会システムになってほしいです。





    農村を救った知の侍ー世界で最初の協同組合を作った“大原幽学”

    長部村の遠藤伊兵衛さんにも拍手を送りたい。
    この人が動かなかったら、長部村は変わらなかったのだから。







    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    いたちごっこから降りる
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2017/07/04 16:21】 | 育児(育自)
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親  子育て  育自  大原幽学  江戸  養育往来  オールコック  
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    「或とき作左衛門留守の妻へ出状ニ 一筆申入火の用心おせん泣すな馬こやせ と 書て送りしと也」と岩瀬文庫蔵『古老雑話』にあると、 紹介されている方がいて、「おせん泣かすな、馬こやせ - 黌門客」で検索出来ました。
    とくめい
    御紹介の記事や引用元の楽しげな保育園の記事を読んでたら、終いには「…三歳児神話は、今では政策上の作戦…」と。根深いなと思ったので書いときます。
    恐らくは縄文以来、伝統的な日本社会は、異様に、男女を同等とする社会で、周辺とのお付き合い上、恥ずかしくなるくらい女性の権利が強い社会です。
    大正期くらい迄は、日本が取り入れようとした先進文明は男尊女卑の秩序で、導入に熱心な人達は、征服教化の対象の野蛮とされる事を恐れる又は受け入れようとする人達です。
    儒教圏から律令を導入する際も、
    凡、皇兄弟姉妹、皇子女、皆親王とは書けなくて、
    凡、皇兄弟、皇子、皆親王と書いて、本注で女帝子亦同と入れて、皇姉妹と皇女も親王、四世迄の女性皇親と五世の女性も同様に王とします。
    儒教圏では女性は親王、王とされませんので、皇子皇女を併せて「帝子」と呼びます。
    日本律令では、女の親王が内親王、女の王が女王です。
    男も女も親王、王で、女は男を補助する為に創られる男女差が解ってなくて、正妻でなくても天皇の母は院号を持つ国母で、庶子差別が厳格では無い社会じゃ教化植民地化の対象の野蛮とされかねないので、明治皇室典範から男は親王、王、女は内親王、女王、正妻の皇后、親王妃、王妃は婚姻により皇族とします。

    恋愛婚、離婚再婚自由なんで律令導入期は血眼になって二夫に見えぬ節婦を探して表彰します。節婦の存在は、他を征服教化する使命を持つ、男女の別有る文明社会を象徴するからです。
    女性の権利が強ければ、母子同居で、女性は異父兄弟姉妹の母となれ、子供の父達に対して「あんたの子でしょ!何とかしてやって」と、男親が提供出来る最高限度を要求しますから、子は父と同じ氏姓の同一身分とされ、父の世渡りの為の知識、技能、人間関係を受け継ぎます。別居婚でも婚姻関係破綻後も父子間に情が有り父母が話あえて協力出来る人間関係の基本を親子関係とする社会でないと男女平等は難しいんですが、近現代は婚姻関係を基本的人間関係とする文明社会が野蛮な他を植民地化教化する時代です。
    母子同居は女性が財産を持ち、労働して所得を得られる事が許容されないと無理ですが、江戸期迄子供は、働く母親の側にいました。
    「お仙痩さすな」(太らせろ)が原文だと言う話もありますが、
    武士の家では、あまり子供を泣かすと、戦働きが難しい大人になるとされていました。他の生業だって同じです。子供が一番泣くのは母子分離を強要される時です。

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