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    家族カウンセラーの想いつれづれ
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    中尾相談室のカウンセリングについて

    おかげさまで四十九日法要までを無事に済ませることができました。
    お待ちいただいた皆様には心から感謝申し上げます。

    再開に当たり、当相談室のカウンセリングについて改めて述べておきたいと思います。

    「カウンセリング申し込み要領」(中尾相談室)に則ってお申し込みをしていただき、カウンセリングに入られる方は最初に面談を行います。

    ご自身の生育歴だけではなく、親の生育歴や親自身の親兄弟との関係も含めて半生のお話を伺う中で、親及びご本人がどのような脚本を歩んでいるのかを把握していくわけですが、この面談という場ではどのようなことが起こっているでしょうか。

    1.事前の画策
    2.語られるのは脚本
    3.語る相手は「代理母」
    4.脚本との直面化
    5.IPによる妨害
    6.妨害をはねのけて出てくるIC
    7.「継続した時間」が必要な理由
    8.相談者の内部で起こっているバトル
    9.自分を知ることが「人間」を知ること
    10.「脱洗脳過程」の9年間
    11.人が変化のバロメーター
    12.背骨の形成=共感力、人間力の形成
    13.「自信」とは自分(小さいちゃん)が自分を信じること
    14.実行と実感が自分を変える
    15.「小さいちゃん」の救済と「脚本ちゃん」の苦労の理解
    16.最後のトライ
    17.「お母さんを諦めたくないチャイルド」を抱きしめる
    18.「淋しさ」を抱きしめる
    19.日常で出来ること



    1.事前の画策----------------------------------------------------

    ご本人(の表層意識)は「今日は全て話そう」と思っていたりしますが、無意識は次のようになっています。

    1.集中できない場所を選ぼうとします。
    2.場所を間違えて開始が手間取ったり、後に何らかの用事を入れていたり、意識をそらしたり時間を気にさせる無意識の工夫があります。
    3.服装、持ち物、アクセサリーに至るまで母親カラーをそろえ、脚本ちゃんバリバリで来られます(例外はありませんので、ご安心下さい ^^;)
    4.飲み物等でも「母親」を召喚し、「母親」に監視されながらの面談となります。

    このように、自分(小さいちゃん)に集中できない舞台(時間枠&場所)を設定し、さらに舞台の中も自分の体も、小さいちゃんを雁字搦めにして来られるわけですが、脚本人生を歩かれていますので、脚本全開で来られるのも当然と思って下さい。





    2.語られるのは脚本----------------------------------------------

    その上で半生を振り返り語られるわけですが、

    5.それは「脚本舞台上の事実」(脚本によって現実化された事実及び取捨選択され脚色された事実)であり、そこにおける感情も演出感情やダミー感情だったりします(舞台を下りるまではそうとはわかりません)。
    6.「脚本舞台上の事実」(虚構)を維持するために、本当の感情は口に出さない、もしくは過去の当時の時点で封じられています。
    7.話題を次々に替えたり、話が飛んだりもします。自分を気持ちの部分にまで深入りさせないためと、時間を潰すための無意識の画策です。

    人と接する時は、自分が脚本人生を歩いていることをアピールするチャンスですから、相手がカウンセラーであっても同じ事をします。目の前の相手が誰であれ、その相手に向かって話しているのではなく、常に「脳内母親」に向かって話しているからです。

    言い方を変えれば、全ての言動を「脳内母親」に見せながら日々を送っているわけで、その中に入り込んできた○○カウンセリングや○○セラピー等も、脚本の見せ場あるいは代償行為の場として無意識は利用します。





    3.語る相手は「代理母」----------------------------------------------

    カウンセリングなど相手と深く関わらなければならないときには、無意識はカウンセラーを「代理母」と見なしています。というのも、母親以外とは繋がってはいけない「母親一神教」で生きている人にとって、深く関わる相手は「代理母」でなければならないからです。

    このように本人の表層意識とは裏腹に、本人の無意識(脚本)はカウンセラーを代理母と見なし、脚本人生の物語を切々と語るわけです(たとえば「我慢と苦労を見せる脚本」であれば、そのエピソードを話されます)。

    そこを受け止めることからスタートするわけですが、もしカウンセラーがその物語に共感して終わるだけであれば、「脚本ちゃん」は大喜びしてカウンセラーを「代理母」と認定し、「小さいちゃん」はガッカリして出てこなくなってしまいます。





    4.脚本との直面化----------------------------------------------
    けれど、個別のエピソードを詳細に掘り下げて事実を拾っていくと、たとえば上記の脚本で言えば、自分がその我慢と苦労を導き入れていたことが浮かび上がってきたりします。自分が望んでいないから“我慢”になるわけで、実は自分が無意識に演出していたことがわかる衝撃は大きいでしょう。

    これが自分の脚本との“直面化”ですが、これも心の準備が出来ていないと厳しいので、お申し込みいただく段階で覚悟のほどを見ているわけです。
    とはいえ、最初から覚悟が定まるはずもなく、カウンセリングを通して色々な体験をする中で覚悟も定まっていくものですので、最初は保護者が必要なよちよち歩き―ただ、少なくとも自分の足で歩く意志があり、向かう方向性が同じでなければ支援は出来ません。

    なお、“自分が演出していた”ことがわかると、「我慢と苦労」をするもしないも自分次第とわかりますので、希望が見えてくるわけです。





    5.IPによる妨害------------------------------------------------

    さて、話したいことを全て話さなければ聴くことは出来ません(出て行くものが出て行かなければ、「心のコップ」に入る余地がありません)。
    また、自分が語った事実を再構成してフィードバックされることで、自分がどのように自分を罠にはめているのかという理解も深まります。

    カウンセラーという鏡(当相談室では「世代間連鎖を映す鏡」になります)に映った相談者の姿をフィードバックしていきますと、これまでその方が立っていた“その方の常識(脳内母親の世界)”という岩盤に亀裂が入ります。すると、次のようなことが起こります。

    8.脳が戸惑い始め、そのことは脳を直接表す器官である眼に現れます。瞼が高速で瞬きし始めたり、時々本人も知らぬ間に眼がでんぐり返って白目を見せたりすることもあります。

    こうして自分の歩んできた脚本ストーリーの世界がひっくり返り始めると、そうはさせじと脳が逆襲を仕掛けてきます。

    9.あらぬ事を考えたり、時間を気にしだしたり、急に物音が気になり出したり、疑心暗鬼的に解釈したりします。

    10.さらに母親の実体に近づくと、言葉の意味がわからなくなったり、聞こえなくなったり、思考停止したり、突然トイレ休憩に立って中断したり、という妨害が始まり、

    11.さらに核心に近づくと、急に頭痛がしたり、体が重くなったり、急速に睡魔が襲ってきたりというあからさまな妨害に移行しますが、これはIPがかなり追い詰められている証拠です。

    これらが普段出てこないのは、その人が脚本人生(虚構)を歩いているからですが、本人が本当のことに気づきそうになると、本人に気づかせたくないために上記のようなことが起こります。
    ここに来て自分の中の抵抗勢力の力が強いことを初めて実感されるでしょう。





    6.妨害をはねのけて出てくるIC-----------------------------------

    初回面談の中で、実に上記のようなドラマが本人の中で展開されており、「小さいちゃん」はその全てを見て、聴いています。

    カウンセラーが本人の言動に惑わされずに、語られる事実から脚本を洞察する力があるのか、ちゃんと“本人”に“真実”を見せてくれるのか―そういう目でカウンセラーを見て、聴いています。

    また、“本人”は自分(小さいちゃん)と向き合う覚悟があるのか=時間を気にすることなく腹をくくって自分と向き合おうとしているか、ということも見ています。というのも、時間制限があれば「思考(脳内母親)+脚本」の連合軍は、“本人”をコントロールすることができるからです。

    このような経過の中で、カウンセラーが自分(小さいちゃん)の味方であり、かつIPにも惑わされないことがわかり、“本人”も「脳内母親+脚本」と闘おうとしていることがわかったとき、不意に「小さいちゃん」が出てきます。

    自分一人の時は、無意識に脚本人生を歩いていますので、「小さいちゃん」が出るチャンスはありませんが、外から「小さいちゃん」の支援者が現れて初めて「小さいちゃん」も安心して出てこられるわけで、これがカウンセラーの存在意義です。





    7.「継続した時間」が必要な理由-----------------------------------

    これらの“転換”が起こるには「継続した時間」が必要です。
    上記の変化が起こり始めるまでに、体験的に言えば5時間ほどはかかりますが、その後真実が見えて虚構が崩壊しそうになっても、“本人”は次から次へと無意識に自動修復をしていきます。

    語られたことを聞き流していると、相談者の方の脳は「黙認」(黙っていること=承認)と見なして勝手に修復を完了させていくわけです(黙っていること=承認、というのはハラスメント界の流儀です)。

    このようにカウンセリングの場であってもリアルタイムで自己洗脳していきますので、聞き流さず注意深くフィードバックをする必要があります。

    結果的に、平均すれば初回面談は8時間ほどがあっという間に過ぎてしまうわけで、カラオケボックスを利用する際はフリータイムをお願いしています。





    8.相談者の内部で起こっているバトル-----------------------------------

    このように初回面談から、相談者の方の内部では「小さいちゃん VS 脳内母親+脚本連合」のバトルは始まりますが、連合側をもっと詳しく言えば、

    ・自分の生きる姿を見てくれないなんてイヤだと叫ぶ「私を見てちゃん」
    ・自分の気持ちを母親にわかって欲しい「わかってちゃん」
    ・だから、脳内母親を創った「母親を諦めたくないちゃん」
    ・その脳内母親の虚構を維持するために生きる「脚本ちゃん」
    ・解きたくない謎を解き続けようとするだけの「謎解きゲームちゃん」
    ・代理母親を見つけては代理感情をぶつける「代償行為ちゃん」
    ・それらのチャイルドにパワーを送る「お母さん大好きちゃん」
    ・そして、存在不安を見たくない“本人”
    等々…

    “本人”が現実を見たくないわけですから、圧倒的に連合側優位なため、無意識に脚本人生を歩いていたわけですね。(なお、存在不安を見たくないために行うことは上記他に多々あります)
    初回で自分の自己洗脳のすごさを思い知り、思い知ることが本当のスタートになります。





    9.自分を知ることが「人間」を知ること------------------------------------------

    さて、初回面談後が本当のスタートとなります。

    相談者の方が身を置いている環境は、家庭であれ職場であれ、脚本が現実化している世界ですから、日常に戻ることは「脚本連合にとってのホームグラウンド」「小さいちゃんにとってのアウェイ」に戻ることになります。

    日常の全てが脚本の舞台なわけですから、瞬く間に呑み込まれて行ってしまうでしょう。思考も感情も混乱します。判断基準を失ってなすすべないまま大海に放り出された気持ちにもなるでしょう。

    ゲームや代償行為や感情爆発や、何度も何度も繰り返します。脳に踊らされて何度も何度も悔しいも思いをします。その都度その都度徐々に学びが深まり、自分の行為に気づくようになっていきます。

    正しい歩き方がわかっても、気づいたら以前の歩き方で歩いているように、癖というものはそう簡単に治るものではありません。気づいた瞬間に正しい歩き方に変える―その繰り返しを地道にやっていくだけです。

    大変そうに見えますね。
    まぁ実際大変なのですが(^^;)、苦しみながらも楽しいのです。というのも、ああ来たと思ったらこう来たかとか、瞬時に邪魔をしたり自動修復する仕方とか、気持ちを封じたり意識をそらしたりする仕方とか、自分が自分をどう罠にはめ、その自分がどう周りを巻き込み、自分を脚本に落とし込んでいくのか―その観察する目が育ってくるからです。

    そして、自分を深く知れば知るほど、自分は凄い、人間は凄い、と思えるようになってきます。「人間」を知る一番の近道は、実は自分を知ることなのです。





    10.「脱洗脳過程」の9年間------------------------------------------

    とはいえ、相手は言わば「洗脳されている脳」であり、しかも日々の言動で自己洗脳を強化しているわけですから、並大抵ではありません。口癖、思考の癖、表情、仕草、選んでいる衣食住の全てで自己洗脳を続けています。

    脚本書き換えのカウンセリングとは、家庭というサティアンでなされた洗脳の「脱洗脳過程」でもあり、カウンセリングによって「洗脳を解くには洗脳されたのと同じ期間かかる」ところを短縮しているとお考えください。それでも7~9年はかかるでしょう。

    7~9年というのは、私も実感している一つのスパンです。例えば何かに依存した場合も3年間深みに入っていき、底をついて1年どっぷりと苦しみ、そこから3年かけて這い上がり・・・依存症脱出に約7年はかかるようです。【ご参考:「7年転機」+「9年周期」で人生の転機を乗り切ろう


    それに、深海から急浮上しようとすると潜水病になるだけ。少し浮上して体を慣らし、また何かのきっかけで次の浮上へと向かう。
    当面の問題を乗り越えて、しばらくそこに止まろうとすることもあるでしょう。あるいは、もう随分見通しがきくようになったから自律できたと勘違いすることもあるでしょう。海上にぽっかりと顔を出して、抜けたと思ってそこに止まる人も居るでしょう。(まぁ、いずれも罠なんですが)

    それがいい悪いではなく、自律へ向かう旅は終わりなき旅ですから、どこで止まろうとも、また歩き出すかしないかも全てはその人の選択なのです。





    11.人が変化のバロメーター------------------------------------------

    それから、ただ苦しむだけの9年間ではありませんし、9年後にいきなり人生が変わるわけでもありません。その間にもどんどん人生は変化していきます。最もわかりやすいバロメーターは、人です。

    たとえば、母親が変われば、子どもは打てば響くように変化を始めます(子は自分の鏡ですから、自分は動かずに子(鏡に映っている自分)を動かそうと思っても無理なことがわかるでしょう)。

    また、去る人と出逢う人があります。脚本同士がかみ合って利用し合う人は去り、気持ちが通じ合う人が登場するでしょう。あるいは、これまでとても親しかった人がイヤになり、敬遠していた人とひょんなきっかけから近しくなったりします。

    脚本同士の役割分担で生きているハラスメント界では、その人に利用価値があると思っている間は追っ手を差し向けて妨害しようとしますが(これも自分が招いているわけですが)、その人が「気持ちと共にある人間」になってしまうと、「もうこっちへ来るな」と手のひら返しで拒絶します。

    というのも、感情こそが光ですから、闇に棲むハラスメント界の住人にとっては、蝋燭1本の光であってももはや闇ではなくなるので、そこに居られては迷惑なのです。それでも、自分の未練でハラスメント界にちょっかいだそうとすると、手痛いしっぺ返しを受けます。それが、自分はもはやそこに居るべき人間ではないことを悟るサインです。

    住む世界が変わっていくわけですから、人生が変わっていくのは自然な流れです。





    12.背骨の形成=共感力、人間力の形成-------------------------------------

    この9年間で起こることは次のようなことです。

    これまでのストーリー(常識)がひっくり返ることで過去の光景を虚飾なしの視点から見ることが出来、その視点を持つことで封じられていた感情が蘇り、それを声に出して実感する(=その感情を自分が受け止める)ことで、その感情は自分に同化して自分の背骨になります。

    リアルな感触や感情が蘇って衝撃を受けることもありますが、なぜリアルかというと、当時はその事実を理解したくなくて(親への絶望に繋がるため)、その出来事に伴う感情が瞬間冷凍されているからです。辛いけれどその感情を声に出して受け止める(=感情を“認知”してあげる)ことで、自分自身から疎外されていたその感情は自分の血肉となっていきます。

    自分が無意識にその感情を疎外している間は、その感情を呼び起こしそうな人や状況を避けようとしたり、そういう相手や状況に出逢うとパニックになったりしますが、その感情が自分のものとなれば、もはや避けるべき人や状況はなくなり、怖れが無くなるわけです。

    また、その出来事は“生もの”から“思い出”に変わって自分を形成する一部となり、感情を受け入れた分、人への共感能力が高まります。
    こうして背骨が出来た分、その背骨で受け止められる感情が蘇り、その感情を受け止めることでさらに背骨が形成され、豊かな人間性(人間力)が形成されていくことになります。





    13.「自信」とは自分(小さいちゃん)が自分を信じること----------

    また、「実感」することで、IPによる「ダミー感情」や、脚本舞台上の「ニセモノ感情」を見破ることが出来るようになります。これが舞台を下りられる条件で(というか舞台の上で演技しているのが馬鹿馬鹿しくなり)、背骨が出来れば「操り人形」から「人間」になり、自分の気持ちでどこへでも歩いて行けるようになるわけです。

    このように背骨が出来ると自分の気持ち主体に歩いて行くことが出来るようになるので、そうはさせじと脳が邪魔します。それは、気持ちを言葉に出させないこと。

    気持ちを声に出すと、それを「小さいちゃん」も聴くことが出来て、「そうだよ!」と“実感”が湧いてきます。声に出すと言うことは、“本人”が「小さいちゃん」(感情)に出てきていいよ、受け止めるよ、という合図なのです。なので、声に出すことで“実感”が出てくるわけですね。

    「無駄」「無意味」「恥ずかしい」「面倒くさい」「難しい」「無理」と言う脳(思考)の妨害にめげずに、気持ちを言ったり、気持ちで行動することが、自分と小さいちゃんの信頼を形成していきます。この積み重ねで、自分(小さいちゃん)が自分を信じるようになることを「自信」と言うわけです。





    14.実行と実感が自分を変える-------------------------------------

    黙読よりも音読の方が理解が深くなるのは、脳だけの理解ではなく体で理解するからでしょう。IP(に支配された脳)による理解ではなく、「小さいちゃん」も聴いて実感と共に理解するので、しっかりした理解になるのでしょう。

    日本の鉄道の優秀さは世界に知られていますが、運行の正確さや無事故を支えているのは「指差呼称」でしょう。目で見るだけではなく、声を出し指差して体で確認することで、確認が形骸化したものではなく実を伴ったものになります。

    脳だけではなく、声と体(=五感=小さいちゃん)を使うことが、虚を実にすることなのです。

    カウンセリングなどで自分を変えていく場合でも同じ。いくら本を読んでも変わらないのは、気持ちを声に出したり、気持ちのままに行動したりという“実行”がないからです。

    “実行”することで「小さいちゃん」と自分が一体化していきますので、逆にそうはさせじと、IP(脳)は本人に「わかったつもり」にさせて実行させようとしません。そして、実を伴わぬ虚のままに(虚構の中に)本人を留め置こうとします。

    頭で理解しても変わることは出来ません。気持ちを声に出そうとするとピタッと止まる人、エンプティチェアに踏み込めない人などいらっしゃいます。それが出来るようになるまで、ゆっくりと背骨を育てていくことになりますが、“実行”することで変化は訪れます。

    これまで、カウンセリング内容を詳細にフィードバックしたこともありますが、大切なのは、面談や電話カウンセリングなど現場での“体験”です。フィードバックも、現場でのフィードバックで十分と感じています。





    15.「小さいちゃん」の救済と「脚本ちゃん」の苦労の理解---------
    自律とは、「母親のための脚本」から「自分のための脚本」に変わることを言いますが、「脚本ちゃん」から脚本を引き継ぐには次の2つの条件が必要です。
    1.背骨を作ること
    2.「脚本ちゃん」の苦労を知ること。

    1―脚本ちゃんも、もう疲れたよと思っていることもありますが、背骨が出来ていない本人にバトンタッチは出来ません。

    2-自分の脚本を知らないのは自分自身です。それがどんな役であろうとも精一杯演じてきたわけです。やはり舞台を下りるときは「よくやった」とスタンディングオベーションで終えたいもの。だから、脚本がわかったからもう次へ行きたいと思ってもそうは問屋が卸しません。それに、引き継ぎとは、すべからく前任者の苦労を知ってこそ引き継ぎ完了となります。

    これらが次のように進みます。
    既出の通り、背骨が成長すれば、その背骨に耐えられる次の感情が出てきたり、思いも寄らなかった記憶が蘇ってきたりして、タマネギの皮をむくように一皮むけば次の埋もれていた感情が出てくるわけですが、それを実感することが「小さいちゃん」の救済になるわけです。

    そして、その感情を実感することで、こういう感情まで封じて頑張っていたのかと「脚本ちゃん」の苦労を深く理解することになるのです。つまり、この9年間のプロセスは、「小さいちゃん」の救済と「脚本ちゃん」の苦労の理解が同時並行で進む期間なのです。

    一方、その間も「脳内母親」は自動実行で自分を落とし込み続けてきますし、脚本も人を巻き込んで演出を続けるでしょう。けれど、それに気づける目を持っていますから、その自分を観察することも出来る―前述のようにこの9年間は自分を深く知る期間であり、人を巻き込む自分のすごさを知る期間でもあるのです。自分を深く知り、自分のすごさを知ることが人間を深く知ることになります。

    この9年間が、自分を通して「人間」を学ぶ機会だと捉えると楽しくないですか?





    16.最後のトライ-------------------------------------

    さて、自分の変化を実感すると、人は変わることが出来るとわかります。ここで、もしかすると親も変われるかも…と思うのです。さらに、ここまで変わった自分であれば、もしかすると親を救えるかもしれないと、再び親に立ち向かいに行きます。

    (変えようと思っている時点でハラスメント界どっぷりになっているわけですが…ほんと、とことん諦めない「諦めないチャイルド」の気が済まなければ次に行けません)

    相手は実の親であることもあれば、他人(代理親)であることもあります(相手が男性であれ、「代理母」と見なしています)。この時は、どっぷりとハラスメント界に逆戻りしますので、本人も「なぜここまできたのに・・・」と思ったりするわけですが、これも「気が済まないと次にいけない」ので必要なプロセスなのです。

    カウンセリングがプッツリ切れるときは、こういう時期だったりします。そして、1年くらい経ってカウンセリングに戻ってきたときはズタボロ状態。本人はもう少しで浮上と言うときに、日も射さぬディープな深海(ハラスメント界)に舞い戻ったのでボロボロになっていますが、それが後退ではなく誰もが通る道であり成長していることがわかると元気復活。

    まぁ、やるだけやらなければ気が済まず、次に行けませんから、こちらは気が済んだらまた始めましょうというつもりで居ます。





    17.「お母さんを諦めたくないチャイルド」を抱きしめる----------------------

    そして、本当に変わりようがないことをボロボロになって思い知るか、あるいはこれ以上追い詰めたら相手が壊れてしまうか―というところまでさせてしまうのが、「お母さんを諦めたくないチャイルド」です。

    そう、ラスボスは、実は「脳内母親」ではなく「お母さんを諦めたくないチャイルド」であり、あなた自身です。

    こんなにも諦めたくなかったんだね、とその子の存在を認め、その子を本当に実感して自分が抱きしめたときに大泣きし、母子分離がなされ、ハラスメント界から自律界への旅立ちがなされます。

    が、もう一つ関門があります。





    18.「淋しさ」を抱きしめる----------------------

    <14.実行と実感が自分を変える>で 『IP(脳)は本人に「わかったつもり」にさせて実行させようとしません』と書きましたが、実行部隊は脳であっても、その脳に指令を出していたのは、実は「お母さんを諦めたくないチャイルド」です。

    なぜ、「お母さんを諦めたくないチャイルド」が気持ちを声に出させず“実感”させようとしないのか。その究極は、「淋しい」という気持ちを認めたくないからです。淋しさを感じると、赤ちゃんの時に感じた淋しさに辿り着いてしまいます。

    その「淋しい気持ち」は、親に人間らしい反応を感じなかった違和感や嫌悪感、親が自分を見ていない空しさや見捨てられ感、この世界に血の通った人が居ないという茫漠たる孤独感や絶望感、自分の存在が誰にも支えられていないという存在不安―それらが全て含まれたものであり、それを実感するということは、「母親は自分と繋がれない存在だ」ということを認めてしまうこと。

    認めてしまった時点でいわば「母なき子」になってしまい、それこそ絶望ですので、諦めるわけにはいかなかったわけです。

    だから、「繋がれない存在」であるよりは、鬼でも悪魔でも幽霊でも冷酷でもわがままでも天然でも、関われる要素を持つ「脳内母親」を創ってしまうわけです。たとえば、憎み合っても嫌悪し合っても厄介に思っても、そこには、たとえば「憎しみ」という“関係性”が出来るわけですから、「無関係」よりはよほどいい。

    そして、一方で存在不安をちらつかせて、存在不安を見ないように追い立てるわけですが、その目的はゆったりと自分と向き合わせないため。その究極の目的は、赤ちゃんの頃に感じた「淋しさ」を感じさせないためです。

    「お母さんを諦めたくないチャイルド」を抱きしめた後は、「淋しさ」を感じてよい許可が下りますので、淋しさが襲ってくるでしょう。
    淋しさを抱えたチャイルド(淋しいちゃん)を無視していたのは、他ならぬ自分自身。だから、淋しかったのです。

    抱きしめてあげて下さい。




    -------------------------------------------------------------------
    さらっと書きましたが、いかがでしょうか。半端な9年間ではありませんが、素晴らしい9年間です。本当のカウンセリングは、この9年間のプロセスを言い、初回面談はそのカウンセリングプロセスのスタートラインに立つために必要なものなのです。

    そして、これらの自分との格闘のプロセスを経て、「自分(小さいちゃん)が自分(本人)を信じる」こと―それこそが「自信」であり、その時には何事にも動ぜず、思いのままに生きられる自分がそこにいるでしょう。





    19.日常で出来ること---------------------------------------------

    以上が、ごく大雑把ですが当相談室のカウンセリングの流れです。

    カウンセリングをすれば楽になるのではなく、「自分との闘い」が始まるわけです。そして、「自分との闘い」が最も難儀なので、普通は自分と闘おうとはせず、親も含めて人と闘っているわけです。

    自分と闘うとはどういうことか、ちなみに次のことを実行してみてください。

    ・たとえば、ふと青空を見て「外に出たいなー」と思ったら外に出る。当てがなくていい散歩をして、五感で感じる。
    ・まず、外に出て感じたことを声に出してつぶやいてみる。「あー、気持ちいい」「晴れててスカッとする」「暖かいなー(冷たいなー)」・・・五感でキャッチしたことを感じたままに言葉にしてみて下さい。
    ・その後も、歩きながら五感に触れた感覚と、そこから湧いてくる感情に意識を向けてみて下さい。声に出したくなったら、言葉にして言ってみて下さい。その時出せない状況でも、後で一人になって思い返して声に出すことで実感してみて下さい。
    ・悲しさや寂しさ、空しさなどが出てくるかもしれません。悔しかったことや恥ずかしかったことなど思い出すかもしれません。それも普通に声に出してください―「悲しいなぁ」とか。その気持ちがある間、繰り返しつぶやいているうちに軽くなっていくと思います。

    ・脳はあれこれ言って妨害してくるでしょう。
    「そんなことして何になる」
    「やるだけ無駄」
    「意味がない」
    「馬鹿馬鹿しい」
    「宗教か」
    「今そんなことしてる場合か」
    「他にやることあるだろう」
    「片付けしたのか」
    等々、思考がわんさか出てくると思います。

    ・グルグル思考が出てくれば来るほど「脳内母親」による妨害が強いと言うことで、その目的はただ一つ、本人を気持ちのままに動かさないことですから、思考グルグルになったときは逆に「GO!(やる)」ということです。

    ・また、「面倒くさい」というダミー感情や、「頭が痛い」「体が重い」といったダミー感覚で攻撃してくると思います。不意に睡魔が襲ってくることもあります。そのときも、「痛い痛い」「だるいなぁ」「眠いなぁ」と声に出しつつ、まずは一歩外に出てみてください。歩いているうちに痛みや重さ、眠気が取れてきたりします。

    ・これらの思考やダミー感覚・感情に負けて行動できなければ、脳内母親の支配が強まり、行動できればあなたと「小さいちゃん」の信頼が強まっていきます。

    ・それができるようになったら、カラオケボックスで自分の気持ちに合うような歌を思いっきり一人で歌ってみたり、小さい頃にほしくって買ってもらえなかったもの(かわいい筆箱など、些細なものでかまいません)などを恥ずかしがらずに(小さいちゃんのために)買ってあげるのもいいでしょう。

    ・そして、それらのすべての過程で自分自身を観察し、思い立ったときどのような思考が割り込んできたか、行動しようとしてどのような感覚や感情が出てきたか、実際歩いている最中や歩いた後はどうだったか、記録してみてください。

    何でもないことのように思えますが、このことに挑戦する中で、いろいろな気づきが得られると思います。また、自分がいかに脳(内母親)に支配されているかもわかるでしょう。


    こういう体験を積むことで、自分がいかに脳に支配されていたかわかって自分と向き合う覚悟が出来ていきます。体験することで手応えを感じ、実感して初めて危機感が深まり、それらが覚悟を定めていくわけです。

    一方で、先を焦ることは脳内母親の罠に落ちることになります。焦ったところで変われるものではないことは、9年間のプロセスを見ればわかると思います。

    私どもはここにおりますし、いつでも承ることが出来ます。

    まずは経験し、自分を観察してみて下さい。




    尚、「芳節」の記事の冒頭にあるとおり、英司の方はまだまだやることがあり新規の方は当面控えさせていただきますので、眞智子専用フォーム(女性のみ)からお申込みください。



    大丈夫。 一歩一歩、歩いていれば行きたい所に行けます。
    急がず焦らずていねいに参りましょう。


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    【2018/04/11 09:30】 | 相談依頼(女性のみ)
    【タグ】 カウンセリング  人生脚本  自律  インナーチャイルド  脚本チャイルド  代理親  存在不安  執着  ダミー感情  
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    カウンセリングでよく使っているエンプティチェア

    チャンスとタイミングがあって初回から入る人もあれば、数年かかってタイミングが訪れる人もあれば、「怖い」「今日はやめておきます」と避ける人や「所詮お芝居だし・・・」と本気になれない人もいます。

    初めは、「〜(台詞)と言って、すると母親は、〜(台詞)と言って」と、ト書き入りで話しますが、回を重ねるうちに抵抗がなくなって気持ちに集中するようになり「〜(台詞)」だけでやりとり出来るようになります。
    初体験の感想と部分事例をご紹介。

    -------感想ここから

    今年(2017年)に入って「自分が自分の親になる」って決意していたのに

    エンプティチェアの2シーン目で小さいちゃんのママになった時に

    (親になるのか!)と全くピンとこないあたり(笑)

    ああ、自分の親になるという意味が全然わかっていないんだなあと実感しました。



    それが、眞智子さんの流れに身を任せていたら。。。

    親になれる、というか自分の味方になれるものなんですねえ。

    小さいちゃんのママの出現には自分がびっくりしました。

    --------ここまで

    『眞智子さんの流れに身を任せていたら』とありますが、エンプティチェアの流れに身を任せたーこの方が自分を信じることが出来たからこそでしょうね。

    どの方にも言えますが、「カウンセラーのおかげ」にしてしまうと、脳に(カウンセラーがやったことだからね、私じゃないよ)と聞かせることになり、なかなか自律に向かいません。

    「カウンセラーが言っていた」ことさえも鵜呑みにせずに、それが実感になるまで自分の気持ちと照らしながら一歩ずつ進んでもらいます。

    頭の理解だけでは、いくらでも脳を騙すことが出来ますから、“実感”と出会うまで、行動しかありません。

    その“行動”が、次のステップの自分を支える軸を育てていきます。






    さて、1シーン目は友人とのやりとりを一人で再現しました。

    友人の両親が田舎からしばらく遊びに来るというので、両親を亡くしていたAさんはとても羨ましかった。

    けれども友人は、「トラブルばっかりで大変だよ」とその苦労を聞かせます。

    たまらなくなって「あなたは(親を)失ってないからわからない!」と友人にぶつけました。

    友人の苦労自慢を凌駕するほどの不幸(会いたくても会えない)を演じて、その姿を脳内母に見せたのでした。

    一人二役でやってみて、友人にぶつけた気持ち「あなたはわからない(=あなたはわかってくれない)!」は、本当はお母さんに言いたかったことだと気がつかれました。

    自分の苦労ばかり見せないでよ
    私がどんなに頑張ったか知りもしないくせに・・・
    自分のことばかり・・・・

    と言いたい小さいちゃんがいたのでしょうね。その子は、見て欲しかったし、わかって欲しかったでしょう。






    2シーン目は、友人を母親に置き換えてやってもらいましたが、

    Aさんが「会って話したいだけなんだよ。こんなに頑張ってきたのに、伝えられないのは寂しいなぁ。頑張ったねって言ってほしいなぁ(涙)」

    と言いましたらば、

    お母さんは「十分頑張ってきたのは見えてるよ、そんなに悲しまなくていいよ」

    と言いました。

    何気ないセリフですが、ニュアンスで伝わって来たのは、(天国では見えているから、そんなに悲しまないでちょうだい)です。

    Aさんの頭の中のお母さんは、Aさんが「頑張ったことを伝えたい。」「頑張ったと言って欲しい」と“頑張ったことを受け止めてほしい”と二度も言っているのに、「見えてる」と嘯き「そんなに悲しまなくていい」と負の感情(悲しい)を封じました。

    ずっと悲しい思いを我慢して頑張ってきた小さいちゃんは、(頑張ったことは天国で見えてるから、悲しんでないでもっと頑張れ)と受け取ってしまいます。

    また『(天国で)見えてる』と言って、実際に見てくれなかったお母さんを庇っています。

    お母さんは仕事に夢中で、病床でも仕事をしていました。子どもが努力している姿を見たことも、受け止めたこともありません。例えば発表会には来てくれるお母さんの為に、どれほど頑張ったかさえ知りませんから、小さいちゃんはずっと頑張り続けなければなりませんでした。

    このままでは、Aさんはまだまだ気持ちを我慢させて頑張り続け、『わかってくれない』物語を続けてしまいそうです。

    なので、この続きは「小さいちゃん」と「小さいちゃんのママ」でやってもらいました。



    Aちゃんー「今まで言ってくれなかったじゃない?頑張った時くらい聞きたいじゃない?(涙)」

    ママー「ごめんね。よく頑張ってきた。よくやってきたよ。偉いよ。誇りに思うよ。よくやってきたし、これからもやっていけるよ。だから大丈夫。(涙)」

    Aちゃんー「よかった〜。ほっとした。嬉しい!(嬉し涙)」

    自分でICを受け止めてひとつになりました。

    受け止めってもらえなかった『頑張り』は、これまで代理親に向かって主張してきましたが、自分が受け止めたら成仏します。頑張りの下に隠していた気持ちも出てくるでしょう。

    ここで「これからもやっていけるよ」と言ったとおり、数ヶ月後には自分自身を信頼できる(自信)ようになり、次のステージに立たれています。






    ----------------------------------

    エンプティチェアを一人でやってみる方もいらっしゃいますが、最後は自分の脳(に住む母親)に誤魔化されてしまいます。

    とはいえ、よほどの安心と信頼関係がなければ、本当の気持ち(インナーチャイルド)は出てこれませんから、カウンセリングで少しずつ自分を信頼することから始まります。

    無意識は自分の罪深さを知っているので、少しでも責められると“感情の蓋”を閉じてしまいます。それは脚本ちゃんの自己防衛なのですが、本人が経験からわかっていかないと、なかなか本当の気持ちに繋がっていきません。

    ふだんは自分を責めてくる相手を無意識に選んでいますが、カウンセラーは自分を責めないので、相手のせいに出来ない状況になります。そこで初めて「自分を責めているのは自分(脳内母)なんだ、自分を受け止めないで、脚本に好きにさせているのも自分なんだ。」とわかっていきます。

    そして、脚本感情(我慢と苦労の脚本)の下に、本当の感情(インナーチャイルド=悲しみ、寂しさ、がっかり、悔しさなど)を我慢させてきたことが実感としてわかっていきます。

    本当の気持ちが湧き上がると、脚本は、慌ててその感情の波を身近な人間のせいにして逃げようとします。その人と過ごした時間の全てを相手のせいにして責めるなんてことまでやってしまいます。それを一瞬でも脳に見せられたら大成功、後からどんな理屈を言ったところで、脚本は安泰なのです。

    逃げ方としては、相手の脚本が反応する(他人なら相手にしないような)“毒”を言動にはさみます。表層では「ごく普通のことを言った」と巧みに自己洗脳しては相手のせいにします。無意識の脚本は互いを知り尽くしていますから、やりたい放題に相手のせいに出来るのです。

    当然相手は“毒”に反応してきますが、当人は「ごく普通のことを言った」と真顔で言いますので、ますます相手は泥の沼で身動きがとれなく苦しくなり“毒”で返してきますが、それこそが、脚本の狙いです。

    これをやり続けることが出来れば、脚本はずっと脳内母親に「苦労の脚本」を見せられるのです。脳内母親を守るためなら、目の前で苦しんでいる人間(代理母)なんぞどうでもいいのです。

    このように脚本感情は自分本意で無慈悲ですから、例えば相手が死のうが去って行こうがかまいません。「自分の不幸は相手のせいだ」と刻めば安泰です。「この人でなければもっと違ったのに」と相手のせいにしたストーリーを持ち続けている限り、相手の脚本を刺激し続けるし、関係に破綻が来ても相手を変えて同じことを繰り返します。

    その相手というのは、だいたいが職場の人間関係や恋人や配偶者ですから、日々の生活は脅かされて、自己正当化するのにはもってこいです。

    そういうことをさんざんやって、いい加減に自分自身にうんざりがっかりして、本格的に“母親”と向き合い始めます。この“うんざり”“がっかり”を相手のせいにすると、その瞬間に振り出しにワープしますが、それに気がつくことができれば、進んだところにワープして戻ります。

    今の苦しみが脚本上の苦しみだと実感すると、嫌が応でも母親と向き合うことになりますが、その時はもちろんエンプティチェアでやってもらいます。


    ぜひ、カウンセリングで体験してください。




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    【2018/01/22 06:04】 | 自分との闘い
    【タグ】 人生脚本  無意識  代理親  自律  代償行為  執着  エンプティチェア  脚本チャイルド  チャイルド  依存  
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    Re: タイトルなし
    中尾眞智子
    > その都度、原因を自分の中に探しに行きますが
    > なかなか見つけられないことも。

    言いたいことを、親がやる方法(暴言、突き放し、嫌味、皮肉、遠回し等の毒)で代理親にぶつける人が多いです。


    > 思い切り、人を選んでいますね。。

    書いてて気がつくとは、しゅばらしー。

    >
    > 気づいたからには、自分の気持ちをぶつけないよう
    > 深呼吸して、気を付けなきゃですね

    他人にぶつけないように深呼吸ー大事ですね。
    ただ、その“気持ち”は成仏させてあげたいですね。


    Re: タイトルなし
    中尾眞智子
    『気づいてがっかり』

    しゅばらしー!
    親にがっかり、その親を庇う自分にがっかり、大事な道のりですね。
    よかったよかった。



    ちょこ
    他人との会話で、毒発言してしまって
    雰囲気ぶち壊したり、しこりを残したりすること
    私もよくあります。
    その都度、原因を自分の中に探しに行きますが
    なかなか見つけられないことも。

    というか、今気づいたんですが
    毒発言する相手は、大抵仕切り屋であったり
    権力者であったり、ボスママであったり
    後々大変な目に会うことが予測可能な人です。
    思い切り、人を選んでいますね。。

    母親がボスママをしていたから
    自分にも他人にも無慈悲なゲームを仕掛けてしまうみたいです。

    気づいたからには、自分の気持ちをぶつけないよう
    深呼吸して、気を付けなきゃですね



    風子
    あまりに今の私にぴったりの内容で、いたたたという感じです。そして何だか涙が出ます。
    今の私の頭の中は脳内親でいっぱいだったのかも。
    ふと気づいて、がっかり。でも謎が解けて安堵です。
    真智子さん、ありがとうございます。

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    「頑張れ!」という言葉を言わねばならぬ時がある



    疲れ切った羽は十分休ませてほしい

    悲しみで一杯の心は「悲しい」と声に出してほしい
    我慢しないで

    「寂しい」と声に出してほしい



    そうしないとずっと心の奥底に沈んだまま

    「寂しい」塊になって

    依存できる誰かを求めてしまう




    その誰かは

    あなたの「寂しさ」に寄り添うふりをして

    自分の存在不安を埋めているかもしれない

    あなたの存在そのものを利用して

    自分の欲望を満たしたり

    承認欲求を満たす道具として扱っているかもしれない




    「寂しさ」から逃げないでほしい

    お酒に逃げたり

    ギャンブルに逃げたり

    時間を埋めて逃げたり

    病名に逃げたり

    恋愛に逃げたり

    暴力に逃げたり

    いろんな逃げ(依存)があるけれど

    「寂しい」ちゃんをあじわって

    味わいつくしてあげてほしい





    「依存」を自覚したならば

    どうか、踏みとどまってほしい

    「踏みとどまれ!自分!」と言ってほしい




    自律に向かっていくと

    これまで居た人との別れも訪れる場合がある


    自律した側はその人がいようといまいと関係ないけれど

    自律した人と一緒に居られない人は去っていく

    それは普通にあることだけど

    自律に進む途中の別れは執着の世界に戻って行きたくなったりする


    そんな時は

    しばし踏みとどまってから

    自律に向かう一歩を進めるのだ





    頑張れ!

    頑張れ!

    今は逃げるな!

    踏みとどまれ!

    あたりを見回してみよう

    決してひとりぼっちじゃない

    草木はやさしい

    太陽はあたたかい

    風は空気を一新する

    受け止めてくれる大地がある

    気持ちを声に出そう

    出し尽くそう

    新しい一歩を何度でも踏み出そう

    だから今は頑張れ!


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    【2017/10/03 09:47】 | 自律
    【タグ】 インナーチャイルド  自律  執着  存在不安  感情  依存  
    トラックバック(0) |
    自分と繋がればまず自分を信じられる。

    自分を信じられたら自分が選んだ人を信じる。

    気持ちに正直になって

    自分の中に誰も入れず 誰かの中に自分を入れず

    ただただシンプルに自分と繋がるらくちんなところ。






    日常的に脳内親(+脚本)とICの葛藤を乗り越える決心が必須。

    自分が変わりたいというスタートラインにまっすぐ立つ。






    入り口のハードルを超えてきた人は

    自分自身としっかり向き合う決意と覚悟がある。

    他力本願では辿り着きようがない。

    覚悟がないと 思考の足踏みで終わってしまう。






    自分が超えるハードルはいくつもある。

    一言を発する勇気。

    黙する覚悟。

    変化するたびに次のハードルが現れるのだろう。

    自分のペースで越えてゆけば良いのだもの。

    慌てない。

    焦らない。







    「嘆き哀しむ人生脚本」を活き活きと演じる脚本ちゃんは

    「攻撃」も美味しい御馳走。

    「攻撃された」と嘆き哀しむことが出来る。

    相手が相手の時間を過ごしてる時にも

    「無視された」と嘆いて哀しんで脳内親に見せる。

    どこまでも親に忠実な脚本ちゃん。

    底の底のフリーチャイルド出ておいで〜♡








    ハラッサーもハラッシーも気がついた方が先に降りるしかない。

    相手への執着が

    自分自身を苦しめ攻撃となって自分を相手を貶めてゆく。

    相手を自分の外に出して

    自分の気持ちと真直ぐに向き合うと良いのだけど。

    その執着は「自分への執着」でもある。

    生き方を変えたくない執着。

    変わりたくない執着。








    ハラッサーが誰にでもハラッサーなわけでもない。

    ハラッシーが誰にでもハラッシーなわけでもない。

    凹凸の関係性。

    いびつだと感じたら

    その場面を降りたら良いです。

    場と時を変えて

    自分軸を立て直してから対話したって良いのですもの。

    大事なのは囚われない心。

    いつだって心は自由。






    ray
    大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない

    大丈夫だ この光の始まりには君=ICがいる







    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラスメント界にいるのは自分自身
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2014/09/03 21:30】 |
    【タグ】 インナーチャイルド  ハラッサー  ハラッシー  脳内親  執着  
    トラックバック(0) |
    つくことを恐れて、作り笑顔で人を迎え入れ、内側では疑心暗鬼でだらけ。

    防衛という攻撃で人をつけ、つけていることにも気がつかずつき続けている人もある。
    つくのは相手の問題」というのは、この場合は通じないのね。

    攻撃されたら誰しもつくのね。

    そのの正体を感じ取った人はつかないかもしれないってだけなのね。

    つくことを恐れているーすでについているーその傷を見ようよ。

    本当の傷の正体を見てあげよう。

    人に向かって自己防衛(=攻撃)するくらいなら、とっとと全力で逃げたら良いよ。

    この【逃げ】は存在不安からの逃げではないよ。

    傷に気づいたら全力で逃げるーとても当たり前のこと。

    存在不安から逃げるために、外に敵を作って仕掛けている自分自身に気がつきたくないーそして逃げ続けるー虚構を生きる】こととは違うよ。

    すでに見捨てている傷があるのだもの

    一目散で逃げてから、心に力を蓄えて出直したら良いよ。

    何度でも、何度でも・・・




    以下の記事から、そんなことを浮かびました。



    瑞巌寺随想~8.縄文人とインディアン~ペトログラフが語るものより抜粋


    あるアメリカ映画を思い出します。
    それは、突然宇宙人が各都市湾岸に飛来し、海から上陸するや無差別に殺戮し大都市に要塞を設けます。その要塞を核攻撃するために、その地にわずかに残された人々を海兵隊が救出に行く。ついでに要塞も破壊し、それだけで宇宙人全滅という都合のいい物語。

    このとき、海兵隊長が言っていた言葉―【敵は侵略してくるときに、その地に住む人間を抹殺し、その後土地を奪う】―というようなことを、さも当たり前のように言っていました。

    この映画で最も印象に残っているのはその言葉なのですが、それを聞いたとき、インディアンを根絶やしにしようとしたアングロサクソンらしい言葉だなぁと思ったことです。

    【※自分たちがしたことだから、相手もそうすると思っている】わけですね。そこには、【自分たちがしたことを悔い改めず正当化する態度】があります。【正当化するのは奪った権益を守りたいから】です。

    けれど、そのように【自己を正当化するなら相手も同じ理屈で正当化できるわけで、結局は力でねじ伏せた方が正義という幼稚な世界】にしかなりません(地球は誰のものでもないのにね)。

    だから、【武力を見せ続けなければなりませんし、その裏で自分たちもそうされるという恐怖が常に根底】にありますから、【市民生活においてさえも銃を手放すことができない】わけです。さらに【他国監視、市民監視、そして潜在的脅威の抹殺と疑心暗鬼】はとどまるところを知りません。(まさに【不安から逃げ続ける人生】を見るかのようです)

    映画でも、海兵隊長が父を失った子供に「勇気を持て」と伝える場面が一つの見せ場でしたが、結局、あの文脈の中では「戦い続けろ」と言っているわけですね。こういうプロパガンダの中できわめて愛国的な若者が育ち、しかし潜在的脅威抹殺のために派遣された先で現実を突きつけられ、真実に目覚める者もいます(「イラク―米軍脱走兵、真実の告発」)。

    このように【支配者として君臨し続けようとする生活は、裏を返せば不安と恐怖から逃げ続ける安らぎなき人生】なわけですが、その不安と恐怖を見たくないが故に「虚構」から降りようとはしません。いえ、自分が虚構の中にいることにさえ気づきません。あの映画で言われていることをさも当たり前のように見る米国人もいるのでしょう。

    -----------------------------------


    【※自分たちがしたことだから、相手もそうすると思っている】とありますが、ー人の発する言葉を聞いていると、その人の内側が見えてきます。口癖や、思いがけない時のひとことや、危機に出会った時の言葉、それは責められることでもなく、その人の現状(過去からの連鎖を含めて)を表しています。

    カウンセリングを重ねた人は、面白いくらいに少しずつ変化しています。ご本人に準備が出来た時には、ダイナミクスな変化が起こります。何度も訪れるチャンスを大事にしながら、素直に自身と向き合う姿は美しいです。素直に向き合うと、誰かを恨んだり憎んだり殺意を抱いたりする必要がないです。もちろん、現実的に嫌なことはありますよね。不意打ちハラッサーはあちこちにいますから。その傷も、素直に抱きしめて相手のことは手放します。その時世界が別れます。
    執着の世界にいたいか、手放してらくちんに生きたいか、いつでも選べる私たちなのです。




    自分の生き癖や執着に気付く
    ハラッサーはもともとはハラッシー
    子育てが苦しい~(子どもはもっと苦しい)
    どっち見てますか
    アサーティブなあり方
    相談申込み要領納得戴いた上で、私専用相談申込(女性のみ)からお申込みください。


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    【2014/02/04 10:13】 |
    【タグ】 ハラッサー  怒り  憎悪  殺意  執着    自己  存在不安  
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    こうめさん
    中尾真智子
    > 最近、せっかく人と会ってもモヤモヤしてしまいます。相手はニッコリ笑顔なんだけど、私はなぁんかボコボコにされた気分で別れることが。
    > 自分も同じことをしてしまっているんじゃないか?って時折不安になります。

    苦しいですね。いっぱいインナーチャイルドが我慢しているように感じます。


    マユミさん
    中尾真智子
    > 少し、捉え方がわからない文章があったので、素直に聞いてみようとおもいます。

    素直に訊いてくれてありがとうございます。

    > というのは、自己防衛で相手を傷つけ、その相手からまた攻撃を受け、自分が傷つき続ける。
    > と言うことでしょうか?

    傷つくことを恐れている(すでに傷ついている状態)ので自己防衛で相手を傷つける(傷つき続けているまま)



    こうめ
    自分が不安だから同じ不安に誰かを引き込もうとしたり、嫌な気持ちだから誰かを虐めてみたり…そうやって、嫌な気持ちって伝搬するんだろうな。
    最近、せっかく人と会ってもモヤモヤしてしまいます。相手はニッコリ笑顔なんだけど、私はなぁんかボコボコにされた気分で別れることが。
    自分も同じことをしてしまっているんじゃないか?って時折不安になります。


    マユミ
    お久しぶりです。

    少し、捉え方がわからない文章があったので、素直に聞いてみようとおもいます。

    傷つけていることにも気がつかず傷つき続けている人もある。

    というのは、自己防衛で相手を傷つけ、その相手からまた攻撃を受け、自分が傷つき続ける。
    と言うことでしょうか?


    コメントを閉じる▲
    棄てる
    「この本に共感された方は、見えないところで繋がっています。」と書きましたが、直接の繋がりではありません。

    もしも、現実的にどこかで繋がることがあるとしたら、熟練者や専門家がいる場所(ネットでもオフでも)で繋がることを願っています。

    というのは、心の問題は時には仲間が必要な場合もあります。

    「これまで誰にもわかってもらえなかったことを共有出来る人がいる!」

    これほど心強いことはないでしょう。

    傷つきあうことはなるべく少なく、恐れも不安も少なく、安心出来る場を作ってくれる熟練した人のもとで繋がるといいなぁ。

    そして謙虚に真摯に学びあえるとしたら、素晴らしいと思います。

    集団カウンセリングの中止とネットの危惧
    に書いたことを思い出します。

    ネットでもオフでも不用意に繋がった上での傷を、その後もときおり知らされることがあります。

    傷ついた瞬間があり、それを直接伝えることが出来ないとしたら、それは自分にとって安心出来る相手ではありません。(★1)

    離れていいのです。

    相手を純粋に好きな気持ちかどうか自分に聴いてください。

    相手にいい顔をしてしまう自分がいたら、依存度が高いと思われます。

    自分にとって安心出来る相手ではありません。

    どちらがどうということはわかりません。

    あくまでも自分にとって、という尺度を大事にしてください。

    ハラッサーにとっても、自律に向かう人は思い通りにならないので安心出来る相手ではありません。

    互いに自分の心に忠実になってみたら離れるしかありません。

    が、ハラッサーはただ立ち去ってくれません。

    強い執着を示し、時に罵り、陰口を言い、憎悪を振りまいていきます。

    それらに傷つくのは当たり前のことです。

    が、ここで取り込まれたらハラッシーに逆戻りです。

    傷は傷で泣いていいのです。

    ※傷を訴えてやりたい!……これはハラスメントの世界です。(★2)



    人の集まるところで疑心暗鬼になることもあるでしょう。

    他の誰がその人(★1)と親しくしていても自分の感度を大事にしてください。

    それが自分の「信頼出来る人」であっても、自分にとっての感度を大事にしてください。

    自分の「信頼出来る人」がハラッサーかどうか疑うこともいりません。

    自分が信頼出来る人が付き合っているから自分にとって安全だなんて思わないことです。



    たとえば、相談者さんはハラッサー現在進行形の方やハラッシー現在進行形の方が多いです。

    知らないところで繋がるとやっかいなことになります。

    また、多くのハラッシーはハラッサーになれます。(★2)

    その自覚のある方は、前に進んでゆける手ごたえを感じます。

    ハラスメントを受けたらフィードバックします。

    それが気付きになればかわってゆかれます。

    それが怒りになり矛先をカウンセラーに向け続けるなら、お互いの世界は交わることが出来ません。

    互いの世界が明確に別つ時は、留まることも引きとめることもありません。



    わたしはわたし

    あなたはあなた

    もともとがひとりひとりちがう

    だれとくらべることもなし





    ―自分の感受性くらい―(茨木のり子)


    ぱさぱさに乾いてゆく心を

    ひとのせいにはするな

    みずから水やりを怠っておいて



    気難しくなってきたのを

    友人のせいにはするな

    しなやかさを失ったのはどちらなのか



    苛立つのを

    近親のせいにはするな

    なにもかも下手だったのはわたくし



    初心消えかかるのを

    暮しのせいにはするな

    そもそもが ひよわな志にすぎなかった



    駄目なことの一切を

    時代のせいにはするな

    わずかに光る尊厳の放棄



    自分の感受性くらい

    自分で守れ

    ばかものよ






    ―私と小鳥と鈴と―(金子みすず)



    私が両手をひろげても、

    お空はちっとも飛べないが、

    飛べる小鳥は私のやうに、

    地面(じべた)を速くは走れない。



    私がからだをゆすっても、

    きれいな音は出ないけど、

    あの鳴る鈴は私のやうに、

    たくさんな唄は知らないよ。



    鈴と、小鳥と、それから私、

    みんなちがって、みんないい。



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    【2011/12/08 11:18】 | ハラスメント
    【タグ】 ハラッサー  ハラッシー  ネット  怒り  執着    
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    Liebeさん
    中尾眞智子
    > 茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    スカッとするーいいですねー。

    > しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!

    お読みいただいてありがとうございます。^^


    はじめまして
    Liebe
    昨日、私が離婚に向けて不利になる事のないよう弁護士に相談にいき、法が殆ど「やったもん勝ち」にしか機能していない現実に(分かってはいましたが)悔しさやら、怒りやらこみ上げてくる感情を持て余していたところ、何かをきっかけにご主人のブログに辿り着きました。別居中の(私、化学物質過敏症により自宅に戻れず別居)ハラッサー夫が「別の女性と結婚する、お前への経済的援助も負担でしかない定年離婚するから」と言い出し、農薬で空気が汚れない今時期に自宅に戻ると、女性の衣服やら、記念の旅券やら、新しい家具を購入したり、やりたい放題で。さて、今後の私、どう生きるれるかを見つめなおさなければならなくなったのです。御多分に洩れず 、ハラッシーの私、仕事の出来る身体もなくし、破産に追い込まれ、もう丸裸、化学物質過敏症のため一切の他人とも関わりを物理的にたたされ、今、たった一人で生きています。気がつけば、友人も全員ハラッサー。車がなければ家から出られない(移動できない)、集合住宅には住めない(他人の香料で倒れる)、無農薬のものしか食べれない等の条件に生活保護の申請はできない。ハラッシー人生は、もうやめです。もちろん。しかし、生きるのにはお金は必要。心が健康になれば、病も癒えるかしら。

    茨木のり子さんの詩。バリバリのハラッシーのころ購入して読んだとき責めらているようだった。今では解釈が変わっています。スカッとする詩なの。

    しばらく、お二人のブログ、読み込んでいきますね。発信ありがとう!

    Re: 連続投稿ごめんなさい
    中尾真智子

    > 感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    > 自分の分をわきまえる。
    > 自分の心と向き合い限界を知る。
    >
    > 頑張ります。

    無理なさらずに・・・。

    にゃんにゃんさんへ
    中尾真智子

    > 私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    いえいえ、ただ自ら自律姿勢に勤め続けるだけです。相手に見せて気付きになるとは私は思っていません。
    そうなるかならないか、そこまではこちらの問題ではありません。変わりたい人しか変われないことですものね。
    察するに相手に気付いて欲しいのですね。それは切ないですね。

    連続投稿ごめんなさい
    にゃんにゃん
    「頭で自分と登場人物と対話し相手の状況、立場、気持ちを理解する。」とコメントしましたが、これが、問題でした。自分の書き込みをみて、はっとしました。

    相手の立場や状況、気持ち、勘違いからの癖を理解出来ても、自分の心、、許せない気持ちを殺しては、存在不安、抑圧の感情を増幅してしまうだけでした。

    また、相手の望む仮面をつける癖、、受け入れられないのに、受け入れようとする癖も改めていきます。

    感情は、人にぶつけず自分で受け止める。
    自分の気持ちは気持ちで、受け入れられない思いや感じ方に寄り添い掘り下げてみていき変容する。

    受け入れられない思いこそ、自分の今までの囚われた古い固定観念を新しくするチャンスでした。

    自己犠牲も自分の心を無視して、感情を殺してしまう癖がそうさせてしまうと理解出来ました。

    自分の分をわきまえる。
    自分の心と向き合い限界を知る。

    これを課題としていきます。

    すぐに、全ての改善は無理でも、少しずつ意識して気付いて変えていきます。

    頑張ります。

    はい、真智子先生ご察しの通りです
    にゃんにゃん
    結婚してから、、
    私が自分を母、妻のカテゴライズしていく中で、夫を通じ見た景色、、

    私の実家は、自己犠牲の社会主義。
    個より体制に、カタチに重きを置く家庭。

    夫を通しみた景色。
    身勝手を自由と履き違える個人主義。
    ある者は、勝ち負けの階級的思考を持ち、ある者は、早くから敗北感と劣等感を抱えながら生きてる。

    こんな印象を受けました。
    夫の家は、母を捨て蒸発した祖母にそっくりな面が沢山ありました、、

    この辺りから私は、母への隠れた依存心を大きくし、独身と違い、夫や子供達の為と諦めた選択ばかりして、母と比較し自分を責めブレてブレて、、あれだけ人様からも自律してると言って貰えた私が嘘のように、、、

    今では、自己責任は自分を責めず、自分の感情を人にぶつけることなく枠に合わなければ理解を求めず立ち去ると思えますが、当時は出来ませんでした。

    夫に父を求めは、実母にありのままで認めて欲しいと言う依存の甘えた気持ちまみれに、、

    エゴがハートをすっぽり覆い、自己欺瞞、自己の破滅、、四面楚歌の現実を作りました。

    今は、気持ちは、、ハートを取り戻せ、私が変わる事で周りは変わりました。

    けれど、存在不安、抑圧の感情が酷いのです、、、

    気持ちで生きるのは、子供時代から独身時代まで長らくしていて得意。
    反面、感情を抑圧する癖が酷く、今でも日々格闘してます。

    気持ちを大事に生きる、型に嵌らない私。

    私は、正しいフィードバックは思いや感じ方を伝えると思ってますから、先方からは、これまた凄まじく傷つく言葉を言われています、、。

    なんせ、無意識のインナーチャイルドの傷を自己投影し自己犠牲しています、、

    事の後にフツフツと傷ついたと自覚しています、、

    けれど、引き寄せる要素を私が持ってるのを自覚してる分だけ、苦しくて、、

    感情を感じて味わって反応させる。流れに委ねられない凄まじい感情との付き合い方、、。

    日記に書いてワークしたり、頭の中で登場人物との対話をするなどして対策を立てていきます。

    また、今は。
    母の自由意思での選択決断を私の尺度で何故幸せじゃないなんて、決め付けたんだろうと恥ずかしいです。
    なんとも罪深くカルマを背負う事になると思えました。

    同じ体験であったとしても感じ方も思いも十人十色でした。

    諦めても体制に従っても心に正直であっても、心に問いかけ妥協し決めても、、精一杯生きた人生。全部が素晴らしいと思えました。

    母を捨てた祖母と母の確執を紐解き紡ぎ直したいなんて、本人が望んでいないことを押し付けようとするのが間違いでした。

    私が自律した姿を見せる。それこそが、相手への気付きになると理解出来ました。

    真智子先生のコメントから自己を振り返る気付きを貰えました。

    真智子先生ご自身も、沢山色々な事を乗り越えて来られ今がある事を察します。

    相手の過程を見守り待つ事の出来る方と感じました。

    拒絶否定の恐れの感情を存在不安を刺激しないご配慮とても嬉しく思いました。

    どうか、お体大事に。
    心も大事になさって下さね。

    愛と尊敬と感謝を込めて結びとします。

    Re: わたし決めれそうです
    中尾真智子
    親のと連鎖で苦しんで苦しんで、皆さんそれでも離れることが出来ずに、離れたつもりでも頭の中に住みついた親にそっくりになっていることに気付いて愕然としたり、そんな日々の中で自分と向き合っていらっしゃいます。

    > 負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。

    フォームからは「依存」の自覚も書かれていらっしゃいましたから、自由と責任=自律へ向かう覚悟が出来そうなのですね。無理せず頑張って下さい。

    わたし決めれそうです
    にゃんにゃん
    わたしは、自律心が強く体制に従う価値観のない主観を大事にする子供でした。
    私は、お母さんとは違う一人の人間なのと思っていました。母のこれが嫌。だから、私は、こうすると。

    恨んでいた私は、母と違う人間、そして失敗から自己を振り返り難攻不落の固定観念を作りました。

    けれど、段々我慢出来なくなって、交換条件を出し難癖をつける私の一族をずっと木っ端微塵に反論出来ないよう論破していました。
    いつの間にか、闇の世界に行ってしまった。

    結婚し三人年子を産み抑圧の感情が抑えがきかなくなって感情の開放、固定観念の制限を外すと、、

    イメージが記憶と重なり底知れぬ虚無感、氷点下の孤独を感じ毎日がフラッシュバッグ。心が不安定で衝動と日々戦ってます。

    子供の時から、母の大変を理解し歩み寄ろうとしても、私の価値観を理解する気がない母は、、決め付けました。

    だから、ダメだ。
    親の言う事はいって言えないからと、、

    言う事を聞かないのは、自分なのに、悪いのは自分のに泣くな。謝れ。

    ごめんなさい、殴らないで。

    なんだその言い方は。
    自分が言う通りにしないのが悪い癖に人のせいにするな。

    お母さんから比べたらそんな事で。

    お母さんもあんた嫌いだし、だから駄目だ。

    こんな出来事だらけでした。それでも、世代間連鎖の曽孫にあたるわたしは紡ぎ直ししたいと思ってしまいます。

    いっぽうで、過ぎた時間は戻らない。きずついた心は戻らない。わたしは背負って生きている。せめて、気持ちに寄り添って欲しかった。償いとして心から謝って欲しかった。

    あなたには、産んでくれて感謝してる。けれど、他には関心がない。

    どちらも、私の気持ちで、、、

    けれど、記事をみて、母を捨てても良いのかも知れないと、、

    負の産物をわたしの子供達に伝えない事が私の責任と覚悟を決めれそうです。きっかけを有難うございます。

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    一昨年の秋に、集団カウンセリングの可能性について中尾英司がブログで書きましたら、ONEFORALLというグループから依頼がありました。
    代表の方の人柄や人気なのでしょう、立ち上げたばかりなのに参加者が多くて驚きました。
    生まれたてのチャイルドに突き動かされたその方の輝きが人を引きつけたのでしょう。
    主催者さんたちやお手伝いの方々のご助力はもちろんのことですが、とくに辛い体験談を話してくださった方々、それを共有した参加者全員の力で、大成功に終わりました。

    その後、こちらの反省点が見えてきました。
    まず、ブログを持つ多くの人が集団カウンセリングについて書かれたことで守秘義務の徹底をそれこそ徹底して言わなかった反省があります。
    自分の持ち帰ったものだけ書かれるならいいのですが、他の方の体験を書いた場合、その方が傷つくこともあります。
    また、人の記憶はあいまいなもので、流れの中で変化することもおおいにあります。
    同じ時間、同じ場所でも個々で違うものを体感していたりします。
    私は久しぶりにネットの危険を感じました。

    参加者の間での色々な気持ち、参加したくても出来なかった人の色々な気持ち、それらの声が明確に聞こえてきました。
    去年の春から初夏にかけて中尾相談室は時間があけば会議の日々でした。
    反省して検討して見直しして、時間をおいて、案を持ち寄って、etc・・・。
    成功を活かしたい願いが強かったのですが、検討の末、集団カウンセリングは中止にしました。



    「ブログ」をうまく活用していかれることは大賛成です。
    カウンセリングでの自分の気づきを書かれる場合はそれもいいと思います。
    しかし、カウンセリングの細かい内容、カウンセラーとのメールの公開とか、驚くことが起こっていました。(こちらで知りえた方がたは快く訂正をしていただきました。)

    それらを読んだ人は、自分とは違う、どうして?と本来の自身の問題とは方向違いの痛みまで背負うことになりました。
    現実世界だけでも大変なのに、救いのネット世界でも苦しむなんてとても気の毒です。

    実際は個々人でカウンセリング内容が違うのは自然なことですが、それにしてもどの方ともそれほど大きな違いは生じてないのです。
    しかし文章で固定されてしまう事で、ことさらに強調されて感じられるのでしょう。

    人は弱いものです。嫉妬、羨望、絶望、怒りなど感情が揺れるのは自然なことです。
    そんな自分を責めることはありません。
    それらの気持ちに気付かずに無意識に迎合することさえあります。これは依存と共依存の関係になりかねません。

    たとえば、知人のブログに登場した人物が自分のとても大切な人だとわかり、その上とりわけ間柄が深いように書かれていていたとしたら、傷つき悲しむのはすごく自然なことです。(そのように書かれたブログがネチケットを大事にしていないのでしょう。)
    書かれている内容はその人の物語でしかありません。
    居心地の悪いブログに出会ったら離れていいのです。
    自分に活かせると思うものだけ貰っていけばよいのです。

    読みたくないのに読んでしまう、気分が悪いのに読んでしまう・・・そんな時は自分の中に聞いてみるといいです。

    「なぜそんなに気になるの?」

    なんか気になる、それならむしろがっつり自分の中で取り組んだら面白いと思います。
    自分へのヒントを無意識に見逃しているかもしれません。
    似たものがあるけど認めたくないのかもしれません。

    10年間、私がネット世界でたびたび見かけた現象ですが、「他人」のHPの日記や掲示板(今ではブログでしょうか)に執着が起こり、強い「愛情(友情など含む)」「怒り」「憎しみ」などが沸き起こってしまう人がありました。一時的ならまだしも、持続的ですと、はたから見たらとても不自然でした。

    今思えば、それらの人たちは、その対象へ「依存」があったのかもしれません。
    それは、自分が本当にぶつけたい「誰か(親、友人、知人、などなど)」への代償行為として起こっている感情だと思われます。
    それらの人への感情をいくら募らせても自分の心は幸せになりません。
    ぐるぐるとブラックホールのようになってしまいます。
    そんな時は、何かしら自分自身への課題を示しているのかも?ととらえて見据えることが積極的な解決法になるかもしれません。

    これはネットだけじゃなく現実社会の中でも言えると思います。







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    【2011/01/22 14:01】 | 自律
    【タグ】 執着  依存と共依存    
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