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    家族カウンセラーの想いつれづれ
    過去の不幸を嘆くことと

    小さい頃に抑え込んだ『気持ち』を一人味わうことと

    似ているけれど違う

    前者は「嘆く」行為を脳に見せて脚本人生を歩く



    「気持ち」は

    一人で

    一人きりで

    受け止める

    するとチャイルドが満足する

    その繰り返しでチャイルドとの信頼関係ができる



    その過程を身内や友人に見せようものなら

    チャイルドはがっかりする

    外を意識していることがわかってしまうから

    たとえ匿名の投稿であっても

    匿名の電話相談であっても

    (誰かにわかってほしい)と

    チャイルドとは繋がれない

    誰に身元がばれなくてもチャイルドはお見通し



    内側に巻き起こる全ての感情を

    ただ受け止める



    脳が話しかけても無視

    言い訳が浮かんでも無視

    理屈も解釈も無視

    脳の仕掛けに乗らない



    沸き起こる感情を認めて受け止めたら

    新しい感情が湧いてくる



    そのうちダミー感情にも気がつくようになる

    ダミー感情は大袈裟だからね

    大袈裟に嘆き

    大袈裟に沈み

    大袈裟に騒動を起こす



    そんなこともわかってくると

    前は恥ずかしがって認めたがらなかった人も

    自分の過剰反応を笑い飛ばすようになる

    「イタイなぁ」と自分に悔しがるようになる



    そして「小さいちゃん」を味わう

    ただ

    ただ受け止める

    抱きしめる

    「自分」と「チャイルド」が一体になっている実感は

    それまでの不安や孤独を吹き飛ばす

    「自由と責任」で生きる魂をまたひとつ手に入れる

    その積み重ねで

    本当に自由になっていく

    どんどん自由になっていく



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    【2018/11/14 10:11】 | チャイルド
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  脳内親  感情  存在不安  自由  ダミー感情  
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    母から引き離されて泣く赤児

    泣いてもそこに母がいない

    母は私を棄てたのだ

    なーんだ
    母を棄ててもいいですかって

    すでにこちらが棄てられてるではないか

    母を棄てるに遠慮がいるものか

    というか・・・

    棄てられた私にははじめから母はいない

    はじめから自由だったんだ

    母という偏った常識に染まり

    必死で生きてきた脚本人生

    哀れな脚本ちゃん

    もういらない

    一切いらない

    もう誰も庇わない

    母を庇う仕組みはいらない

    一切いらない





    母を庇わなくなったら独り言が減った

    思わず溢れる気持ちは出るが意味はない

    意図もないから言ったら終わる

    多くの独り言は脳に聞かせてたのだ

    ひとりで声に出すと独り言は全く別

    無意識に散らかす独り言は脳に聞かせている

    無意識だから言ってる意味も気づけない

    バカバカしいことをした

    自分を大反省する




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    【2018/10/01 05:11】 | 自分との闘い
    【タグ】 人生脚本  脳内親  無意識  インナーチャイルド  脚本  脚本チャイルド  存在不安  
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    ただ事実を受け止める

    自分の真実を受け止める

    苦しくて胸が押しつぶされようとも

    塞がった思いを噛み締めて

    噛み締めて

    誰といても

    どこにいても

    甘えず

    庇わず

    言い訳せず

    気を散らさず

    見続ける

    感じ続ける

    誰にわかってもらおうとしないで

    ただ黙ってひとりで受け止める

    感じ続ける




    誰のせいにも出来ない

    自分が作ってきた脳の指令(母親)に従って

    その母親を守って

    庇ってきた

    既に年老いた母親ではない

    自分の脳に住まわせたいわば虚構の母親

    だが、現実の母を庇うこともない

    母は自分の脚本人生を全うし続けてる人

    私とは全く別の人間

    母と同じ世界ではもう生きられない

    生きたくない

    残念でもない

    母の姿はかなしいが

    私自身はかなしくない





    母を慕うチャイルドはずっと泣いていた

    誰にも気づかれずに泣いていた

    寂しくて寂しくて泣いていた

    怖くて不安で泣いていた

    ひとりぼっちで泣いていた

    もう離さない

    私が抱きしめる








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    【2018/10/01 05:06】 | 自律
    【タグ】 人生脚本  無意識  脳内親  自律  カウンセリング  インナーチャイルド  存在不安  脚本チャイルド  脚本  
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    言わない“我慢”はいらない

    チャイルドは“気持ち”を本人に知ってほしいんだ

    気持ちを声に出してほしい

    声に出さないと埋もれてしまうよ

    ダミー感情に埋もれて

    なかなか救出できなくなっちゃう




    声にだそう

    一人で声に出そう

    誰かに聞いてほしいって思ってるとね

    誰かに聞かせる言葉をチョイスしてしまうんだ

    誰かを仮初めのお母さん(代理母)にして

    認めてもらおうとしたり

    わかってもらおうとしたり

    怒りをぶつけたり

    悲しみを訴えたりするんだ




    本当のお母さんは受け止めてくれないから

    そのお母さんを見たくないから

    お母さんに今以上にがっかりするわけにいかないから

    誰かを道具にして仮初めに承認欲求を満たす

    そうしたらお母さんを守れるし

    自分も本当の“声(気持ち)”を聴かずに済む

    脚本ちゃんは絶好調

    そして記憶は改ざんされたり曖昧になり

    体は重くなったり何かの症状が出たりする

    その重苦しさも動かない理由にして

    脚本を維持する





    気持ちを声に出そう

    長いセリフなんかいらない

    自分になら状況説明もいらないんだもの

    なんの言い訳もいらないんだもの

    どんな自分(気持ち)も認めて受け止めよう





    負の感情を認めよう

    悪感情も認めよう

    悪感情を受け止め無いのはお母さん

    受け止められなかった感情を“無い”ことにしてしまった

    “有る”と認めたらお母さんに嫌われちゃう

    なので他人の振る舞い(悪感情)を“人でなし”認定さえする

    お母さんの良い子でいるために・・・

    もうくたくただね

    へとへとだよね





    禁じてた言葉も使おう

    美しい言葉で飾って偽物感情にしない

    一人で言うんだから遠慮はいらない

    ちっくしょー

    くやしい

    惨めだ

    むかつくー

    ばっかやろう

    許さない

    死ね

    うざい

    消えろ

    言いたい相手がお母さんだったと気がついたら

    自分の罪深さも知ることになる

    その自分を認めた時の清々しさは“浄化”





    まず声に出そう






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    【2018/06/06 05:41】 | チャイルド
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  脳内親  怒り  代償行為  脚本チャイルド  
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    ゆっくり書く時間がないのですが、無料配信が終わってしまうので〜

    きょうだいに嫉妬したり、それが邪魔をして結果的に脳内母を守ったり、なかなか進めずに苦しい人にヒントになればと思って、セリフのみ拾ってみました。


    ◯本庄和彦(次男)

    僕の死んだ兄貴、家庭内暴力が酷かったんだ。

    五つ上で親に期待されてた。

    将来は医者になれって言われて。

    でも、中学の頃から暮れ始めたんだ。

    些細なことで怒りを爆発させるようになって、僕も両親もことあるごとに容赦なく殴られた。

    でも両親は、あんな奴でも愛していた。

    あんな目にあわされて、毎日のように顔や体に痣を作って、それでも兄貴のことを愛してたんだ。

    あいつが事故で死んだ時、正直胸がスーッとした。これで家族が平和になった。

    やっと親も僕を見てくれるって。

    でも・・・僕には何も求めてくれなかったよ。

    医学部の受験に失敗した時も、「気にしないで好きに生きればいい」って、「兄貴の時みたいにプレッシャーを与えたくない」って。

    僕は、認めて欲しかった。

    両親のことを尊敬してるから。

    悪いのは兄貴なんだ。

    だから、僕には日向の言葉が受け入れられなかった。

    兄貴も両親のことを罵っていたから、日向がお母さんの悪口を言うたびに、イライラして、このままじゃいけないって。

    でも、まさか自分があんなこと(豹変)するなんて。






    ◯藍沢日向(母子家庭、一人っ子、スクールカウンセラー)

    あの人(母)が怒ったのは、私が自分のものだと思っているからだ。

    かず(本庄和彦)との結婚がなくなるかもしれない。

    その理由が出来たことに、ほんの少しだけほっとしている自分がいる。

    多分、私にはまだ母親になる覚悟がない。

    あの人と同じ立場になること、もしかしたらあの人のようになってしまうことが怖いから。





    ◯吉岡英美里(自殺した兄の妹)

    私のことを見て、声を聞いて欲しかったから。

    許せないでしょ、私のこと。

    もっと怒れば?なにされたって構わないから。


    私、この家を出てく。

    もう児童相談所にもメールした。

    母親はネグレクト、父親は愛人作って別居状態、こんな家じゃまともに生きていけませんって。


    結局、私のことは見てくれなかったし、声も聞いてくれなかった。

    でも、間違ってたよ。

    お母さんは、お兄ちゃんの声も聞いてなかったんだね。

    お母さんが聞いてたのは、お兄ちゃんに話しかけてる自分の声だけだよ。

    うちの水槽から魚が一匹減っているのも私だけが気づいてた。

    きっとお兄ちゃんが死ぬ前にやったんだって。

    ウサギと同じように殺したんだって。

    自由になるには、死ぬしかなかったから。









    場面は違ったりしますので、お時間ある方は見逃し配信でお楽しみください。


    カンテレ動画ー8話のみ無料見逃し配信


    全話有料ーFOD


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    【2017/12/06 10:51】 | 人生脚本
    【タグ】 人生脚本  脳内親  存在不安  境界線  家族間連鎖  ダミー感情  代償行為  
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    父の変遷と水墨画を読んで、あっという間のようでありながら着々と重ねた4年の月日が蘇りました。
    同居を始めた頃の私は、「これは女性がやることだから」という同じ女性からの押し付けや、「べきねば」で生きている人の押し付けに嫌悪感が湧いて、油断すると急接近で依存される感覚に慄いたりしました。




    私の母親に同居のことを話したら「こどもが親の面倒をみるのは当たり前でしょ。」「あら、私は二人も姑(再婚したから)を看取ったわよ。」と言われました。

    娘を労わることもなくこのように言う彼女は息子夫婦と同居しているわけで、嫁である義妹のことを思うと、母の言葉に厚かましさを感じて、なんともいえぬ恥ずかしさ情けなさでいっぱいになりました。

    また、自分がやったことは我が子もやって当たり前という感覚があるのでしょう。

    以前「ええ?私の子どもなのに掃除が嫌いなの!?」と驚かれ(姉は母直伝で掃除が好き、私は祖母との暖かい記憶で洗濯が好き)、逆に「あなたが掃除好きだったなんて、私たちにさせてたから知らなかったよ?」と驚きましたっけ。




    そんな母に「ジェノグラムを書かせて欲しい」とお願いしたのが去年の1月で色々なことが見えてきて、祖母と母の関係も親子逆転していたこと、祖母も母も私も次女で同じような連鎖を持っていたこともわかりました。

    色々スッキリして今後は母に腹を立てることも無意味だし止めようと思った矢先に、全く別のところで災難は起こっていて、それもこれも母の甘えや油断が状況を悪くしていったので致し方なし。




    さてさて、義父母と暮らし始めた当初は、油断すると私の無意識の脚本が発動して、母の価値観「介護は嫁がやるものだ」を引き受けてせっせと介護しようとしたり、「家にはいつも誰かがいないとならない」と言う人の刷り込みに捉われかけたりしては、『甘やかしは義父母の生活力を奪う』と思い返して踏みとどまるーその繰り返しでした。

    こちらが無意識の脚本で動いた時は、必ず寄りかかられてしまい『本当に彼らをダメにするのは、こういう時の私なのだ!』と戒めながら生活していました。





    暮らし始めは、家事も介護も夫と半分くらいで、気がついた時のタイミングで関わっていましたが、だんだんと得意なことを分業するようになり、守備範囲が決まっている分他のことを気にしないので心の余裕が全然違いますね。

    人生を楽しもう!

    引っ越してから諦めの脚本に引っ張られかけていたけど、私は楽しむぞー!

    思い切って習い事を始めました。

    産まれて初めての発表会(自作の歌を披露)も経験して、次の課題曲が決まった頃に、夫から絵でもやらないかと誘われました。

    正直、気が進みませんでした。お金も時間もかけてやりたいことと思えなかったのです。





    ためいきまじりに付いていった水墨画教室

    「私はおじいちゃまの付き添いで来ただけで、習字も嫌いで左利きだから無理です〜。」

    「あら、左利き!いいですねえ。左で描いたらいいですよ。」と先生はにこにこ

    格調高い水墨画の世界の敷居をかなり渡りやすくしてくれたのです。

    教室のみなさんも「私はピアノしか練習しないです〜。」とのうのうと言う私をあたたかく迎えてくれました。

    教室では、当日にいただいたお手本を見ながら練習をして、次のレッスンに提出、黒板に貼ってみんなで見て感想を言う、そんな感じですが、私たち3人は初級なので、まずはいろんな線描きです。

    直線、曲線、丸、葉っぱ、竹、木、岩、という具合に少しずつ課題をもらいました。

    一ヶ月に2回ですから、そうそう進みませんが、夫はたまに家で練習をするので上達が早いです。

    それでもひとつでも上手く描けたら「あら、初めてなのに上手だわぁ」と褒めてくださるお姉さまがたに乗せられて、通うのが楽しくなっちゃいました。

    半年も経たない頃に「カルチャーセンターに展示しますから」と先生から通達があり、新人さんもと言われても何も描けないから諦めていました。

    いや、諦める以前にやる気がありませんでした。

    みなさんの立派な作品を毎回見てきて、とてもじゃないが無理無理〜〜。






    ところが、どういった心境でしょうか、描いちまったんですね。

    その絵は、木々があり、水面に映る景色があり、光があり、私にとってはレベルが高いものでした。練習嫌いですから、1枚目で本番です。

    「ダイナミックで良いですねぇ。」先生は私の伸ばし方を会得した様です。しゅばらしいー。

    同じお手本で夫も描いたのですが、とても繊細で丁寧で、絵と向き合う根気の良さには感心しました。

    ふたりとも先生の手直しをいただいて、次は本番です。

    私は大作を描いて満足してしまい、あれ以上の絵なんかかけるものか、と思って諦めていました。

    夫がますます磨きがかかっていくのに感動しても、描く気になれないし、別にいいやって思っていました。

    ところが、提出前日に、しかも夕方に無償に描きたくなってしまったんですね。

    脚本(別にいいや)に従う私に痺れを切らしたチャイルドが溢れ出たとでもいうか・・・




    大作じゃなくていい!

    新人の作品は今だからかける!(ずっと新人並と本当の新人は違う)

    新人ならではの作品をかこう!






    私にしては、3枚は練習したと思います。

    墨絵 竹

    いまいちな線や葉っぱがあるけれど、まずます頑張りました。





    英司の作品は、水面を霧吹きを使ったり、何度も手を加えて素晴らしい作品になりました。

    英司 墨絵




    私が今やりたいのはピアノなので、今後は作品を提出する機会が巡ってくるかわかりません。

    けれども、もしチャンスが与えられたら、気持ちのまま作品を描きたいです。

    たった一度の人生、子どもの頃にやりたかったこと、やれなかったことを楽しみます。



    いつも思うことだけど・・・

    いろいろと乗り越えたつもりでも、更に深いところの棚卸しが待っています。

    そして、それはやっぱり母親に繋がっていくのでした。

    終わりなんてないのでしょうけれど、自分を選び、その道を信じる、信じて進むのです。

    道はいつも整理整頓されてはいません。

    頭でどれほど分析したところで、分析とおりに進めません。

    葛藤は葛藤で、混沌は混沌でしっかり味わって、それを外から眺めて、自分から出たいと思ってからでないと先に進めません。

    この過程を、一足飛びに進もうとしても必ずつまづきます。

    けど、つまづいた自分を省みてまた進めば良いのです。

    ダメだとレッテルを貼らないことです。

    まだこんなところに居るのか、と絶望するのは脳の仕業。

    諦めないで自分を愛していきましょう。





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    【2017/09/26 09:58】 | チャイルド
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親    
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    幕末に訪れたオールコック(英人)は“大君の都”に「江戸の街頭で、裸のキューピットが父親に抱かれるのを見かけるが、これはごくありふれた風景だった。父親は、この小さな命を抱いて優しく起用にあやしながら歩き回っている。」と記しているとか。

    江戸時代は育メンが当たり前だったのですね。




    江戸時代の親より

    引用ここから--------
    最近のイクメンではありませんが、江戸時代は、父親が育児をしていたようです。
    しかし、孟母三遷のように母親が子どもの教育のために一生懸命になる姿が昔から紹介されてきました。その母親の姿は、寺子屋の教材として取り上げられ、紹介されてきましたが、その解説に「女性でありながら、素晴らしい子育てをしている。いわんや父親であれば。」と書かれてあるのを見ると、父親が育児をするのが普通であることがわかります。
    その意味から、かつては「父兄」と言っていたのかもしれません。どうして、父親が育児をしていたのかというと、子どもは目に見えない格式などを引き継ぐものであり、先祖から預かったもの、預かりもので、父親が責任を持って育てるという気風があったからだといわれています。
    この子どもは自分の所有物ではないと云う考え方から、昨日のブログの「換え子制度」のようなことが提案されるのでしょう。

    また、江戸時代には、母親が子育てに専念できない厳しい状況があったのもその理由だったようです。江戸時代、20代~30代の女性の死亡率は、男性の2倍もあったのです。その原因は、出産によるトラブルで、妊娠による病気や、難産、産後の日経ちの悪さが原因だったのです。
    また、農村では母親、女性は重要な労働力でした。女性として、出産時期が労働力としてもベストの時期なのです。ですから、江戸時代は父親が子育てに関わることなしでは考えられなかったのです。
    だからと言って、父親が一人で子育てができるわけはありません。そんな父親や家庭を助けるために、江戸時代には独特の地域システムがあったのです。いわゆる子育て支援が行われていました。
    天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した大原幽学は、「子供仕込み心得の掟」20か条を掲げています。

    1、預かった子を家中のものが可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ。
    2、男は15歳、女は13歳までに何事も一人前にできるようにならないと生涯の恥なので、十分に心がけさせよ。ただし、これは口で教えると口で覚えるので、とにかく行いを示して教えよ。
    3.食事について意地汚くならないように心がけよ。
    4、子供が人の悪口を話すときは、家中内挨拶もせず知らぬふりをするが良い。
    5、人に呼ばれた時は、必ず返事をしっかりとさせるべきである。
    そして、最後の結びには、「ただ情の深いのが極上である」と書かれてあります。

    こんな幽学ではありましたが、親子の課題は何かというと、一人前になれない、親離れできない子どもというよりも、子離れできない親の問題でした。
    彼は、村人を立て直す同情として「改心楼」を建設して、子どもを独自に教育しようとします。その時に一番問題になったのは、甘やかす親と甘ったれる子どもであったようです。親子の情は、時として仇になることが多いことを指摘しています。子どもへの愛情がいつのまに溺愛になり、放蕩息子をつくることになって家は破産し、断絶することがままあったのです。
    ですから、子どもは小さいうちから第三者、今でいう保育園に入れるのがいいとしています。そこに入園させるのは、子どもを愛しているからこその行為であり、子どもを放り出すことではないことを強調しています。幽学たちは、幼いころから他人に面倒を見られるのは、親のありがたみ、他人の情けを知り、他との協調性、忍耐力を身に付けさせ、一人前の人間に育つためには非常にいいことであるとしています。
    子どもは、小さいうちは親のもとで育てるのが一番いいとする3歳児神話は、今では政策上の作戦であることはよく知られています。

    ----引用ここまで


    なるほどですねぇ。
    母親しか見当たらない学校行事で「ご父兄の皆様は〜」と言われる原点がわかりました。

    また、「養育往来(天保10年ー1839年京都の書家・小川保麿著)」には、子育ての秘訣が書かれてあって、90%は父親の子育ての心得が書かれてあり、子の9割がたは父親の子育ての結果である、とされていたそうです。

    妊娠中の妻が苦しみ始めた時の夫の心得が、図を使って説明されているそうですから、親切な育児書です。“まだ、体内にいる我が子さえ守るのは父親の責任とされた”なんて、頼もしいったらないですね。





    大原幽学が、我が子をよその子と取り替えて育てる「換え子教育」を始めた背景には、ー農村の改革があったようです。
    村人の心は飢饉の影響であれ荒んで、子供達の素行も乱れていたので、「村を立て直すには、改革しかない」と子どもたちの教育にも目を向けました。


    「江戸の父親たち」より

    引用ここから--------------
    1月5日夜、NHK教育TVで「大江戸子育て事情」という番組をやっていた。
    江戸時代、子どもは「家」やその財産、格式などを受け継ぎ、さらに次代へつなげる重要な役割を担っていた。
    その子どもを大事に育て、一人前にする役目を背負っていたのは父親であり、江戸時代は父親の子育て熱の盛んな時代であったという。
    それは、藩主から農民にいたるまでの様々な立場の人が書いた多くの「子育て論」からも伺えるという。
    また、江戸時代の人々は、親だけでの子育ては難しいことをわかっていて、地域全体での子育て体制を作っていたという。
    医療も発達していない時代で乳幼児の死亡率も高く、子どもを立派に成長させることは大変だった。
    そのため、成長の節目節目の通過儀礼を大切にして、地域全体で子どもを見守る体制を作っていたが、それが「仮親」である。
    これは、一人の子どもに、義理の親として何人もの大人が関わって地域社会の「絆」を深め、生涯にわたって子どもを見守っていくというものである。
    「仮親」は、妊娠中に「岩田帯」を送る《帯親》からはじまり、出産に立ち会い、へその緒を切る《取り上げ親》(産婆とは別)、出産直後に抱き上げる《抱き親》、名前を付ける《名付け親》、赤ん坊を初めて戸外へ連れ出して行き会った人を《行き会い親》、赤ん坊が丈夫に育つように形式的に捨て、それを拾って育てる《拾い親》→後日、実の親が貰い受けるなど等、さらに成人するまでには何人もの仮親がいて、最後は結婚時の仲人まで親が存在していた。
    そして、これらの親たちは、子どものセーフティーネットとして、生涯にわたって見守る役目を持っていたという。
    また、この「仮親」が、“父親たちの子育て”を支えていたという。

    江戸時代後期に、現千葉県旭市で農民を指導し、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合(1838年)」を創設した大原幽学(1797~1858年)は、飢饉で荒廃した村人たちの心を取り戻すためと、未来を託す子どもの教育を兼ねて、「換え子教育」の実践に取り組む。
    これは、6歳~14歳くらいまでの年齢の子どもたちを、1~2年位ずつ実の子と他人の子を換えて育てるというものである。
    これは、格式やしきたりが違う家庭に子どもを預けて教育してもらうことであり、貧しい家の子は裕福な家へ、裕福な家の子は貧しい家へ預けられたという。
    そして、親たちが、どの子も我が子のごとく区別なく可愛がることで、人心の荒廃をくい止め、地域の絆を取り戻していこうというものである。
    この換え子は、幽学の死後も明治期まで続いたという。

    江戸期の父親の「子育て論」を調べてみると、むしろ親を戒めているものが多いと感じる。
    幼児教育に「三悪」といわれるものがあり、「表裏」「臆病」「傲慢」の三つの排除である。
    「表裏」は、親が子どもに対してその場限りの嘘をつくと、子どもも嘘をつくようになり「表裏」のもとになるから、親は子どもに対して嘘をつくなという。
    子どもが言うことを聞かないからといって、怖い話をして脅かせば「臆病」のもとになる
    子どもが気に入らないからと、(子どもの気に入るように)親が道理をまげて知らん顔をしていると「傲慢」のもとになるというものであり、どれも親自身の態度を戒めている。
    また、厳しい教育と折檻(体罰)は別で、まだ体のしっかり出来上がっていない子どもに対しての折檻は、親が病気の種を植え付けているようなものだと諫めている。
    あるいは、折檻は子どもに恨みを抱かせてしまい、結果的に子どもを悪い方へ向かわせてしまうと戒めている
    子どもを褒めればそこで止まってしまうので、褒めてはいけないというものもあれば、幼い子にも道理を尽くして語り、子どもも褒められれば嬉しくてさらに頑張るという、現代でいえば「褒めて育てる」というのもある。
    一番尤もだと思ったのは、悪くなってしまった子に対する接し方だ。
    大人に対する礼儀がないからといって怒ってはいけない、礼儀を教えられていないものに怒っても意味がない、まず、その子の善いところを一つ認めてやることから、人間関係を作っていき、大人自身が自分の親のことを思い出し、自分自身の真の気持ちをその子に語るべきだという
    つまり、口先だけのお説教や教訓は、相手の心に響かない、子どもを、表裏のない真っ当な人間に育てるには、大人自身も表裏のない真っ当な人間でいるということだ。
    そして、これらの「子育て論」の根底にあるのは、子どもを大事に育てるという思想だ。
    さらには、「子どもは預かりもの」で、戸主であってもその自由には出来ないという思想だ。

    引用ここまで----------------


    なんとも羨ましい。


    我々世代では《産む》という大業を成してぐったりしている枕元で、「次は男の子ね」と言われたなんてよくあることで、更には子育ての責任は母親に預けられてきたのです。母親はとても孤独です。その心細さを我が子を抱きしめることで耐え忍び、ついにはいつまでも母子分離出来ないまま、気が付いたら親子逆転しているーしかも気がつかないので連鎖します。

    「お前は母親だろ。」
    「子育ては母親がやるもんだ。」
    我々世代にはこのような男性も多いけど、彼らが本当に母親に愛されて育っていたとはあまり思えません。だって、母親に愛されていたら、内に育った愛情が妻子を放置しないでしょうし、我が子の責任を母親(妻)になすりつけようとはしないでしょう。自分の母親が心もとなく不完全だったから、妻に完全なる母親を求め続けるのだと思います。母親から本当には愛されなかった心の空洞を、妻に埋めてもらおうとするのじゃないかと思います。けれども母親の実態は見たくないから、無意識に母親を理想化して、それを妻に求めて(求めたとて高い理想は叶わず)、妻に不満ばかり言う男性っていますよね。ファザコン女性は、その逆をやって夫を苦しめます。





    1979年に出版された「母原病」という本がベストセラーになりました。
    著者の久徳重盛医師は、【人間学誌『致知』 /2000年12月 致知出版株式会社発行】で以下のように言っています。

    引用ここから-----
    小児科医の立場からいうと昭和30年から35年ごろにかけて、小児麻痺とか日本脳炎という昔の子どもの病気というのが非常に少なくなりました。それで将来の日本の子どもは健全に育つぞと思ったんですが、代わりに小児の心身症とか親子関係の歪みというような、それまでにはなかったような現象が出てきました。
    私の専門の喘息を例にとっても、子どもに投薬しても、生活スタイルを改善するように指導しても病気が快方に向かわないことが多くなり始めました。そういう患者を何人も診ていくうちに、これは身体的な原因だけでなく、心の問題が絡んだ病気ではないかと気づくようになりました。しかも多くの場合、付き添いとして一緒に来る家族、とくにお母さんとの関係が強いのではないかと考えつくようになったのです。
    -----ここまで

    戦争と、戦後の高度成長期が、母親を孤独にしてきたのでしょう。

    長い江戸時代(1603〜1867)を終えて、わずか88年後には「母原病―母親が原因でふえる子どもの異常 (1979年) 」がベストセラーですから、びっくりたまげてしまいます。江戸時代の面影はゼロ。人間ってほんと「忘れる」生き物なんですねぇ。
    『母親が原因で増える子どもの異常』ーつまりは、その母親を支える背景やシステム(社会構造)がおかしいということですが、「母原病」という言葉が独り歩きして苦しむ母親は多かったと思います。

    その後、久徳重盛医師は「父原病―父性なき父親が、子どもを歪ませる(1997)」という本を書いていますが、こちらも、父親を支えるシステム(社会構造)がおかしいということでしょう。

    いずれにしても、母も父も愛情豊かに育っていないから、こんなことになっているのでしょうね。





    2010年には、芦田愛菜ちゃんが、極寒の中薄着一枚でゴミ袋の中に入れられ捨てられていた怜南役をやった、「Mother」が話題になりました。(クライエントさんは辛くて見れないという人が多かった。)





    そして2011年には「母を棄ててもいいですか」という本が出版されました。
    これね、数年前に姉に送ったら「ちょっと読めない・・・」と言われちゃいまして、その後まもなくして、「“母という暴力”」は読めた、と。
    その時は適当に聞き流していたけど、今書いてみると、「母の暴力は受け入れるが、棄てることは出来ない」と言っているようではないか・・・。
    わお!“無意識に守る”ってこういうことです。





    今年は、「お母さん、娘をやめていいですか?(2017年1月〜ドラマ)」が話題になりましたね。

    早瀬美月は母親に真綿の支配を受けていたことに気がつかずに、「ママが大好き」で生きてきましたが、その母親ー顕子も、実母に苦しんできたことが描かれています。会社一筋だった父親が、顕子を母親としてじゃなく“妻”として向き合い始めてから夫婦関係が変わっていく様子も描かれています。
    母親にダメ人間のレッテルを貼られ、逃げるように結婚した顕子が、我が子(三月)を教師(自分がなれなったので母親に侮蔑を受けている)にさせ、自分の愛すべき分身として完全なる存在(人形)に作り上げようとする様子は凄まじいです。我が子のためじゃなく、自分の幸せのためでもなく、実母のためでさえなく、ひたすら脳内で自分を脅かす声に従って、忠実な人形を作ろうと必死なのです。そのたゆまぬ努力は脳内母親に見せるためにやっていますし、我が子を決して幸せにはしない執念があります。

    顕子の母親が、施設を訪れた孫の三月に、娘に対する本音(素直な反省の気持ち)を言った場面がありますが、直接言わないで娘を苦しめているんだもん、このばあちゃん確信犯です。「なーに孫にだけ良い人ぶってんだよ!ばーか、ばーか!」と言いたくなります。
    娘が脚本(アルコール)を手放さないための共依存者をやってる、決して娘を幸せにしないー解放しないのです。





    そして「母になる(2017年4月〜ドラマ)」。

    母原病と言われ、父原病と言われ、母を棄てたり、娘をやめたりして、やっと「母になるってどういうことでしょうね。」というテーマのドラマが出てきました。

    このドラマでは、産んだ母も、育てた母も、子どもを死なせてしまった母も、「母になるってどういうことだろう」と葛藤しますが、私はこの葛藤と向き合う人が「母親」なんだろうなと思います。逃げないで、言い訳しないで、向き合い続けることなんだと思います。

    「私は母になる途中なんです」と言うセリフがあるけど、真摯に向き合っている母なればこそ謙虚さが伝わって来ます。もし、未熟さの言い訳で「私は母になる途中なの!」と開き直って言われたら、「は?途中もなにも母親だろ!」と言いたくなるのじゃないかしらね。

    このドラマには、二人の母親を見守る多くの存在があります。
    例えば夫の母親が“家族会議”を開くと言い出し、孫(広)に関わる人みんなを集めるが、本当の狙いは、「結衣はひとりじゃない」ということを形にしたかったのでした。言葉で言っても説得力がありませんから、行動で示して形にする必要があったのです。こういうひとつひとつも勇気が要る世の中になってしまいましたから、ドラマでどんどここういう場面作ってほしいな。

    多くの人が、自分に無い魅力に惹かれたり、自分に似たものを感じて、結婚してみたら脚本もベストカップルなわけです。それはこのドラマの人物にも言えることだと思いますが、こどもの成長を思う時、自分を壊し(執着を手放す)、新しい自分を構築していくふたりの母親の様子に嬉しくなっちゃいます。

    家庭を築くー“築く”とは「積み上げてつくる」ことです。日々のたゆまぬ努力というか、“心がけ”がなければ築けないのでしょうね。積み木のように簡単に崩れる家庭にはしたくないですね。過去の自分の概念や執着をどんどん壊して、しっかりした土台を作りなおしながら家庭を築いていきたいですね。

    劇中で「母親に卒業はないけど家族にはあるー母親の手を離れた子どもがやがて家を出て行く時、それが家族の卒業」とあって、妙に納得しました。つまり、結婚しても(その後離婚しても)母親(&父親&兄弟姉妹&親戚一同等)に捉われているうちは、今の家族と生活しながら、心は源家族と暮らしてるのです。今の家庭が壊れるのも時間の問題ですよね、って脅したわけではないのですが、そう思えてきたらどうぞ少し焦ってください。本当に大切にしたいのは、どっちかな?





    色々と書きたい放題書きましたが、江戸時代のようにはいかないまでも、“母親”も“父親”も孤独にさせない社会システムになってほしいです。





    農村を救った知の侍ー世界で最初の協同組合を作った“大原幽学”

    長部村の遠藤伊兵衛さんにも拍手を送りたい。
    この人が動かなかったら、長部村は変わらなかったのだから。







    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
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    【2017/07/04 16:21】 | 育児(育自)
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親  子育て  育自  大原幽学  江戸  養育往来  オールコック  
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    「或とき作左衛門留守の妻へ出状ニ 一筆申入火の用心おせん泣すな馬こやせ と 書て送りしと也」と岩瀬文庫蔵『古老雑話』にあると、 紹介されている方がいて、「おせん泣かすな、馬こやせ - 黌門客」で検索出来ました。
    とくめい
    御紹介の記事や引用元の楽しげな保育園の記事を読んでたら、終いには「…三歳児神話は、今では政策上の作戦…」と。根深いなと思ったので書いときます。
    恐らくは縄文以来、伝統的な日本社会は、異様に、男女を同等とする社会で、周辺とのお付き合い上、恥ずかしくなるくらい女性の権利が強い社会です。
    大正期くらい迄は、日本が取り入れようとした先進文明は男尊女卑の秩序で、導入に熱心な人達は、征服教化の対象の野蛮とされる事を恐れる又は受け入れようとする人達です。
    儒教圏から律令を導入する際も、
    凡、皇兄弟姉妹、皇子女、皆親王とは書けなくて、
    凡、皇兄弟、皇子、皆親王と書いて、本注で女帝子亦同と入れて、皇姉妹と皇女も親王、四世迄の女性皇親と五世の女性も同様に王とします。
    儒教圏では女性は親王、王とされませんので、皇子皇女を併せて「帝子」と呼びます。
    日本律令では、女の親王が内親王、女の王が女王です。
    男も女も親王、王で、女は男を補助する為に創られる男女差が解ってなくて、正妻でなくても天皇の母は院号を持つ国母で、庶子差別が厳格では無い社会じゃ教化植民地化の対象の野蛮とされかねないので、明治皇室典範から男は親王、王、女は内親王、女王、正妻の皇后、親王妃、王妃は婚姻により皇族とします。

    恋愛婚、離婚再婚自由なんで律令導入期は血眼になって二夫に見えぬ節婦を探して表彰します。節婦の存在は、他を征服教化する使命を持つ、男女の別有る文明社会を象徴するからです。
    女性の権利が強ければ、母子同居で、女性は異父兄弟姉妹の母となれ、子供の父達に対して「あんたの子でしょ!何とかしてやって」と、男親が提供出来る最高限度を要求しますから、子は父と同じ氏姓の同一身分とされ、父の世渡りの為の知識、技能、人間関係を受け継ぎます。別居婚でも婚姻関係破綻後も父子間に情が有り父母が話あえて協力出来る人間関係の基本を親子関係とする社会でないと男女平等は難しいんですが、近現代は婚姻関係を基本的人間関係とする文明社会が野蛮な他を植民地化教化する時代です。
    母子同居は女性が財産を持ち、労働して所得を得られる事が許容されないと無理ですが、江戸期迄子供は、働く母親の側にいました。
    「お仙痩さすな」(太らせろ)が原文だと言う話もありますが、
    武士の家では、あまり子供を泣かすと、戦働きが難しい大人になるとされていました。他の生業だって同じです。子供が一番泣くのは母子分離を強要される時です。

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    理由があって捨てたゴミを

    横から
    「まだ使えるのに」

    と言われて嫌な思いをするくらいなら、家族と別に捨てたっていい



    嫌な思いを放置すると

    その後、脳内親として住みつかせてしまう



    相手は、頭の中の親に

    「勿体ないことはしませんよ」

    と言う為に証人として人を利用しているー自由じゃない人




    その後一人になって

    「ゴミまでチェックすんなー!」

    「嫌だー」

    「気持ち悪いー!」

    「むかつくー!」

    と吐き出して吐き出して

    その傷の悲しみも

    「悲しい、悲しい」

    と声に出して自分を抱きしめる






    そうして繰り返し抱きしめるうちに

    忘れていた子どもの頃の

    似たような感覚の出来事を思い出すかもしれない



    そのエピソードをリアルに体感(ロールプレイ)して

    子どもの頃の我慢を知るだろう



    あのひあのとき

    お母さんにいえなかった気持ちだったんだ・・・

    その我慢が大人になっても続いて痛んだ・・・

    「もう我慢しなくてもいいよ」

    自分に許可する






    日々の小さな怒りも

    隠れた傷(IC)を受けとめて棚卸しをすると

    気持ちで行動出来るようになってくる

    「いらないから捨てたんだよ。」

    「いちいち言われて嫌だよ。」

    同じ言葉なのに

    棚卸しの後は、堂々と言えて罪悪感もない

    スッキリして気持ちがいいー自由だ



    自律の一歩におめでとう




    ※家族のゴミをチェックする(人と境界線を引けない)親は多いです。



    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
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    【2017/07/01 06:23】 | 自律
    【タグ】 自由  自律  インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親  ハラスメント  インナーペアレンツ  怒り  
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    Re: タイトルなし
    中尾眞智子
    > 離婚して実家に戻っていたころ、元夫からもらった指輪を捨てたら、後日母の指にその指輪があった。

    ええーーーっ?きっついなぁ。

    > 捨てたはずの辞書が父の書斎にあったことも。

    あわわ・・・

    > 分かっていて、ごみ捨てを両親に頼んでいた私も同じ世界にいたのかな。
    > 境界線を引けないということなんですね・・・

    ご自分に対する理解が深まってよかったです。


    お久しぶりです(*^^*)
    中尾眞智子
    > いやいや、それはあることによって私にとっては精神的圧迫になるのよ、と説明しても"もったいない"。話が通じないんですよね。


    >昔々貧乏してたからかな、とか、今ほど物質的に豊かな時代じゃない時を過ごして苦労したからかなとか

    心の通じる人であってほしい期待がどこかにあるから、(きっと理由があるに違いない)と思うのでしょうね。現実は、こちらの気持ちを説明しても、話が通じないのですもの。不安を見たくないための時間潰し空間潰しかもしれません。


    > 結婚して家を出てからは、「捨てるのも私の自由なんだぁぁー!!ヒャッハー(*≧∀≦*)」です

    (*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

    > しかし、要るもの要らないものを整理整頓しておもったのですが…物を通じて色々な思いに支配されていたんだなぁ、と。

    気がつけて解放されましたね。^^


    はじめ
    離婚して実家に戻っていたころ、元夫からもらった指輪を捨てたら、後日母の指にその指輪があった。
    捨てたはずの辞書が父の書斎にあったことも。
    分かっていて、ごみ捨てを両親に頼んでいた私も同じ世界にいたのかな。

    境界線を引けないということなんですね・・・



    こうめ
    お久しぶりです(*^^*)
    >※家族のゴミをチェックする(人と境界線を引けない)親は多いです。
    ゴミチェックの話は、周りでもよく聞く話です。
    ワタクシ、最近まで断捨離をしていました。マメに片付けているつもりでも、知らず知らずのうちに要らないものが溜まっているものです(-""-;)
    うちの母も"もったいない"で集積所に夜中コッソリ捨てたゴミをわざわざ回収してきちゃう人でした。中には縁の切れた人(例えば元カレ)から貰ったものもあって、私としてはどうしても処分したいものまで"もったいない"。いやいや、それはあることによって私にとっては精神的圧迫になるのよ、と説明しても"もったいない"。話が通じないんですよね。昔々貧乏してたからかな、とか、今ほど物質的に豊かな時代じゃない時を過ごして苦労したからかなとか、色々考えて自分の気持ちと彼女の半生に折り合いをつけながらやり過ごしていましたが…。
    結婚して家を出てからは、「捨てるのも私の自由なんだぁぁー!!ヒャッハー(*≧∀≦*)」です
    しかし、要るもの要らないものを整理整頓しておもったのですが…物を通じて色々な思いに支配されていたんだなぁ、と。


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    気がついたらもう8話ですね。


    沢尻エリカさんと小池栄子さんがともかく凄い。

    誘拐された子も、養母(門倉麻子ー小池栄子)にすくすくと育てられた様子。

    小池さんはやむなく施設に預けただけで、本当は手放す気がなかったのですねぇ。
    どこかできっと生きてると願い信じていた実母(柏崎結衣ー沢尻エリカ)は、やっと会えた喜びもつかの間、我が子が買ってあげたスマホで養母と連絡を取り合っているのを知ってショックを受けます。

    「礼儀も正しく挨拶もする、育て方がいいんだろうなぁ」と教師に呼ばれ、小池ママの「私のおかげです!」と言う姿が浮かぶ沢尻ママ。

    不幸な話のはずなのに、二人の母親に愛される子がちょっと羨ましい?

    小池さんほど熱心に子育てする母親にも、ずっと諦めないで信じ続ける沢尻母にも縁のない私は、そんないびつな思いが湧きました。

    二人の母は「我こそが母親だ」と主張し合うけど、なにかあれば我が子第一優先に考えます。一時的に手を組むことも厭わない。

    いっそ仲良く子育てして〜。

    そんな時期もあっというまに過ぎちゃうからさ〜。

    な〜んてね・・・






    今回は、仕事で忙しい母親の育児放棄の末に亡くなった子のエピソード。


    「俺の母ちゃん、今度部長になったんだ、営業部の売り上げナンバーワンになったんだ、ほんとは女優なんだ、ほんとはパイロットなんだ、世界中を飛んでいるんだ、大変なんだ、俺のために働いてるんだ、俺のために頑張ってるんだ」と言っていたかんちゃん。

    「絶対にお母さんの悪口を言わなかった」

    「誰かに大人に、酷い母親がいます!といえばよかった。かんちゃんは助かったかもしれない。ずっと後悔してました。」

    児童福祉司から聞かされて、自分を振り返る大塚寧々ママ




    「はじめは専業主婦で家のことはもちろん、子育てもしっかりやってた。」

    「離婚したあとも、仕事を始めた時も手抜きしなかった。」

    「勉強もちゃんと見てた。」


    ー完全主義だからこそ出来なくなってしまったのね。





    児童福祉司が言います。

    「自分がダメだと認めるところから始まる」

    「母親は(人は)やり直しがききます。」


    児童福祉司の言葉に勇気を貰う寧々ママでした。

       



    『自分がダメだと認めるところから始まる』

    『やり直し(育ち直しor生き直し)が出来ます』

    その通りなんだよなぁ


    人のせいにして怒鳴ったり脅したり、皮肉や意地悪言ったり、江戸の仇を長崎で打つようなことをしたり、記憶の改ざんをしたり、自分のことを棚にあげて責めたり、ハラスメント界はとかくまっすぐじゃないのよね。

    そういう自分のダメっぷりを認めたら、次から出来なくなると思うけど、そういう行為を相手のせいにして正当化するから出来ちゃうわけでね。

    誰もがぐるぐるするところー決意と覚悟の両方が必要です。


    決意だけあっても覚悟がないと勢いに任せた終着点はハラスメント界だったりね。


    覚悟があっても決意がないと軸がぶれてしまって気がついたらハラスメント界だったりね。

    さらには、主体が誰かをいつも念頭に置かないと、境界線がなくなっていつの間にか相手を勝手に心の所有物にしたりね。

    ただ感じる、慟哭とともに受け止める、誰にも出来ない自分にしか出来ないこと。

    そして、自分になりましょうよ♪

    その時は自然と母になって、父になってるでしょうさ♪


    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    いたちごっこから降りる
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
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    【2017/06/04 08:08】 | 育児(育自)
    【タグ】 無意識  脳内親  ハラスメント  怒り  母親    
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    美女と野獣の吹き替え版ですが、(それそれ!)という場面がありました。セリフそのものはは覚えてないので私流に書いてみます。

    ベル「一度閉じたら二度と開かないって(野獣が)言っていたのに?」

    ルミエール(蝋燭)「ああ、感情に任せて言っただけだよ♪」
    ベル「一緒に食事をしないならずっと食べるなって 」

    ポット夫人「言ってたわねぇ、それに従うか従わないかは私たちしだいよ。」



    ベル「あんな酷い人にどうして尽くすの?こんな魔法をかけられたのよ、何もしていないのに」

    ポット夫人「そう、何もしなかったの。お母様が亡くなって厳しいお父様に育てられ、あんなにねじ曲がってしまったのに、何もしなかった。」


    彼らはビースト(野獣)がどんな風でも愛していたのです。

    ただ、ビーストの寂しさを知りながら何もしなかった。

    “どんなビーストも愛してる”だけじゃダメだったーちゃんと叱られ受け止められることがビーストには必要だったということでしょう。

    相手(王子)が傷ついていることを慮って目に余ることをしても注意しないー正しいフィードバックがないのですから、ねじ曲がるのは当然でしょう。





    ★ちゃんと喧嘩する---------

    つくづく子どもの頃の喧嘩相手は大事だなぁと思います。
    喧嘩する子どもたちにすぐに仲裁してしまうと、鬱憤だけ溜まって学びがないんですよね。

    抵抗勢力との折り合いのつけ方を学んでないから、抵抗されただけで傷ついてしまいます(ハラッシー)。
    あるいは、傷つくのが怖いから相手が抵抗しないように圧力をかけてしまいます(ハラッサー)。

    どんな風に喧嘩をして、どんな風に折り合いをつけるのか、むしろそこに注目して子育てしたいものです。

    暴力に訴える子
    言葉遣いが激しい子
    駆け引きのうまい子
    涙目で黙ってしまう子
    クールを装う子
    仲間を作って対抗する子
    大人の前で良い子に変貌する子
    嘘をつく子

    いろんな子がいますが、この中で揉まれて育ったら面白いじゃないですか。
    自分がどういう性質なのか相手が教えてくれますからね。
    幼少時の傷つき体験と、受け止められ体験はとっても大切です。


    感情に任せて言ってるだけのことを真に受けて自らハラッシーになる、それどころか言質にとって相手を人非人扱いしてしまう(ハラッシーハラッサー)なんてよくあります。
    それを責められた相手がカッとなって暴力を振るおうものなら、脚本は大喜びで食いついて、DV認定出来ます。その積み重ねで、離婚に至るなんてザラでしょう。

    嫌なことは嫌だと、とっても悲しいと、とっても悔しいと、相手に伝えたいですね。ただ、相手を悪人認定したまま物別れに終わるのは、脚本は喜ぶでしょうけれど、自分のICが気の毒ですものね。



    このお話はここまで〜ちゃんちゃん♪




    ◯おまけ

    余談ですが、解釈によっては「ちゃんと」が苦しい人もいます。
    「ちゃんとやりなさい」と言われて、出来ないところを見て「ほらちゃんとしてない」と言われて育ったら、完璧じゃないと許されないから苦しいです。

    子育てでごく普通に使う「ちゃんとしようね」さえ、苦しくて言えない人もいます。あるいは自分がされたようにしまったりね。

    「ちゃんとやる」は目標、出来たところは褒めて、出来なかったところを励ましていけば良いですね。子育てに限らず“自分育て”もです。




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    【2017/04/25 08:10】 | 人生脚本
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親  ハラスメント  怒り  
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    Re: タイトルなし
    中尾眞智子
    > 昔言えなかった事を言ってるだけなのだけれど

    昔言えなかったのは、受け止めて貰えないと諦めていたのではないかしら。

    > 子供が居ないから分から無いのよと言われて、関係無いと反撃してました。

    受け止めてもらえずがっかりですよね。

    > 悪いことをしたな、言い過ぎたかなと少し反省させてくるのは脚本なのかな?

    母親との関係で形成された思考の癖(脳内親=IP)が自分を責めてきます。その言いなりになって、反省して従順な良い子になるのが脚本ちゃんというとわかりやすいかな。
    >
    > 何度か読み返しさせてもらいますね。

    どうぞ〜。



    ハムさん
    まちこさんは棚卸しをされたのですか?
    先日私も母に昔の事を弟と責めて懐かしがりながらでも傷つけてしまったのかなと思ってました。
    昔言えなかった事を言ってるだけなのだけれど
    子供が居ないから分から無いのよと言われて、関係無いと反撃してました。
    悪いことをしたな、言い過ぎたかなと少し反省させてくるのは脚本なのかな?

    何度か読み返しさせてもらいますね。


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