家族カウンセラーの想いつれづれ
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    幕末に訪れたオールコック(英人)は“大君の都”に「江戸の街頭で、裸のキューピットが父親に抱かれるのを見かけるが、これはごくありふれた風景だった。父親は、この小さな命を抱いて優しく起用にあやしながら歩き回っている。」と記しているとか。

    江戸時代は育メンが当たり前だったのですね。




    江戸時代の親より

    引用ここから--------
    最近のイクメンではありませんが、江戸時代は、父親が育児をしていたようです。
    しかし、孟母三遷のように母親が子どもの教育のために一生懸命になる姿が昔から紹介されてきました。その母親の姿は、寺子屋の教材として取り上げられ、紹介されてきましたが、その解説に「女性でありながら、素晴らしい子育てをしている。いわんや父親であれば。」と書かれてあるのを見ると、父親が育児をするのが普通であることがわかります。
    その意味から、かつては「父兄」と言っていたのかもしれません。どうして、父親が育児をしていたのかというと、子どもは目に見えない格式などを引き継ぐものであり、先祖から預かったもの、預かりもので、父親が責任を持って育てるという気風があったからだといわれています。
    この子どもは自分の所有物ではないと云う考え方から、昨日のブログの「換え子制度」のようなことが提案されるのでしょう。

    また、江戸時代には、母親が子育てに専念できない厳しい状況があったのもその理由だったようです。江戸時代、20代~30代の女性の死亡率は、男性の2倍もあったのです。その原因は、出産によるトラブルで、妊娠による病気や、難産、産後の日経ちの悪さが原因だったのです。
    また、農村では母親、女性は重要な労働力でした。女性として、出産時期が労働力としてもベストの時期なのです。ですから、江戸時代は父親が子育てに関わることなしでは考えられなかったのです。
    だからと言って、父親が一人で子育てができるわけはありません。そんな父親や家庭を助けるために、江戸時代には独特の地域システムがあったのです。いわゆる子育て支援が行われていました。
    天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した大原幽学は、「子供仕込み心得の掟」20か条を掲げています。

    1、預かった子を家中のものが可愛いと思うようになり、人目を忍んで落涙する程の愛情をかけよ。
    2、男は15歳、女は13歳までに何事も一人前にできるようにならないと生涯の恥なので、十分に心がけさせよ。ただし、これは口で教えると口で覚えるので、とにかく行いを示して教えよ。
    3.食事について意地汚くならないように心がけよ。
    4、子供が人の悪口を話すときは、家中内挨拶もせず知らぬふりをするが良い。
    5、人に呼ばれた時は、必ず返事をしっかりとさせるべきである。
    そして、最後の結びには、「ただ情の深いのが極上である」と書かれてあります。

    こんな幽学ではありましたが、親子の課題は何かというと、一人前になれない、親離れできない子どもというよりも、子離れできない親の問題でした。
    彼は、村人を立て直す同情として「改心楼」を建設して、子どもを独自に教育しようとします。その時に一番問題になったのは、甘やかす親と甘ったれる子どもであったようです。親子の情は、時として仇になることが多いことを指摘しています。子どもへの愛情がいつのまに溺愛になり、放蕩息子をつくることになって家は破産し、断絶することがままあったのです。
    ですから、子どもは小さいうちから第三者、今でいう保育園に入れるのがいいとしています。そこに入園させるのは、子どもを愛しているからこその行為であり、子どもを放り出すことではないことを強調しています。幽学たちは、幼いころから他人に面倒を見られるのは、親のありがたみ、他人の情けを知り、他との協調性、忍耐力を身に付けさせ、一人前の人間に育つためには非常にいいことであるとしています。
    子どもは、小さいうちは親のもとで育てるのが一番いいとする3歳児神話は、今では政策上の作戦であることはよく知られています。

    ----引用ここまで


    なるほどですねぇ。
    母親しか見当たらない学校行事で「ご父兄の皆様は〜」と言われる原点がわかりました。

    また、「養育往来(天保10年ー1839年京都の書家・小川保麿著)」には、子育ての秘訣が書かれてあって、90%は父親の子育ての心得が書かれてあり、子の9割がたは父親の子育ての結果である、とされていたそうです。

    妊娠中の妻が苦しみ始めた時の夫の心得が、図を使って説明されているそうですから、親切な育児書です。“まだ、体内にいる我が子さえ守るのは父親の責任とされた”なんて、頼もしいったらないですね。





    大原幽学が、我が子をよその子と取り替えて育てる「換え子教育」を始めた背景には、ー農村の改革があったようです。
    村人の心は飢饉の影響であれ荒んで、子供達の素行も乱れていたので、「村を立て直すには、改革しかない」と子どもたちの教育にも目を向けました。


    「江戸の父親たち」より

    引用ここから--------------
    1月5日夜、NHK教育TVで「大江戸子育て事情」という番組をやっていた。
    江戸時代、子どもは「家」やその財産、格式などを受け継ぎ、さらに次代へつなげる重要な役割を担っていた。
    その子どもを大事に育て、一人前にする役目を背負っていたのは父親であり、江戸時代は父親の子育て熱の盛んな時代であったという。
    それは、藩主から農民にいたるまでの様々な立場の人が書いた多くの「子育て論」からも伺えるという。
    また、江戸時代の人々は、親だけでの子育ては難しいことをわかっていて、地域全体での子育て体制を作っていたという。
    医療も発達していない時代で乳幼児の死亡率も高く、子どもを立派に成長させることは大変だった。
    そのため、成長の節目節目の通過儀礼を大切にして、地域全体で子どもを見守る体制を作っていたが、それが「仮親」である。
    これは、一人の子どもに、義理の親として何人もの大人が関わって地域社会の「絆」を深め、生涯にわたって子どもを見守っていくというものである。
    「仮親」は、妊娠中に「岩田帯」を送る《帯親》からはじまり、出産に立ち会い、へその緒を切る《取り上げ親》(産婆とは別)、出産直後に抱き上げる《抱き親》、名前を付ける《名付け親》、赤ん坊を初めて戸外へ連れ出して行き会った人を《行き会い親》、赤ん坊が丈夫に育つように形式的に捨て、それを拾って育てる《拾い親》→後日、実の親が貰い受けるなど等、さらに成人するまでには何人もの仮親がいて、最後は結婚時の仲人まで親が存在していた。
    そして、これらの親たちは、子どものセーフティーネットとして、生涯にわたって見守る役目を持っていたという。
    また、この「仮親」が、“父親たちの子育て”を支えていたという。

    江戸時代後期に、現千葉県旭市で農民を指導し、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合(1838年)」を創設した大原幽学(1797~1858年)は、飢饉で荒廃した村人たちの心を取り戻すためと、未来を託す子どもの教育を兼ねて、「換え子教育」の実践に取り組む。
    これは、6歳~14歳くらいまでの年齢の子どもたちを、1~2年位ずつ実の子と他人の子を換えて育てるというものである。
    これは、格式やしきたりが違う家庭に子どもを預けて教育してもらうことであり、貧しい家の子は裕福な家へ、裕福な家の子は貧しい家へ預けられたという。
    そして、親たちが、どの子も我が子のごとく区別なく可愛がることで、人心の荒廃をくい止め、地域の絆を取り戻していこうというものである。
    この換え子は、幽学の死後も明治期まで続いたという。

    江戸期の父親の「子育て論」を調べてみると、むしろ親を戒めているものが多いと感じる。
    幼児教育に「三悪」といわれるものがあり、「表裏」「臆病」「傲慢」の三つの排除である。
    「表裏」は、親が子どもに対してその場限りの嘘をつくと、子どもも嘘をつくようになり「表裏」のもとになるから、親は子どもに対して嘘をつくなという。
    子どもが言うことを聞かないからといって、怖い話をして脅かせば「臆病」のもとになる
    子どもが気に入らないからと、(子どもの気に入るように)親が道理をまげて知らん顔をしていると「傲慢」のもとになるというものであり、どれも親自身の態度を戒めている。
    また、厳しい教育と折檻(体罰)は別で、まだ体のしっかり出来上がっていない子どもに対しての折檻は、親が病気の種を植え付けているようなものだと諫めている。
    あるいは、折檻は子どもに恨みを抱かせてしまい、結果的に子どもを悪い方へ向かわせてしまうと戒めている
    子どもを褒めればそこで止まってしまうので、褒めてはいけないというものもあれば、幼い子にも道理を尽くして語り、子どもも褒められれば嬉しくてさらに頑張るという、現代でいえば「褒めて育てる」というのもある。
    一番尤もだと思ったのは、悪くなってしまった子に対する接し方だ。
    大人に対する礼儀がないからといって怒ってはいけない、礼儀を教えられていないものに怒っても意味がない、まず、その子の善いところを一つ認めてやることから、人間関係を作っていき、大人自身が自分の親のことを思い出し、自分自身の真の気持ちをその子に語るべきだという
    つまり、口先だけのお説教や教訓は、相手の心に響かない、子どもを、表裏のない真っ当な人間に育てるには、大人自身も表裏のない真っ当な人間でいるということだ。
    そして、これらの「子育て論」の根底にあるのは、子どもを大事に育てるという思想だ。
    さらには、「子どもは預かりもの」で、戸主であってもその自由には出来ないという思想だ。

    引用ここまで----------------


    なんとも羨ましい。


    我々世代では《産む》という大業を成してぐったりしている枕元で、「次は男の子ね」と言われたなんてよくあることで、更には子育ての責任は母親に預けられてきたのです。母親はとても孤独です。その心細さを我が子を抱きしめることで耐え忍び、ついにはいつまでも母子分離出来ないまま、気が付いたら親子逆転しているーしかも気がつかないので連鎖します。

    「お前は母親だろ。」
    「子育ては母親がやるもんだ。」
    我々世代にはこのような男性も多いけど、彼らが本当に母親に愛されて育っていたとはあまり思えません。だって、母親に愛されていたら、内に育った愛情が妻子を放置しないでしょうし、我が子の責任を母親(妻)になすりつけようとはしないでしょう。自分の母親が心もとなく不完全だったから、妻に完全なる母親を求め続けるのだと思います。母親から本当には愛されなかった心の空洞を、妻に埋めてもらおうとするのじゃないかと思います。けれども母親の実態は見たくないから、無意識に母親を理想化して、それを妻に求めて(求めたとて高い理想は叶わず)、妻に不満ばかり言う男性っていますよね。ファザコン女性は、その逆をやって夫を苦しめます。





    1979年に出版された「母原病」という本がベストセラーになりました。
    著者の久徳重盛医師は、【人間学誌『致知』 /2000年12月 致知出版株式会社発行】で以下のように言っています。

    引用ここから-----
    小児科医の立場からいうと昭和30年から35年ごろにかけて、小児麻痺とか日本脳炎という昔の子どもの病気というのが非常に少なくなりました。それで将来の日本の子どもは健全に育つぞと思ったんですが、代わりに小児の心身症とか親子関係の歪みというような、それまでにはなかったような現象が出てきました。
    私の専門の喘息を例にとっても、子どもに投薬しても、生活スタイルを改善するように指導しても病気が快方に向かわないことが多くなり始めました。そういう患者を何人も診ていくうちに、これは身体的な原因だけでなく、心の問題が絡んだ病気ではないかと気づくようになりました。しかも多くの場合、付き添いとして一緒に来る家族、とくにお母さんとの関係が強いのではないかと考えつくようになったのです。
    -----ここまで

    戦争と、戦後の高度成長期が、母親を孤独にしてきたのでしょう。

    長い江戸時代(1603〜1867)を終えて、わずか88年後には「母原病―母親が原因でふえる子どもの異常 (1979年) 」がベストセラーですから、びっくりたまげてしまいます。江戸時代の面影はゼロ。人間ってほんと「忘れる」生き物なんですねぇ。
    『母親が原因で増える子どもの異常』ーつまりは、その母親を支える背景やシステム(社会構造)がおかしいということですが、「母原病」という言葉が独り歩きして苦しむ母親は多かったと思います。

    その後、久徳重盛医師は「父原病―父性なき父親が、子どもを歪ませる(1997)」という本を書いていますが、こちらも、父親を支えるシステム(社会構造)がおかしいということでしょう。

    いずれにしても、母も父も愛情豊かに育っていないから、こんなことになっているのでしょうね。





    2010年には、芦田愛菜ちゃんが、極寒の中薄着一枚でゴミ袋の中に入れられ捨てられていた怜南役をやった、「Mother」が話題になりました。(クライエントさんは辛くて見れないという人が多かった。)





    そして2011年には「母を棄ててもいいですか」という本が出版されました。
    これね、数年前に姉に送ったら「ちょっと読めない・・・」と言われちゃいまして、その後まもなくして、「“母という暴力”」は読めた、と。
    その時は適当に聞き流していたけど、今書いてみると、「母の暴力は受け入れるが、棄てることは出来ない」と言っているようではないか・・・。
    わお!“無意識に守る”ってこういうことです。





    今年は、「お母さん、娘をやめていいですか?(2017年1月〜ドラマ)」が話題になりましたね。

    早瀬美月は母親に真綿の支配を受けていたことに気がつかずに、「ママが大好き」で生きてきましたが、その母親ー顕子も、実母に苦しんできたことが描かれています。会社一筋だった父親が、顕子を母親としてじゃなく“妻”として向き合い始めてから夫婦関係が変わっていく様子も描かれています。
    母親にダメ人間のレッテルを貼られ、逃げるように結婚した顕子が、我が子(三月)を教師(自分がなれなったので母親に侮蔑を受けている)にさせ、自分の愛すべき分身として完全なる存在(人形)に作り上げようとする様子は凄まじいです。我が子のためじゃなく、自分の幸せのためでもなく、実母のためでさえなく、ひたすら脳内で自分を脅かす声に従って、忠実な人形を作ろうと必死なのです。そのたゆまぬ努力は脳内母親に見せるためにやっていますし、我が子を決して幸せにはしない執念があります。

    顕子の母親が、施設を訪れた孫の三月に、娘に対する本音(素直な反省の気持ち)を言った場面がありますが、直接言わないで娘を苦しめているんだもん、このばあちゃん確信犯です。「なーに孫にだけ良い人ぶってんだよ!ばーか、ばーか!」と言いたくなります。
    娘が脚本(アルコール)を手放さないための共依存者をやってる、決して娘を幸せにしないー解放しないのです。





    そして「母になる(2017年4月〜ドラマ)」。

    母原病と言われ、父原病と言われ、母を棄てたり、娘をやめたりして、やっと「母になるってどういうことでしょうね。」というテーマのドラマが出てきました。

    このドラマでは、産んだ母も、育てた母も、子どもを死なせてしまった母も、「母になるってどういうことだろう」と葛藤しますが、私はこの葛藤と向き合う人が「母親」なんだろうなと思います。逃げないで、言い訳しないで、向き合い続けることなんだと思います。

    「私は母になる途中なんです」と言うセリフがあるけど、真摯に向き合っている母なればこそ謙虚さが伝わって来ます。もし、未熟さの言い訳で「私は母になる途中なの!」と開き直って言われたら、「は?途中もなにも母親だろ!」と言いたくなるのじゃないかしらね。

    このドラマには、二人の母親を見守る多くの存在があります。
    例えば夫の母親が“家族会議”を開くと言い出し、孫(広)に関わる人みんなを集めるが、本当の狙いは、「結衣はひとりじゃない」ということを形にしたかったのでした。言葉で言っても説得力がありませんから、行動で示して形にする必要があったのです。こういうひとつひとつも勇気が要る世の中になってしまいましたから、ドラマでどんどここういう場面作ってほしいな。

    多くの人が、自分に無い魅力に惹かれたり、自分に似たものを感じて、結婚してみたら脚本もベストカップルなわけです。それはこのドラマの人物にも言えることだと思いますが、こどもの成長を思う時、自分を壊し(執着を手放す)、新しい自分を構築していくふたりの母親の様子に嬉しくなっちゃいます。

    家庭を築くー“築く”とは「積み上げてつくる」ことです。日々のたゆまぬ努力というか、“心がけ”がなければ築けないのでしょうね。積み木のように簡単に崩れる家庭にはしたくないですね。過去の自分の概念や執着をどんどん壊して、しっかりした土台を作りなおしながら家庭を築いていきたいですね。

    劇中で「母親に卒業はないけど家族にはあるー母親の手を離れた子どもがやがて家を出て行く時、それが家族の卒業」とあって、妙に納得しました。つまり、結婚しても(その後離婚しても)母親(&父親&兄弟姉妹&親戚一同等)に捉われているうちは、今の家族と生活しながら、心は源家族と暮らしてるのです。今の家庭が壊れるのも時間の問題ですよね、って脅したわけではないのですが、そう思えてきたらどうぞ少し焦ってください。本当に大切にしたいのは、どっちかな?





    色々と書きたい放題書きましたが、江戸時代のようにはいかないまでも、“母親”も“父親”も孤独にさせない社会システムになってほしいです。





    農村を救った知の侍ー世界で最初の協同組合を作った“大原幽学”

    長部村の遠藤伊兵衛さんにも拍手を送りたい。
    この人が動かなかったら、長部村は変わらなかったのだから。







    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    いたちごっこから降りる
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2017/07/04 16:21】 | 育児(育自)
    【タグ】 インナーチャイルド  人生脚本  無意識  脳内親  子育て  育自  大原幽学  江戸  養育往来  オールコック  
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    「或とき作左衛門留守の妻へ出状ニ 一筆申入火の用心おせん泣すな馬こやせ と 書て送りしと也」と岩瀬文庫蔵『古老雑話』にあると、 紹介されている方がいて、「おせん泣かすな、馬こやせ - 黌門客」で検索出来ました。
    とくめい
    御紹介の記事や引用元の楽しげな保育園の記事を読んでたら、終いには「…三歳児神話は、今では政策上の作戦…」と。根深いなと思ったので書いときます。
    恐らくは縄文以来、伝統的な日本社会は、異様に、男女を同等とする社会で、周辺とのお付き合い上、恥ずかしくなるくらい女性の権利が強い社会です。
    大正期くらい迄は、日本が取り入れようとした先進文明は男尊女卑の秩序で、導入に熱心な人達は、征服教化の対象の野蛮とされる事を恐れる又は受け入れようとする人達です。
    儒教圏から律令を導入する際も、
    凡、皇兄弟姉妹、皇子女、皆親王とは書けなくて、
    凡、皇兄弟、皇子、皆親王と書いて、本注で女帝子亦同と入れて、皇姉妹と皇女も親王、四世迄の女性皇親と五世の女性も同様に王とします。
    儒教圏では女性は親王、王とされませんので、皇子皇女を併せて「帝子」と呼びます。
    日本律令では、女の親王が内親王、女の王が女王です。
    男も女も親王、王で、女は男を補助する為に創られる男女差が解ってなくて、正妻でなくても天皇の母は院号を持つ国母で、庶子差別が厳格では無い社会じゃ教化植民地化の対象の野蛮とされかねないので、明治皇室典範から男は親王、王、女は内親王、女王、正妻の皇后、親王妃、王妃は婚姻により皇族とします。

    恋愛婚、離婚再婚自由なんで律令導入期は血眼になって二夫に見えぬ節婦を探して表彰します。節婦の存在は、他を征服教化する使命を持つ、男女の別有る文明社会を象徴するからです。
    女性の権利が強ければ、母子同居で、女性は異父兄弟姉妹の母となれ、子供の父達に対して「あんたの子でしょ!何とかしてやって」と、男親が提供出来る最高限度を要求しますから、子は父と同じ氏姓の同一身分とされ、父の世渡りの為の知識、技能、人間関係を受け継ぎます。別居婚でも婚姻関係破綻後も父子間に情が有り父母が話あえて協力出来る人間関係の基本を親子関係とする社会でないと男女平等は難しいんですが、近現代は婚姻関係を基本的人間関係とする文明社会が野蛮な他を植民地化教化する時代です。
    母子同居は女性が財産を持ち、労働して所得を得られる事が許容されないと無理ですが、江戸期迄子供は、働く母親の側にいました。
    「お仙痩さすな」(太らせろ)が原文だと言う話もありますが、
    武士の家では、あまり子供を泣かすと、戦働きが難しい大人になるとされていました。他の生業だって同じです。子供が一番泣くのは母子分離を強要される時です。

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    フェイスブックを眺めていたら、天邪鬼の話題があって、そういえば「瓜子姫の天邪鬼」の絵本にはお世話になったなぁと思い出しました。




    ★瓜子姫と天邪鬼

    そろそろお留守番を覚えてほしいなぁ。

    まずは、火の元が安全じゃないといけません。ガスの元栓を閉めて、窓の鍵も全部閉めて、っと。

    問題は玄関チャイムに出てしまうことでした。社宅でしたから、お友達がやってくることもあれば、セールスや宗教関係もやってきます。
    マンモス社宅だったので、知らない人が入り込んでもわかりません。社内結婚の人はさておき、転勤族の私は役員をやってやっとどんな人がどこに住んでいるのかわかったけれども、男性独身寮の人たちはさっぱりわかりません。


    さて、練習です。

    「ママ、お買い物してくるからお留守番できる?」

    「うん!」

    「ピンポン鳴っても出たらだめよ。」

    「うん!わかったー!(わくわく)」



    玄関で「じゃあ、行ってきまーす。」

    「いってらっしゃーい!」手をフリフリ



    しばらく出かけたふりをして玄関チャイムを鳴らしますと、

    「はーい!」と出てお留守番できたでしょ?という満面の笑みです。

    ここでダメ出しをするのは気の毒ではありますが、

    「あれ?ピンポンに出ないお約束だよね。」

    はっ!とお口に手を当てて(しまった!)という顔をします。

    「ママでよかった〜。天邪鬼だったら大変〜。じゃあ、もう一回お出かけするけど大丈夫?」

    「うん!」



    ぴんぽーん!

    しーん・・・・。

    よし!

    「(しゃがれ声で)指一本でいいからあけとくれ〜」

    しーん・・・。

    「瓜子姫〜。指一本でいいからあけとくれよぉ。」

    しーん・・・。

    「なんだい。留守かい。後からまた来るとするか。」




    鍵を開けて「ただいまぁ」

    「ママ!おかえり!今ね、天邪鬼がきたんだよ。」

    「え!大丈夫だった?」

    「うん!後からくるって。」

    「わかった!もし来たら絶対に開けないでしずかーにしよう。」

    「うん!」


    実際に本当のお留守番をさせるのはもっと先になりましたが、夜寝るときに読み聞かせる絵本は、子どもが大好きなだけにわくわくドキドキしながら、冒険の世界に入って行きます。

    絵本ってなんでこんなに怖い話が多いんだろう、と思いますが、現実に起こってる事件も相当怖いです。

    静岡の長泉町に住んでいたある日のこと、娘と友達姉妹が3人で遊んでいました。
    息子を抱っこしてたまたま窓から見ていたら、スーパーカブに乗った男性が来てじっと見てからうろうろしてるのに気がつきました。住居の隣は駐車場、だけど不自然なのは数回姿を表すのです。なので、息子を抱っこしたまま娘たちに「何して遊んでるのー?」とにこにこしながら外に出ていくと、男性は社宅の敷地から出て行きました。

    私の思い過ごしならそれで良いし、子どもたちを怖がらせる必要もないと思いつつも、気になって娘たちが帰る時間まで外で息子と一緒に遊んでいました。

    その夜です。三島駅近くでスーパーカブに乗った男性が3人の女の子が遊んでいるところにいたずらしようと捕まったのでした。車で10分もかからない距離の事件でしたからぞっとしました。




    ★私の体験
    私自身、子どもの頃にトラックに乗せて連れまわされた経験があります。
    「なんちゃら警察知ってる?」と言われると、人は知ってる場所を思い浮かべます。この隙に、奴はひょいとトラックの助手席に乗せたのでした。

    おかしい?と思いつつも、そう思いたくない自分は、道案内をしました。
    ところが、警察まで行くと、「今度はなんちゃら中学(知ってる中学の向こうの学区)知ってる?」と言います。
    「知らない」というと、「まず行ってみようか。」と走り出すじゃありませんか。

    私が決めたことは次の3点でした。
    1ー交渉する
    2ー1が無駄なら危険だけどハンドルの邪魔をする
    3ー更に無駄なら暴れる、噛み付く、蹴る、など心に決めました。

    まず1を実行する頃に、知ってる中学の脇の車線の多い大通りを走っていました。急がねば帰れないところに運ばれそうです。

    「あのね、早くお友達の家に行かないと、お母さんたちが心配して警察に電話しちゃうから。」
    奴は、少し沈黙した後に、キキーッとトラックを止めて、助手席を開けて私を突き落とすようにしてドアを閉めて走り去っていきました。
    後ろから車が走ってくるのに危ないことをする奴だと思いますが、もっと恐ろしいのは、私がそのことを誰にも言わずに、普通にお友達の家に遊びに行って、帰ってからも沈黙していたことです。

    母は、子どもが遊びに出ることを嫌がりましたから、母に言ったら二度と遊びに出してもらえない、私にはその方がよほど残念だったのです。我が身は守ったので、今後もっと気をつけようと思いながら、いつの間にか、我が子を出産するまで記憶くを封印していたのでした。

    出産して女の子だとわかった時に記憶がよみがえり、初めて「恐怖」を感じました。あのままだったら最悪どこかで死んでいたかもしれない、なのに誰にも言わずに一人で自分を守ってきた人生です。その後は痴漢にも遭ったことがないし、変態を見ても動じない心構えが出来ていました。

    娘が生まれた時に(あんなこともあるのだ、守りきれるだろうか)と怖くなりました。同時に、それを心配して遊びに出さない母親にはなりたくない、とも思いました。

    私以上に心配性なお母さんもいましたし、そうじゃないお母さんには自分の体験を打ち明けて、お互いに協力して見守りました。とはいえ、子どもを無菌室で育てることはできないし、大人になったら誰も守ってくれません。そのあたりをどういう風に育てていけばいいのだろうと思いながら過ごしていました。

    そういう意味で、絵本は彼らを冒険の世界に連れて行き、疑似体験ですが怖さと向き合う良い経験をさせてくれると思います。絵本どおりに読むだけじゃなくて、こんな時にどうしたらいいかなぁ、と想像する遊びもしました。





    ★7匹の子ヤギごっこ

    これは、私がヤギのお母さんになって出かけて、狼に変身して子どもたちを捕まえる遊びです。

    ピンポーン

    しーん

    「(しゃがれた声で)おかあさんだよ。開けておくれ。」

    「おかあさんはそんな声じゃないやい!(絵本どおりのセリフを楽しむ息子)」

    「おっほん、(地声で)お母さんだよ、開けておくれ。」

    「お前は狼だ!(絵本どおりのセリフ)」「そうだそうだ!(お友達の声)」

    しばし時間を置いて

    「ただいまー。ママだよー。」

    がちゃっとドアをあけてから(ドアをあけない習慣がついているので私が開ける)

    「狼だぞー!」と野太い声で言うと

    きゃーきゃーと逃げ回り隠れる子どもたち。

    隠れ終わった頃に、「さて、どこだぁ?」とゆっくりと探し回るのですが、くすくす笑い声が聞こえたり、「しーっ!」という声が聞こえたり、全然いない場所を「ここだな!」というと、嬉しそうに「ぷぷ」と聞こえたりです。

    「見つけたー!」カーテンの後ろ

    「ここだー!」と風呂釜の中

    押入れの隅っこ

    ピアノの脇の隙間

    上手に隠れてなかなか見つからない子もいましたが、そういう時は全員で探します。

    全員見つかった後に、怖い狼に捕まらないように、「ドアをあけたらいけないよ。」ってお話をします。





    ★お妃さまとお呼び!

    ある日、娘とお友達が総勢10人くらいで、お姫様ごっこをしていました。
    お姫様になりたい子が交代で、お付きのものに衣装や飾りをつけてもらっています。たまたま、ピアノの発表会に着せるのにピンクのドレスを古着屋で買っていましたし、クリスマスにサンタが運んできたティアラや首飾りやらで飾ってゆきます。私の口紅を借りて可愛らしいお姫様になってゆきます。

    そのうち「おばちゃん、喉が渇いたー。」とお友達が言い、娘も真似をして「おばちゃん!喉が渇いたー。」と楽しそうに言います。
    娘よ、おばちゃんだったらなんでも優しくしてくれると思うなよ・・・ふっ
    そんな気持ちから「お妃様とお呼び。」と腰に手を当てて首をすっと伸ばして偉そうにしたら、Aちゃんはぽっかーんと口を開けています。その様子が面白くて吹き出したいのをこらえていたら、娘が「お妃様!」と喜び、他の子も「お妃様!お妃様!」とはしゃいでしまって、「お妃様、喉が乾きました。」「私もです。お妃様」と嬉しそうに次々に言います。

    可愛らしいなぁ、とジュースを入れてあげると
    「お妃様!お代わりください。」
    「お妃様!私も!」
    Aちゃんもすっかり気に入って連呼しています。

    そのうち「お妃様。雲の絨毯をやって」と言います。

    なんのことはない、子ども用キルケットに数人乗せてずるずる引っ張るのが雲の絨毯ごっこです。お姫様ごっこに興味を示さずミニカーで遊んでいた息子まで入ってきましたから、ここでやめたらつまんないだろうなぁーと「では、そこに二人お乗り」と偉そうに言っては布の端をつかんで移動します。代わる代わる「お妃様!」と嬉しそうにお願いされるものだから、すっかり姫たちのしもべと成り下がって、ぜいぜい言いながら部屋の隅から隅に往復したっけなぁ。

    子育てを楽しめたらストレスは限りなく少なくなっていきます。
    子どもの様子を眺めて彼らの気持ちにフォーカスしてゆくと、感情の発露というか面白いものを見ることがあります。
    大人のように取り繕ったりする暇がありませんからね。
    子育て中の親御さんは、ぜひ我(エゴ)を棚にあげるなり、ちょいと脇に置くなりして子どもを観察してみてください。


    追記ー茨木のり子さんbotより
    闇にまぎれて 
    子供たちには 
    ありったけの物語を話してきかせよう 
    やがてどんな運命でも 
    ドッジボールのように受けとめられるように 



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    【2015/12/30 23:00】 | 子育て
    【タグ】 インナーチャイルド  子育て  絵本  
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    Kさん
    中尾眞智子
    > あけましておめでとうございます。

    あけましておめでとうございます。

    > ちょうど、娘のお留守番のことで悩んでいたので
    > 読ませていただきました。
    > ごっこ遊びはいいですね。
    > うちも試してみようかな。

    ウンウン. (*゚ー゚)(*。_。)(*゚ー゚)(*。_。)ウンウン
    私は子どもらしく育っていないので、子どもらしい在るがままの表現を我が子らが見せて教えてくれた気がします。^^


    あけましておめでとうございます。

    ちょうど、娘のお留守番のことで悩んでいたので
    読ませていただきました。
    ごっこ遊びはいいですね。
    うちも試してみようかな。



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    ★「夫が〜だから」---------------------

    「〜」は「怖い」「ケチ」「口煩い」「神経質」等などいっぱいありますが、特に現場で多く耳にするのは「夫が怖い。」です。

    よくよく聴いてみると、「怖い」は、自分の親の記憶に繋がっています。

    夫は、代理親になっているのです。(逆もしかり。)

    お互いに選び合っていますから、選んだ責任はそれぞれにあります。
    このことだけはしっかりと自覚しておいて欲しいのです。

    そうでなければ、自分の問題を相手に押し付けて、相手の問題を自分が引き受けるという境界線のない関係になってしまいます。




    ★夫婦連合---------------------

    夫(妻)が怖いというのは、怖いというレッテルを貼って問題から逃げているのでしょう。

    怖い夫(妻)のせいにして、自分の不幸物語を紡いで来たのでしょう。

    その姿を見て育った子どもが、負の連鎖を背負うことになるのです。

    子どもはお母さんが大好きですから、お母さんが喜ぶことをします。

    お母さんが、不幸物語を生きたがっていることを、子どもの無意識は拾いますから、色々な問題を起こしてくれます。

    家族の課題を子どもが教えてくれてもいます。

    この家族システムがおかしいよって、親がおかしいよって教えてくれています。

    親が気がついて、子どもにアプローチしたところ、親からもらった我慢の連鎖を発揮する子は、「私が悪いの。ママもパパも悪くないの。」と安心させ ようとするでしょう。

    大丈夫じゃなくても「大丈夫だよ。」とにっこり笑うかもしれません。

    ここで、子どもに甘えてはいけませんよ~。

    何度も言いますが、子どもはお母さんが好きだし、心配かけるな!という日本の文化で育っていますから、心配かける自分が悪い子だという思い込みを しているかもしれません。

    子どもの願いは、お父さんとお母さんが仲良しでいて欲しいのです。

    子にとって、両親が仲良しなことは、なによりの安全基地です。

    安心して、相談出来る両親でいて欲しいことでしょう。

    喧嘩をしても仲直りをして笑顔に戻れる、自律した大人でいて欲しいでしょう。

    今現在、夫婦関係にあるのなら、夫婦連合を築いてゆく努力をしてください。

    家族の中の問題は、まずは夫婦でしっかりと共有してください。

    今、子どもがいないご夫婦は、今から夫婦連合を大事に育てて下さい。

    お互いに、成長しあえる関係性を築いて下さい。

    「お願い」と「ありがとう」が言える関係を築いてください。

    夫(妻)の長所も短所も、距離をとって見守れるくらいに自律してください。





    ★子育てと境界線---------------------

    境界線を意識しないと、自律から遠ざかるばかりです。

    たとえば、人の携帯を許可なしで見る人は自他の分離が出来ていません。

    境界線もありませんし、母子分離も出来ません。

    勝手に部屋に入ったり、机の中を見てしまいます。

    心配ごとを見つけては、Doしたらいいんだろうと悩みます。

    子どもの問題を自分の問題にしてしまい、我が子の成長する過程を奪ってしまいます。

    事実をちゃんと見ないで、過剰反応な心配を抱えてしまう。

    ご飯も喉を通らなくなってしまう。

    家事もおろそかになってしまう。

    世間との境界線も見失い、怖い怖いと怯えることさえあります。

    勝手に見ておいて、怒りでいっぱいになる親御さんもいます。

    「親不孝な子ども」と嘆き哀しむ親御さんもいます。


    本末転倒ですね。

    境界線を意識して、問題(課題)の主体が誰かを見つめてください。

    そして、自分のもの以外は引き受けないことです。

    引き受けない=放置や無視じゃありません。

    引き受けずに、本人が問題を解決してゆく過程を見守ることです。

    引き受け手がいなければ、子どもはおのずと自分の問題と向き合うことになります。

    必要な時に相談に来れるように、「いつでも話しにおいで」というメッセージを伝えます。

    境界線を引いて見守るには、自分と向き合う覚悟が要ります。

    子育てを本気でやるならば、どうしたって自分と向き合わざるを得ないのです。

    我が子と対峙する「親として当たり前のこと(あえて“当たり前”と書きます)」をしないと、子どもが救われることはないでしょう。





    ★カウンセリング---------------------

    自分自身の問題と向き合おうとする時、なかなか一人では自分自身の課題が見えにくいので、カウンセリングをと考える方もいらっしゃるでしょう。

    この時に、大事なのは、自分自身のニーズにあったカウンセリングを選ぶことです。カウンセラー探しは、規約や要領を読んで納得されたところと契約 されることをお勧めします。ブログ等があれば、読まれる事をおすすめします。(ただし、相手になんとかして欲しいという依存があるとなかなか上手 くいきま せん。)


    例えば、当相談室ならば、相談申込み要領を読んで納得戴いた方をおうけしています。

    大きな特徴は、時間枠をとっぱらっていることです。2~3時間なら脚本ちゃんが喋って終わりますので、自分にたっぷり時間を用意することをおすす めしています。

    週に一回などの定期的な方法もしていません。気持ちがかけたい時に電話をかけてもらっていますが、その間隔は、個人によって、またその人の時期に よって違います。たっぷり時間をかけたカウンセリングを、実際の社会で体感して、自分で自分の育て直しをしていただいていると感じます。

    分割(借金)は依存を強めるので受けていません。以前は、お金が無い事情に同情をしたこともありましたが、お金が無くてもきちんと支払う相談者さ んがいらして、自律に向かう本気度はこういう姿勢に現れるのだと痛感致しました。そういう方がたは、普段から自分と向き合うことを意識しています し、自分 貯金(チャイルド貯金)をして、楽しみやカウンセリングに使っていらっしゃるようです。

    自律という目標に向かって、限りある時間(命)を、共有出来る方の鏡になりたいと思っております。




    子育ての愛に混じり気ないですか
    心のコップがいっぱいの親御さん
    どっち見てますか
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    ハラッサーとハラッシーのいたちごっこ
    いたちごっこから降りる
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。



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    【2015/02/12 11:15】 | 自律
    【タグ】 人生脚本  脳内親  無意識  怒り  子育て  自律  代理親  境界線  母子分離    
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    子育ての愛に混じり気ないですか

    『子どもには子どもで選び生きる権利があります。そこにも執着を持たないことです。持ってしまいかける自分がちゃんといます。それに気付けたら手放してゆけます。』

    と、書きましたが、執着を持たないことと、責任を放棄することは違いますので、ここは間違えないでください。
    子どもがサインを出しているのに、何もしないのは怠慢です。
    子どもが問題行動をしている場合の多くは、親が子をちゃんと見てくれていないことを教えています。


    ちゃんと、というのは、時間をかけるということではないです。
    子どもに、まっすぐ親として責任を持って向き合うということです。自分の存在をかけて向き合うことです。

    ・世間体や親族など外の価値で判断していないか。
    ・子どもの気持ちも聴かないで、押し付けてこなかったか。
    ・過去にした虐待を反省しすぎて、関わることさえ恐れていないか。
    ・(大きくなったから、もう子どもの問題だ)と間違えた手放しをしていないか。
    ・配偶者任せにしていないか。
    など、まずは自らのありようを見直してみると良いです。



    夫婦としてのあり方(夫婦連合)が、子にとってどれほど大きいことか。夫婦仲が悪いことが、子にとって存在を脅かされるほどのことだと、どうか知って欲しいです。

    子育ての時期は、本当に短い。
    短いとはいえ、大きくなったから関係ないとは言えない一生のことです。

    子を愛してください。
    親を求める気持ち以上に、子を愛して下さい。
    親を愛する以上に、わが子を愛してください。
    自覚的に、意識して、自分の愛を見てください。


    どっち見てますか。


    向き合うことを恐れないで下さい。

    恐れているのがわが子だとしたら、
    自分が植えつけてきたものだと思い知ったら良いです。

    配偶者を恐れてわが子に関われないとしたら、
    その関係しか築けなかったのが自分だったことを思い知ってください。

    世間を恐れているとしたら、
    頭の中でこしらえた社会規範(多くは親)です。それは、すでに自分自身になっています。だから、戦う相手は、今の親じゃない、自分自身なのです。



    甘えることを知らなかったインナーチャイルドを、今の親に預けても多分満足しません。インナーチャイルドが欲しいのは、あの日あの時の親の愛情で、今の親がいくらわかってくれても、薄っぺらに感じることでしょう。

    今の親にもらった、と感動して涙したとしても、実際は、自分の内側で起こらないと変わらないのです。
    たとえ、親が何をしてくれても、あの頃欲しかったものをくれたとしても、本当には満足しないでしょう。


    自分が自分を受け止めてゆくことが大事です。
    インナーチャイルドの思いを知っているのは、自分だけだからね。
    子育てと、棚卸しは、同じ作業かもしれません。




    子どもは、とてもわかりやすい鏡です。
    わが子に導かれて下さい。

    泣いている
    つっかかる
    怒っている
    沈んでいる
    睨んでいる
    暴れている
    盗んでいる
    篭っている
    etc・・・

    これらを、見過ごすことはしないでください。
    ちゃんと見てください。
    聴いてください。

    鏡(わが子)を見捨てることは自分を見捨てることと同じです。
    自分を見捨てることはわが子(鏡)を見捨てることと同じです。
    自分も子どもも救われるには、まっすぐ立ってください。
    親として立ってください。
    どんなに苦しくても目を逸らさないでください。



    親を恐れているのは、今の自分ではないはず。
    親に期待しているのは、今の自分ではないはず。
    親を憎んでいるのは、今の自分ではないはず。
    それは、過去のあの日あの時の自分なのです。


    そこをお掃除しないで、親に執着している自分は、こんなにも親を求め愛していた脚本ちゃんがいるというあかしでしょう。

    この脚本ちゃんを抱きしめるのは、大人の自分です。

    親にちゃんと絶望すること。
    本当の親への執着も手放すこと。

    親への執着がわが子に投影して苦しめているかもしれません。
    親への執着から、我が子を見ないで嘆くことに終始しているかもしれません。

    今を生きていない自分の罪深さを知ってください。
    そこに巻き込まれて、苦しい人は離れてゆきます。
    離れられない人は、同じ穴の狢で、しばし仲良しごっこをしても、まもなく苦しくなることを経験されているのではないでしょうか。

    周りのせいにするけれど、大概は自ら招いていることです。



    最後の最後には、現実の親を、
    ほぼ、あるがままに見れるようになるでしょう。

    そこに到達するには、自分自身の中で、自分への赦しが起こり、鏡になった色々な対象への赦しが起こるように感じています。(対象への依存も手放せます。)

    心がざわついたり、葛藤が起こる場合は、
    その対象者に親や自分を投影しています。

    ----------------------------------------------------


    ※親に限らず、虐待の通報義務があるように、地域の子どもを守る責任は、全ての大人にあると言えましょう。

    第六条:児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。




    心のコップがいっぱいの親御さん
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    【2013/02/11 15:27】 | 育児(育自)
    【タグ】 インナーチャイルド  インナーペアレンツ  子育て  
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    お礼が言いたくて
    中尾真智子
    私の体を心配戴いて、このブログにコメントをくださった皆さんに、お礼が言いたくて書きました。

    私は、1対1の関係を大事にしています。
    (九州に行く時は、英司が貰った言葉を勝手に応援に戴いてコメントしてしまいました。おはずかし。)

    1対1というのは、誰かを介しないということです。
    個と個が繋がって、離れて、それがたまたま幾人かが集まることもある。そして離れて、また自分に戻る。戻る中心はいつも自分です。

    自由自在がいいです。
    流れてゆくのが好きです。

    ここに来て下さってありがとうございます。^^

    今後は、コメント返しが出来ないかと思いますが、ブログのヒントとして使わせて頂くかもしれません。
    よろしくお願いします ♪



    チエさん
    中尾真智子
    > どうか、ご無理されませんように。

    ありがとうございます。

    > 葛藤、迷いは、解放されてないことが
    > 自分にあったから、なんですね。

    ひとつ抜けたら、新しい葛藤に出会えます。そのたびに、人は成長のチャンスを貰うのでしょうね。


    いせびあんさん
    中尾真智子
    > 良くなりますように,祈ってます。

    ありがとうございます。

    > 一歩一歩。

    親としての責任を持ち続ける覚悟があれば(^^)v

    lalaさん
    中尾真智子
    わからない・・・わかろうとしない・・・どっちでしょう。
    親から貰わなくても、私たちは想像力があります。
    親と向き合うより、自分と向き合うことかなと思います。^^

    お体案じています
    チエ
    英司先生のブログで、結石のこと知りました。
    どうか、ご無理されませんように。

    記事にあります、

    「今を生きていない自分の罪深さを知ってください。そこに巻き込まれて、苦しい人は離れてゆきます。離れられない人は、同じ穴の狢で、しばし仲良しごっこをしても、まもなく苦しくなることを経験されているのではないでしょうか。

    周りのせいにするけれど、大概は自ら招いていることです。」

    仲良しごっこ、、このあたりから
    わたしの本心を発見できました。
    寝た子が飛び起きる感覚です。
    はじめは、入っていかなくて、、、。

    葛藤、迷いは、解放されてないことが
    自分にあったから、なんですね。

    ようやく、強烈な、ぐるぐる思考から抜けれます。

    ありがとうございます。

    真智子先生。
    いせびあん
    良くなりますように,祈ってます。

    子どもとのやりとりの中で自分の中の方で何でだろうとかすかに思っていたことが,今はちょっと遅れて分かるようになってきたところです。

    子どもと接するとき上から目線でしか見ることができなかった。親というのはそういう物だと思っていた。

    今は私の言葉や行動に対する子どもの反応でやりとりができるようになった気がする。

    子どもから学べるようになったら肩の力は抜けて楽になった。

    でも,まだ時々知らぬ間に肩に力が入り子どもとちぐはぐになりあれれと気がつく。

    一歩一歩。





    lara
    はじめまして。
    いつも拝読させていただいています。

    子どもと向き合うという事はどういうことだろうと、まさに今、日々グルグルしていました。

    向き合いたい、
    向き合おう、
    と思う気持ちが湧いてきているのですが、
    私自身母親と向き合ってこなかったので、
    感覚としてわかりません。

    うーん、、、
    という感じです。

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    子育ては、自分育てとよく言いますが、迷いながら手探りで一所懸命。

    正解はどこにもありません。
    正解かどうかもわかりません。

    ただ、ひたすら子を思う愛に、混じり気が無ければ無いほど、伝わってゆくかもしれません。たとえ間違いであっても、間違いごと、許し合える関係を築けることがあるとしたら、何より自分に正直でいることだと思います。
    混じり気が無いほど、と書いた混じり気は、親からもらった人生脚本。
    人生脚本は、やっかいなほど、脚本ちゃんを活かすための舞台を用意します。
    それも、自ら無意識に用意しているのですが、そこに気がつかないまま、嘆き哀しんでいます。



    どうか、ちょっと離れて俯瞰してみてください。

    その愛情は純粋ですか。
    その刺激(関わり方)は、混じり気が無いですか。
    もし、間違いだと気がついたら、素直に謝ったらよいと思います。

    大人も間違えます。大人が偉いなんて嘘だと、こちらに来られる皆さんは自覚がありますでしょ。かといって、子どもにかしずくのも違います。一対一の人間関係です。ただ、親には義務があるだけの違いです。幼い頃は守る相手ですが、その関係も変わってゆきます。



    私は子育てのお手本を知りません。ちょっとしたことで悩み、子育てってどうしたらいいの?と途方にくれたときもありました。育児本を何冊読んでもなんか違うと感じました。そりゃそうです。その書いた人の理想ですから、そのコピーになる気持ちになれません。

    結局たどり着いたこたえは、待ちの子育てでした。(これはまたいつか機会があれば)
    そして、その一瞬一瞬に、自分の存在をかけて向き合うということでした。そのほとんどが、まずは内なる闘いです。自分と向き合うしかありません。私の中になにか混じり気がないか、向き合い続けます。
    結果どうなっていくか、それも私の手を離れてゆきます。

    子どもには子どもで選び生きる権利があります。そこにも執着を持たないことです。持ってしまいかける自分がちゃんといます。それに気付けたら手放してゆけます。



    子が、10歳を越えて、生き難いと感じているようでしたら、人生脚本についてお話してみるのも良いかもしれません。
    それより前の段階でしたら、大人にも小さいちゃんがいるとお話するとよいです。



    ※英司は、高熱からセキに変わってきました。頭痛は続いています。日に日に回復しつつあります。御心配かけた皆様、英司ブログであたたかいコメントを戴いた皆様、ありがとうございます。^^




    心のコップがいっぱいの親御さん
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    中尾相談室の方針を熟読戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2013/01/16 11:15】 | 育児(育自)
    【タグ】 子育て  人生脚本  無意識  
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    チエ
    愛着か
    愛なのか

    紐ついてないか
    自分の思い=重いを

    振り返ります

    わたしのしたことに対し
    子ども達の反応がフィードバックだと
    思うから


    混じり気だらけ
    風子
    私の子供への愛は人生をかけてもいい!と思ってきましたが、その強い思いこそ執着であり自己投影だった、と気付いたときは愕然としました…。
    私の、子供への思いは混じり気だらけ、全然純粋ではなかった…。気が付いては謝り、また気付いては謝りの繰り返し、謝って謝っての日々です。この先どれだけ続くのだろう…。
    子供はとっても可愛いです…そこに自己投影もきっとあるけど…子供に対する自分の気持ちを見つめて、見つめて、歩いていこうと思います。
    でもでもやっぱり、どうしようもなく、子供は可愛いです(*^^*)

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